日本の没落の元凶は田中角栄にある
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土建屋の厨獄進出という目先の利益に囚われた
売国国交正常化が全ての元凶だったのだ。
実際、日本の土建屋なんか厨獄に進出できなかったしwwww 俺の中学時代の極左社会科教師ですら角栄の台湾断交は批判してた
単なるウヨの戯言だと思うな 日本が没落しつつあるのは角栄たる者が日本にいなくなってしまったからです。
あのロッキード事件の最中にも、角栄は人格者だという評価があった。
角栄は日中国交回復を果たした事で知られる人だが、だんだん日中友好はアメリカにとって
許されざることで、そのためにロッキード事件を起こして田中角栄失脚を図ったといわれる。 北朝鮮拉致事件の前に金大中事件と朴大統領夫人射殺事件で角栄は
南北朝鮮にへたれている。あの時スパイ防止法や背後関係究明に
尽力していればその後の日朝関係の歪みはなかった >>142
>角栄は日中国交回復を果たした事で知られる人だが、だんだん日中友好はアメリカにとって
>許されざることで、そのためにロッキード事件を起こして田中角栄失脚を図ったといわれる。
日本人はロッキード事件は、田中角栄事件だと思っているけど、全くそうではありません。
あの事件は世界数カ国にまたがる、とてつもない広がりをもった前代未聞の航空機商戦の
汚職疑惑なわけです。国はイタリア、フランス、ドイツ、オランダ、スペイン、スウェーデン、
インドネシア、フイリピン、トルコ、イラン、メキシコ、コロンビア、ナイジェリア、
サウジアラビアなどにまたがり、ひっかかった人間の中にはイタリアのアンドレオッチ元首相、
オランダのユリアナ王女の夫君、ベルンハルト殿下、ドイツのシュトラウス元国防相、
スエーデンの空軍司令官よいった人まで含まれています。角栄の資源外交をつぶすために、
それだけスケールの大きな事件を謀略として起こすなど不可能なことはあの事件をグローバルに
とらえる目を持っている人には疑問の余地なくわかることです
>>142
>角栄は日中国交回復を果たした事で知られる人だが、だんだん日中友好はアメリカにとって
>許されざることで、そのためにロッキード事件を起こして田中角栄失脚を図ったといわれる。
失脚ってなにから失脚だよ。有名なトンデモだぞ。
角栄は1974年に立花隆に金脈問題を暴かれて総理を失脚している。
ロッキード事件は1976年です。
むしろ、ロッキード事件は角栄にとって闇将軍として政界に居残るための
モチベーションとなったと言った方がはるかに正確だろう。
実際、角栄が闇将軍として政界にパワーをふるうようなったのはロッキード事件以降だ。
1982年には田中曽根内閣と揶揄された第一次中曽根内閣を成立させている。
>>142
おまえ、すげえ馬鹿。
ロッキードは他の人が指摘済だな。
ピンポン、キッシンジャー、ニクソン……。ちょっとこの辺でぐぐってみ?
今後の人生、詐欺にひっかかったりしないように気をつけたほうがいいぞ。 角さんがつぶされたのは、やっぱメリケンのOK待たずに
日中回復したからかなあ。
アメリカは日本の頭ごなしにやったけど、
あれってソ連の対中核戦争を阻止するための緊急的措置だったらしい。 >>147
>角さんがつぶされたのは、やっぱメリケンのOK待たずに
角栄が闇将軍の地位から転落するのは85年の脳卒中と竹下登の裏切りだ。
アメリカはなんの関係もない。
とにかく、角栄はロッキード事件後も、脳卒中で倒れるまで10年近くも
闇将軍としてパワーをふるい続けた。
ネットで検索しても、
「角栄はロッキード事件で総理を失脚した」とか
「ロッキード事件で政治生命を絶たれた」とか
大嘘が流布されているけど、
当時を知る世代が減ったからだろう。
角栄が総理を失脚するのは1974年
ロッキード事件は1976年
当時を知る人は知っていると思うが、一番重要な事それは、田中角栄総理大臣は、逮捕後党外にでた後も木曜クラブの
実質のオーナーで権力を握ってたということです。首相退任後やロッキード事件による逮捕(1976年7月)後も田中派を
通じて政局に対する影響力を保ち続け、マスコミは「(目白の)闇将軍」の異名を名付けた
1985年創政会の結成などがありましたが、当時の政治的な立場はまだまだ竹下、金丸の及ぶところではありませんでした。
政治的失脚は創政会の結成によるストレスでの深酒で脳梗塞で倒れてからです。
田中内閣は、昭和47年(1972年)7月6日 - 第1次田中内閣が成立から、昭和49年(1979)12月9日 内閣総辞職までですが、
その後も田中角栄は闇将軍と言われたように、また中曽根内閣(1982〜1987)が田中曽根内閣と言われたように隠然と存在しました。
田中角栄の失脚は創政会結成の昭和60年(1985)です。
総理失脚などというものは角さんにとっては大したことではなく、
創世会結成は人間・角さんにとって飼い犬にかまれることで、
それによって脳梗塞を発症して、政治的に失脚してしまったのです。
結局ロッキード事件が田中角栄を失脚に陥れたのです。>>142.>>147
>>152
>結局ロッキード事件が田中角栄を失脚に陥れたのです。>>142.>>147
言い方を変えれば、 田中角栄を失脚に陥れるために「ロッキード事件」なるものがしくまれたといえるのではないでしょうか。
1974年9月に田中首相はブラジルを訪問し、経済協定や文化協定などを締結し
国家間交流を深めました。
ttp://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPAM/19740917.D1J.html
ただ伝聞で資料がありませんが、ブラジルの原発開発に日本は協力するという
密約を日伯間で取り交わしたそうなのです。
現在、ブラジル電力公社向け上部原子炉容器を受注し輸出しているようですから
1974年頃の布石が生きたのでしょう。
しかし、1970年代当時は、アメリカの縄張りを侵害したことになり、逆鱗に触れた為、
その1974年10月、月刊誌「文芸春秋」10月号 で「田中角栄研究」「淋しき越山会の女王」
が掲載され、立花隆らが金脈問題を追及しはじめ、結局、首相辞任に追い込まれます。
間違いなくアメリカの意向で起きた金脈問題なのでしょう。
首相辞任後も陰で日本政界を動かす角栄氏を、ロッキード事件でとどめを刺そうとした?
そう思います。 >>153
おまえは脳梗塞もロッキード事件が原因と思ってるのか?
結果からこじつけすぎ。
>間違いなくアメリカの意向で起きた金脈問題なのでしょう。
>首相辞任後も陰で日本政界を動かす角栄氏を、ロッキード事件でとどめを刺そうとした?
>そう思います。
ロッキード事件の陰謀はありえない。
20数ヶ国を巻き込んだ事件だけに、
各国の諜報機関に暴かれてしまう可能性が大だからだ。
そもそも証拠がまったくない。
臭い勘ぐりが面々と続くだけ。
>>153
>田中角栄を失脚に陥れるために「ロッキード事件」なるものがしくまれたといえるのではないでしょうか。
日本人はロッキード事件は、田中角栄事件だと思っているけど、全くそうではありません。
あの事件は世界数カ国にまたがる、とてつもない広がりをもった前代未聞の航空機商戦の
汚職疑惑なわけです。国はイタリア、フランス、ドイツ、オランダ、スペイン、スウェーデン、
インドネシア、フイリピン、トルコ、イラン、メキシコ、コロンビア、ナイジェリア、
サウジアラビアなどにまたがり、ひっかかった人間の中にはイタリアのアンドレオッチ元首相、
オランダのユリアナ王女の夫君、ベルンハルト殿下、ドイツのシュトラウス元国防相、
スエーデンの空軍司令官よいった人まで含まれています。角栄の資源外交をつぶすために、
それだけスケールの大きな事件を謀略として起こすなど不可能なことはあの事件をグローバルに
とらえる目を持っている人には疑問の余地なくわかることです。
ロッキード事件の陰謀論なら以下の本が説得力あるよ
↓
角栄失脚歪められた真実
徳本栄一郎著
http://www.bk1.jp/product/2507610
高度成長は石油ショックで終わったのではない。
田中角栄の登場で死んでしまった。
高度成長の主役は都市の製造業であったのに、都市が実現した経済成長の果実を農村に有利に再配分。
公共投資を「都市」から経済効率の悪い「地方」へ傾斜配分することで、地方から都市への
人口移動の激減を招き、成長率の急激な低下をもたらしたのだ。
http://www.amazon.co.jp/dp/4166603892/ >>161
どの世界でも主役だけでは成り立たないものさ。
遅かれ早かれ内需拡大が必要となり、地方への再配分を行う羽目になっただろう。
たとえ利権誘導が目的でも、あの時期に地域格差解消策をとったことは評価に値するよ。
都市への人口移動は自然現象。
それを無理に田舎に縛り付けた結果が財政赤字。
田中角栄は不自然、反自然なことをやった。
人間どこに住んだってすぐ慣れる。
税金で無理に地方に仕事を作らず、仕事のある都会に引っ越せというべきだった。 人口移動するにまかせてたらどんな国になってたかなー
現在人口世界一の東京都市圏は当然さらに巨大な都市圏に
なって土地は延々と値上がりし続けてたのだろうか
住宅ローンか家賃に追われ長時間通勤する人々が弱者と
いう扱いになるんだろうか 田舎は自然に返せばいい。
どこにでも人がいて活性化しなければならないという考えは間違い。
そんなことは不可能。
人はどこに行っても生きて行ける。
土地にしがみついてもいいことはない。
地震でわかっただろう。
人間は身軽に。
住宅ローンで持ち家などもってのほか。
自らを鎖で縛るような行為。 >>166
規制というと容積率?
容積率上げて需要を飽和させるとか? >>164
田中首相の取り組みがなかったら、都市だけが集中的に経済成長し、地方がますます衰退していったはず。衰退した地方では企業倒産や失業者増大、財政破綻が起こり、結局国にとっては不都合だったはず。
必ずしも人口流出を自然のままにすることが正しかったとは限らないのではないでしょうか? >>169
じゃなくてどんどん地方は破綻させていくべきだったってこと
そうしないまま高齢化してしまったことが現在の大問題なんだ 人はより良い土地に引っ越すべきなんだよ。
移動の自由があるんだから。
何もアフリカの奥地に行くわけじゃない。
同じ日本で生きて行けないわけがない。
今の土地で何でもよこせというのはわがまま。 >>18
では169の上半分の主張にはどうお答えしてくださいますか? 時期が近いから勘違いしてる人間が多い。
高度成長を実現したのは田中角栄では断じてない。
田中角栄が高度成長の果実を食い潰し
その後継者共が食いつぶすだけでは飽きたらず
膨大な借金を築いたのだ。
小沢が20年も何の成果もあげずに政治を浪費してるのは田中角栄の守護神として、
日本が駄目になったのは田中角栄のせいだという事実を政治の世界で俎上にあげさせないためかね。
真面目に議論すれば日本を食いつぶしたのが田中角栄だと負うことは明々白々。 角栄が人口数百人の離島から北海道の僻地まで
日本の隅々まで豊かにしたのは事実
在日、部落、琉球、障害者、アイヌといったマイノリティに
まともに生活できる環境を作ったのも事実
しかし財政規律の崩壊と官僚の止め処も無いモラル崩壊を
もたらしたのも事実なんだよねえ タイトルを見ると,一見,楽観的な成長経済論かと勘違いしそうだが,中身はきわめて骨太な,
過去30年にわたり自民党によって続けられてきた社会主義的政策への批判の書である.
大都市から搾り取った税金を地方にばら撒く,「弱者保護」の美名のもとに行われてきた所得移転政策が,
さまざまな矛盾と経済への歪みをもたらしていることは,大前研一,橘玲はじめ,多くのエコノミストや
評論家によって指摘されて来たことであり,それ自体に目新しさがあるわけではない.
しかし,この問題を,これほど統合的で首尾一貫した主張にまとめ上げたのは,本書が初めてといってよいであろう.
さらに,一般的には資本主義の権化のイメージで見られることの多い「今太閤」田中角栄こそが,
自民党の「隠れ社会主義政策」の道筋を作った張本人であるという指摘も,大胆ながら,多くの
実例やデータを駆使し,きわめて説得的に語られている.そして,田中社会主義革命路線を
自らの権威や権益拡大に利用し,今日にいたるまで日本の経済効率を下方屈折させてきたのは,
朝日新聞をはじめとする進歩的なマスコミであり,官僚達であった.彼らには,常に自らの「権威」を
維持するための顧客としての「弱者」を必要としていたからである.
悲劇的なのは,田中社会主体革命が温存され今日も続いているという事実である.なぜ日本だけ,
バブル崩壊後 13年も低成長を続けているのか? なぜ日本だけ,GNP の倍にも上る公的債務を抱え込むことになったのか?
なぜ都会のサラリーマンの生活は豊かになれないのか? こうした疑問を持つ全ての読者に必読の書である. タイトルのせいでわかりにくいですが、田中角栄について書かれています。
田中角栄について私は漠然と「汚職をしたけど地方にやさしい政治で日本列島改造で高度成長を実現した政治家」と考えていましたが、
完全なる間違いだとわかりました。本書によれば高度成長を終わらせた実行犯が田中角栄です。
「田中角栄が成長を実現した」というのは全く逆で「高度成長の蓄積があったから
田中角栄のような腐敗政治家が金をバラまくことができた」
田中角栄が起こした「社会主義革命」によって高度成長は食いつぶされたというのが正しいのでしょう。
そうすると田中角栄は「日本を社会主義の国にし、成長を止め、汚職をした最悪の政治家」ということになってしまいます。
目から鱗が落ちました。
歴史観が変わりました。 高度経済成長が終わったのはオイルショックによるのではなく、田中角栄が強力に推進した「社会主義革命」=国土の均衡ある発展という名のばらまきである。
これらのばらまきをやめ、人々が自分自身の足で立つようになれば高度経済成長は可能というのが論旨。
自分の才覚で生きていく(プロフィットシーキング)よりも補助に頼って生きよう(レントシーキング)とすることが
国をダメにしたという理論は、原田泰の一連の著作と似ているなと思った。
過疎地に無理に資本を投入するのではなく、都市に住民と資本を集中すれば、都市は発展するし、
過疎地には自然が復活するという論旨は八田達夫の著作に通じるものがある。
一番印象深かったのは、知識人、学者が連綿と「弱者」を作り出してきた理由。
弱者は弱者であるがゆえに保護の対象であり、保護の対象である以上、自分たちの
言うとおりに生きろという弱者保護の仮面をかぶった弱者差別の精神構造が
「エリート」とされる人々の思考を形作っている。彼らからすれば、「選良」の
庇護に頼らず自身の才覚で生きようとする人間はねたみと恐怖の対象でしかない。
そうして出る杭を潰し続けてきた70年代以降の日本が低成長に陥ったのは当然という理論。
「知識人」特に左翼のそれに違和感を持つ人は楽しく読める。 稀代の社会主義革命家たる田中角栄が弱者利権と地方ばら撒き政策を確立し高度経済成長を止めた、という話。 次の一節は、いろいろな角栄本にも引用された有名なインタビュー記事の一部だ。
<子供が十人おるから羊かんを均等に切る、そんな社会主義者や共産主義者みたいなバカなこと言わん。
キミ、自由主義は別なんだよ。(羊かんを)チョンチョンと切ってね、いちばんちっちゃいヤツにね、いちばんデッカイ羊かんをやるわけ。
そこが違う。分配のやり方が違うんだ。大きい奴には”少しぐらい我慢しろ”と言えるけどね、生まれて三、四歳のは納まらないよ。
そうでしょう。……それが自由経済というものだ。>
田中角栄は社会主義・共産主義というものは機械的な悪平等の思想だと思い込んでいて
自分の主張こそ由緒正しい社会主義・共産主義の理想だとは夢にも考えなかった。
「官公庁が発注する仕事は、一定のパーセンテージを中小企業に割り当てなければいけない」という官公需法も、
「大型店の新規開業には地元の零細商店の合意を必要とする」という大店法も、
「とにかく農民の生活水準を都市勤労者より低くしてはいけないのだから、生産者米価を上げるのに理屈は必要ない」という生産者米価の政治加算も、
全部「チョンチョンと切って、いちばんちっちゃいやつに、いちばんデッカイ羊かんをやる」政策だった。 角栄政権のプラスのほうに眼を転じれば、首相在任中にやってのけた功績がふたつある。
日中国交回復と、ソ連共産党書記長ブレジネフに「日ソ間には北方領土という未解決の問題が存在する」と認めさせたことだ。
どちらも社会主義政権相手の仕事だった。
後に訪朝議員団団長として北朝鮮を訪問した金丸信が朝鮮労働党の国を挙げての「熱烈歓迎」に手も無く丸めこまれてしまったのも、
もともと国家社会主義者同士だったからだ。
さらに、「遅れてきた田中角栄」鈴木宗男があれだけロシアの官僚たちと肝胆相照らす仲になれたのも、
お互い国家社会主義者同士で話が通じやすかったからだ。
日本中に増殖した田中角栄とその亜流たちには、「人間は自由意志を持った動物だから、行きたいところへ行き、やりたいことをやり、
住みたいところに住む。それを統制でねじ曲げようとしたら、とんでもないロスが生じる」という経済学的発想はちんぷんかんぷんだった。
そんな「わけの分からない理屈」をこねる連中より、革命世代の中国共産党首脳陣、旧ソ連官僚、そして北朝鮮労働党の同志諸君のほうが、
はるかに気心が通じたはずだ。 世界中にたったひとりだったかもしれないが、一九七二年という早い時期から田中角栄政権誕生の本質を
「革命家」による政権奪取と見抜いていた社会主義国指導者がいた。
彼は、岩波書店の総合誌『世界』に掲載されたインタビューで以下のように答えている。
<日本人民の闘争が強まったために佐藤反動政府は追い出され、田中政府がこれにかわりました。
これは日本人民の闘争の結果だといえます。われわれは日本人民の闘争を高く評価し、それを全面的に支持します>
(坪内祐三、『一九七二─「はじまりのおわり」と「おわりのはじまり」 』、二〇〇三年、文藝春秋刊より引用)
当時の北朝鮮国家元首、金日成だ。
まさに、「英雄、英雄を知る」と言うべき洞察力だ。
いや、近年出版された青木直人著『田中角栄と毛沢東─日中外交暗闘の30年』(二〇〇二年、講談社刊)を読むと、
毛沢東も田中角栄を「日本に革命を起こした同志」とみなしていたようだ。
歴史に残る毛沢東・田中角栄会談は茶飲み話ではなく、実務家同士らしく「米ソ覇権主義二大帝国に抗して、日中同盟を作ろう」という議論をしたらしい。
その後毛沢東は没し、田中角栄が言葉と知的能力の大半を失ってからも、中国は律儀に一線級の政府や共産党の要人を田中のもとに送りつづけた。
毛沢東が「田中角栄先生は革命運動における同志だ。決して礼を失することがないように」と遺訓を残したのだろう。 田中角栄を考えるときはその既得権益のあまりの巨大さを念頭に置かなければならない。
田中角栄が好きだと思うその根拠は何か?
自分も田中既得権益の受益者かも知れないと思い始めたら生きてるのが恐ろしくなるよ。 田中角榮が首相や闇将軍をやってた頃に生まれた世代って、露骨に質が悪いよな。
低所得なのは就職氷河期にあたったせいもあろうが、
鬱や自閉や発達障害を患ってるとしか思えないニートや廃人が多すぎ。
低教養過ぎて思想的にもネットウヨに陥っているし。
思うに、角榮が将来世代にツケを押し付けてのバラマキによって
当時の人間の人生難易度を著しく下げ、本来子孫を遺してはいけないような連中に
結婚し子どもを産み育てる余力を与えてしまったからではないか。 国土の均衡ある発展という社会主義政策を実行し、社会主義国中国と接近した田中角栄を危険人物とみなすのは当然。 日本の不幸は、田中角栄を保守だと思い込んでる人間が多すぎることだ。 >>185
子孫というより、田中角栄が甘やかして以来、日本人自体が堕落したのだろう。
自分で立つという精神が失われたのは田中角栄のせい。 田中角栄は、田中真紀子を甘やかした
田中角栄は、老人を甘やかした(福祉元年)
田中角栄は、地方を甘やかした(均衡ある発展) まとめ 田中角栄は、日本人を金の力で堕落させ、人様の金で生きることを当然と考える国民にした。 シナなんかと国交を結んだことが日本を衰退させた
角栄こそ最悪の国賊 角栄の地方を救済するという考え方は正しいがやり方が明らかに間違っていた
上の方で上げられている本だが、どうやら無防備マンみたいだな。拠って賛同はしかねる。
(角栄とは違う種類のキチガイだから) 保守政治の目標は「打倒!田中角栄」である
日本が非効率な社会主義国家になってしまったのは、もちろんさまざまな原因があるでしょう。
しかし、今抱えている沢山の問題を遡ると、ほとんどが田中角栄に行き当たります。
http://blog.livedoor.jp/furusatochan/archives/2836717.html 保守派気取りの人達の中に田中角栄待望論があると聞いたとき、げんなりしてしまいました。
高度成長期だからばらまけたのであって、バラマキをすれば高度成長できるというのは大きな勘違いですね。 田中角栄の主要な大罪リスト
1 老人医療費無料化というバラマキ
2 年金支給額の大幅アップ(二倍以上)
3 公立学校教員の給料を大幅アップ
4 私学助成金という、憲法違反のバラマキ
5 過剰な公共事業を通じてのバラマキ(均衡ある国土の発展という妄想)
6 中国共産党独裁政権(周恩来)との国交回復(チベットやウイグルでの中共の蛮行は無視)
7 シベリアへ開発への資金援助(北方領土問題もシベリア強制連行の補償などは棚上げ)
8 利権・金権による大派閥を率いる政治。国会からマトモなディベートがなくなってしまった。
9 中国に土下座外交をする、竹下登、小沢一郎、岡田克也などの弟子を輩出したこと。
10 日本に蔓延する拝金主義の元凶。財界トップすらも、目先の商売のみを優先し、総理祭神は靖国参拝をするななどと言い出す始末である。
たしかに、恵まれない生い立ちから、総理大臣にまで出世したのはすごいことであるが、それだけの話である。
彼が、日本の国益を棄損したことは甚だしい。
大盤振る舞いのバラマキ政策が、現在の財政赤字に直結している。 年金、国民皆保険、私学助成
日本人があって当たり前だと思ってるものは全て社会主義の産物だ。 日本は唯一成功した社会主義国だと言われることがある。
それは、奇跡と言われた高度成長の成果を田中角栄の登場以降、今の今まで食い潰してきたことを言ってるんであって
社会主義で発展したということでは決してない。 「日本は、第二次大戦中から(あるいは、戦争直後から)世界でいちばんうまくいった社会主義国家だった」という通説を、
あまりにも安易に受け入れてしまっている人が多い。
しかし、考えてもいただきたい。
世界経済史上ほかには例を見ないほどの高い成長率が持続したあの戦後復興から高度成長期までの輝かしい時代が、
本当に「社会主義的な統制経済」で達成できたものなのだろうか?
「自由競争にもとづく市場経済より統制経済のほうがうまくいく」という思想の破綻は、世界中でいやというほど実証されている。
なぜ、戦後日本だけが、例外的に社会主義経済でうまくいったというのだろうか?
「先進諸国に対するキャッチアップには統制経済が向いている」という主張には何の根拠もない。
世界中の社会主義革命は中進国、後進国で起きており、社会主義政権は例外なく先進国に対するキャッチアップ政策を掲げた。
しかし、統制経済のままでキャッチアップに成功した国はない。
頑固に統制経済を維持した国は、体制そのものが転覆して市場経済に戻ったか、
北朝鮮のように国民に食うや食わずの生活をさせながら慢性的戦争プロパガンダでかろうじて政権を保っているかのどちらかだ。
中国のように徐々に自由競争の市場経済を導入して統制色を弱めた国だけが、
まがりなりにも「社会主義政権」のたてまえを守りながら経済成長を達成している。
「キャッチアップなら社会主義的な統制経済のほうがうまくいく」なんて実例は、世界中探しても見当たらない。
朝鮮戦争特需やアメリカの占領政策に高度成長の原因を求めるに至っては、
「日本人はどうせだめな民族なんだから、自分たちの努力だけで立派なことができたわけがない。
だから、高度成長もだれかの振り付け通りに踊っていたから達成できたのだ」という、
とんでもない欧米崇拝志向以外には根拠を持たない発想だ。
特需や資金援助で経済が発展するものなら、ウルグアイ・ラウンド以後の日本農業は世界の最先端を行く
高収益産業になっているはずだ。
アメリカの占領政策や経済政策への干渉・介入で高度成長ができるものなら、
フィリピンやメキシコはとっくの昔に世界の先進国の仲間入りをしていたはずだ。 戦後の日本経済は、世界中でもめずらしいくらい階級とか身分とか人種とかの差別の少ない社会で、
しかもみんなが自由に自分にとって何がいちばんいいかを判断して行動できる、自由競争の市場経済の理想型に近い社会だった。
欧米諸国の租税負担が軒並み国内総生産の三〇〜四〇パーセントを占めていた中で、日本の租税負担は二〇パーセント台の前半ですんでいた。
だからこそ、民間企業が自由な競争の中で大胆な設備投資をする資金的余裕があり、一貫して高い民間設備投資が高度成長経済を実現したのだ。
また、高度成長期の日本は失業という現象を永遠に追放してしまう一歩手前まで近づいた社会だった。
欧米諸国での完全雇用の目標が失業率三パーセントであり、実際の失業率は好況期でも四〜五パーセント、
ちょっと景気が悪くなれば簡単に二桁になってしまう中で、日本の失業率はほぼ一貫して二パーセント以下だった。
しかし、一九六〇年代の終わりから七〇年代の初めにかけて、高度成長を可能にした自由で統制色の薄い経済を
根本から変えてしまう一連の政策が実行された。
この一連の政策は、間違いなく社会主義的だった。
「中小企業は大企業に比べて競争力がないから保護してやらなければならない」、
「地方は大都市圏に比べて競争力がないから保護してやらなければならない」、
「零細地場商店は大型店舗に比べて競争力がないから保護してやらなければならない」、
「農林漁業に従事する人たちは製造業やサービス業に従事する人たちに比べて競争力がないから、
あるいは海外の低賃金で同じ仕事をする人たちに比べて競争力がないから保護してやらなければならない」といった政策ばかりだからだ。
ところが、日本人の大半は、一九六〇年代末から七〇年代初めに日本で「忍び寄る社会主義」勢力が政権奪取に成功したなどということは、夢にも考えなかった。
想像もしていなかったところから出てきた社会主義勢力だったので、呆気にとられているうちに革命政権が誕生してしまったのだろう。
日本型「忍び寄る社会主義」が生まれたのは、イタリア共産党構造改革派のこむずかしい理論闘争の中からでもなく、
イギリス労働党左派フェビアン協会のメンバーたちの優雅にアフタヌーンティーをすすりながらの雑談の中からでもなかった。
それは、越後の山の中から生まれたのだ。
社会主義革命の張本人が自分のことを「激烈な反共主義者だ」と信じていたこと、
彼が自民党の一派閥の領袖だったこと、そして金権政治をめぐるスキャンダルまみれの政治家だったことに、
日本人の大部分が眼をくらまされていた。
もちろん、越後から山を越えて東京に出てきた日本の「忍び寄る社会主義」革命の指導者とは、田中角栄のことだ。 田中角栄はこんなたとえ話をした。一本の川が流れている。上流と下流に町がある。
2つの町の代表が、代議士に橋を架けてくれと言ってきた。そのときどうするか。
@調査をして、より必要性の高い方に橋を架ける。
Aそのうちにと言い続けて、何もしない。
B無駄だと思っていても、二つに橋を架ける。
角栄は@を選べば選挙で落選するという。なぜなら、橋を架けてもらえなかった町民の支持を失うからだ。
これに比べて、Aを選べば選挙は安泰だ。しかし、田中はBを選ぶという。この流儀で田中は本州と四国を結ぶ橋を3つ架けた。
もちろんこんな馬鹿げた計画に大蔵省は反対した。しかし、当時幹事長だった田中は、四国にいる大平正芳と三木武夫の二人の
実力者に配慮して、強引に昭和45年度予算に組み込んだ。
こうして本州四国連絡橋公団ができ、小島・坂出ルート(瀬戸大橋)と神戸・鳴門ルート、尾道・今治ルートが出来たが、
利用者はさっぱりで、累積赤字は4兆5千億円になった。その金利を払おうにも金融機関は金を貸してくれず、自治体から金を
貸してももらっているが、これが地方の財政を圧迫し、破綻させようとしている。
こんなことが、何十年間も全国各地で行われ、私たちはこれからさらにその負債に苦しめられているわけだ。
田中角栄は官僚をうまく使いこなしたと言うが、実力のおかげでも人徳のおかげでもない。
今に至る税金の無駄遣いを「田中角栄が」官僚の利権にしてあげたからに過ぎない。
官僚を腐敗させた張本人は田中角栄だ。 「オカネ」の力で日本のほとんどすべてを腐敗させ堕落させたのが田中角栄。
そういう負の才能は認めざるをえないだろう。 田中角栄は日本を発展させなかった。
高度成長で発展した成果つまり「他人のカネ」をばらまいて浪費しただけだ。
福祉元年で年金を将来につけ回したのも田中角栄だ。 >>196
これを見ればわかるが田中角栄は「人様の金」を誰かにばらまいて甘やかすことしかしていない。 >>48
>田中角栄の利権をばら撒く構造が官僚の天下り体質を生んだ
その通り。 角栄政権のプラスのほうに眼を転じれば、首相在任中にやってのけた功績がふたつある。
日中国交回復と、ソ連共産党書記長ブレジネフに「日ソ間には北方領土という未解決の問題が存在する」と認めさせたことだ。
どちらも社会主義政権相手の仕事だった。
後に訪朝議員団団長として北朝鮮を訪問した金丸信が朝鮮労働党の国を挙げての「熱烈歓迎」に手も無く丸めこまれてしまったのも、
もともと国家社会主義者同士だったからだ。
さらに、「遅れてきた田中角栄」鈴木宗男があれだけロシアの官僚たちと肝胆相照らす仲になれたのも、
お互い国家社会主義者同士で話が通じやすかったからだ。
日本中に増殖した田中角栄とその亜流たちには、「人間は自由意志を持った動物だから、行きたいところへ行き、やりたいことをやり、
住みたいところに住む。それを統制でねじ曲げようとしたら、とんでもないロスが生じる」という経済学的発想はちんぷんかんぷんだった。
そんな「わけの分からない理屈」をこねる連中より、革命世代の中国共産党首脳陣、旧ソ連官僚、そして北朝鮮労働党の同志諸君のほうが、
はるかに気心が通じたはずだ。 世界中にたったひとりだったかもしれないが、一九七二年という早い時期から田中角栄政権誕生の本質を
「革命家」による政権奪取と見抜いていた社会主義国指導者がいた。
彼は、岩波書店の総合誌『世界』に掲載されたインタビューで以下のように答えている。
<日本人民の闘争が強まったために佐藤反動政府は追い出され、田中政府がこれにかわりました。
これは日本人民の闘争の結果だといえます。われわれは日本人民の闘争を高く評価し、それを全面的に支持します>
(坪内祐三、『一九七二─「はじまりのおわり」と「おわりのはじまり」 』、二〇〇三年、文藝春秋刊より引用)
当時の北朝鮮国家元首、金日成だ。
まさに、「英雄、英雄を知る」と言うべき洞察力だ。
いや、近年出版された青木直人著『田中角栄と毛沢東─日中外交暗闘の30年』(二〇〇二年、講談社刊)を読むと、
毛沢東も田中角栄を「日本に革命を起こした同志」とみなしていたようだ。
歴史に残る毛沢東・田中角栄会談は茶飲み話ではなく、実務家同士らしく「米ソ覇権主義二大帝国に抗して、日中同盟を作ろう」という議論をしたらしい。
その後毛沢東は没し、田中角栄が言葉と知的能力の大半を失ってからも、中国は律儀に一線級の政府や共産党の要人を田中のもとに送りつづけた。
毛沢東が「田中角栄先生は革命運動における同志だ。決して礼を失することがないように」と遺訓を残したのだろう。 田中角栄こそ日本における社会主義革命に成功した唯一の人物としてみる論こそ、今までになかった田中角栄論である。
なぜ、アメリカの共和党政権が田中角栄を失脚させたのかは、もっぱら独自のエネルギー戦略を展開したから
ロックフェラーの逆鱗に触れたという説が有力ですが、むしろ田中角栄が日本で社会主義革命を成功させたからだと言うほうが、説得力があると思う。
田中角栄が日中国交回復に成功したのも、彼の社会主義的な政策が、中国共産党の首脳達に共感を呼んだのだということも筋が通る。
ソ連のブレジネフ書記長との話し合いでも北方領土問題で前進が見られたのも、田中政権が一種の社会主義政権とみなしていたからだろうか。
彼が作った様々な弱者保護政策である大店法や農業保護政策も、グローバル化する世界とは逆の保護政策だ。
自民党内にこのような大派閥を形成できたのも、日本の農家などからの支持を集めたからであり、それが大都市を包囲して
一気に革命へ持ってゆく手法は毛沢東の革命戦術であり、だからこそ中国やソ連も日本こそ社会主義国家の仲間としてみる要素になったのだろう。
それに対して危機感を持ったからアメリカのキッシンジャーは角栄を失脚させたのだ。
135 : 石綿金網(東京都):2010/01/17(日) 09:35:43.13 ID:V1spg1ox
この前仕事で知り合った中国人が
「一番尊敬する日本人は田中角栄先生です!(キリッ」
って言いながら、カバンから日本列島改造論を出してきたときにはビビった。
中国人の角栄好きは異常 共産主義者、社会主義者に、田中角栄を賞賛させるつもりか?
もっと脱税王、税金泥棒としての田中角栄を、擁護し称えたらどうだ?
確実に呆れられるぞ。 角栄信者が世の中に一定数いるらしいことは知ってるからさ、
信仰告白したいなら、真紀子に手紙でも書いてやればいいんじゃない?
「使用人」に取り立ててくれるかもしれないよ。
ここにおなじものを何度も貼るのはかんべん。 >>210
>それに対して危機感を持ったからアメリカのキッシンジャーは角栄を失脚させたのだ。
いったい何から失脚させたんだ?
>>210
>それに対して危機感を持ったからアメリカのキッシンジャーは角栄を失脚させたのだ。
いったい何から失脚させたと言いたいのだこいつは?
「ロッキード事件は角栄をハメルための陰謀」の人なんだろ、
ほっとけ。 田中角栄って典型的なケインジアンじゃん
市場原理主義が崩壊した今求められるのはこういった型の政治家ではないだろうか 市場原理主義の崩壊という認識が間違い。
この用語を使う人とは分かり合えない。
もし小泉進次郎がフリードマンの『資本主義と自由』を読んだら
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51500721.html 地方の疲弊というものは存在しない。
自由に住むところを選び移動できる個人がいるだけだ。
移動できないとすればそれを邪魔している何者かが存在している。
例えば「売るに売れない持ち家」や「転職が難しい労働市場」と言ったものだ。
諸悪の根源は市場が機能していないこと。
「地域間格差」はもっと拡大すべきだ
http://agora-web.jp/archives/754164.html そして、持ち家持ち家と言って、人間を地方に縛り付けたのが田中角栄と言う事実。
ケネディ暗殺事件でケネディ本人に疑惑
http://s1.shard.jp/deer/02/5/631.html
日本の陰謀のシナリオに基づいて事件を検証すると、
全く異なった側面が浮かび上がる。
角栄により日本の新自由主義化が遅れ政治の腐敗が進んだ
さらに角栄の申し子小沢により90年代以降の政治混迷がつくりだされた >>218
マスコミの見出しを切り貼りしただけの、中身の無い主張だなあ。
しかも微妙に古いし。 >>221
マトモな人間が田舎を棄てて都会に出るのは、
田舎に人が居ないのが理由じゃなくて、
腐った人間がわんさか滞留してるのを嫌がってるんだよね。
田舎者を腐らせたのは、角榮とその後継者(小沢とか)たち。
お上に向かってあんぐり口を開けてるだけの雛鳥のような田舎者に
ヌルい仕事とゲンナマをばらまいた。
そんなぬるま湯にどっぷり浸かりきった世代が、
おこちゃまのまま地方の中核を担うべき年代に
到達してしまったのだからどうしようもならない。 田舎者に権力をもたらしたのは、中世では軍事力だからまだ納得だが、
近年では議会制民主主義による悪平等の結果あってこそだ。
本来なら、田舎より都会の方が自由があり、かつ収入が多いから、
都会の方の権力が増大するはずなのだが、選挙の結果はそうではない。
田中角栄とその亜流が田舎者と提携しているのは、愚民主主義の結果だよ。 角栄は都市への人口移動という際手眼自然な減少を税金で人為的に止めた。
その結果が経済成長率の急低下であり、莫大な財政赤字。
今の問題はほとんどすべて田中角栄が独力で創りだした。
悪なる者の実行力。 ×際手眼自然な減少
○極めて自然な現象
過疎化は自然現象。
人がいなくなった土地は自然にお返しすべき。
暮らせないなら引っ越せというのは極論でも暴論でもない。 経済的な効率性は生産要素の完全移動性を前提にしています。特に人的資源が自由にもっとも効率の高い職場に移ることが労働生産性を高める条件ですが、
これは人々の生活の安定を犠牲にし、地域の生活や文化を破壊することが多い。これが「地域格差」や「市場原理主義」などといわれる問題の一つでしょう。
これは本質的なトレードオフで、両方を満たす方法はありません。生産要素の移動を規制すると生産性が下がることは自明で、経済的には望ましくない。
しかし日本の高度成長を支えたのは、農家の次三男が一旗上げようとして地方から出てくる流動性でした。それによって彼らの故郷はさびれるが、
彼らはそれほど故郷のことを考えているわけではない。いやなら田舎を出て行けばいいのです。問題は年をとって田舎から動けない老人で、
こうした人々は社会保障によって救済するしかない。そこに工場を誘致して「全国を都市化」しようとした田中角栄以来の国土計画は、
日本の成長率を大幅に低下させました。
一般論としては、流動性は不安定性をもたらすことが多いでしょう。しかしそれが効率性とトレードオフになっているとすれば、
どちらを選ぶかは各人の選択です。少なくとも極端に硬直的で安定した人生しか許さない現在の日本は、バランスの取れた社会とはいえないし、
それを法的に補強する雇用規制などは、人々の選択の自由を奪っているのではないでしょうか。
http://magazine.livedoor.com/magazine/4 田中角栄の罪は、都会から収奪し、田舎へ投資したこと、などではない。
そんなことは些末な問題だ。
本当の罪は、日本から収奪し、敵方へ資本を移動したことだろう。
資金は還ってこない上に、相手は有史以前からの敵対地域。
日本の金で敵を強化し、日本の弱体化も推し進めた。
「高度経済成長は復活できる」の筆者は、
敵が攻めてきたら?直ちに降参しろと宣うアホなので、
角栄とどちらがより愚か者か、悪人か競っているようである。 政治的要因として、日本の経済成長を鈍化させたのは効果の薄い地方へのバラマキであり、財政を悪化させたのは過剰な高齢者福祉です。
前者を象徴するものが「日本列島改造論」であり、後者が「福祉元年」であったことを考えると、いずれも田中角栄の敷いた路線に行き着きます。
零細農家と土建業者、そして高齢者の得票を束ねた田舎選出の議員が、自民党内で安定した当選回数を保って年功人事で大臣の椅子に座り、
霞が関の役人と結託してまた地方への利益誘導をして政権維持を図る、そうしたことが長年続いてきました。
1票の格差がさらにそれを助長し、若年者と高齢者の投票率の格差が年金その他の世代間格差を助長してきました。 古い自民党の「地方と老人の党」的な部分に対する、都市部の無党派層による反撃 上の方で誰かマネタリズムを弁護してたが、とんだお笑いだな。年次要望書による内政干渉や
90年代半ばのクリントン政権時代の元の対ドル切り下げが、今日の日本の苦境の主な原因じゃないか。
国産OSのトロンの導入時での理不尽な政治主導、自動車輸出自主規制等々、おのれがルールだと
言わんばかり。これのどこが、放任経済なんだ?実態はアメリカによる世界管理貿易じゃないか。
こんな「グローバル・スタンダード」を擁護する者は経済の弩素人だよ。 田中角栄氏は国家と民族への思い入れが希薄すぎた点において、保守政治家としては相応しくなかった。
彼がその全盛期の政治力をすべて国策至上主義の立場で蕩尽してくれておれば、今日の日本は、もっと
異なった姿になっていたであろう。共和政ローマのマリウスとスルラのよーな確執を福田赳夫氏との間で
繰り広げていたが、田中氏は、福田氏の本質を理解してやる心眼を遂に持てなかった。ライバルとして
もっと、分かり合うべき二人だった。それ一つをとっても田中氏は国家や民族よりも「私の立場」を
優先させる、器量の小さなドンだった。庶民的な性格は好感を持てるが、士道の心が薄かった。 何が「士道の心」だw
ドン百姓の子孫の癖しやがってw
田中角栄によるバラマキ政策→財政の悪化→将来世代の負担→日本の将来を奪う
(日本列島改造、福祉元年)
↓
土地の高騰、人件費の高騰(狂乱物価)
↓
一度上がると下げられない(地主、労組の圧力)
↓
国際競争力の低下
↓
日本の将来を奪う 土地は下がったじゃないかと思うかも知れないがそれが洗脳。日本の土地はまだまだ高い。高すぎる。
地価を上げなければ景気が回復しないと地主とその代理人が政策を歪めて下落を食い止めてこの程度で済んでるのだ。 >>234
第二次世界大戦は、閉鎖的なブロック経済と他のブロック経済の合従連衡、
他のブロックの破壊と乗っ取りだよ。
第二次世界大戦以後、閉鎖的な英ポンド・ブロック経済や閉鎖的な仏フラン・ブロック経済は、
より閉鎖的傾向のあった、米ドル・ブロック経済に乗っ取られ、マルクや円の経済圏は吸収合併された。
ロシアのルーブルは、独自の道を歩んで、東側とか共産圏と称していたが?
米ドルに敗れて膝を屈したので、閉鎖的な米ドル・ブロック経済への参加を、許されるようになった。
冷戦も終わったが、一時的に経済は破滅した。
(ロシアが全面崩壊しなかったのは、石油が自給自足ができ、輸出によるドルとの交換も可能だったから)
北米、そして後には中南米が、米ドル・ブロック経済の範囲だったが、
原油取引の決済が、ほぼドル一本となったことで、世界経済での勝利が決まった。 >>234
相変わらず狭量で閉鎖的な米ドル・ブロック経済も、ここまで大きくなると?
ブロック経済であることを忘れて、世界経済だと勘違いしてしまって居る者も現れる。
だから日本に対する、アメリカの様々な干渉は、容易に撥ね除けることが出来る。
それは米ドル・ブロック経済からの脱退である。
しかしそれは事実上、世界経済からの退場であり、
(世界経済≠米ドル・ブロック経済だし、世界≫米ドル・ブロックではあるが)
明日の米の心配をしなければ(石油)、生きていけなくなるほど、日本は落ちぶれてしまうだろう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています