>>291
横からあれだけどもともと耳で聞いて合わせたら機能的な意味合い失うんじゃない?って質問にたいしてなのになんで和音単体ではなくなってんの?

もしかして耳で聴く場合その音の周波数でしか合わせらんないと信じてるくち?
あんたのいう「ドミナントの緊張感とそこから続くトニックの解放感って言うのは音楽の心地よさの一つの形式」になるように調節して吹けばいいだけだし、その音は知識なくても感覚でたどり着くよ。

歩くという動作が音楽とした場合、感覚は人間の歩みで、和声や楽典の類はロボットのプログラムに過ぎない。平行感覚のプログラム作用なんか知らなくてもみんな歩けるでしょ?