探検の歴史
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オーストラリア探検の「バーク・ウィルズ探検隊」
8名のうち7名が死亡。悲惨な探検だった。
だが、助かる道はいくらでもあった。
アボリジニが近くにいたのだから、彼らから生きる知識を得れば良かったのだ。
文明人が雑草のスベリヒユや、ネズミをアボリジニのように食えるかという意識が
先行してしまったのだろう。ナルドゥーというアボリジニが食べている植物はそのまま
食べると毒があるのに、アボリジニから知識を得ずにそのまま食べてしまってもいる。
最後に生き延びた男は、アボリジニに助けられて生きていた。 >>515
探検には、やはり現地人の協力は不可欠だよね。
間宮林蔵もアイヌから生きるすべを学んで成功した。 忍者かどうか知らんが
恐るべき行動力は常人ではないな まあ、世界地図でみると大した距離を調査したわけではないが。 そこだな。
西洋人よりも先に海峡を世界地図的な意味で発見したとはいえ、
地球の反対側から調査に来るヨーロッパ人と、
すぐ隣の島から行った林蔵では規模が違いすぎる。
もちろん俺は間宮林蔵好きなんだが。
シーボルトから樺太の地図を見せられたクルーゼンシュテルンは、
ロシアから大西洋・太平洋を航海して日本に来たんだが、
その船に日本人も乗っていたことを知った時は驚いた。 探検は段階踏まないと駄目だから、当時の日本人には長距離は無理だって。
特に寒冷地は。
大体、当時の日本人には宗教的な理由で、動物を殺すことが一応禁忌だった。
樺太南部なら何とか日本人的生活でなんとかなるが、中部以北だとギリヤークや
アイヌの知識を得て、動物を殺し毛皮をまとい、家も地下に半分埋めるなど対策しないと
死んでしまう。
間宮林蔵はそんな倫理とかはそっちのけの忍者だから、OKだった訳だが…。
(実際後に、シーボルト事件で師を売るから、江戸時代当時から既に忍者扱い) 日本の生活文化は温暖湿潤な気候に最適化されてるから寒冷地では厳しい。
蝦夷樺太まで行かずとも奥羽程度の寒冷さですら
日本的生活様式と現地の気候が合わずに多くの悲劇があった。 縄文時代の遺跡は東北など東日本が中心じゃないの?
最大の三内丸山は青森だし。 >>523
その時代と江戸時代で同じ生活文化だったとでも思ってるのかスカタン >>523
その頃は、縄文海進の頃で温暖だったからな。
さらに、狩猟採集生活だと、ちょい寒いトコの方が暮らしやすい。
冬だと、動物の肉が腐らないしね。
湿潤温暖気候だと、伝染病が多いんじゃないの?
それでも、稲作という超作物の魅力の方が上回ったけど。
人口もやたら増やせるし。 >>525
幕府の隠密をしていたのは事実だし、樺太探検で禁忌を簡単に犯すような人間だから
当時としては噂されても仕方ないレベルなのでは? シーボルトや高橋景保は林蔵の師匠でもないし、
林蔵がシーボルトの手紙を幕府に見せたのも、
裏切り行為っていう意味合いは感じないけどな。
ただ外人から手紙来たけど法律に反するからってだけ。
林蔵が悪者にされたのは明治以降の西洋マンセー主義が原因だろうね。
だから鎖国派の林蔵は西洋人や維新ヲタにしてみたら悪そのもの。
隠密が蔑視されていたという事実は確認できず、
まして林蔵が蔑視されたという話の裏はとれていないのが現実。
林蔵を調査した洞やキーンが隠密を蔑視していたようだ。 そうなの?
でも、間宮林蔵は明確に伊賀忍者の子孫である平山行蔵とか、平山行蔵の別格の弟子であった
相馬大作との繋がりがあるんだろ?
相馬大作が捕縛された際に、間宮林蔵は津軽藩の用人であった笠原八郎兵衛(これがまた、
津軽藩の中川流忍者部隊「早道の者」の統率者)に接触したりしている。 隠密であったとしても白眼視された事実はない、という意味だよ。 そりゃ,実体はわからんよな。
小関三英の手紙の件を見ると、当時噂ぐらいはあったと判断しても仕方ないんじゃないの? 小関三英の書簡も、林蔵が来たら西洋の本や地図を隠すという程度しか書いてないんだよね。
本当に嫌われていたら訪問すらありえないと思うんだ。
訪問された側は隠す以前にお断りだろうし。 間宮林蔵は幕府の役人だったのに、訪問をむげに断れるかよw あれ?
林蔵は役人にまで嫌われている、という話もあったのでは?
もちろんソースは不明。 誰か実質最初の世界周航の達成者である、
エルカーノさんについて語ってください。 >>536
欲張って「チョウジ」を積み込みすぎたせいで
船が一艘沈んでしまったらしい
もしかすると、これが「調子に載る」の語源なのだろうか、、、
でも、最後の船に積んであった積荷で
出向した全ての船や費用なんかの投資額を上回るほどの収益があったそうな
いっぱい死んだせいで実は凄く実入りが良かったんじゃなかろうかww >>378
大西洋のアゾレス諸島でカルタゴ人の遺跡を発見
http://www.archeonews.net/2011/07/blog-post_13.html
ここにはイスラム教スンニ派と書いてあるが
状況的にはマデイラ諸島のほうが該当してそうなのだが、、、、 アゾレス諸島に渡るのに使った船って、どんな物だったんだろ?
当時にも遠洋航海仕様の船はあったんだろうか? >>171
彼らこれ以上に進化すると
もしかして三角形みたいな感じに薄くなるんでしょうかww >>539
ローマ時代には季節風を利用した
インド交易は盛んだったようで
イスラム時代にも継承されているので
遠洋航海仕様の船はあったと思いますね
普通にダウ船なんじゃないでしょうか
フェニキア船の方はお手上げです、、、 >>145>>146
ここでちゃんとマリノス出てくるんだな
イクチョオファゴイ族って誰なんだろうと、
ずっと疑問に思ってたんだけど状況的には
アラビア半島の黒人かドラヴィダ人なんじゃなかろうか >>537
売却された金額は7,888,684マラベディ
とあるが、実際のとこどんぐらいなんだろうか
これで3年の航海
・5隻の老朽船
・280人(または265人)
が賄えたとして、利益はスポンサーのとこにいっちゃうのかな
ちなみに積荷のうち高価だったものは鼠で
なんと1匹が半ドゥカード(金1.8グラム)で取引されたらしいww カナリア諸島のピラミッドを建てたのもカルタゴ関係者だったのかな? 古代エジプトにときたま交易船団を来航させていた謎のプント国。
ウィキペディアの該当項目によればエジプトはその国へ向け探検隊を派遣。
「当時のエジプト人にとって、プントへの航海は今日の月旅行に匹敵するほどの難事業だった」 月へ行くほど困難てアメリカあたりだろとさえ思えてくるかな エジプト人って、ナイル川を上ったり下ったりは出来るけど
外洋航海って苦手だったんじゃない?
べつに根拠は無いけどそういうイメージ。 ナイルは途中で瀑布があってそのままでは遡れないのだが
葦の舟なら担いで登れないこともないらしい
外洋船は木材で造ったらしいのだが
この木材がエジプトでは採れないので高価な輸入品
そういう意味では、
貿易封鎖されながら宇宙を目指してるあの国に近いのかな、、、 大航海時代幕開けの頃だと、今みたいに世界地図があるわけでもない。
この先に何があるかわからない未知の世界に行くから、
考えようによっちゃ現代の月世界よりも大変なことだったのかもしれないぞ。
アポロ計画であれば数日中に月に到達していたが、
この時代の冒険は数ヶ月、下手すりゃ数年もの歳月を必要としていたから。 おいら調べによると
うっかりした世界地図に引っかかって
大航海時代が幕開けしたらしいですよ >>554
うっかりおねしょして布団に世界地図を描いた 大航海時代の地図の正確性はローマ時代を下回っていたからな トスカネッリとベハイムのでしょうな
北イタリア人の前者はともかく、ドイツ人の後者には多少の意外感を持つ人もいるかもしれない
ポイエルバッハ→レギオモンタヌス→ベハイム という師弟系譜でドイツ天文学が興隆していた >>554
1421年の航海で鄭和が描いた世界地図 >>557
確か地球のサイズ計測を間違えてヨーロッパとアジアの間の海域が狭く描かれてた地図を作った人だっけ? >>554
基本的にプトレマイオスの世界地図がベースにあるんだけど
それぞれの作者が未確認地域にアクセントとして
伝説の島や黄金の産出する宝島を書き入れちゃったらしい
ベースとなる部分が結構正しかったもんだから
そのせいでアクセントに引っかかる人達が続出ww 想像で空白部分を埋めた地図作成者に対して
探検家たちはやり場のない怒りを自身の航海記にぶつけるのであった。 >>561
新味がないと売れないもんね・・・
いまだにソ連がある地球儀使っててご免なさい >>562
そのおかげで探検は進むだろう
地図に何もないとすると誰も探検しない。 >>563
ソ連くらいじゃまだまだだな
いまだにロシア帝国やオスマン帝国やハプスブルク帝国や清がある地球儀使ってる人だって居るんだ ロシアの極東までの探検もすごいんだよね。
嘉永6年では、カムチャッカ半島でイギリス・フランス共同軍に対して防衛戦を行っているし。 >>563>>564
なるほどぉ
そういう狙いもあるのかww
あと、自分の地図がパクられたときように
存在しない島を書き入れるってのもありますね
これも結構最近に発見されたような そーいえば未確認生物のモケーレムベンベとかカサイレックスとかは
20世紀初頭のコンゴ探検の時に目撃されたんだっけか 混一疆理歴代国都之図
http://blog-imgs-71.fc2.com/w/s/h/wsh1420/350px-KangnidoMap.jpg
1402年の地図ですでにアフリカ全体が描かれているのはイスラム船団によるものなのか?
イスラム世界じゃ喜望峰発見とかの記録はしなかったのか? >>569
アフリカにある大きな湖とその中の島は
なんか名前がついてるのだろうか、、、、
なんの伝承かすっごく気になる >>570
アフリカ内は海扱いなのに地中海が無視されてるのが妙な感じ >>571
>>572
喜望峰てかまるい…
東端には朝鮮、倭国て書いてあるとかいうし… >>574
丸いのはムスリムの世界観ですかね
わーくわーくしてきました? >>575
あたまがおかしくてすみません
>>577
ふーむ、なるほど
そうすると色々と気になってまいります、、、 >>576
世界観てか知らなかったんじゃ?インド洋の南下すらしてなかったんでインド洋南方をふさぐように書いてるんじゃ? >>580
昔はインド洋も内海だったので
それでもだいぶ進歩したものですww >>557
レギオモンタヌスは溶接しなかったら
地動説まで辿り着けたかなぁ
結構な可能性はあると思うのだが 溶接師の仕事にかまけて天文学をおろそかにしたと・・・ 結構いろいろと造ってるみたいなので
そうだったのかもしれませんww
天才は頭おかしいので テラ・アウストラリス(未知の南方大陸)はもっと多くの探検家が探してもよさそうなものだった。
地図に書いてあるけどまあ9割ぐらい眉唾だというのが、当時の標準的な理解だったのだろうか。 昔の地図に南極が書いてあって古代文明はすでに南極を知っていたとかいうオカルト話もあるな
南極がアトランティスだとかか 喜望峰から南に下って偏西風を利用した航海をするのは
シンドカッタらしくオランダ船が出てくるまで利用されなかったそうな
スペインは東のペルーから探索してるんだけど
オランダは西から探索したので
オーストラリアを不毛の大地だと思って放置したらしいww >>496
あれは今ならweb魚拓に載るくらいの名言だなw 946 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2014/06/29(日) 22:07:31.63 0
>>939
南方大陸つながりで。
山田長政のWiki見たら長政が白人より先にオーストラリアを発見していたという異説があるという。
しかし長政が日本を経ったのは1612年とある。
白人がオーストラリアを発見したのは1606年とある。
これだと白人より先にオーストラリア発見ありえないだろうがどういう異説なのだろう
947 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2014/06/29(日) 22:11:13.51 0
>>946
と思ったらキャプテンクックの1770年を白人によるオーストラリア発見年とし、
山田長政が先としているサイトがあった。長政以前は無視する方法か・・・・
948 自分:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2014/06/29(日) 22:55:55.95 0
基準がむちゃくちゃだなw
クックによる新発見は、未知のまま残っていたオーストラリア大陸「東海岸」
インドネシアにほど近い大陸北岸は、>>946の通りでオランダ人がとっくに到達している
んで、長政が到達した可能性があるのも(信憑性のほどはしらんが)地理的にいって当然北岸だろう
949 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2014/06/30(月) 18:12:14.82 0
つまり、ウィレム・ヤンスすら知らない厨二が脳内で創作した
山田長政大活躍エピソードってことか・・・ 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:9368c25c0e1fcb4c3420acd807713d27) クックはオーストラリアを発見した人ではなく「オーストラリアが独立大陸であること」を発見した人
それまでは南極とつながった巨大大陸という想定を否定できていなかった >>588
Hazardous Journey
Small wages
Bitter cold
Long months of complete darkness
Constant danger
Safe return doubtful
Honour and recognition in case of success
そこにしびれるあこがれる クック船長の「エンデバー号」、米東海岸沖で発見か 米調査
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160503-00000009-jij_afp-sctch
> クック船長は1768〜1771年の航海で、太平洋南西部の地図の作成に貢献し、
> またオーストラリアに上陸した初めての欧州人となった。
相変わらず160年以上早くウィレム・ヤンスが北岸に上陸してるのがスルーされてんな
AFP通信ならそのくらいは押さえて記事かけよ、こういう積み重ねで虚説が拡まっていく >>594
AFPに教えてやれよ。
ところで芸能人宅を探検した女がいたようだ。
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歌手で俳優の福山雅治さん(47)の東京都渋谷区にある自宅マンションに女が不法侵入していたことが17日、警視庁渋谷署への取材で分かった。
福山さんや妻で女優の吹石一恵さん(33)にけがはなく、同署が建造物侵入容疑を視野に逃げた女の行方を追っている。
渋谷署によると、6日午後8時半ごろ、帰宅した吹石さんが自宅敷地内にいた50代ぐらいの女と鉢合わせとなり、女は逃げたという。 >>567
ふむぅ、、、
Google地図で指摘された「幻の島」の正体が判明
http://developer.cybozu.co.jp/akky/2012/11/non-existing-sandy-island-on-google-map-explained/
AFPの記事では、「存在しない島が地図に記載された経緯も不明だが、シートン氏たちは謎を突き止めるため追跡調査を行うことにしているという。」
と書かれていましたが、ニュージーランドのオークランド博物館が、
この謎の島が海図に、そしてそこからGoogle社の地図に載った経緯について発表しています。
(中略)
最初のニュースの時、「地図会社が競合会社のコピーを発見するためのダミーの島ではないか」という意見も出ていましたが、
どうでもいい位置のどうでもいい無人島などだと、意外と訂正されることもなく世界中にたくさん存在しない島があるのかもしれませんね。
国境付近にあったり周辺や地下に資源があったりすると、もっと小さな岩礁でも大騒ぎになって戦争まで起こりうるというのに。 >>564
なにもない海なのか未探検なのか何も書かれてない地図だと判断しづらそう 世界史問題にどれだけ答えられるだろうと世界史問題出してるサイト見たら
1492年にアメリカ大陸を発見したのは誰?って未だに書いてたりするのな。
大陸と書くことで意味不明瞭かな コロンブスがサンタマリア号で出航した船は?
て問題があった… 帆船時代は風と潮なら風が重視されたか…帆船なくらいだし 江戸時代にベーリングの部下が日本に到達した時は「日本発見」だったが、
逆に日本人がロシアにいったケースは「ロシア発見」と言われていない。 >>603
カムチャツカから日本への航路が発見されたのが元文年間だったってことなんだろうな。 コロンブスの後、イスラムはなぜアメリカ探検に参加しなかったのか? 僻地のヨーロッパと違って中東はなまじ地の利が良かったせいで新天地や新航路の需要がなかったからかもなあ 単純に地理的な条件で風が吹かなかったからなんじゃないでしょうか、、、 >>385
イスラムが先に発見とか言ってる人もいるし。どこまで本気か、信頼性があるのかは謎 >>609
イスラムといえば>>559の話なんかもそうですか、、、 >>385
先に発見したとか言いつつずっと放置し貿易してたようでもないしあまり意味が無い感じ アメリカ大陸を発見したのは2万年前にアラスカに渡っていった集団だろ 確かに彼らは発見した土地に移り住んだのだが、
発見したことを残った人々に伝えてないからね。
見つけた!→発見したぞ〜 ここまでが「発見」 でも記録に残さなかったため「発見」したことになっていない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています