日本で「基礎練」や「教本」がさんざん勧められるのは、
指導者にとって、それが一番簡単だからだろう。

未経験の人間が、一流指揮者と同じような指揮をする、
一流の演奏家と同じような演奏をするというのは、
到達不可能とは言わないが、とてつもなく高い壁のはずだ。

しかし、「基礎練」や「教本」を学ぶなら、言い方は悪いが、
継続さえすれば誰でもできることだ。
「一流」と呼ばれる人間に追いつこうとする努力に比べれば、
ハッキリ言って大したことではない。

私が見る限り、成長途上の奏者や指導者ほど「基礎練」や「教本」をありがたがる傾向にある。
比較的簡単に身に着けることができ、先輩風・指導者風を吹かせることが可能だからだろう。

しかし、単に「基礎練」をありがたがっているだけでは、絶対に人並み以上の奏者にはなれない。
下手をすれば、中途半端な技術の奏者を量産することにもなる。

なぜなら、「基礎連」なんて、「一流を目指す」ことに比べれば、
指導者にとっても、演奏者にとっても、本当に低い壁なのだから。

以下続きます。