探検の歴史
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>>361
いや、逆に、エベレスト初登頂や、
今でいうと宇宙開発とか、カミオカンデとかは、単なる個人の満足でやられちゃ困る。
人類の期待を背負って、莫大な予算を使ってやるものだし、
だからこそ成功したときに賞賛も受けるわけだが。
個人レベルで探検が可能であった時代はともかく、
19世紀以降の探検っていうのはそんなものだよ。
そして、今だにエベレストに「挑戦」し続けてる人々なんてのは、あれは探検でも何でもない。 架空のじゃなくて、実際の歴史的なのを元にしている
探検をテーマにした漫画・小説のオヌヌメはありますか? >>366
英国の探検隊シャクルトン達が、南極で遭難して全員生還した話の
ドラマを、以前NHKでやってたが・・・ http://www.imdb.com/title/tt0103594/
「1492: Conquest of Paradise」という映画。これ面白いの? >>367
1492とかいう映画は見たけどこのコロンブスは違うだろと突っ込みたくなった >>371は>>370の映画だ
俺は面白いと思ったけど率直な感想は>>371だ >>371
コロンブスを妙にいい人として描いてるみたいな? >>373
ご指摘の通りいい人になってた
ネタバレになったら悪いと思って>>371のように書いたけど >>356 聖地カイラス山へ登った人間が1名だけいるとかいないとか
誰にも言えない、知られちゃいけない
バレたら間違いなく殺される
どうなんだろな、このへんの話は http://nicoviewer.net/sm17710363
まんがどうして物語 探検物語でアメリカ発見者として
1476年ポルトガルのスコーラって人がアメリカ発見者として出てくるが
アメリカ1476年発見説もポルトガルのスコーラって人もざっと検索した感じ
見当たらないし初耳だが・・・・
30年位前のアニメだろうが当事は知られていたのか 514 :フェニキアの末裔 :2006/01/12(木) 00:04:29 0
マリ帝国のアブ=バカリ2世(Abu BakariU)の西方航海ですよね。
同国が地中海諸国と黄金貿易で繁栄していたころ、交易先の新規開拓が目的らしいのですが、
弟のカンカン=ムサに譲位して自ら船団を組み、1307年(1311年説もあり)に大西洋を西に出航、
その後戻ることはなかったという記録らしいです。
ちょっと調べてみたらアブ=バカリ2世以前にも、ムスリム航海者が大西洋を横断したとの
記録が存在するようです。2例見つけましたがまだ他にもあるかも。
@ 889年:後ウマイヤ朝・コルドバ出身のKhashkhash Ibn Saeed Ibn Aswad
(読みはハシュハシュ=イブン=サイード=イブン=アスワドでいいのかな)が
同年にスペインのパロス港を出港、大西洋を西へ航海し、
「未知の領域」Ard Majhoola(アルド=マジュフーラで合っているかな)に上陸。
莫大な財宝を携えて帰国した、との記録。
地理学者アル=マスーディ(871〜951)の地理書に航海の記述が、および世界地図に
「闇と霧の大洋=大西洋」の西方に陸地・アルド=マジュフーラが描かれているとのこと。
515 :フェニキアの末裔 :2006/01/12(木) 00:12:35 0
A 999年:やはり後ウマイヤ朝・グラナダ出身の航海者イブン=ファルーク(Ibn Farrukh)が
同年2月にKadesh(現在のカディス港?)を出航、大西洋を西へ航海。
ガンドことカナリア諸島へ立ち寄ってからさらに西進、「二つの島」に上陸。
それぞれCapraria,Pluitana(カプラリアとプルイタナ?)と命名。
同年5月に帰国した、との記録。
新大陸の土産物や現地人について記述があったらサイコーなんですが。
詳しい方、ご存知でしたらご教授下さいな。 先コロンブス期の新大陸到達でちょこっとググってみたら、英語Wikiに独立項目あんのな
http://en.wikipedia.org/wiki/Pre-Columbian_trans-oceanic_contact
その中でちょっと面白かったのが、米国の研究者に日本人が到達してると考えてる人たちがいて、
それがそれなりにマトモな研究者であるらしいこと・・・・以下3タイプ
1. 中期縄文人 → バルディビア文化人(エクアドル) ※土器の類似性など
2. 中世日本人 → ズニ族(ニューメキシコ) ※和訳関連本あり http://www.amazon.co.jp//dp/4480088342
3. 一般論 → 近世〜近代に漂流日本人が黒潮に乗ってバカスカ到達してんだから、その前からあったろ的な >>379を読んだ
まず結論、イブン=ファルークに関してはカナリア諸島内を回っていただけとのこと
原書に最も近いスペイン語訳ではカナリア諸島内を回っていることが十分に読み取れるが、
重訳される中で「西へ」という部分が拡大解釈されうる記述となり誤謬のもとになった
近代に入って仏語版や英語版が、アラブ人がすでに〜という異説の根拠にされたという顛末 探検も1番最初は名を残すけど、
2番目以降はほとんど注目されなくなるな・・・
世界周航は例外的に2番目のドレークまでは知られているが、
3番目となると知名度はゼロに近い・・・ 【不買運動をしよう!】カイゲンファーマは女性専用車両広告を使う反社会的企業
差別をしていることによって発生した要件で宣伝して金儲けする。
カイゲンファーマの栄養ドリンク剤「改源滋養液」の反社会的な広告をご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=6hXXiN9nP-s&list=UUMD829vhByJS8XkCVzfgZEA
______________ この椅子を曲げられるかな?
か、かたい!まがらん!曲がりゃん椅子! >>360
登山とかしたことあるか?
例えば犬を連れて登山したがる人がいる。
でも犬は山を歩けないので恐がり、
それを無理矢理連れていって犬は斜面でコケる。
そのまま転がって岩に落ちて死亡。転んだら死。
高所恐怖症にはまず出来ないのは当然として、
肝試し以外の何者でもない。
栄達や達成感が目的ではなく、
カーレースやボクシングと同じでスリルを楽しむスポーツ。
ボクシングやプロレスを達成感や恥の概念で禁止可能か?
その辺の中高年の登山でも実は同じ。
標高300メートルの登山でも死の遊戯なんだよ。 探検で?探検で死ぬすごい人数とは5万人くらいかな なんとなく >>390
緩やかな自殺ですって念書書けば皆満足だな 日本の穏やかな日のさほど険しくもない山でも
今年は不意に多くの登山者が死んだ 799年に三河の国に漂着したインド人は探検家だったのかな。 >>397
村人が「遭難したのか」と尋ねたら
「いや、商売しに渡航した」と答えたそうな。
船の中を見せてもらったら帰り用の食料もあったとか。 紀元前後から東南アジアの島嶼部やマレー半島に交易拠点作ってた連中だからな
南インドの使節が直接来航したのも唐の記録に残ってる、でも東南アジア諸国に比べると格段に少ない
マレー半島かスマトラ島で一通りシナ商品の入手はできたようで、さらに足を伸ばす機会は多くなかったんかも 三河に漂着した謎の木綿商人は、今でいうどのあたりから来たんだろうな。
本人は「崑崙人だ」と名乗ったが、野次馬の一人に唐の人がいて
「彼のしゃべる言葉は天竺の言葉に聞こえる」と述べたとのこと。
木綿の種を売りに来て、日本列島に土地勘があるらしい民族・・・一体ナニモノ? 野次馬もたいがいだな。
本当に日本って日本語しゃべってたのか。 >>59
実際にオーストラリアの内陸にはエーア湖があるよ。琵琶湖の10倍以上の面積がある巨大な湖。
たぶん現地の人はウソを言ったわけじゃない。
だけど乾季には干上がってしまうだよね・・・という部分が白い肌の探検家たちに
うまく伝わらなかっただけじゃないかな。 こないだの世界ふしぎ発見のオーストラリア回でも、雨季に表れて乾季に消える川や湖の話が出てたね そんなデカい湖が消えるなんて、ヨーロッパから来た人間の常識では考えられないから、
話によく分からないところがあるけどまあいいや、ってなっちゃったのかも。 >>404
野次馬といっても
偶然通りかかったわけではなく
評判を聞いてわざわざ出向いて行ったくちだろう 伊能忠敬の業績は素晴らしいものだが、さすがに「探検」とは違うかな?
間宮林蔵の樺太行きは探検というにふさわしいものだったが。 小笠原諸島を発見したついでにマリアナ諸島も
日本が領土にしておけばよかったねwww 当時の日本の航海技術では小笠原も限界だっただろ。
しかし小笠原に漂流し、奇跡的に帰国できた船乗りたちのおかげで、
これらの島々の領有権を主張できた。 >>420
うわほんとだ。ウース氏らしからぬ大ポカだな。
8年間誰も気が付かなかったのも凄いが。 このまま放っておいて、ウィキペディアンたちがいつまで気が付かれないか試すのも一興。
俺はあと5年はこのままトスカネリがコロンブス顔になっている方に1ペソ。 ときどきわざとエラーを仕込んでおくことでってのがあるようだがまさか ロベール・シャール「東インド航海日誌」(1721) 情報ありがとう
図書館に行ってみます
中にフランスのペルーズの世界周航記があったかな
日本の近くまで来ているのでちょっと興味アリ リチャード・バード少将の日記って本物なのかな?
北極の探検飛行で、巨大な空洞世界を見つけたとかいう話
どうもWikiとか見てもよくわからない >>429
ラ・ペルーズは映画化されるって話が一時期あったな。
沙汰やみになってしまったけど、遭難した後のサバイバルの話だったらしい。
まあ食人種vs文明人みたいなプロットだと、今日びいろいろ問題があるんだろうね。 でも探検とは少し違うがメルビルのタイピーみたいに当時の食人種の姿を記録し、
後世に文化として伝えて行く必要性はあると思うんだよね。
ラ・ペルーズのあとに日本に来たクルーゼンシュタインの航海誌は南洋の売春交易を記録して、
当時の生活習慣を今に伝える貴重な資料として評価されてるのに。
事実と違うことを書いていたとしたら、そりゃあ問題だろうけどな。
それとも映画にするのが問題なのかな。 映画ならパイレーツオブカビリアンで食人種出てたやん
いったん族長に祭り上げてから殺して食うって
史実でもそういうのあったらしい バルボアが太平洋に到達した時に何と思ったのだろうか。 あの頃はインド半島の南にある内海だと思われてたんだっけ? 日本人は当時でも太平洋くらい知ってたぞ
毛唐はどんだけ無知なんだよ >>440
おいおい、バルボアのころのスペイン人は地球が丸い事を知っていたが
日本人は知らなかったんだぜ。 >>440
その向こうにユーラシアの果てがあるというコロンブス的考えだったのかな… >>433
バード少佐?
まぁ、一部は信用できると思うんだ。
ただ、大きな問題が残ってるけどね。 >>440
日本人は大西洋もインド洋も知らなかったけどな。 >>445
毛唐は世界最大の太平洋も知らなかったくせに
そんな小さな池だけは知ってたのか 日本人は日本近海しか知らなかったし。
欧州人は世界を周航したが、日本人は引きこもりだったな。 日本史上で最大の探検家というと間宮林蔵なのだろうが、
日本〜樺太〜満州というのは距離的には大したことないな。
間宮は好きだけどね。
間宮の時代にヨーロッパ人は日本近海まで航海してたけど、
日本人は連れて行かれたという人たち以外ヨーロッパに行ってないし。 昔のヨーロッパは貧しかったうえに、陸路や地中海の通商ルートをイスラム圏に仕切られてたから、
ピンハネされずに儲けられるルートを探るべく外洋へ打って出る必要性が高かったんだよな 日本は満ち足り、富める国だったため打って出る必要性がなかったためひきこもったんだよな 日本だって朱印船貿易とかで儲けてたのをあえて止めた理由は国防目的だな
イエズス会の活動は喩えるなら病原菌の散布みたいな悪質な物だったから、
国内のキリシタンを潰しても、外でキリシタンになって帰って来た人間がキャリアーになる危険性があった どっちかってーと、近くに収奪適地があったからだろ
世界で1,2を争う物産集積地がそばにあるのに、なんでわざわざ遠出せねばいかんのかと 昔の民族移動は大変だったと思うよ。
例えば、Y-Dの集団もどうやってアジアの大河を越えて日本列島に入ったのか興味がある。
Y-Cの集団もどうやってパミール高原を越えたか。 92歳老婆の腹から「ミイラ化した巨大胎児」 ー 剥がせぬミイラに医師が出した答え= チリ
http://tocana.jp/2015/07/post_6847_entry.html しかし、古代フェニキア人は凄いわ。
ヨーロッパ人より2000年早く喜望峰回ってるからね。 >>455
まぁ、南極の場合、山頂に到達するのに”下る”必要がある
場所がある事ですし・・・ 南極って分厚い氷の重さで必要以上に沈殿してる場所・地形も多いんだっけ? >>429
ラペルーズ探検隊の航海記はいろいろ興味深いよ。
上陸こそしなかったが、日本海に入って能登半島あたりで建物が見える
ぐらいの距離まで陸に近づいた。美しい風景だが何やら絞首台のようなもの
が見えたと航海日誌に記しているが、これはどうやら神社の鳥居のことらしく、
文化が違うと意外なものに解釈されるのだなと印象に残った。 ラペルーズは日本近海に来たばかりでなく、その部下がシベリアで大黒屋光太夫と会うなど、
いろんなところで関わっていたのが面白いと思った。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています