探検の歴史
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
>>828
なんかの本で「陶磁器に触れてないから中国にいってないと言われる」とか書いてあってわけわからなかったな。
東方見聞録には当時規制法まで書いてたんじゃないかと思ったらウィキでもそう書いてるし。
>中国の陶磁器はセラミック・ロードと呼ばれる南海ルートでイスラム商人が8 - 9世紀頃からヨーロッパへ持ち込んでいたが、マルコは製造工程も見聞している。 >陶磁器に触れてないから中国にいってない
そんな奇説は初耳ですな。単なるあなたの記憶違いでは?
中国の「茶」に触れていないから、マルコは中国に行っていないという見解ならありますが。 調べてきた。否定説の根拠いくばくか。茶もあげてる。
>実は、『東方見聞録』には、いくつもの不審な点がある。マルコは、万里の長城についてなにも触れていない。
>また、宋代から盛んになった茶を飲む習慣についてもなにも語らず、同じく宋代から始まったといわれる纏足についての言及もない。
>中国の特産品である絹織物、陶磁器、竹細工などについてもまったく触れず、中国特有の芸術である書や絵画などもいっさい無視している。
「図説大航海時代」40ページ
>中国の特産品である絹織物、陶磁器、竹細工などについてもまったく触れず、
陶磁器をまったく触れずとまで書いている。絹も書いてないんだっけ。
否定するために書かれてないものを探しまくったら書かれてる陶磁器まで見落としたのか。
というわけで書かれてないものは探せばいくらでもでるんだから書かれてないものを根拠にするのは妙な感じ 書いてあるのに書いてないって単に間違いだろうが東大の先生、弘法も筆の誤りといったところか 最近スペインの探検航海に興味があります。
いまのサンフランシスコやロサンゼルスあたりを発見したのも
スペイン人の航海者だったんですね。 東方見聞録なんてタイトルにするからあたかも東方、アジアに主眼をおいたかのように思われ否定されるであろう。
英語版みたいにまるこの旅くらいでいいだろうに 「世界の歴史を変えた日1001」って本を読んでたらマゼランがホーン岬を回ってとか書いてた。あれ?と思ったら
https://kotobank.jp/word/%E3%83%9E%E3%82%BC%E3%83%A9%E3%83%B3-136309
世界大百科事典でも「マゼランの船隊がホーン岬を回って太平洋に出て」とか書いてるようだ。
マゼランはホーン岬回ってないだろう もう少し南に行けば広い海に出られたのにわざわざ入り組んだ海峡を抜けて行ったマゼランはひねくれてるな
どんだけ世界一周誰よりも先にやりたかったんだよ >>841
俺も以前南米南端にマゼラン海峡とか聞いてホーン岬の先がマゼラン海峡と思ったしな。
マゼラン海峡がまさかあんな世界地図上だともはや見えないレベルの細い海とは知らず。
文字情報と世界地図上でのイメージの違いとによってドレーク海峡をマゼラン海峡認識するという。
偉い大学の先生らでもそのくらいの認識の人がいるということか… フエゴ島の大きさが分かっていない。マゼランには無理。 ひょっとすればマゼランペンギンではなくてドレークペンギンだったか? ホーン岬って尖端みたいなイメージなんでフエゴ島の尖ったあの先っぽかと思ったらさらに南にある孤島の岬だった… マゼラン艦隊が、通り抜けられそうな地峡を端から入って見て、たまたま抜けられた場所が
”マゼラン海峡”だったんでしょう。 アメリゴはアメリカの名になったがマゼランは星雲の名になったってすげーなぁ。
いくつもの星の集まりにの名になって。しかし行くことは出来ない場所の名 >>841>>844
タイトルが「世界の歴史を変えた日1001」という本みたいなので
むしろ、ぜんぶどこかにちょっとだけ
間違いが仕組まれている構成になんていのではww 間違いといえば「おもしろ世界史大全」て本で太宗の画像が始皇帝みたいだと思ったら間違って始皇帝の画像にしてたようだ。
記述間違い発見スレがあれば。あったっけ以前 立ち読みした本に「東方見聞録が書かれたときには知り得なかった情報が平然と書かれている」とかあった。
その情報とは!?と検索したら
http://hon.edoblog.net/
>1298年に完成したはずの旅行記の中に、1298年の時点では絶対に知り得ない情報が平然と述べられている。
また、検索したら「決定版歴史の闇ファイル」て本でも
>さらに、『東方見聞録』は1298年に完成したはずだが、その時点では知り得なかった事実まで記述されているというのだ。
と、同様の書き方でその情報が何なのかは書いてないという。その情報とは何だ!? 1298年に完成したは「はず」
つまり後代の推測にすぎない
東方見聞録は異本が多数あり
後代の改変の多さが伺える >>828
マルコポーロは「見たことの半分も話していない」とか言ったから話していないことに含まれてるんだろう マルコはモンゴルの文化で暮らし、箸で食わず手づかみで、茶を飲まず馬乳を飲んだのではないか。
また、万里の長城は当時は小規模だったからとか「再見マルコ・ポーロ」とかいう本に書いてたな。
なるほど、ウィキによると万里の長城の大部分は明代(1368年 - 1644年)に作られたという。
ならばたしかにマルコは万里の長城を驚異的なものとして見ることはなかったということになろうか 戦艦バウンティ号の叛乱で反乱起こして船長一派を死刑のつもりでボートで追い出したが
船長優秀なもんでそのまま帰還したってシーンを見て
マゼランが反乱起こしたやつをパタゴニアあたりで置き去りにしたのを思い出した。
置き去りにされた人らがそのまま北上し西洋人の支配下にたどり着いて帰還してたら…とか思ったが
歴史はそれを記録していない、んだろうな >>856
>なるほど、ウィキによると万里の長城の大部分は明代(1368年 - 1644年)に作られたという。
ならばなぜマルコは万里の長城を報告してないとか言われるのだろう。
当時すでに相当巨大だったはずとかなのかとかよくわからん オーストラリアで探検隊の再現ドラマを制作していたら金属探知機が反応…明王朝の仏像が発掘される(動画)
http://labaq.com/archives/51905968.html
ドキュメンタリー番組を撮影で、探検家の痕跡を発掘するリハーサル中に見つかった由。
なおこの探検家というのは19世紀初頭にオーストラリア沿岸を探検したフランスの
二コラ・ボーダン船長。まさかはるかむかしに中国人に先を越されていたとは・・・ >>859
どう見ても粗悪な現代中国製の土産物人形で草
鄭和の船団がどこどこにも到達していたとか典型的なトンデモやん 1368〜1644年て幅があるな。しかも百科事典でも中国が15世紀に漁に行ってたとか書いてるっけ 中国人の漁師が直接オーストラリアにというより、スラウェシ島のマカッサル族の漁師が
オーストラリア北岸にナマコ漁で来て、獲ったナマコを中国人に売っていたという話は
むかしからあったね。
しかし、上の記事にある中国の仏像が本物だとすれば、明朝時代の中国人が直接、
それもオーストラリア北岸でなく西岸のかなり南まで進出していた可能性が出てくる。
結構な発見となるね。 いやいや
どう見てもインチキだろあれ
仏像ですらないぞ その名も「世界の探検大百科」て本見たら1513年のピーリー・レイースの地図にブラジルが描かれているってことについて
>これは西洋人のブラジル発見より13年も早い。(99ページ)
て書いてるが誤解してないか?西洋人のブラジル発見てカブラルの1500年てことでしょ?
なんかうっかり計算違いしてるぽい またまたやっちゃいましたね、、、
オーパーツ好きのおいらとしましては
ピーリー・レイースの地図を
ちゃんと眺めたことがないということに
今さらながら気が付きましたよっと >>867
いやどう見ても粗悪な模造品だろ
指が再現されてないしどこなのかも分からん砂地にゴッドハンドみたいに埋めてあるのを掘ったのを動画で撮っただけだし
そもそも本物ならきちんと放射年代測定とか詳しい出土地をまず挙げて論文のタイトルや学者の名前を出すもんだ 【科学】古代南欧で謎の「男性大量流入」、一体何が? イベリア半島の古代人DNAを調査、4500年前から男性のY染色体が置き換わる
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1553005474/ >>868
オーストラリア現地の記事を読めば、ちゃんと専門家の意見も載っているが、
年代の疑問はあれ、これが釈迦の赤子時代を示す仏像であることに誰も異議を唱えていない。
誕生釈迦仏を知らない人間が、脊椎反射で仏像でないなどと騒いでもただ滑稽なだけだ。 >>870
釈迦誕生仏を模った粗悪品だろ
指が天上天下を指してなくてなんか淫夢くんみたいなポーズになってるし
仏像のことよく分からないで外面だけ似た風に適当に作ったよくあるコピー品じゃん
中国人はよくこういう模造品を遺跡から出たものと偽って観光客に高く売りつけるんだぜ >>872
指あるじゃん
オーストラリアの釈迦誕生仏(笑)は指ないし
悔しかったら指で天地を指してないほんまもんの釈迦誕生仏出してこいやハゲアスペwwwwww 指がないのもさることながら、ポーズに奥行がなくて手が体と平行になってたり全体的に掘り込みが浅いのも
前後に分かれた鋳型に溶けた金属を流し込んで作る粗悪な量産品特有の造形だね
どう見ても鑿なんかを使って手作業で作った形ではない
骨董的価値ゼロの安い中国土産だ >>873
面白いな。今度は指があるか無いかが基準なわけかw
細かい部分が欠損してるという、出土物にありがちな可能性は思いつきもしなかった訳だね。
実際には両手とも人差し指以外の4本があるのが見て取れるから、
目が悪いか頭が悪いかその両方でない限り、人差し指は取れたと思うのが普通だけどねww
https://cdn.newsapi.com.au/image/v1/9b164c8a4fdbafdaf3d6d43e24ac205c >>876
欠損じゃなきゃ半端な知識で見た目だけ真似て作ったおもちゃじゃねーかバーカwwwwww
どう見ても鋳型に流し込んで作った量産品なのにしつけーんだよウンコウンコ! http://livedoor.blogimg.jp/laba_q/imgs/1/d/1d11ab73.jpg
よく見たらこの完全勝利した淫夢くんUC人形最初から指4本しかなくて草
細かいディテールが作れない時点で丹精込めて一つ一つ作ってない機械任せのMade in Chinaだってはっきりわかんだね >>877
君のように目と頭が悪い人間に、この像の真贋判定は不可能だよ。
明の時代の鋳造品と現代の鋳造品の違いを全く説明できていないし
理解も出来ていないが、根拠なく後者に思考が固着している。
指が欠けている釈迦誕生仏は日本国内にもあるが、キャプションを
伏せて、これがオーストリアで見つかったと中国の仏像だと君に
見せたら、同様に土産物だおもちゃだと騒いだのだろうねww 明時代の像としたら船乗りがもってたストラップが落ちたようなことが… オーストラリア西岸を調べながら南下していって嵐などで難船。
生存者が陸路で戻ろうとする途上で、サバイバルに寄与しない持ち物を
順次捨てていった・・・そんな感じかな。 >>879
しつこいでゴミガイジ
具体的な論文や鑑定結果が出せない時点でお前の完全な負けンゴwwwwwwwwwwwwwwww >>617>>860
鄭和さんはアフリカには行かなかったけど
日本には着ていた説みたいなのもありますね 仮にオーストラリア西岸になんかあったとしても東南アジアからの漂着物でしょ
日本だって日本海側に中韓のゴミが流れつきまくってるし >>885
比重が重い金属製のモノは普通は海岸に「漂着」しない。
船のような形になっていれば別だがな。 >>887
中が空洞だったり(比重が低くなる)おわん型だったり(浮力がある)すれば
金属が漂着する可能性があるけど、中までみっちり詰まった金属の塊だと無理だね。
海岸を歩いてみれば分かるが漂着ゴミの9割9分は水に浮くもの(比重1内外)。
銅の塊(比重9)が海岸に流れ着くなんてちょっと無いな。 >>888
あのあたりならよく津波で掻っ攫われたり流れ着いたりするで
みっちり詰まる言うたら魚の死体とか転石とかあるしな
えーかげん妄想でなく現実を見ろンゴwwwwwwwwww ガイジがまだ淫夢くんスタチューに執着してて草
1キロの代物なんて比重がどうだろうと海流に簡単に運ばれるってそれ一番言われてるから >>890
苦し紛れで今度は海流ときたかw
オーストラリアの西側を洗っている西オーストラリア海流は「南から北へ」
流れているんだが。何か奇跡が起きて金属塊が海流に流されてきたとしても
南から仏像が流れて来たってことは、中国がさらに南に進出していたって意味に
なってしまうんだがww >>890
中国というワードに反発するのはまあよいが、何も頭を使わずに思い付きを並べるだけでは、
君自身が恥を晒す以外に何の効果も期待できまい。
反論すべきポイントとしては、仏像が明代のものであり実際に現地から掘り出されたとしても、
いつの時点で現地に持ち込まれたかは不明な点で、現地の報道でもそこを疑問点としている。
(こんな仏像は無いとか、オーストラリアまで流されてきたはず、とかいう君のような頓狂な
意見は見当たらない。なぜなら自分の無知を表明するだけだからね) ブロンズ像が海流で運ばれるとかは論外としても、中国の探検隊の遺物
という線も今のところ積極的な証拠がないわけだけどね。
一応発見者のフェイクでないとすれば、19世紀や20世紀の漁師が持ち込んだ
可能性や、ヨーロッパの探検隊の持ち物だった可能性すらあるにはあるな。
1600年代の可能性を追求するなら、オランダ東インド会社の商船に積まれて
いたと仮定することもできそう。
たとえば1629年に今回仏像が見つかった所から南に200kmぐらいのところで
バタビア号という大型船が座礁して沈没している。そして船長以下数十人は
艦載ボートを使って北上し、ジャワ島のオランダ商館まで辿り着けているし、
そこから残りの生存者を救出する船が出されている。
要するに当時のオーストラリア西岸はけっこうVOCの行動範囲なんだな。
この船は別に中国に寄っていないが、VOCの商船はけっこう行方不明が多いから、
ほかに中国の品を買った船がオーストラリア西岸で沈んだケースはありそう。 オーストラリア西岸はオランダの得意技ですけど
往路だからあんまり中国の商品持ってる可能性は低い気がしますね
大西洋岸で作ってそれを中国に輸出しようとしてたなら別ですがww >>891
あの塗装のハゲ具合なら数年は海を漂ってるから
1周以上してても不思議じゃないってはっきりわかんだね
アスペ兄貴はこんなとこでファビョってないでもっとなけなしの想像力を使ってさ、どうぞ
>>893
あんなのが一彫り一彫り手作業で作ったものな訳ないんだよなあ(仮に手作業の行程があるとしたら最後はみ出したバリをヤスリで削るぐらい)
淫夢君像の正体を知りたからまず粗悪な仏像の大量生産の歴史を洗ってみたらどうだろう(提案) 像の指が取れる位なら表面の細かい線なんか真っ先に削れてなくなるんだゾ >>895
木像か何かと勘違いしているようだね。浮力の無い銅の塊は沈んだら沈んだままで
海を流れたりはしない。君が寿命の尽きるまで海岸を探し回っても、漂着した銅像
などは見つかるまい。
だいたい銅の塊というのは鋳鉄の塊よりも重い代物だ。それがインド洋を1周するさまを
思い浮かべているのなら、初心に帰って小学校の理科から勉強をやり直すべきだww >>894
確かにオランダ船は南アフリカの喜望峰から緯度を保ったまま東へ進み、オーストラリアの
手前で北上する、いわゆるブラウウェル・ルートで東南アジアに到着するのが通例。
便利で早い反面、油断するといつの間にがオーストラリアで、サンゴ礁に激突し沈没というのが、
オーストラリア西岸の難破で多いパターン。往路だから帰路より中国の物を積んでいる可能性は低い。
ただしヨーロッパへ戻る際にオーストラリアに漂着してしまった船も実際にあって、
1628年に西オーストラリアで座礁したフィアーネン(Vianen)号の場合だと
バタビアで中国から荷物を積み込んで帰路についたものの、強い向かい風で南に流され、
西オーストラリアのバロー島で座礁。船を軽くして離礁するため、せっかく仕入れた
香辛料や銅のインゴットを大量に投棄したという。
https://en.wikipedia.org/wiki/Vianen_(ship) >>894
まあフィアーネン号の場合は沈没したわけではないのだけれど、中国の産品を積んだ
オランダ船が、今回話題の仏像が見つかった近辺のオーストラリア西岸まで来ることが
実際にあったわけ。
中国船がそこまで来た可能性も面白くはあるけど、それよりもオーストラリアの西側を
頻繁に行き来していたオランダ船の方が可能性としては高いんじゃないかな。 吼える45度ぐらいの認識でしたが
3段活用が、、、ほんまかいな
しかも40→60度で低減している気がww
「吼える40度,狂う50度,叫ぶ60度」 オランダはなぜオーストラリアの内陸を探検しなかったのだろう?
あるいは沿岸に中継基地を作るとか・・・ >>897
ソース莫きは害兒也(嗤)
糞喰ひ自閉小父さんは幼稚園から遣り直せ(嗤) >>897
ガイジップさあ。プロパンガスボンベが漂着しているがこれはなんなんだい?
充填状態でもプロパンガスは空気より重いし、空の状態でも水より遥かに重い頑強な金属の塊が漂着しないなんて出まかせこいて恥ずかしくねーの?ww
https://blog.goo.ne.jp/ysaino11jp/e/b82217d8bc81b6dd559d4ef1c0d2deff どれ、奥の車庫さ行って、ワイヤー持ってくるべぇか、四輪駆動出してくるべぇか。
瘋癲患者の>>897の片足さにワイヤーば繋いで、村はずれの一本松さ縛り付ける。
もう片びっこの足さ四輪駆動の後ろ側に繋いで…
アクセルばグィーーーン!
オオゥ!
股がベリッと裂けるゥ!
骨盤がわれるぅ!
断末魔の絶叫がこだまするなかで
長さ17尺のハラワタがズンズルズンズルズンズルリンと引き出されるゥゥゥゥゥウ!
さてと
クソまみれの腸さキレイに洗って、ミンチ肉さ詰め込んでソォセェジに仕立てて食うべぇか >>902
南西部に緑があるが、入植するにしても既にケープ植民地があったからなあ
遠すぎる >>894
仮にオーストラリアに中国の物があったとして殆どは割と最近になって入ってきた中国系移民が持ち込んだもんでしょや >>902
>>816のタスマンさんの中の人を調査に出したところ
大陸からお金の予感がしなかったので
調査そのものを中断したらしい、、、
タスマンさんの中の人はめっちゃ怒られてましたww >>904
浮力についてはすでに>>888で指摘済みだが、君には小中学生レベルの
話が理解できないようだね。ちゃんと理科の授業を受けていれば理解
できる事だが、プロパンガスのボンベはガスが充填されていようが
いまいが水よりもずっと軽いのだよw
https://www.lpgpro.go.jp/guest/learning/basic/02_02.html
つまりプロパンガスが充填されたボンベを同容積の水と比較すれば、その7割
ほどの重さだから浮いてあたりまえ。さらに中身を使い切って空のボンベを
海に捨てたのならそれは水の3割の重さでしかなく、いずれも海岸に打ち寄せ
られるのが自然というものだ。
水の9倍の重さの銅像は水に沈むのが当然と言う話をいつまでたっても
理解できず、見当違いにも水より軽いモノを例に挙げて反論したつもりになる
君の頭には果たして中身が充填されているのかいなww ところで前回はオーストラリア西岸に中国の品がもたらされる可能性として
オランダ東インド会社の船を例に考えてみたが、ジャワ島あたりから
西オーストラリアまで流された船が実際にあったことを考えると、
意図的な探検航海でなかったとしても、中国船もオーストラリアまで事故で
流される可能性は皆無ではない。鄭和の航海でも鄭和以後でも明とジャワ島
(マジャパヒト王国やバンテン王国など)の間には船の行き来があったわけで、
ちょっとスンダ海峡を通ってみようと思いついた中国船があれば、
季節風につかまってオーストラリアの北西岸に吹き寄せられる可能性はある。 >>909
摩擦係数とか回転も知らないホイ卒は呼んでないんで
科学的根拠のない話はオカルト板に行って、どうぞ >>876
はいガイジ
そのサイトにこれが明代のものを真似た19世紀のコピー品の疑い濃厚って書いてあるわwwwwwwwwwww
しかも明代のって言った鑑定、写真で比較しただけじゃねーか
死んどけ!
A former curator at Melbourne’s Chinese Australian History museum, Paul Macgregor, told The Australian that even if the discovery was genuine it would not prove the Ming-era treasure fleets theory.
“They could have bought something like that from an antique market or on a website,” he said, adding Deschamps and Thomson had not provided evidence of the statue’s authenticity.
He suggested 19th century copies of Ming-style statues could have been brought to Australia by Chinese pearlers in the late 1800s or early 1900s.
Thomson and Deschamps are having the statue “studied by experts”, but said one “expert from overseas in Buddha statues” had already dated the statue from photographs as Ming dynasty. >>911
「みずにしずむ」「みずにうく」の小学校理科を理解できない君が
その無知を晒した後で、中学校理科の学習内容である摩擦係数に
チャレンジするのは、はっきり言って無謀というものだなw
インド洋の海底が真っ平ですべすべしてしているというならともかく、
山あり谷ありというのが現実である。それに対して、深海の微弱な
海流では重い銅像をして僅かな段差を登らせる事も絶望なのだよ。 >>912
理科だけでも十分恥を掻いたというのに英語でも恥を掻こうと言うのかな君は。
君がろくに理解できないまま引用したこの記事には、ひとりの元学芸員が
19世紀のコピー品かもしれない可能性述べ、ひとりの専門家が写真を元に
明王朝の仏像と年代決定したと書いてあるのだよw
つまり専門家の間の議論ですら真偽の議論は決着を見ていないのに
誕生釈迦仏すら知らず「仏像ですらない」と断言する無知な君が、
思い込みを元に即断する有様が甚だ滑稽であると指摘しているわけ。 どれ、奥の車庫さ行って、ワイヤー持ってくるべぇか、四輪駆動出してくるべぇか。
中卒発達障害者の>>914の片足さにワイヤーば繋いで、村はずれの一本松さ縛り付ける。
もう片びっこの足さ四輪駆動の後ろ側に繋いで…
アクセルばグィーーーン!
オオゥ!
股がベリッと裂けるゥ!
骨盤がわれるぅ!
断末魔の絶叫がこだまするなかで
長さ17尺のハラワタがズンズルズンズルズンズルリンと引き出されるゥゥゥゥゥウ!
さてと
クソまみれの腸さキレイに洗って、ミンチ肉さ詰め込んでソォセェジに仕立てて食うべぇか
>>914
赤ちゃん仏陀像が明代に発祥したことはオーストラリアのゴミが骨董品であることを意味しないぞゴミガイジ どちらにしろ豪州にある中国製とみられる古そうなモノは19世紀以降に移住してきた華人によって持ち込まれた可能性が最も高い 海岸に古物屋が海外製のゴミを投棄したのを拾うだけで考古学的大発見になるんだったらなんでも鑑定団なんていらないンゴwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww まあ>>915の中身のない頭から中身のない意見が出てくるのは理の当然ではあるが、
今回西オーストラリアから発見された仏像の年代決定に必要なのは愚か者の思い込み
ではなく専門家の鑑定である。
「仏像でない」で無知を晒し、「指がない」で観察力の無さを示し、鋳造品だから本物では
ないという不可解な意見を表明したかと思えば、ブロンズの塊がインド洋を一周して
オーストラリアに漂着するというトンデモ説に走る>>915の一連の書き込みは、真贋判定
とは全く無関係であるし、むしろこの仏像の真正性を否定するサイドの足を大いに引っ張って
いるだけだろうw さて>>898などでは、中国産の物品として購入された品がオランダ船によって
オーストラリアに運ばれた可能性を考えてみたが、類似の可能性としては
西洋船の乗船者の私物としてオーストラリアへ運ばれたパターンも考えられる。
とくにオランダ東インド会社の船は中国出身の船員を多く雇用し、1600年代には
日本出身の傭兵も使っていたから、VOCの船に仏教徒の乗船者がいるのは
自然なことと言える。時代が下ると中国人船員の活動領域はさらに広がり、
英国海事博物館の記録ではトラファルガーの海戦に参加した船員にも中国
出身者が居たという。こうした背景と、オーストラリアで難破した船舶は
1600年代から現代までの間に1400隻に上る(※1)ことを考え合わせると、
オーストラリア西岸に仏教徒が仏像を携えて上陸した可能性は意外とある。
※1 「西オーストラリアの難破船」(英語版Wikipedia)
https://en.wikipedia.org/wiki/Shipwrecks_of_Western_Australia >>918
中身のない言葉を使うなガイジwwwwwwwwwwwwww
お前はあガガイのガイ♪ ガイジに言わせるとチュクチで日本製の銅銭が見つかっただけで前近代の日本人がチュクチ人と交易していたことになるらしい 仏像の歴史について調べてみない時点で負けを認めてるようなもんなんだよなあ >>919
ほへぇえ、まさか中国人がネルソン提督の中の人だったとは、、、
むしろ飲んじゃってたら
中国人の中の人がネルソンさんになってしまいますww >>923
個人名が判明している広州出身のHampoo Hangさん(34歳)は
ネルソンの旗艦ヴィクトリーでなく、もう一方の艦隊を率いた
コリングウッドの旗艦ロイヤルソヴリンの乗組員だった模様。
https://www.dailymail.co.uk/news/article-2457433/Nelson-relied-hundreds-foreign-sailors-Battle-Trafalgar.html
まあネルソンの艦にもチャイニーズ水兵はいたかもしれないが。 1800年以降にオーストラリアに渡った中国人の数(非常に多数)>>>>>>>>>>>(越えられない壁)>>>>>>>>>>>>>1800年以前にオーストラリアに渡った中国人の数(実在するか怪しい)
なのだから中国産とおぼしき怪しい骨董品がオーストラリアにあったなら決定的な証拠を証明できない限りそれを持ち込んだのは前者であると推定するべきである 1800年以降にオーストラリアに渡った中国人の数(非常に多数)>>>1800年以前にオーストラリアに渡った中国人の数(可能性はある)>>>(絶望的な壁)>>>金銅仏がオーストラリアに漂着する可能性(可能性ゼロ) 津波で押し寄せられてきたりするし
船などに乗っかって漂着する可能性もある
どちらにしろトンデモ自閉ガイジの言うことよりガリバー旅行記の方がまだ当時の人間が書いてる分信憑性や学問的価値がある訳だが 2004年クラスの地震はあのあたりではめったに発生しないのでは? ガリバー旅行記の方がよっぽど現実に即した部分多いわwwwwwwwwwwwwwwwww いやーガリバー旅行記読んでた方がまだ当時の地理感やイデオロギーが分かってためになるし
よっぽどこのスレのテーマに即している 西遊記とか聖ブランダン航海譚とかユートピアとかマンデヴィル旅行記とか レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。