探検の歴史
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>>99
それ、食物スレのネタスレの流れで必死に作ったあげくに受けなかったネタだろ?w
ここじゃパオはマジレスしてるよ。自分が中国史も議論も出来るんだぞ、スゲーだろ!って
アピールしようとして、こけただけ。
ここまで自虐な釣りネタやるにはパオには無駄なプライドありすぎるからなw パオさん
もうスレ違いだからやめてくれ。
俺はあんたに好意的だが、今は賛同できない。悪いが。 >>98
>本気でこれで終わる。
お疲れ様でした。
わたくしもバカを相手にして疲れました。
>>99
はっきり言ってネタがどうかは謎です。
自分が学生時代にバイトした洋菓子店のパテシエから実際に聞いた話です。
ただ、このレスの何件か後にも戦前の横浜中華街の華僑がらみで「周」が
「シュークリーム」の語源になったという話がありませんでしたか?
自分が修行していた親方のパテシエもその話が大元になった可能性がありますし
「周」という料理人の系譜が周王朝の血筋という可能性もあるのです。
いづれにしろ、自分以外に複数の方から類似した情報が寄せられたという事は
あながち真実である可能性を捨て切れません。
また「そんな記述はwikiに無かったよ」とか言うのは無しです。
あくまで巷レベルの説。民間伝承の類。 自分の後に寄せられた類似の話↓
336 :世界@名無史さん :2010/10/01(金) 16:46:41 0
日本のシュークリーム命名の由来は靴墨ではなく、周富徳。
周の大叔父の功醇が戦前、横浜中華街に移住して間もなく、
当時多く住んでいたドイツ人からカスタードクリームの製法を学び、
周が最初マントウの生地にクリームを包んで売り出したのが日本での始まり。
卵と小麦粉があればできる廉価なカスタードクリームは、
これを機会にして横浜から日本中に広まった。
343 :世界@名無史さん :2010/10/01(金) 18:43:58 0
日本のシュークリーム命名の由来は靴墨ではなく、周恩来。
日本留学中だった周恩来の離日前夜、
当時最大の中華街のひとつだった神田神保町の紅燐河菜館で送迎会が行なわれた。
その席で中洋折衷のお菓子として供されたのがシュークリームの始まり。
その後、周氏が世界的知名度を得てからシュークリームとして販売されるようになった。 今日は楽しいうんち祭り!
みんなでお尻を突き出して!
いっせぇのぉでウンチブリー!
固いの普通のやらかいの
うんちがいっぱい臭い臭い
出すもの出したら大声で
叫ぼよさぁさぁ
『うんちブリブリ〜ン!!!』
うんち祭りだクソまつり
みんなでうんちをひりだして
うんちの中でずるずるべちゃべちゃ
のたうつのたくる臭い臭い
うんちまみれになったなら
あなたもぼくもうんちマン
ついでにおならもひりだして
もっと叫ぼよ
『うんちブリブリ〜ン!!!』
まだまだ続くようんち祭り
うんち食べちゃえムシャムシャムシャ
ついでにおしっこジョロロロロ…
うんちお茶漬け完成だ
ゲリとおしっこ混ぜたなら
ウンチブレンド召し上がれ
おっとクソカス浮いてきた
これは風流、茶柱だ
ウンチ食べ食べおしっこゴクリ
今日は美味しいうんち祭り
漢王朝とローマ帝国
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1284073085/
295 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2010/10/08(金) 20:42:32 0
中国史系スレは復活してほしいな。探検スレでのパオを見て、専用スレ必要だな〜
って心から思った。
>>106
>ホント、ウザいな...
こっちが正論を言った途端にこれだからな。超笑えるw
>>107
荒らしで憂さ晴らしかよw
テメーの頭の中にはきっと糞がいっぱい詰まってんだろーなw 明日モニタの実物チェックしに行こうと思うんだけど、
ベンQのモニタ置いてるお店ってありますか?
ベンQだとVAパネルなので一応購入前チェックしたいんですが。 以後パオに対するレス禁止
荒らしにかまうのも荒らし同然 >>111
おやおや、頭の中に糞がたっぷり詰まってる人が登場したぞw >>113
>スレ主様へ
正当な議論に対して、荒らし行為によってスレの進行を阻害している人間にこそ
それが当てはまります。
何ゆえ、常にスレの主題に対して真摯に向かい合っているこの私が批難されなければ
ならないのでしょうか?
トリップも付けずに私に成り済まして荒らす者と混同されていらっしゃるのでしょうか?
107の異常なレスは私ではありません。
納得のできるご返答をお願いいたします。 791 名前:パオ兄さん ◆mEq.Fp/iL. [] 投稿日:2010/10/10(日) 00:13:40 0
>>790
騙り荒らしが多くて、いい加減もう嫌にになったので、
今後は「名無しさん」としてカキコしたほうが良さそうなので
数年間使い続けたこのコテハンとは、サヨナラします。
皆さんもそれがお望みのようですので。 >>115
いや
あんた時々コテ外してレスしてんだろ?
アンフェアじゃね? NGワードに登録している身としてはコテを使い続けて欲しいのだが… もうパオとかトンデモ相手のスレ作ったほうがいいんじゃね?
いい加減なことをあちこちで書き散らされるのも迷惑だし、初心者が騙される
弊害もある。
パオにくっついてくる一言だけのアンチも逆にパオ信者増やしかねないし、
パオが頓珍漢な議論始めたらそっちに誘導してやるということで 487:パオ兄さん◆mEq.Fp/iL. :2010/10/10(日) 17:34:47 0 [sage]
今は見る影もありませんが、わたしが失業中だった昔、ネット配信で乾隆帝など、
中国の歴史物が無料で見られた時代がありますた。
無職当時インターネットも便利になったなと当時は感動したものですが、USENに買収され、
今ではソフトバンクとも提携するようになり、わたしもまた一部上場企業に就職し
いつしか歴史ドラマモノは廃れてしまいました。
新自由主義の時代であり、企業も利益追求の組織である以上、方針の転換は已むを得ない面もあるでしょうが、
いささか残念に感じますね。
パオのは議論とは言わないぞ。本人も自分が何を言ってるのか理解できてないんだから パオ兄ぃの言ってることに
アンチ&煽りが絡むからいつも変な方向に話が進むんだろ
歴史映画スレとかその典型
春秋戦国時代のスレと化してる 会社の会議で、そいつが発言するといきなり議論が瑣末な方向に脱線して、
30分で終わるはずの会議が3時間経っても終わらなくなるって奴がいるんだが、
ここのアンチはまさにその同類。
2ちゃんならまだいいが、会社にあまり居てほしくないタイプだ。 パオはデマや妄想をさも事実のように語ることこそが非難されているのだけど。
せめて「自分はこれこれを理由としてこう考えている」ならいいんだけど、そうじゃないし。 中公文庫の極地探検ものシリーズ四冊は全部買った。
ただ、イマイチおもしろくないわ。 プトレマイオスの地図帳を図書館で見たんだが、すごいなわな。
特に気になるのは、やっぱり東方だ。
イマエウス地方やらアスミリアン山脈・オットロコーラス山脈やらがどこ辺りなのか比定するのが楽しい。
探検者に関して見方を変えれば、それは侵略者のさきがけとも言える。 >>129
それら地名は、一体何語でどういう意味だったんだろうな? プトレマイオス地図じゃ中国まで行ってんのにアフリカは北部のみだ。
アフリカ南下してプトレマイオスに情報を与えられた人はいなかったんだなあ イスラーム以前は、サハラ以南とは交流が少なかったのかな >>133
まあ、海岸沿いじゃフェニキア人がアフリカ大陸一周したって話をヘロドトス
が載せてる。大げさな話が大好きなヘロドトスがあまり信じてないんだけど、
内容が思い出せないけど、たしか、ヘロドトスがおかしいと言ったことが、逆
に丁度当てはまるってことで、案外本当だったんじゃないかという話がある。
ちなみにゴリラの名称は、このときにフェニキア人がアフリカで見たって言う
「毛むくじゃらの人間」をそう呼んだことに由来してる。 >>136
>ヘロドトスがおかしいと言ったこと
太陽が北にあり、右手から昇ったってことだなあ。
当時でも地球丸いって知ってそうなもんだと思えるけど
ざっと検索したらアリストテレスが地球丸いって言っててヘロドトスはそれ以前だから
地球がまるいことは思いついたとしても太陽が北に行くとか右手から昇るとかは想像付かなかったのだろうか。
ゴリラの目撃報告、太陽の話からフェニキア人のアフリカ周航はホントっぽい感じ >>138
ゴリラを見たという、フェニキア人のハンノの記録じゃ、湾の中に島があって、
その島の中に湖があって、さらにその中の島に「女が毛むくじゃらの野蛮人」
がいたということになってる。現地の人間がそれを「ゴリラ」と言ったと言う
だけで、現在言う所の「ゴリラ」かは分からない。ひょっとすると現地人を
ゴリラと言ったのかもしれないし、ボノボのような種だったかもしれないし、
絶滅種の可能性もあれば、単なる法螺話なのかもしれない。
逃げ回るのを何人か捕らえることができたくらいだから、現在のゴリラとは
言いがたいかもな。
ただ、その記録から、今のゴリラをそう名づけただけ。 山海経も異形の者を報告してるがそれと認定できる者がいるのか単なるホラかは謎 ヘロドトスって言ったら、スキタイの章で草原の道を記録しているよな。 フェニキア人検索したら毛深い女を捕まえて背中から皮をはいだとか。
暴れたんで殺したのか アポロニウスの行伝も面白い。けど、あれは探検記というよりも旅行記か・・・。 シナイの北にはセレス人の国とその首都があり、それよりも東は、沼沢地帯を抱えた未知の世界で、
沼には大きな葦が隙間もなく生い茂り、それにつかまって対岸に渡れるほどだという。
また、そこ(セレス人の国)から石の塔を経てバクトリアナへ道が通じているばかりでなく、
パリンボトラ経由でインドへ行く道もあると聞いた。
ところで、シナイの都からカッティガラ港への道は南西を向いているということなので、
この都は、マリノスの言うごとく、セラやカッティガラを通る子午線上にあるのではなく、もっと東にあるのである。
プトレマイオス第1巻17章 第3章・シナイ人の位置
シナイ人の北を限るのは、セリカの説明済みの部分である。
東と南は、未知の世界によって限られる。西を限るのは、大湾に至る確定済みの線を挟んだ、
ガンジス河の外側のインドと、大湾そのものと、それに続く諸湾、すなわち野獣の湾とシナイ湾とである。
この湾の周りにはエチオピア系イクチョオファゴイ族が住む。西側の記述は次の通り。
大湾内のインドとの境界の次に
アスピトラス河河口 170° 16°
ブランマ町 177° 26°
アムバトス川河口 177° 12°30′
ラバナ町 177° 8°30′
シノス川河口 176°20′ 6°30′
南の岬 175°15′ 4°
野獣の湾湾頭 176° 2°
サチュロス岬 175° 赤道
シナイ湾内にはカッティリアデス川河口 177°20′ 7°S
カッティガラ、シナイ人の泊り 177° 8°30′S
この地方の最北部を占めるのは、同名の山脈の上にあたりセマテノイ族、
彼らおよび山脈の下にアカドライ族、残りの湾沿いにはシナイ人のイクテュオファゴイ族。
シナイ人の内陸の町として挙げられるものは次のもの。
アカドラ 178°20′ 21°15′
アスピドラ 175° 16°
コッコサナゴラ 179°50′ 4°S
首都のティナイ 180°40′ 3°S
この町には銅の城壁もないし、その他、特筆すべきことも何もないという。
カッティガラからは西方へ、未知の世界がプラソデス海を囲みつつ延々と広がり、
プラソン岬に連なっている。既に述べたように、この岬から浅い海という湾が始まり、
未知の世界をプラソン岬およびアザニア地方南部につないでいる。
プトレマイオス第7巻3章 日本の南極探検隊の白瀬中尉ってさ、
良く見たら南極大陸の陸地まで到達できなかったんだね。
まあ、それでもすごい探検だったと思うけど >>136
ヘロドトスならむしろエジプトの冒険好きな若者たちがナイルをさかのぼってみた話が面白い
たしかワニのいる巨大な湿地までいったらしいから、スーダン南部まで到達ってことか 旧約聖書やコーランには、凶悪な蛮族ゴグとマゴグが登場するが、
彼らは世界の終末に大地の果てから殺戮のために襲来するだろうとの言い伝えがあった。
アレクサンドロス大王は、東方遠征の途中で彼らを封印するために防壁を築いたという。
842年、アッバース朝のカリフ・ワースィクは、
ある晩、その防壁が壊れる夢を見て不安になり、
その防壁の状態を確認するために、探検隊をアジア北東部に派遣した。
その報告書は、イブン・ホルダードベの地理書に引用されており、
防壁の様子、谷の両側に立つ柱、尖塔、扉、錠と鍵などの寸法、材質が記されていたという。 >>142
あれはナイジェリアあたりのメスゴリラという説もある どうして19世紀のヨーロッパ人はアフリカの探検に馬を使わなかったのだろう。
確かに密林へ入るなら馬は不適だが、アフリカにはサバンナだってある。 何かマルコポーロがモガディシオとマダガスカルを混同して記述したって聞いた。 イタリア語話者のマルコ・ポーロが
ワシャワシャとしか聞こえないアフリカの地名を聞き取れなかったとしても不思議ではないな。 人類の秘境探検で最後まで人跡未踏と言われていた南極大陸に
最初に到達したのは“本当は”誰でいつ頃なんだろうか?
氷山と陸の区別が難しいので南極大陸一番乗りの判定は微妙。 マンガはじめて物語で
半裸の土人風の人が丸木舟で南極に行ったような描写があったけど。 >>158-160
一応、マオリの昔話で「白い島がある寒い海」が出てくるものがあるそうだが、
千年も遡るかどうかだな。 南極の周りは風と海流が西から東へぐるぐる回っている。偏西風と南極周極流だ。
そして南半球の高緯度の海域は強風で海は物凄く荒れる。丸木をくりぬいたような
船じゃすぐに沈むし、仮に沈まなくても凍死か餓死を迎えるまで南極のまわりを
回り続けるだけじゃね。 >>162
回るだけじゃなくて、ちょっと右に舵を取って辿り着ければ死ななくて済むだろ。
食糧は現地に豊富にあるんだし♪ 吠える40度→狂う50度→絶叫する60度・・・と緯度が高くなるほど嵐はレベルアップし、
気温は急激に低下していく。
こんな状況で先に陸があるかも分からないのに、南に舵を取るやつがいるとすれば、
正真正銘のキチガイ・・・ フエゴ島あたりの住民は南へ向かったりしないか。寒いし フエゴ島自体かなり寒いですよね。
そもそも、ヤーガン人は一年中暴風の吹き荒れる氷原のパタゴニア高原を
わざわざ越えてまでして最果ての地まで辿り着いたのでしょうね。
近代以前であそこまで過酷な環境に定住した民族って他に無いでしょうね。 ヤーガン族って寒いところに暮らしているのに、やたらと薄着だったみたいね。
彼らに出会ったヨーロッパの探険家たちはみなびっくり。 フエゴ島の住民マゼランが会った時寒かったのに裸状態だったというが
って思ったらそれがヤーガン族だったのだなあ >>169
なぜヨーロッパ人が出会ったフエゴ島の
ヤーガンたちが半裸で暮らしていたか。
きっと、人体の耐寒性を高めて、さらに寒い
南極に移住する準備をするための適応キャンプ
だったに違いない。 >>169
何の本で読んだかもう忘れた話なんだが、
「船の近くに先住民の女がいたんだが、ほぼ全裸の状態で
ハンカチ大の毛皮を風の向きに合わせて移動させるだけだった」
とか言うのが書いてあったな。
何ヶ月も女断ちする先の見えない辛い探検航海。
でも地球の裏側の島にたどり着いて目にしたものは半裸または全裸の美女たち。
船員たちの喜びは想像に難くない。生きててヨカッタ。 フランスの探検家ブーガンヴィルの航海記には、
船に乗り込んできたタヒチ島の美女がいきなり腰布をはずして
船上でオールヌードを披露したりなんてことが書かれている。
禁欲生活を強いられてきた船乗りには刺激が強すぎますわ。
こんな感じで探検家が報告した太平洋諸島のフリーセックスな社会風俗は、
キリスト教的倫理観に縛られていたヨーロッパ人に衝撃を与えたらしいね。
もしかしてオレらの方が異常なんじゃないの?って疑問がヨーロッパの知識人の
間に生まれて、比較文化的な思考へと繋がっていくわけだ。 宮城県にはベーリング探検の記念碑があるが、
この前の津波でどうなったんだろう。 >>172
>ハンカチ大の毛皮を風の向きに合わせて移動させるだけだった
随分と小さい人だね、身長20センチぐらいか? まぁ船乗りってジュゴンだのマナティだのが人魚に見えるくらい、おかしくなってたんだよ。
>>180 そんなものがあること自体はじめて知った
ベーリングは日本に来てないのに・・・
実際に来たシュパンベルクの記念碑を建ててあげようよ エスパニョーラ島にはコロンブスがジパングと思い上陸したジパング記念碑とかなかろうか >>184
マジですか。それは探検と言うより環境テロでは。 >>187
汚染せずに掘り抜く事が出来るようになったそうだけど、なにせ
ロシアだからね・・・ >>188
ロシアは掘削孔に灯油を流し込んでると報道されている
「環境保護に関する南極条約議定書」違反は明らかじゃ
>>183
その名前じゃ「誰?」て話だろw
ベーリングが人名だと知らない人もいるし。 >>191
そういう人に広く知ってもらうため正確を期して記念碑を立てるんだよ。
来てもいない探険家の記念碑を立てるなんてヘンだ。 大航海時代関係の記念碑って、日本国内でほかに何かあったっけ? 探検と関係ないけどザビエルの記念碑があるんじゃないか? ウィキペディアのベニョフスキーの項目を見ると完全に犯罪者扱いだな。
なんか見方が偏ってる感じがする。
この記事だけ見ると「犯罪者の記念碑を建てるのか」って反対が出そうw シュパンベルグ
ベニョフスキー
ラクスマン
レザーノフ
ゴロブニン
リコルド
彼らの記念碑を建てよう 南極あたりまで行ったとき、巨大な氷は陸地とはみなされなかったのだろうか?
だとしたら南極大陸発見はむき出しの陸地を見てはじめて陸地発見とされたのか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています