探検の歴史
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>>445
毛唐は世界最大の太平洋も知らなかったくせに
そんな小さな池だけは知ってたのか 日本人は日本近海しか知らなかったし。
欧州人は世界を周航したが、日本人は引きこもりだったな。 日本史上で最大の探検家というと間宮林蔵なのだろうが、
日本〜樺太〜満州というのは距離的には大したことないな。
間宮は好きだけどね。
間宮の時代にヨーロッパ人は日本近海まで航海してたけど、
日本人は連れて行かれたという人たち以外ヨーロッパに行ってないし。 昔のヨーロッパは貧しかったうえに、陸路や地中海の通商ルートをイスラム圏に仕切られてたから、
ピンハネされずに儲けられるルートを探るべく外洋へ打って出る必要性が高かったんだよな 日本は満ち足り、富める国だったため打って出る必要性がなかったためひきこもったんだよな 日本だって朱印船貿易とかで儲けてたのをあえて止めた理由は国防目的だな
イエズス会の活動は喩えるなら病原菌の散布みたいな悪質な物だったから、
国内のキリシタンを潰しても、外でキリシタンになって帰って来た人間がキャリアーになる危険性があった どっちかってーと、近くに収奪適地があったからだろ
世界で1,2を争う物産集積地がそばにあるのに、なんでわざわざ遠出せねばいかんのかと 昔の民族移動は大変だったと思うよ。
例えば、Y-Dの集団もどうやってアジアの大河を越えて日本列島に入ったのか興味がある。
Y-Cの集団もどうやってパミール高原を越えたか。 92歳老婆の腹から「ミイラ化した巨大胎児」 ー 剥がせぬミイラに医師が出した答え= チリ
http://tocana.jp/2015/07/post_6847_entry.html しかし、古代フェニキア人は凄いわ。
ヨーロッパ人より2000年早く喜望峰回ってるからね。 >>455
まぁ、南極の場合、山頂に到達するのに”下る”必要がある
場所がある事ですし・・・ 南極って分厚い氷の重さで必要以上に沈殿してる場所・地形も多いんだっけ? >>429
ラペルーズ探検隊の航海記はいろいろ興味深いよ。
上陸こそしなかったが、日本海に入って能登半島あたりで建物が見える
ぐらいの距離まで陸に近づいた。美しい風景だが何やら絞首台のようなもの
が見えたと航海日誌に記しているが、これはどうやら神社の鳥居のことらしく、
文化が違うと意外なものに解釈されるのだなと印象に残った。 ラペルーズは日本近海に来たばかりでなく、その部下がシベリアで大黒屋光太夫と会うなど、
いろんなところで関わっていたのが面白いと思った。 オランダ以外の西洋船が日本に来たのは元文年間のベーリングの部下シュパンベルグが最初ってことになるのかな? >>462
スペイン船とかポルトガル船とか来てたよ。 >>464
オランダ船以外で日本に初めて来たのは、ポルトガル船が1550年、
スペイン船が1584年、イギリス船が1613年でいずれも平戸に入港。
上記のうちイギリス船はジョン・セーリス船長のクローブ号だけど、
ポルトガル船とスペイン船は詳細がよくわからない。
知っている人がいればよろしくどうぞ・・・ もともとの質問者はそういうことが聞きたかったのかな?
シュパンベルクの名を挙げるようなやつが、そのへんの時系列を知らないとも思えんが
ところで、シュパンベルクはひょっとして日本に上陸した最初のデンマーク出身者かな? そういえば質問者の言う「西洋船」というのはどういう定義なんだろうな。
ベーリング探検隊は極東で船を建造したはずだし、来日したスペイン船の
中にはフィリピンで建造されたものもあるし。 もしかして>>462が言いたかったのは、日本が鎖国した後に限定してオランダ以外の船・・・
という質問じゃない? 鎖国した後をどことするかにもよるが1639年のポルトガル船入港禁止令以後とするとだな、
1640年のポルトガル船来航(通商再開願いで来訪も使者処刑)が最初というつまんない話に・・・
その後も1708年まで密入宣教師の上陸のために何度かポルトガル・スペイン船が来てるね >>469
じゃらば長崎経由ではないというくくりとか。 >>470
最悪なのは、低酸素状態になった人間は、
それをなかなか自覚できない事。
いつぞや読んだ本に、純粋窒素を吸った話が書いてあったんだが、
側から見ると痙攣を起こして苦しそうなんだが、当人は
まるで天国にいるような気持ちだったとか何とか・・・ >>472
んー、密入宣教師は長崎を避けて潜入するからそれでも同じだな
ジュゼッペ・キアラやペトロ・マルクエズらは1643年に筑前大島から、
ジョバンニ・シドッチは1708年に屋久島から、という具合 >>475
似た様な者では?
実際、聖書に書いてあると言う話じゃないか。
キリストは言われました
「あの町に行って、そこに住んでる人が何を着て
何を食べ、我々に友好的かどうか調べてきなさい」
とかなんとか。 島原の乱後の幕府のキリスト教狩りは半端なかった。
逃れに逃れて松前藩治下の蝦夷地で鉱夫に身をやつしてた隠れキリシタンすら処刑するレベル。
だもんで気の毒ながら、その程度の潜入工作じゃ何も成し遂げられんかったなぁ。
平家の落ち武者時代とは隔世の感で、世界史上でも稀な水をも漏らさぬ弾圧を実現したと思う。 自分は日本人の子孫だと妄想した
白人とインディアンのハーフが幕末に密入国して
長崎で来て何年か英語の教師をしてたという
ことがあったらしい マクドナルドか。
小説などではワシントン州で日本人漂流民音吉と出会ったことにされているけど、
実際に二人が顔を合わせた可能性はないという結論が出ているらしい。
音吉がマクドナルドのことを知る機会はなかっただろうが、
マクドナルドの方では音吉のことを噂に聞いていたと思うけど。 その小説は自分が読んだのと同じかな?
音吉はすごく優秀で器用な少年で岩松は腕の立つ豪傑だった 三浦綾子の海嶺しかないと思っていたら、海外でもその二人を題材にした作家がいたらしい。 ポリネシア系で南極に漂着した連中もたぶんいたと思う
残念ながら生存してはいないだろうけど XXXXでXXXに漂着した連中もたぶんいたと思う
残念ながら生存してはいないだろうけど
価値のない文章 >>485
南極周辺は、気流も海流も
南極を回るように流れてるから、海流に乗って南極に上陸
ってのは難しいような気がするんだ・・・ >>486
確か南極は北極よりも寒いはずだから、ロクな防寒着も防寒設備もない前近代では定住は無理かと
たとえイヌイットでも流石に無理じゃないかなあ 南極に探検のロマンを感じないようでは男じゃないだろ >>383
知名度的にはアムンゼンとスコットは同じぐらいな気がする
それより北極点に到達した人が空気な件について >>491
ロバート・ピアリー(米)だっけ?
北極点に最初に到達したのは。
スコットがアムンゼンと同じぐらい有名なのは、最期が
人の心に残るほど印象的だったからかな。 結論
人が死んだ方が有名になる
その死に方が悲劇的なほど1番載りの名声が高まる ・世界最悪の旅
・南極点征服
どちらも興味深い記録だった。 シャクルトンの探検隊員募集の新聞広告エピソードが
作り話だったって件はどうよ 夢を見て探検隊に参加決めたのって船長のワースリーだっけ? 【話題】「エイリアンが地球に来たらコロンブスの米大陸上陸時のような先住民族大虐殺が起きる」 ホーキング博士の警告に科学者騒然★6 [転載禁止](c)2ch.net
864 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2015/10/07(水) 10:39:22.99 ID:SPjkfYPV0
コロンブスネタに引っ掛けて話をすれば
コロンブスが行く前にアラブの連中が普通に行っていた。
スペインやポルトガルみたいな事はせず普通に親交を結んでいたようだ。
(以下略)
ネットには根拠不明のすごい話をホントの話みたいなふりをして書く人がいるな… >>498
アラブが普通に行って親交を結んでたのか…
普通に行ってたにしては全然聞かないな… アラブ馬がコロンブス以前に新大陸に渡っていれば、
コンキスタドール達はインディアンの騎馬軍団相手に
苦戦を強いられたかもしれんな。 >>493
フランクリン隊の亡霊があらわれたらしい、、、
【海洋考古学】19世紀に北極海に沈んだ探検船の内部が明らかに “世紀の大惨事”、フランクリン隊の謎の解明に一歩前進 [転載禁止](c)2ch.net
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1444778401/1 フランクリン隊は北進をあきらめカナダの大陸を彷徨っていたんだっけか?
別の探検隊だったかな。 エレバスとかテラーとか、船に縁起の悪い名前を付けるからいかんのだよ。 >>504
それが、英国のならい・・・
エレバスは、冥府のなんとか
テラーは、恐怖だったか・・・
もっとも、米国のとある航空機会社は、
・ファントム(幽霊です)
・バンシー(泣き女、死人が出る家の前で泣いてると言う)
・ディーモン
・ゴブリン
・・・
って名前をつけてる所もあったんだよね。
まともな名前をつけ始めたのは
・イーグル
からだったとか・・・ >>505
これらの名前が軍用機、特にF(戦闘機)・A(攻撃機)・B(爆撃機)といった戦闘や破壊を行う機体ならまあわかるんだけど、
もし軍事とは無縁の航空機に名づけてたら確かにアレだよなあ >>507
馬橇は原因のひとつだが、最大ではない。
あの年の南極の天気が異常だった事も原因だし、服装も問題だし、燃料缶の漏れも
そうだし、ルートも問題だし、そもそも探検費用が不足してたし、南極行きに使った”テラ・ノバ号”も
極地探検船じゃなかったし、言い出せばきりがない。
最大の敗因があるとすれば、スコットの目的が
人類初の南極点到達ではなかった事じゃないかな。 日本から始まる世界的株式市場の大暴落
, - ―‐ - 、
/ \ 終いには政府にも支えることができなくなり、日本がアメリカ国債の25%を引き出すと世界経済が破綻します。
/ ∧ ∧ , ヽ それが最終的な暴落であることがはっきりするや否や、マイトレーヤは出現するでしょう。
./ l\:/- ∨ -∨、! , '
/ ハ.|/ ∨|,、ヘ 最初になくなるのは世界の株式市場でしょう。彼らは世界を餌にして生きており、何も還元しません。
|ヽ' ヽ > < ノ! マイトレーヤは次のように言われる――かれらは自分の財産を隠し、犯罪的雰囲気さえも創出している。 ×竹中&小泉
〈「!ヽハ._ __ _.lノ
く´ \.) ヽ. ノ (.ノ 政府の第一の義務は、人々を食物で養うこと、そして最後に防衛です。国民の意志を裏切ると、自殺につながる。 ×黒田&安倍
\ `'ー-、 ___,_ - ' マイトレーヤは原発の閉鎖を助言されます。飛行機なども原子のパターンが妨害されると墜落は必然である。 ×東電&中曽根
` - 、 ||V V|| \
| || || l\ 彼の最初の控えめな態度に混乱してはならない。マイトレーヤが公に現れるにつれて、UFOが姿を表すでしょう。 ×NASA&JAXA
/ ″ \
((( / まる子れーや \ 世界平和の脅威は、イスラエル、イラン、アメリカです。イスラエルの役割は跪いて、パレスチナに対する許しを請うことです。 ×アンネの日記の利用
 ̄ \_ \ /_/ ̄ 非人道的な押し付けは、自由貿易としてまかり通っている。アメリカによる他国への虐待に反対の声を上げなければなりません。 ×TPP&対テロ戦争
彼らは今世紀(21世紀)をこの帝国が出来上がるアメリカの世紀と呼ぶ。しかし、そうはならないだろう。
彼らが世界中に‘民主的’制度を確立したいという衝動をコントロールするのは、マイトレーヤの任務である。 ×親米ポチwww(笑) OTL >>508
なるほどいろいろと面白いな。
ただし南極の気象に関していえばアムンゼンも同様の条件だから除外したい。 >>510
南極は、局地的に気象が違う場合もあるからね。
スコット隊とアムンセン隊のルートは、ロス氷棚を挟んだ
あっちとこっちなんだが、それだけでも
かなり条件が変わると思う。 アムンゼンの基地は快適な環境にあったらしいな。
そこはアムンゼンとスコットの事前調査の差が出たから、運というよりも実力の差だろう。 >>512
>そこはアムンゼンとスコットの事前調査の差が出たから、
スコット隊のルートは、過去に何度か使ってるルート。
アムンセン隊のルートは、今まで誰も使った事がない
人跡未踏なルート。
実際、スコット隊の越冬基地は陸上だったから今でも見る事が出来るが、アムンセン隊の
越冬基地は氷上だった為に数年後には
氷に飲み込まれていて、今は見る事すら出来ない。
これは個人的な妄想だが、アムンセンが越冬中に
足元の氷が砕ける可能性がなかったわけじゃない。
かつて日本の越冬隊であったんだが、真冬に氷上に置いておいた雪上車なんだが、
足元の氷が突然砕けて沈んだとか言う事があったそうだ。 オーストラリア探検の「バーク・ウィルズ探検隊」
8名のうち7名が死亡。悲惨な探検だった。
だが、助かる道はいくらでもあった。
アボリジニが近くにいたのだから、彼らから生きる知識を得れば良かったのだ。
文明人が雑草のスベリヒユや、ネズミをアボリジニのように食えるかという意識が
先行してしまったのだろう。ナルドゥーというアボリジニが食べている植物はそのまま
食べると毒があるのに、アボリジニから知識を得ずにそのまま食べてしまってもいる。
最後に生き延びた男は、アボリジニに助けられて生きていた。 >>515
探検には、やはり現地人の協力は不可欠だよね。
間宮林蔵もアイヌから生きるすべを学んで成功した。 忍者かどうか知らんが
恐るべき行動力は常人ではないな まあ、世界地図でみると大した距離を調査したわけではないが。 そこだな。
西洋人よりも先に海峡を世界地図的な意味で発見したとはいえ、
地球の反対側から調査に来るヨーロッパ人と、
すぐ隣の島から行った林蔵では規模が違いすぎる。
もちろん俺は間宮林蔵好きなんだが。
シーボルトから樺太の地図を見せられたクルーゼンシュテルンは、
ロシアから大西洋・太平洋を航海して日本に来たんだが、
その船に日本人も乗っていたことを知った時は驚いた。 探検は段階踏まないと駄目だから、当時の日本人には長距離は無理だって。
特に寒冷地は。
大体、当時の日本人には宗教的な理由で、動物を殺すことが一応禁忌だった。
樺太南部なら何とか日本人的生活でなんとかなるが、中部以北だとギリヤークや
アイヌの知識を得て、動物を殺し毛皮をまとい、家も地下に半分埋めるなど対策しないと
死んでしまう。
間宮林蔵はそんな倫理とかはそっちのけの忍者だから、OKだった訳だが…。
(実際後に、シーボルト事件で師を売るから、江戸時代当時から既に忍者扱い) 日本の生活文化は温暖湿潤な気候に最適化されてるから寒冷地では厳しい。
蝦夷樺太まで行かずとも奥羽程度の寒冷さですら
日本的生活様式と現地の気候が合わずに多くの悲劇があった。 縄文時代の遺跡は東北など東日本が中心じゃないの?
最大の三内丸山は青森だし。 >>523
その時代と江戸時代で同じ生活文化だったとでも思ってるのかスカタン >>523
その頃は、縄文海進の頃で温暖だったからな。
さらに、狩猟採集生活だと、ちょい寒いトコの方が暮らしやすい。
冬だと、動物の肉が腐らないしね。
湿潤温暖気候だと、伝染病が多いんじゃないの?
それでも、稲作という超作物の魅力の方が上回ったけど。
人口もやたら増やせるし。 >>525
幕府の隠密をしていたのは事実だし、樺太探検で禁忌を簡単に犯すような人間だから
当時としては噂されても仕方ないレベルなのでは? シーボルトや高橋景保は林蔵の師匠でもないし、
林蔵がシーボルトの手紙を幕府に見せたのも、
裏切り行為っていう意味合いは感じないけどな。
ただ外人から手紙来たけど法律に反するからってだけ。
林蔵が悪者にされたのは明治以降の西洋マンセー主義が原因だろうね。
だから鎖国派の林蔵は西洋人や維新ヲタにしてみたら悪そのもの。
隠密が蔑視されていたという事実は確認できず、
まして林蔵が蔑視されたという話の裏はとれていないのが現実。
林蔵を調査した洞やキーンが隠密を蔑視していたようだ。 そうなの?
でも、間宮林蔵は明確に伊賀忍者の子孫である平山行蔵とか、平山行蔵の別格の弟子であった
相馬大作との繋がりがあるんだろ?
相馬大作が捕縛された際に、間宮林蔵は津軽藩の用人であった笠原八郎兵衛(これがまた、
津軽藩の中川流忍者部隊「早道の者」の統率者)に接触したりしている。 隠密であったとしても白眼視された事実はない、という意味だよ。 そりゃ,実体はわからんよな。
小関三英の手紙の件を見ると、当時噂ぐらいはあったと判断しても仕方ないんじゃないの? 小関三英の書簡も、林蔵が来たら西洋の本や地図を隠すという程度しか書いてないんだよね。
本当に嫌われていたら訪問すらありえないと思うんだ。
訪問された側は隠す以前にお断りだろうし。 間宮林蔵は幕府の役人だったのに、訪問をむげに断れるかよw あれ?
林蔵は役人にまで嫌われている、という話もあったのでは?
もちろんソースは不明。 誰か実質最初の世界周航の達成者である、
エルカーノさんについて語ってください。 >>536
欲張って「チョウジ」を積み込みすぎたせいで
船が一艘沈んでしまったらしい
もしかすると、これが「調子に載る」の語源なのだろうか、、、
でも、最後の船に積んであった積荷で
出向した全ての船や費用なんかの投資額を上回るほどの収益があったそうな
いっぱい死んだせいで実は凄く実入りが良かったんじゃなかろうかww >>378
大西洋のアゾレス諸島でカルタゴ人の遺跡を発見
http://www.archeonews.net/2011/07/blog-post_13.html
ここにはイスラム教スンニ派と書いてあるが
状況的にはマデイラ諸島のほうが該当してそうなのだが、、、、 アゾレス諸島に渡るのに使った船って、どんな物だったんだろ?
当時にも遠洋航海仕様の船はあったんだろうか? >>171
彼らこれ以上に進化すると
もしかして三角形みたいな感じに薄くなるんでしょうかww >>539
ローマ時代には季節風を利用した
インド交易は盛んだったようで
イスラム時代にも継承されているので
遠洋航海仕様の船はあったと思いますね
普通にダウ船なんじゃないでしょうか
フェニキア船の方はお手上げです、、、 >>145>>146
ここでちゃんとマリノス出てくるんだな
イクチョオファゴイ族って誰なんだろうと、
ずっと疑問に思ってたんだけど状況的には
アラビア半島の黒人かドラヴィダ人なんじゃなかろうか >>537
売却された金額は7,888,684マラベディ
とあるが、実際のとこどんぐらいなんだろうか
これで3年の航海
・5隻の老朽船
・280人(または265人)
が賄えたとして、利益はスポンサーのとこにいっちゃうのかな
ちなみに積荷のうち高価だったものは鼠で
なんと1匹が半ドゥカード(金1.8グラム)で取引されたらしいww ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています