古代エジプトの謎
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スフィンクス、ピラミッド、ツタンカーメン、オンム・セティ…
古代エジプトの謎を語ろう。
>>28
古王朝の壁画とか、アジア人ヨーロッパ人おぼしき白い肌で赤い髪の朝貢使は
蛮族そのものの風体だね。
黒い人たちは、それなりに、礼装していることが判る。 シシリー島からは第4王朝まで(だったかな?)の王名表が出土してるから、古王朝時代の
エジプト領土は広大だったのは確かだと思われ。ただし東のインドとかまでとか無くて、
主に地中海内とか西のほうだと思うけど。
海の民も生き残りはスペインあたりまで逃げてる。そこまで逃げないと安全とは
思わなかったことからも、大体の当時の人がどこまでエジプトの勢力圏であったと
考えていたかは想像できる。 じゃあ、ローマに立ってるオベリスクもエジプト領を示す記念碑だったのかな? ガリアフランスのコンコルド広場に立ってるのもエジプト領の果てを記念するもの。
ちなみにラメセス2世の時代。 >>49
日本武尊が征服して随分と広がった時点での日本領が、九州〜新潟県・福島県・茨城県あたりまで。
東京から福岡まで大体1200キロだから、ざっくりで、差し渡し1600キロくらいか。
地中海の東西幅が3800キロ、アレキサンドリアからシラクサまで1800キロくらい。
アラビア半島の長さが大体2300キロだから、紅海の奥行も大体同じ、青ナイルと白ナイルとの合流点から
北がエジプトの領域として、紅海の6割くらいの長さだから距離的には、1400キロくらいか。
日本の大きさと比較すると、さして大きくはないよね。 かなり遅い時代、ヨーロッパ側からでは十字軍とか繰り出すまで、アジア側からではイスラム帝国時代に入るまで、
リビア陸塊(アフリカ)とアジアとの境は、紅海でなくて、ナイル川だった。
ナイル川の真ん中でなくて、ナイル川の氾濫原までがリビア陸塊、ナイル川の影響のなくなるところからがアジア。
エジプトはエジプトで、プトレマイオス王朝まで、エジプトの範囲はナイルの氾濫原とその少し外側の墳墓や神殿を
つくる範囲が本国、精々防衛線のところ三日行程くらいのところまでが勢力圏。
もともとアラブというのも、古代エジプトでの、紅海側のところを指していたもので、半島のことではなかった。 地中海となると、フェニキア人が、レバノン杉で作った船で縦横に交易していた感じだよな。 公共事業で失業を減らすという行為は古代エジプトから行われていた
今の日本でそれをするとしたなら・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ケインズを世界で始めて成功させたのはナチスだと思っていたがそれより遥か昔、古代エジプトですでにケインズを行われていたとは
ケインズのミソはセイの法則を否定して、
供給が有効需要が上回る事態が発生するということで、
それは20世紀になって初めて生じただから(森島通夫氏によれば)、
それが古代エジプトで本当に発生してたかどうかは微妙だと思うけどな 古代エジプト人は浅黒い肌、黒い目、黒い髪だったそうな。
古代シュメール人や古代ギリシャ人や古代ローマ人と風貌や言語が酷似している。
白人はゲルマン民族の事だから、人種が違いますね。 58=
まだ仮説でしょ?
旧約聖書のヨセフというのはエジプト高官として実在したのでしょうか? エジプトでは
ヌビアは強くリビアは弱いと思われていた >>60
>白人はゲルマン民族の事だから、人種が違いますね。
広義にはアラブ人、イラン人、北インド人も白人だよ。
カダフィ大佐やサダム・フセインも白人だよ。
古王国時代のファラオの名前って、新王国時代とかプトレマイオス朝のエジプト人は
神話か伝説か昔話レベルにはなって、発音すら変わり果てていても知っていたのかな?
それともシャンポリオンが解読するまでクフやカフラーといった名前はおぼろげな言い伝えからすらも消え去ってたのかな?
>>65
三大ピラミッドを建造した王の名前として伝わるは,
紀元前5世紀のギリシア人歴史家ヘーロドトスが著作『歴史(ヒストリアイ)』
によれば,ケオプス(クフ),ケフレーン(カフラー),ミュケリノス(メンカウラー)
プトレマイオス1世時代のエジプト人神官マネトーンが著作『エジプト史(アイギュプティアカー)』
によれば,スーフィス1世(クフ),スーフィス2世(カフラー),メンケレース(メンカウラー) >>65
ヒエログリフはプトレマイオス滅亡後も使われていたぐらいだから、新王国時代とかプトレマイオス朝では
ネイティブのエジプト人は読めていたと思う。
>>66
ピラミッドの建設者はプトレマイオス朝にはちゃんと伝わって無かったみたいだね。
ヘロドトスの方が原語に近いが、エジプト人から直接聞いたのかな?
エジプトの石像やレリーフを販売しているとこ知りませんか?
レプリカでもいいけど、大きいのが欲しい >>68
ヘロドトスは主にメンフィスの祭司から聞いたとのことです。その時点で
既に2000年以上も経ってたわけでして。治世についても巨大なピラミッド
からの連想なのか国民を扱き使う暴君としか伝わってなかったようです。 http://www.47news.jp/CN/201105/CN2011052701000131.html
エジプト地中にピラミッド17個 米、衛星探査で発見
【カイロ共同】英BBC放送によると、米アラバマ大学のサラ・パーキャック博士らのチームが26日までに、
人工衛星の赤外線探査で、エジプトの地下に埋もれた
未知のピラミッド17個を含む千以上の墓と3千の集落を「発見」した。
地上からの試掘で、ピラミッドとみられる建造物二つも確認され、今後本格的な調査が行われるという。
同博士のチームは、約700キロ上空の人工衛星から、
直径1メートル程度のものを判別できる強力な赤外線を使って撮影した画像を分析。
古代エジプトの建造物には日干しれんがが使用されているため、
周囲の土壌よりも密度が高く、家や神殿、墓の形を判別できるという。
2011/05/27 08:45 【共同通信】
http://www.bbc.co.uk/news/world-13522957
24 May 2011 Last updated at 23:32 GMT
Egyptian pyramids found by infra-red satellite images
http://news.bbcimg.co.uk/media/images/52989000/jpg/_52989046_tanis624x289.jpg エジプトに行って、アリさんから聞いて一番衝撃的だったのは、
他にもたくさん遺跡はある。
どこにあるかわかっている、埋まったままの遺跡もたくさんある。
だが、発掘はしていない。
ということでした。
エジプト人が自ら遺跡発掘をしない理由
1.新たに遺跡を発掘する必要性がない。ギザのピラミッドを見るために、
遠くエジプトまで観光客はたくさん来てあふれかえっている。
2.発掘作業は大変。作業協力者はボランティアみたいなもの。
炎天下の中の作業は想像を絶する。
エジプト人が自ら進んで遺跡発掘しない3つ目の理由として、
外国人が発掘を進めてくれるからという理由もありました。
http://zapanet.info/blog/item/1731 階段ピラミッドの建築方法について詳しく書かれた本かサイト知りませんか? オンム セティの話好きだなあ
ロマンがあるじゃない。
考古学者として実績も残してるしすごいよなあ
ドローシー・ イーディさん。 >>70
東京の東京基督大学の近くの中東研究所?みたいな奴の土産屋にあったようなうろ覚え わかった南部がスーダンのままで北部がヌビアに変わればいいんだ 古代エジプトの時代はエルサレムもシリアの一都市にすぎなかったのに このスレの住人なら、ヒエログリフのフォントをインストールしているよな?
𓏘𓃭𓇋𓍯𓊪𓄿𓂧𓂋𓄿
表示できてる?
>>84
Firefoxじゃないと表示できないって知ってた?
このスレの住人なら、ヒエログリフを表示できるブラウザを使ってるよな? opera でも表示できた。
google chrome でも表示できた。
chrome は firefox とエンジンは同じだっけ? ピラミッド作る労力があるんだったら
シナイ半島にベドウィンの侵入を防ぐための
城壁や砦を立てればよかったのに >>87
へえ。
前は表示できなかったのに、最近のOperaだと表示できるんだ。 >>87
最新のOperaインストールしたけど、表示できない。
なんか設定しないといけないの?
>>88
ピラミッドは初期王朝の時に作られたから、さしたる敵もいなかったんじゃね?
距離も違うしね
ナイル沿岸とシナイ半島じゃあ何かを造るにしてもコストが全然違うだろうし >>91
×初期王朝時代
○古王国時代
第4王朝は古王国時代だね、失礼。
中国で万里の長城が作られたのは、北方異民族(胡)が何度も侵攻して国の存続を脅かしたからだね。
最初のきっかけは占い師のお告げだったが。
第1王朝で上下エジプトが統一され、ピラミッドが作られた第4王朝まではさしたる外敵の侵略もなく、
王権が安定した時代で、大ピラミッドが作れた。
クフ王がシナイ半島へ遠征したのもトルコ石採取のためだったし…
ベドウィンの侵入が現実的脅威ではなかったということだな。
>>90
あれそう? じゃあOSの問題かもね。 俺はLinuxだから。 >>94
「遠征」という言葉を使うほどには、洪水の外側は十分危険な蛮族地帯だったけで。 http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20110623-OYT1T00952.htm
「太陽の船」2隻目、吉村作治氏ら発掘開始
【カイロ=田尾茂樹】古代エジプト第4王朝(約4500年前)のクフ王の巨大ピラミッド脇に埋まる
世界最古級の大型木造船「太陽の船」の2隻目の発掘作業が23日、首都カイロ郊外ギザで始まった。
クフ王が死後も永遠に天空を旅するために造られたとされ、吉村作治・早大名誉教授率いる調査隊が発掘と復元を担う。
4〜5年後の完成を目指す。総事業費は約10億円。
作業は湿度などを調整できる大型テント内で行われ、この日は40個の石蓋のうち、最初の1個(約15トン)を撤去した。
吉村氏は「ようやくここまで来た。感無量」と話した。
第2の船は吉村氏らが1987年、レーダー調査で地中2〜3メートルの立て坑に納められているのを確認。
第1の船と同じ全長約43メートルになるとみられる。
第1の船は1954年に発見。十数年かけて復元され、ピラミッド横の博物館に展示されている。
(2011年6月23日20時54分 読売新聞)
万里の長城はもともとエジプトに造る予定で
逆にピラミッドは中国に造る予定だった。
って昔なんかのアニメで見た覚えがある。 ヌビア人は強いと言われているけど
何でエジプトに征服されてたんだろ >>98
逆のほうがメリットあるのか。ってアニメの話だしなぁ >>99
二十世紀半ばで数家族ぐらいしか使ってなかったから、多分もう死語になってる。
ラテン語みたいな扱いで残ってるとは思うが。
クレオパトラがフェラチオの名人だっていうのは
「ファラオ」と「フェラチオ」が似てるから説得力がある >>103
大王マンコカパックが大地の割れ目に金の杖を差し込んだところがクスコ
アラブ民族は文字通りアラビア半島からの侵略者の子孫のことだろ。 アラブ人が移住したことと
アラブ人のイスラム帝国のもとで
繁栄していったからだろうな
アラブ化したのは アラブに征服される以前に
ギリシャ・ローマの支配やキリスト教によるエジプト固有の多神教の廃滅で
独自の民族性を失っていたのかもしれない
だからアラブに征服された時点でも高い文化を誇り、
イスラーム化されてもアラブ化はされなかったペルシャ人と違い
エジプト人は一部を除きアラブ民族に飲み込まれてしまったのではなかろうか リビア人→ヌビア人→ペルシャ人→ギリシャ人→ラテン人→アラブ人 >>110
ギリシャ化もラテン化もしていない。
プトレマイオス王朝なんて、逆に、ファラオとして振舞ってエジプト化してしまっている。
ローマ時代もラテン化せず、まぁ、ギリシャ文字とキリスト教は受容しても、土着言語は保持して文字だけヒエログリフが衰退、
キリスト教にしても随分と教義も祭礼も土着化している。
シャンポリオンがロゼッタ石の解読を始めた時分にも、まだ、随分と独自言語を保持しているコプトが沢山いたというし。 >>112
言い方が悪かったですね、ごめんなさい
ギリシャ人やローマ人になってしまったというより
異民族支配の下で、民族固有の言語や風俗は残っても
独自の高い文化や愛国心に裏づけされたアイデンティティというか
「自分達がエジプト人である意味」みたいなものを失ってしまったんじゃないかなーと
まあ素人の想像に過ぎないんだけど 112は、むしろ異民族の支配下にあっても独自の文化/アイデンティティを維持していたという指摘だと思うけど。 「プトレマイオス朝エジプトに於けるヘレニズムとエジプティズム」ってサイトが詳しかったんだけど、無くなったみたいだ。
という訳で引用してるところをはりはり
ttp://blog.goo.ne.jp/abc88abc/e/65eb155e622895a19778759752d513d7
>112が挙げてるのって
土着レベルで民族アイデンティティを維持できるほどの文化ってレベルじゃないような
特に宗教と文字が変わってしまったのは痛いと思う >>116
言葉も宗門も違う支配者が、力を頼みに、税と称して土地の産品を収奪していくんだから、
そりゃ、否応なしに意識するだろうに。 でもビザンツ帝国の支配化で
エジプト人の間でナショナリズムが高まって古代文化を復興しようなんて運動が起きたという話も余り聞かない 古代では異民族の支配者はエジプト化するのが結構普通だったりするが
ローマ以降はそういうこともなくなってく
エジプト化させるアイデンティティがなくなってるというか コプトはキリスト教の中でも異質だけれど、エジプト化してああなったんではないの? イスラーム化直前の中世エジプトって宗教的にはコプト教だったの? >>118
あるわけないだろ、ペルシャ人の支配下でさえ
エジプト人の間でナショナリズムが高まって古代文化を復興しようなんて運動が起きなかったんだもん >>121
そうだ
単純にアラブ人の移住が相次いで
言語もアラブ人の人口が増えていったということだろう
それ以前の征服者たちは人口が土着エジプト人を超える事もなかったし
エジプト人を同化させるほどの人口もなかった。 アッシリアがイランを征服しなかったし、
セム族にとってイランが寒かったので、
イランはアラブ化しなかったのかもね。 イランはなんでトルコ化しなかったの?
1000年以上、王様がトルコ人だったり、中央アジアから騎馬兵団を呼んで来ては徴税官や内務軍に使っていて
今のイラン領の人口の三分の一もトルコ人だったりするのに。 >>126
イランはトルクメン、アゼルバイジャン、トルコに囲まれている。
周りはトルコ系国家。
つまり、アーリア系で100%近くまでのトルコ化はしなかった部分がイランと言える。 イラン人やインド人は正しい意味でのアーリア系でしょう 正しい意味でのアーリア系
正しい意味でのアーリア系
正しい意味でのアーリア系 まぁイラン人とアーリア人は発音が違うだけで同じ意味の言葉とも言えるけどねー
現実の日本語としてはちと意味ズレてるけどさー 印欧語族のうち、インド・イラン語派の祖語の話者をアーリア人と言うのは、今もって全く問題ない。
優生学者が「アーリア」を垢まみれにしてなければ、イラン人と北インド人をアーリア系と言うのも不自然じゃなかった。
一人相撲でポリティカリーコレクトを勝手に増やしてる西欧人に対し、イラン人は何の気兼ねもなく使う。 今のヒンドゥー教もそうなんだけれど、バラモン教では、各人というか、家系というか部族集団というか、或いは邑里国家ごとに、
信ずる神様が一つだけ決まっている。微視的には一神教。
この地区この一族は信じて頼る神様が一つで、隣の地区の別の一族はまた別の神様を一つだけ拝んでいる。その神様どうし
相互に関係性が神話に謳われていて、それぞれの信者の他の神様も認めている。そういうふうに巨視的には多神教だ。
で、かなり古い時代に、インドに行った一派と、イランに行った一派は、相互にかなり険悪な仲で、お互いの信ずる対象を
悪魔呼ばわりしている。信ずるべき神とはみなしていない。
特にインド圏の人は、バーラタの外は穢れた土地だ、とも言っている。
はたして、こういう関係のものが、ひとまとめにして呼ばれる呼称を持ったり、同祖同族だという概念を持っていたりするもの
だろうか。 アフラ/アスラ ⇔ ダエーワ/デーヴァ などに見られる関係ですな。
紀元前1500年ごろの古アーリア集団の中で、対立する部派で分かれて移住した結果、
そうなったというのが定説だよね。少なくともイラン研究者ではそういう見方をする人が多い。
言語が近似してるうえ神格(又は悪魔)を同じセット使っていて、ほかに解釈あるかね?
つーか・・・・スレチが長引いてきて心配になってきた。 まーアーリアで古代エジプトとなると第27王朝アケメネス朝支配ぐれえのもんかね
インド・ヨーロッパ語族ならばギリシャとはそれなりに縁ありますけど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています