これ以上スレチになった話に付き合いたくないので、少し冷静にまとめておく。
パオが絶対視する四夷概念というのは正直、思い浮かぶ限りこのイメージ図しかない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Tianxia_ja.svg
見れば分かるがあくまで概念であって、全中国史に絶対的に適用できるものじゃない。

外国船が寧波や杭州から入ってきたというのも、俺は>>74で清の時代だと指摘してい
るし、清代は西洋人(夷商)の貿易窓口は南の広州しかなかった。これは受験世界史で阿片戦争の
絡みで覚えておいたほうが良いポイントだし、詳説クラスなら載ってることだろう。
天津だの旅順だの、阿片戦争以降の話は勿論論外で夷という呼称はそれ以前のもの。

それと楚を東だというのは何を根拠にしたのかわからない。これは本当に高校の資料集の地図レベル
の話だから強いて言うなら、楚漢戦争時の項羽の領土を勘違いしたか、春秋時代の中華の領域と今の
中華人民共和国の領土をごたまぜにしてるとしか思い浮かばない。

以上、すくなくともパオは中国史に関しては高校世界史のレベルでもないし、中国史の入門書や概説書
すらまともに読んでない。もし読んでいても、それは理解できそうな文字列だけが頭に入っていて、理
解できない所は自分の脳内妄想で補完している。だからこうやってやり合うと、どんどん妄想補完が進
む上に知識が追いつかなくなるから、言ってることのレベルがどんどん低くなる。
これは一応中国史に限ったことだから、イスラムやヨーロッパ、中央アジア史のパオの知識レベルは知
らない。
アボリジニと中国人の関係は珍しくヒットだったが、裏も取ってない所を見ると自分も理解できてない
聞きかじりの話が、下手な鉄砲を数打って当たっただけだと断定せざるを得ない。