「Revival」おっさんずラブ主題歌

小説じゃあるまいしわざわざ追憶と断り書きする回想導入に、
まずはうんざり。
ありがちな慣用的表現や、「晴ときどき曇」などからの使い回し表現に、
さらにうんざり。
ソフトクリーム、祭囃子、花火、金木犀が、意味ありげに登場するも
何のことだか。
入道雲を無意味にソフトクリームに例えるが、
一体「君」は歳いくつなんだか。
「君」の仕草に執着したり、だから何としか(笑)。
「君」への思いが揺れているなら、
揺れているものを登場させるはずだがそうせずに、
思いを託すというより表面的なものに執着して空回り。
夏と金木犀(秋)をともに擬人化して対応させていることから、
夏 → 追憶
秋 → X
という構図が浮かび上がる。
Xに入るのは忘却だろう。にも関わらず
記憶を大切しており訳が分からない。
なぜ忘れたくないという言葉に反するレトリックを使うのか。
揺れているという表現の直後との繋がりを見ると
忘れたくない心と忘れたい心の間を揺れていると解釈するのが自然だが、
夏が記憶を甦らせたなら忘れていたわけだから
すぐまた忘れてしまうことを心配しているということか。
「君」と会っていた夏が1、2ヶ月前のことで忘れていたなら、
確かに心配したほうが良い頭だ(笑)
忘れたくない心と忘れたい心の間ではなく
忘れたくない心と忘れてしまう心の間を揺れているのだろう。
まともなレトリックが使えないなら使わなければ良いだけだが
カッコいいとでも思っているのだろうか。