なぜ、万年銅賞だったのか、わからなかった
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
ずっと吹奏楽部だったけど、銅賞だった。
なぜ、銅賞なのかわからなかった。
某吹奏楽小説のように、練習せずにおしゃべりなどしていない。
どの吹奏楽小説でも、万年銅賞の学校は、酷くずれまくった演奏をしてるように書いてあるが、
実際の万年銅賞の学校でも、真面目に練習してるし、ずれるような演奏はせず、ちゃんと演奏している。ハイノートで失敗することはあるかもしれないが。
上の大会に行く学校のように難易度の高い曲の演奏は出来ないが、学校のレベルにあった曲を演奏していた。で、結果は毎年銅賞だった。
「もっと大きい音を出して」が顧問の口癖で、大きい音で難易度の高くない曲を無難に演奏していた。 >>1
実際の演奏を見てないから憶測でしか言えないけど、ハイノート失敗も、大きな響きの良い音が出せてないのもダメでしょ
ちなみに審査員の人達は冒頭の10〜20秒くらいしか聴いてないそうなので(地元の吹奏楽指導の先生から聞いた話)、曲の最初でわずかでもミスったり、音色がキレイじゃなかったら、その時点で銅賞になるそうだよ >>1
代表になった学校の演奏は聴いていないの?
自分たちでは、自分たちの演奏を「無難」だと思っていたけど、
他校の演奏と聴き比べたら全くなってなかった、なんてありがちな話。
辛らつな言い方をすれば、銅がつく自分たちの演奏を「無難」だと思っているから、
いつまでも銅だったんじゃないかと。 あと他スレでも書いた事あるけど、歌や楽器の下手な人って基本的に練習量が足りてないの
例えば、上手な人が1時間の間に5曲の練習曲を吹いてるのに対して、下手な人は1時間に1〜3曲しか練習曲をこなせない、とかね
なぜこういう事が起きるかというと、上手な人達っていうのは圧倒的に譜読みのスピードが速いから、いろんな曲にどんどんチャレンジしていける
逆に、下手な人達は譜読みの段階でもう、モタついて読むのに時間が掛かってしまってる
楽譜を読んで理解するのが速ければ、余計な時間をくわずに技術や表現の練習にしっかり時間をさけるようになるから、そりゃ自ずとそっちのほうが成果を出せるようになってくるよね スレ立てした1が出てこないから
結論なんて分からないよw 万年銅賞か。
2019年で連続1万回目の銅賞だとすると、1回目は紀元前7982年か。
(BC1年の翌年は0年でなくAD1年なので、計算の際はそこんとこの補正を忘れずに。)
縄文時代には既に吹奏楽コンクールがあったとは、初耳だ。
サックスが19世紀に発明されたとする定説を覆す大発見じゃないか。 無難な選曲→表現力がないと代表にしにくい
ハイノート失敗→金賞にできない
雑な音色→銀賞にもできない
大編成部門で出場できる学校で、コンクールメンバーとして出て来る人達は、
たいてい中学校からの経験者(特に金管)で、少なくとも3年以上の楽器経験がある
そういう人たちのほとんどは、音色はともかくとして、課題曲レベルの曲は一通り演奏できる
だから課題曲と自由曲に難易度差がなかったら、曲を間違わずに演奏できただけでは
地区銀レベルにしかならない、どこかでミスしたら地区銅
音程やテンポがキッチリあってる、音色が美しい、全体のバランスが取れている、表現力がある・・・
とか色々な条件を加えて行って、地区金、地区代表が見えて来る
地区代表になれるレベルだど、選曲が効いてくる
ずっとスウェアリンジェンだと技術レベルの上限が判らないので、県代表にもしにくい
プロ顔負けの表現力なら支部抜けもあり得るけど、難曲に挑戦した学校を差し置いて代表にするのは難しい
ローストのアルセナールぐらいなら、県代表になれる地域もある
県代表レベルが支部抜けできるかどうかは、地域によってかなりの格差がある
全国大会と同じような選曲でないと、銀以上は難しい
ブリュッセルレクイエムぐらいなら高校でも代表狙える
ここでダメ金か金代表かという差はかなり微妙だったりするので、過去の実績が効いてくる
支部によってはもっと緩い基準で代表になれるけど、全国では銅確定
競争が厳しい支部で代表になったところは、
本番でよほどの失敗をしない限り、全国銀以上
ただし、流行重視・インパクト重視の選曲で支部抜けしたところは、全国でひっくり返されることもある
インパクトはあるけど技術的に簡単な曲は見抜かれる
あとは「これはプロでないと無理でないの?」というフレーズを音大志望者などが吹ききれるか
そういう曲でミスなくまとめれば全国金、ホールの性質を考慮せずにバランスが悪かった場合は銀もありうる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています