いい加減吹奏楽とマーチングを混同するのやめろ [転載禁止]©2ch.net
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今言ってる「吹奏楽」は東京佼成とかあんな感じの
コンサートホールでやるやつな こちらにまで口を出して欲しくないって
あなたの居る「こちら」ってどんな立ち位置なの?
現実を否定して2ちゃんで妄想を語る側ってこと?
まるで意味がわからないんだけど >>438
いや、プロの吹奏楽団のコンサートプログラム見ても
クラシックは「スタンダード」とすら言えないでしょ
本当に吹奏楽やってる人とは思えない発言連発ですね >>439
あー、凄く簡単に言えば「問題点を指摘して改善を目指す人」かな?
何が問題かは人によって違うだろうけどさ。
>>440
ちょっと待った、それはどういう曲のことを指して言ってるの? >>437に追加。
「吹奏楽はこの程度で十分。それで何が悪い?」みたいな人の傾向。
「クラシック」=高尚な芸術で、一般人には楽しめないと思っている。
オケに謎の対抗心を持っていて、ピアノ曲や管楽合奏曲は眼中にない。
だから吹奏楽はオケとは違うというだけで非クラシックを唱えたがる。
吹奏楽の基本がクラシック系と言われると、吹奏楽ポップスを排除されようとしていると勘違いする。
そして吹奏楽の取柄はポップスにあるとか言い出す。
恐らくこういう人は学校吹奏楽部の世界から視野が広がっていない…。悲しい。 クラ側から言わせてもらうと
吹奏楽はクラシック音楽にとってひとつのジャンルたり得ていないよ
19世紀まではもちろん、20世紀以降にあってすらね
それはまだこれからの話なのかもしれないけど
少なくとも現状ではそう >>443
もちろん超マイナーであることは間違いないね。
吹奏楽はジャンル名ではなく編成名ってことは今更だけど、
オケやピアノ独奏と肩を並べられるとは流石に思っていない。 芸術性とか掘り下げとか自分で言い出しといてナンだけど
音楽は必ずしも芸術性を志向しなきゃいけないってわけでもない
(そもそも「芸術性」ってのも不定形な概念だが)
クラシックでもファンファーレのような機会音楽や実用音楽はあるし
娯楽を目的としたポップスにだって多くの人の心を捉えて語り継がれる名曲はいくらでもある
吹奏楽の起源や根っこがクラシックにあるか否かにかかわらず
今の吹奏楽の現状でいえば、クラシック以外に多くの足場を割いているし、
奏者にも聴き手にも「参加する喜び」を広く与えてくれる今の吹奏楽には独自の魅力と立ち位置があると思う
だから吹奏楽の現状肯定には「この程度でいい」というネガティブな面だけじゃなく
「これだからいい」という積極的な面もあるんだがな
クラシックが吹奏楽の本来の足場、という主張にこだわるあまり
そういうところを見落としてる気がするんだがどうだろう 吹奏楽の起源がどうかは今はあまり関係ないと思うけど…。
俺もクラック以外にも力を入れている吹奏楽は独自の魅力があると思う。
でもそればっかりで従来のスタンダードや伝統を軽視するのは良くないよねってだけ。バランスバランス。
いろんなジャンルに挑戦するのも大いに結構。でも基本を見直すのも大事。
蛇足かも知れないけど、
「クラシックでもファンファーレのような機会音楽や実用音楽はあるし 」
この中にも吹奏楽編成の曲はあるでしょ。クラシックの実用音楽とは別みたいに言うなよ…。
二回目だけど吹奏楽はジャンル名じゃなくてあくまで編成名だから、
クラシックって言葉と対比するのはナンセンスぢゃよ。 >>446
蛇足の部分について
そこは「音楽は必ずしも芸術性を志向しない」
という例示であって、
吹奏楽との対比でクラシックとポップスを挙げてるわけじゃない
それを言うならポップスだって吹奏楽でやるだろ?
単語レベルじゃなくて文脈で理解してくれ >>447
ああ、そういうこと。すまん。
それを言えばクラシックじゃなくても芸術性を志向することは普通にあるから、
クラシックだからって特別に身構えることはないよね。 >>448
まあクラオタの立場から言わせてもらえば
オケやオペラやピアノを聴くのも、プロ野球を観戦するのも、大した違いはないと思ってる
ただ、吹奏楽を始めるきっかけとして
ブレインやバボラークに憧れて、とか、
マーラーやワーグナーで管楽器に魅せられて、
みたいなのは圧倒的少数なのは確かだよ
オケでよくある、いかにも「入門者向け」みたいなコンサートには
どうしてもやってる方も無理してる感じが拭えないしな
クラシックだからといって身構えるのはおかしいといっても、
実際そういう現実があることは否定できないよ >>449
まあ全くその通り。俺も君ほどじゃないと思うけどクラオタだし。
俺の身近に小学生とかが入ってるオケがあるんだけど(勿論音楽家志望とかじゃなく)、
ほんと全く身構えずに参加できるとこなんだよね。吹奏楽部みたいに。
でもああいう成功例って少ないんだろうなあ。 水槽はプロオケが地味だからな
高校生の部活が一番の花形という状況が変わらなければ
良い演奏=コンクールで勝てる演奏
という枠から出られない 高校の部活が花形ねえ…合ってるような合ってないような。
さしあたって高校生自身がそれを唱えるのはあかんでしょ。 日本の吹奏楽が腐って直らないのはコンクールの影響が大きいせい
演奏技術は育っても、音楽やる人間としての精神が育ってない
それどころか悪い方向に育ってる 顧問の影響ってさ
ぶっちゃけ技術面くらいにしか反映されないよ
うまい指導=効率の良い練習方法の提示
これくらいの存在
たいていがそれ以上の影響受けちゃってるから宗教だとか言われるんだな
てか、
ここで顧問の話がでるあたり、454は高校生の普門館金賞が最高の演奏とか思ってそう… >ぶっちゃけ技術面くらいにしか反映されない
>たいていがそれ以上の影響受けちゃってるから宗教だとか言われる
どっちやねん ことほどさように、アホは不治の病なので他人にはどうしようもない。
で世の中、アホの方がずっと多いと来てる。
コンクールがどうとか関係ない。
こんなにも間口を広げちゃえばそりゃ、メリットもデメリットもあるさ。 つまるところ、
「吹奏楽がやること」に芯となるものがないわけだ
ちくわみたいなもんだな >「吹奏楽がやること」に芯となるものがない
吹奏楽の芯はマーチ >>459
全くだwwあと付け加えるなら吹奏楽のためのオリジナル作品かな?
クラシックにしろポップスにしろ編曲ものは
重要だけどあくまでおまけ。あくまでおまけだけど重要。 >>459
そうかあ?
世間で言われてるほどマーチが吹奏楽の芯だとは思わんぞ 座奏にマーチングの影響が入るってそりゃ当たり前だろ
ほぼ似たような編成でレパートリーも共通するのに
完全に別物と割り切れって方が無理があるよ マーチが吹奏楽の芯って言われてるのはどうしてなの? 吹奏楽でおそらくもっとも伝統的に、かつ盛んに演奏されてきたのが行進曲だからじゃない?
オリジナル曲はもちろん、ポップスはおろかオケ曲の編曲演奏も
行われていなかった時代の吹奏楽は行進曲をはじめとする実用音楽が実質専門だったわけで、
その影響か、初期の吹奏楽オリジナル曲の組曲なんかにはほぼ必ず行進曲が入っている。 >>463
今言ってる「マーチ」は「マーチング」という意味ではない。 >オリジナル曲はもちろん、ポップスはおろかオケ曲の編曲演奏も
行われていなかった時代の吹奏楽は行進曲をはじめとする実用音楽が実質専門だった
それは言い過ぎというか、そんな時代は歴史上たぶん一度も無い。
そうじゃないんだよ!
ないんだが。
…虚しいな… 言い逃げかいな。
管楽器が十分に発達するまでは複雑な音楽は演奏できなかったんやで。 吹奏楽の源流は軍楽でさらに遡るとオスマンのメフテルなんだから
マーチが芯で合ってるだろ
近代編成になってからいろんな曲に対応できるようになっただけ
それを否定してる人ってどういう吹奏楽の歴史観持ってるか示してくれ 余談だけどオスマントルコが欧州に攻めてくるまではオーケストラに
トライアングルやシンバルがなかったんやで 必ずしも起源を芯として発展していく必要があると思ってないだけだよ >>471
お前がどう考えていようが黎明期から今日に至るまで吹奏楽の基本レパートリーであるのが事実だろ
最初っからそういう風に発展してきたんだから
人の願望には興味はないし俺の好みを語っている訳でもない
あとマーチングとマーチの区別がついてないやつはもっと深刻やねw ハイドン以降オケは交響曲を頻繁に演奏するようになったけど他のレパートリーを排除してる訳じゃないでしょ?それと一緒。 つまりオーケストラの芯はダンスやら何やらの伴奏音楽であって、今後もそこを軸に発展していくべきってこと? >>473
お前が一人でマーチの話をしてるだけ
このスレは座奏とマーチングを混同するなってテーマだろ
アホかw >>475
いいや
前述の通り俺は歴史的経緯と事実を述べただけで
そういった意見や自分の考えを述べてるわけじゃないの
今後どういう風に発展していくかというお題にコミット
してるわけじゃない
あと上の方でうろちょろしてるスレの流れ読めない奴は無視な >お前がどう考えていようが黎明期から今日に至るまで吹奏楽の基本レパートリーであるのが事実だろ
飛躍あると思うよ。
現在の日本の吹奏楽を素直に見れば、マーチを吹奏楽レパートリーの芯とは思わない方がむしろ自然でしょ。
少なくとも現代の状況については、単なる事実というよりは、先に結論ありきというか、多分にバイアスかかった見方のように思えるな。
納得の行かない人から見れば、過去がどうだったと言われても「だから何?」としか思えないだろうし、
もっと言えば、軍楽隊だけが吹奏楽の祖先ではないからね。 >>479
だから俺は議論してるんじゃないし、日本のローカル事情の話してるわけでもないし、
吹奏楽のレパートリーの展望について意見してるわけじゃなくて、単に歴史的事実の
提示してるだけ
だから何?と思うのも自由だしそっから先はお前らが語り合え
余談だけど日本の事情ってこと言うなら日本最初の吹奏楽は幕末〜維新の薩摩バンドで
演奏されてたのはやはり行進曲などね >>481
あ、言い回しはともかくせっかくの補足レスに突っかかってすまん。上の方の人の話代弁してたのね。 だからね、吹奏楽の祖先は軍楽隊で、軍楽隊の芯はマーチだったというのは、
それは事実かも知れないが、だからといって吹奏楽の芯をマーチだとする意見の説明にはならないと言ってるの。
僕ら別に軍楽隊やってる訳じゃないんだからさ。
指摘された通りにスレチだし、他人の代弁のつもりだとしたら完全に余計なお世話だとも思う。 >>476-477
話の流れというものがあってだな(笑)
この話題は>>459から始まってると思うんだがこれがマーチングを指しているように見えるのか?
今は曲の形式としてのマーチの話だ。
後スレタイの趣旨は要はコンサートスタイルとパフォーマンススタイルを混同するなって話だろ。
スレタイ以外もちゃんと読んで言ってる訳? 確かに今の吹奏楽団で行進曲をメインに演奏しているところは少ないけど、
>>458の「吹奏楽の芯」ってそういう意味じゃないと思うんだよね。 19世紀初頭の軍楽隊編成からユーフォニウムチューバサックスが加わって吹奏楽の現代編成になり現在に至るまでマーチが吹奏楽の基本レパートリーから外れたことは一度もないよ。これ意見じゃなくて事実ね。
俺の好き嫌いを言ってる訳でもなく。 こうありたいという話とこうあったというファクトを混同しないで欲しいんだわな。
想像上の話をしてるわけじゃないんだから。 > 19世紀初頭の軍楽隊編成からユーフォニウムチューバサックスが加わって吹奏楽の現代編成になり現在に至るまでマーチが吹奏楽の基本レパートリーから外れたことは一度もないよ。これ意見じゃなくて事実ね。
この部分に反論してる人は一人も居ないでしょ? 僕くんはそうは思ってないんじゃないの?
まあ言いたいことは終わったので議論を続けてくんろ
じゃ失礼 >マーチが吹奏楽の基本レパートリーから外れたことは一度もない
微妙に言い方変えてるしw
459こそ僕くんなんだけどwww
そんな単純な話じゃないんだ。
ほんの脱線ついでに出来るような簡単な話なら最初からしてるって。 俺スレ前半で僕くんと古典期の吹奏楽レパートリー事例にしてやりあった者なんだけど
今はもうここ僕くんの意見発表会の場所じゃ
なくなってるの?
まあ俺は事実だけ言えればそれで良いんで発展的な議論は大いにやっとくれ 僕も単に、「何の説明にもなってねーwww」って言いたかっただけなんで、それで話が終わりならこちらも終わり。 >>490
じゃあ果たしてマーチは今後も吹奏楽の芯たり得るかって話で繋げば良いんじゃないの?
またはもともと芯なんかじゃないって方向で
も良いよ。
俺はそこに付けたいと思うレスはない。
なぜなら今の下りで必要なことは言い終えたからだ。 >>491お前はどこを見てそう思ったんだよw
ここまで来て言っちゃうのもあれなんだけど、芯ってそもそも何だよって話だよな。
例えばピアノ独奏という演奏スタイルでやるものの芯は何か、なんて言われてもよく分かんないし。
ただ、吹奏楽は昔も今も公の場での実用的な音楽をやる、という役割を持ってる訳なので、
行進曲が基本的なレパートリーであることは確か。多分部外者からの吹奏楽のイメージもそんな感じだと思う。 それで>>458のレスをもっかい見て思ったんだけど、
「ちくわ」って芯はないけどその周りはあるじゃん。
つまり「吹奏楽はアレンジものにばかり手を伸ばしていてオリジナルをあまりやらない」
っていう意味なんじゃないかと。芯が「ない」と表現しているのは
吹奏楽オリジナルの音楽的価値を認めてないということでもあるのかな。
でも確かに、吹奏楽曲をいちいち「オリジナル」と表現しなきゃいけないのってちょっと異常だよな。 >1の指摘は、吹奏楽の「芯」が音楽と直接関係ないようなとこに設定されがちって現状への問題提起でもあるんだよね 吹奏楽曲をオリジナルと表現することと、オリジナルの音楽的価値云々はまた別の話でしょ?
「吹奏楽曲」だと「吹奏楽編成で演奏可能な編曲もの」まで含めて考えちゃう人が居ることを踏まえて、
より限定的な呼称を使ってるだけだと思うが >>501
全くその通りです
すみません紛らわしい書き方してしまいました
ただ言えるのは、吹奏楽曲と言った時に必ずしもオリジナル曲が想起されるわけじゃないってことだな。
そこに付け込んでかオリジナルには音楽的価値はないとか言う奴もいる。 普通の音楽ファンが聴いて面白い吹奏楽オリジナル作品なんてほとんど無いのは事実だと思うんだけど、
その点はどうだろう? 失礼。
アンケートに「趣味:音楽鑑賞」と書いても嘘ではない人から、吹奏楽経験者を抜いた集団。 こう言うべきだったろうか。
吹奏楽経験者以外にも魅力の伝わりやすいオリジナル作品が非常に珍しい存在であるのは事実だと思えるんだけど、
そうした事情を指して、一般論として「吹奏オリジナルは音楽的価値が低い」と言ったとして、それは果たして不当な評価と言えるだろうか? それはちょっと違うと思うな。
吹奏楽関係者以外には曲の魅力が伝わりにくい、というよりは、
そもそもちゃんとした曲をちゃんとした演奏で、ちゃんと聴く機会があまりにも少ないんじゃないかと思う。
しかも吹奏楽そのものに対して偏見も少なくないしね。
これはコンクールの弊害もあるかもしれないけどもっと根源的な問題な気がする。
俺の知ってる限りでは、ホルストの組曲一番、リンカーシャーの花束、
ディオニソスの祭り、ヒンデミットの交響曲辺りはクラシックリスナーにも割とウケる。 でも最近の曲はウケが悪いものが多いかも知れないな。
ヴァンデルローストや伊藤康英辺りはいい方なんだけど
コンクールを視野に入れて作曲されたものとなると大体駄目だな。 >>506
> そうした事情を指して、一般論として「吹奏オリジナルは音楽的価値が低い」と言ったとして、それは果たして不当な評価と言えるだろうか?
音楽的価値の有無云々って話になる度に思うんだけど、
「吹奏楽オリジナルは音楽的価値の低い作品が多い」って主張をする人って、
「そもそも音楽的価値の有無だけで評価されるべきでない曲」まで考慮に入れて語ろうとする人が多いんだよな >「吹奏楽オリジナルは音楽的価値の低い作品が多い」って主張をする人って、
「そもそも音楽的価値の有無だけで評価されるべきでない曲」まで考慮に入れて語ろうとする人が多いんだよな
それ単に言い方を少し変えてるだけじゃない? もし
「音楽的価値の有無だけで評価されるべきでない曲」=「〈仮に音楽的価値だけに絞って見た場合には〉高く評価できない曲」
って意味になるなら、
要するに同じこと言ってんじゃん、と思ってさ。
他にどう解釈したら良いのか今もよく分からん。
仮に僕が誤読してるならその辺ぜひkwsk あいつはブス(ブサメン)だけど性格メチャいいんだよ、みたいな…
そうなのかも知れないけどあいにく今はそういう話をしてるんじゃないんだ、的な違和感を感じてしまった。 >>512
> 「音楽的価値の有無だけで評価されるべきでない曲」=「〈仮に音楽的価値だけに絞って見た場合には〉高く評価できない曲」
> って意味になるなら、
> 要するに同じこと言ってんじゃん、と思ってさ。
その「〈仮に音楽的価値だけに絞って見た場合には〉高く評価できない曲」 を
音楽的価値だけに絞ってみるのが妥当なのか?
という話 >その「〈仮に音楽的価値だけに絞って見た場合には〉高く評価できない曲」 を
音楽的価値だけに絞ってみるのが妥当なのか?
という話
ごめん、話メチャクチャとしか思えない。
そもそも、どんな吹奏楽作品を、音楽的価値とは異なるどんな物差しで評価すべきと言ってるのか、僕にはそこからもう全く分からない。 >>515
> そもそも、どんな吹奏楽作品を、音楽的価値とは異なるどんな物差しで評価すべきと言ってるのか、僕にはそこからもう全く分からない。
本当に全くわかってないのなら、その程度の認識の人がやろうとする話題ではないと思うよ >その程度の認識の人がやろうとする話題ではない
僕の>506がって事?
音楽的価値とは違う物差しという、論点のすり替えを始めたのは僕じゃないからね?
詳しく説明する気がそちらにないなら、別にそれで構わんよ。 あらゆる音楽をオンガク的価値とやらでしか判断できない患者さんなのかな? 相変わらず我田引水な方向に議論を持ってくのが好きなやっちゃなあw ぼくちゃんは
他の連中もよう相手するわ
がんばりやー 例えばの話だけど、
初心者を合奏に慣れさせるために書かれた半ばエチュード的な曲とか、コンクールで技術を見るために課題曲として書かれた曲とか、勝たんがために委嘱された自由曲とか(←これは突っ込まれるかな…)、
あるいはそれこそ、実際にそれに合わせて行進するための実用音楽として書かれた曲とか…
を、そういう前提でそれぞれ単独で見るなら確かに、音楽的価値を気にした所で無意味とか思っても不思議はないけど、
そういうのをもしコンサートの演目に採り上げたなら、そんなん客にしてみりゃ他のどんな作品とも同じ事なんであってね。
自分にとって音楽として魅力的であるかどうかだけが全てな訳だから。
まさかそんなバカバカしい話の筈はあるまいと思うものの、かといって他にどんな意味と取れば良いのか分からない。
仮に上の例でさほどズレていないとしたら、一般論として「吹奏楽オリジナルは音楽的価値の低い作品が多い」と評価されるのは、やっぱり妥当なんじゃないかねぇ? > 自分にとって音楽として魅力的であるかどうかだけが全てな訳だから。
えっ、じゃあ音楽的価値が高いだの低いだのって話は全く関係ないわけじゃん
何だったのこれまでのレス > 吹奏楽経験者以外にも魅力の伝わりやすいオリジナル作品が非常に珍しい存在であるのは事実だと思えるんだけど、
まずこの部分がまったくピンと来ない >>523
吹奏楽経験者の中にはそういうタイプも少なくないと思います。
自覚なきスベリ芸? 言い過ぎですね。撤回します。 >>523
正直一番最初の部分からして都合の良い妄想レベルでしかないよねぇ >>526
僕の見方がですか?
なら物差し違いの話とか全く無駄というか、むしろ失言でしたねぇw 例えば吹奏楽のために作曲された実用系の音楽を引っ張ってきて、
「吹奏楽には音楽的価値の低い曲が多い」ってのは確かにその通りなんだけど、
かといって吹奏楽のための作品全てが音楽的価値が低いかといえば当然そんなことはないわけだ。
んで、>>509の発言は、実用的な音楽と芸術としての音楽を一緒にとらえて、
芸術としての吹奏楽曲までも音楽的価値は低いといって、
吹奏楽そのものの芸術的ポテンシャルを否定するのはおかしいんじゃなってことじゃないか?
そもそも実用音楽は最初から音楽的価値を目指す性格は少ないわけだから、
そんなものを引き合いに出して吹奏楽の芸術性を語るのは筋違い。 ただねえ。日本には「吹奏楽経験者向け」のCDなりコンサートなり曲なりが
かなりシェアを占めているところがあって、
それが「一般リスナー向け」と全くは違わないと思うけど、
方向性が違うところは結構あるんだよな。
だから、例えば音楽オタクが吹奏楽にも手を伸ばしてみたりすると、
この方向性の違いに失望したりするわけですよ。
そういう訳で「音楽的価値が低い」と思われても全く不自然ではないんだよな。 よく「吹奏楽は裾野が広い、気軽に楽しめる」って聞く。
その結果確かに日本の吹奏楽関係者の輪は広がってるんだけど、
一つ上で書き込んだようなことのように、
その輪の外側に対しては結構冷たいところがあると思う。
輪の人間もその外側に目が向いていないんじゃないかと。
たまに「内輪だけでも楽しいんだからいい」なんていう人がいるけど、
これは音楽業界としては致命的な問題だと思う。 >たまに「内輪だけでも楽しいんだからいい」なんていう人がいるけど、
これは音楽業界としては致命的な問題だと思う。
室内楽とかピアノ連弾とかでよくありますが、内輪で楽しむために書かれた曲が後の世で高く評価されるケースはありますよ。
シュトラウス一家の音楽だって、もしクレメンス・クラウスがニューイヤー始めなかったら、今でもちょっと気の効いた実用音楽どまりだったでしょう。
そういえば、バッハの平均律や無伴奏チェロも元々は練習曲なのでした。
作ったり演奏したりする側の事情とか経緯とか狙いとか、あんま関係ないっすよ。 〜>>530
まあ僕の>520をより穏当な表現に上手く言い換えて頂いた感じはあります。
あざーした。 >>531
なるほど確かに言われてみればそうだな。
でもぶっちゃけるとバランスの問題な気がするな…。
実用音楽は十分評価されるような吹奏楽曲もあると思うけど、
内輪向けのものに少々偏りすぎではないだろうか。
しかも、その「内輪」が、生憎レベルの高い集団ではないし。 これは曲に限った話ではない。
日本においては吹奏楽関連の商売は殆ど内側に向いている、
具体的に言うとお客さんが吹奏楽関係者ばっかりで、「世の音楽愛好家よ、これを聴け!」ていうのが滅多にない。 啓蒙不足みたいなこと言う人もいるけど、けっこう必然だと思うんだな僕は。 >>535
まあ、そこら辺をどう考えるかは方向性の違いとしか言えないわな。
俺は芸術としての吹奏楽がもっと評価されてもいいんじゃないかと思う。 芸術と思えば余計に金を出すって訳でもないからねぇ… ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています