古代エジプトの謎
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スフィンクス、ピラミッド、ツタンカーメン、オンム・セティ… 古代エジプトの謎を語ろう。 ピラミッド作る労力があるんだったら シナイ半島にベドウィンの侵入を防ぐための 城壁や砦を立てればよかったのに >>87 へえ。 前は表示できなかったのに、最近のOperaだと表示できるんだ。 >>87 最新のOperaインストールしたけど、表示できない。 なんか設定しないといけないの? >>88 ピラミッドは初期王朝の時に作られたから、さしたる敵もいなかったんじゃね? 距離も違うしね ナイル沿岸とシナイ半島じゃあ何かを造るにしてもコストが全然違うだろうし >>91 ×初期王朝時代 ○古王国時代 第4王朝は古王国時代だね、失礼。 中国で万里の長城が作られたのは、北方異民族(胡)が何度も侵攻して国の存続を脅かしたからだね。 最初のきっかけは占い師のお告げだったが。 第1王朝で上下エジプトが統一され、ピラミッドが作られた第4王朝まではさしたる外敵の侵略もなく、 王権が安定した時代で、大ピラミッドが作れた。 クフ王がシナイ半島へ遠征したのもトルコ石採取のためだったし… ベドウィンの侵入が現実的脅威ではなかったということだな。 >>90 あれそう? じゃあOSの問題かもね。 俺はLinuxだから。 >>94 「遠征」という言葉を使うほどには、洪水の外側は十分危険な蛮族地帯だったけで。 http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20110623-OYT1T00952.htm 「太陽の船」2隻目、吉村作治氏ら発掘開始 【カイロ=田尾茂樹】古代エジプト第4王朝(約4500年前)のクフ王の巨大ピラミッド脇に埋まる 世界最古級の大型木造船「太陽の船」の2隻目の発掘作業が23日、首都カイロ郊外ギザで始まった。 クフ王が死後も永遠に天空を旅するために造られたとされ、吉村作治・早大名誉教授率いる調査隊が発掘と復元を担う。 4〜5年後の完成を目指す。総事業費は約10億円。 作業は湿度などを調整できる大型テント内で行われ、この日は40個の石蓋のうち、最初の1個(約15トン)を撤去した。 吉村氏は「ようやくここまで来た。感無量」と話した。 第2の船は吉村氏らが1987年、レーダー調査で地中2〜3メートルの立て坑に納められているのを確認。 第1の船と同じ全長約43メートルになるとみられる。 第1の船は1954年に発見。十数年かけて復元され、ピラミッド横の博物館に展示されている。 (2011年6月23日20時54分 読売新聞) 万里の長城はもともとエジプトに造る予定で 逆にピラミッドは中国に造る予定だった。 って昔なんかのアニメで見た覚えがある。 ヌビア人は強いと言われているけど 何でエジプトに征服されてたんだろ >>98 逆のほうがメリットあるのか。ってアニメの話だしなぁ >>99 二十世紀半ばで数家族ぐらいしか使ってなかったから、多分もう死語になってる。 ラテン語みたいな扱いで残ってるとは思うが。 クレオパトラがフェラチオの名人だっていうのは 「ファラオ」と「フェラチオ」が似てるから説得力がある >>103 大王マンコカパックが大地の割れ目に金の杖を差し込んだところがクスコ アラブ民族は文字通りアラビア半島からの侵略者の子孫のことだろ。 アラブ人が移住したことと アラブ人のイスラム帝国のもとで 繁栄していったからだろうな アラブ化したのは アラブに征服される以前に ギリシャ・ローマの支配やキリスト教によるエジプト固有の多神教の廃滅で 独自の民族性を失っていたのかもしれない だからアラブに征服された時点でも高い文化を誇り、 イスラーム化されてもアラブ化はされなかったペルシャ人と違い エジプト人は一部を除きアラブ民族に飲み込まれてしまったのではなかろうか リビア人→ヌビア人→ペルシャ人→ギリシャ人→ラテン人→アラブ人 >>110 ギリシャ化もラテン化もしていない。 プトレマイオス王朝なんて、逆に、ファラオとして振舞ってエジプト化してしまっている。 ローマ時代もラテン化せず、まぁ、ギリシャ文字とキリスト教は受容しても、土着言語は保持して文字だけヒエログリフが衰退、 キリスト教にしても随分と教義も祭礼も土着化している。 シャンポリオンがロゼッタ石の解読を始めた時分にも、まだ、随分と独自言語を保持しているコプトが沢山いたというし。 >>112 言い方が悪かったですね、ごめんなさい ギリシャ人やローマ人になってしまったというより 異民族支配の下で、民族固有の言語や風俗は残っても 独自の高い文化や愛国心に裏づけされたアイデンティティというか 「自分達がエジプト人である意味」みたいなものを失ってしまったんじゃないかなーと まあ素人の想像に過ぎないんだけど 112は、むしろ異民族の支配下にあっても独自の文化/アイデンティティを維持していたという指摘だと思うけど。 「プトレマイオス朝エジプトに於けるヘレニズムとエジプティズム」ってサイトが詳しかったんだけど、無くなったみたいだ。 という訳で引用してるところをはりはり ttp://blog.goo.ne.jp/abc88abc/e/65eb155e622895a19778759752d513d7 >112が挙げてるのって 土着レベルで民族アイデンティティを維持できるほどの文化ってレベルじゃないような 特に宗教と文字が変わってしまったのは痛いと思う >>116 言葉も宗門も違う支配者が、力を頼みに、税と称して土地の産品を収奪していくんだから、 そりゃ、否応なしに意識するだろうに。 でもビザンツ帝国の支配化で エジプト人の間でナショナリズムが高まって古代文化を復興しようなんて運動が起きたという話も余り聞かない 古代では異民族の支配者はエジプト化するのが結構普通だったりするが ローマ以降はそういうこともなくなってく エジプト化させるアイデンティティがなくなってるというか コプトはキリスト教の中でも異質だけれど、エジプト化してああなったんではないの? イスラーム化直前の中世エジプトって宗教的にはコプト教だったの? >>118 あるわけないだろ、ペルシャ人の支配下でさえ エジプト人の間でナショナリズムが高まって古代文化を復興しようなんて運動が起きなかったんだもん >>121 そうだ 単純にアラブ人の移住が相次いで 言語もアラブ人の人口が増えていったということだろう それ以前の征服者たちは人口が土着エジプト人を超える事もなかったし エジプト人を同化させるほどの人口もなかった。 アッシリアがイランを征服しなかったし、 セム族にとってイランが寒かったので、 イランはアラブ化しなかったのかもね。 イランはなんでトルコ化しなかったの? 1000年以上、王様がトルコ人だったり、中央アジアから騎馬兵団を呼んで来ては徴税官や内務軍に使っていて 今のイラン領の人口の三分の一もトルコ人だったりするのに。 >>126 イランはトルクメン、アゼルバイジャン、トルコに囲まれている。 周りはトルコ系国家。 つまり、アーリア系で100%近くまでのトルコ化はしなかった部分がイランと言える。 イラン人やインド人は正しい意味でのアーリア系でしょう 正しい意味でのアーリア系 正しい意味でのアーリア系 正しい意味でのアーリア系 まぁイラン人とアーリア人は発音が違うだけで同じ意味の言葉とも言えるけどねー 現実の日本語としてはちと意味ズレてるけどさー 印欧語族のうち、インド・イラン語派の祖語の話者をアーリア人と言うのは、今もって全く問題ない。 優生学者が「アーリア」を垢まみれにしてなければ、イラン人と北インド人をアーリア系と言うのも不自然じゃなかった。 一人相撲でポリティカリーコレクトを勝手に増やしてる西欧人に対し、イラン人は何の気兼ねもなく使う。 今のヒンドゥー教もそうなんだけれど、バラモン教では、各人というか、家系というか部族集団というか、或いは邑里国家ごとに、 信ずる神様が一つだけ決まっている。微視的には一神教。 この地区この一族は信じて頼る神様が一つで、隣の地区の別の一族はまた別の神様を一つだけ拝んでいる。その神様どうし 相互に関係性が神話に謳われていて、それぞれの信者の他の神様も認めている。そういうふうに巨視的には多神教だ。 で、かなり古い時代に、インドに行った一派と、イランに行った一派は、相互にかなり険悪な仲で、お互いの信ずる対象を 悪魔呼ばわりしている。信ずるべき神とはみなしていない。 特にインド圏の人は、バーラタの外は穢れた土地だ、とも言っている。 はたして、こういう関係のものが、ひとまとめにして呼ばれる呼称を持ったり、同祖同族だという概念を持っていたりするもの だろうか。 アフラ/アスラ ⇔ ダエーワ/デーヴァ などに見られる関係ですな。 紀元前1500年ごろの古アーリア集団の中で、対立する部派で分かれて移住した結果、 そうなったというのが定説だよね。少なくともイラン研究者ではそういう見方をする人が多い。 言語が近似してるうえ神格(又は悪魔)を同じセット使っていて、ほかに解釈あるかね? つーか・・・・スレチが長引いてきて心配になってきた。 まーアーリアで古代エジプトとなると第27王朝アケメネス朝支配ぐれえのもんかね インド・ヨーロッパ語族ならばギリシャとはそれなりに縁ありますけど ほんまかいな・・・・って眉唾でみてるが、いちおう貼っとく。 「欧州男性の半数、ツタンカーメンと同じ遺伝子ルーツ」 ttp://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-22506620110803 ツタンカーメンの父系遺伝子(Y染色体遺伝子だろうな)はコーカサス由来ってのを仮に事実として、 考えられるのはヒクソス集団(基本セム系)の末端に印欧語系がいて、それがうまく現地民に溶け込み、 その子孫が第3代トトメス1世(第2代の娘婿)となり、以後第12代ツタンカーメンまで父系続く・・・てなシナリオか? 母系遺伝子なら、ミタンニ王族をいっぱい妃に迎えてるから簡単なんだが・・・。 遺伝子のルーツってさかのぼっていくとアフリカに達するんじゃなかったけ? >>142 ガセに乗せられた記事らしい。 118 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2011/09/04(日) 23:25:26.68 O 最近、ツタンカーメンと同じDNAをヨーロッパ人の半数が持ってるとかの記事があったが? 古代コーカソイドか、近一万年前後なのか数千年というレベルなのか? いずれにせよ、王家ほどの有力な血筋は古代から有力だと? 122 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2011/09/05(月) 03:02:10.55 0 エジプト人には100人に1人くらいの頻度 西ヨーロッパ人には2人に1人くらいの頻度 というような遺伝子をツタンカーメンが持っていた、ただそれだけだろ。 別に100人に1人の型をたまたま王様が持っていたって別段不思議ではないし。 123 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2011/09/05(月) 04:09:34.88 0 ttp://55096962.at.webry.info/201108/article_7.html ググったらこんな記事出て来ましたけど シュメールより、古代エジプトの方が古いんじゃないの? 何処もシュメールの方が古いって事になってるけど 聖書的にウルが古い事にしたいだけなんじゃないの? オカシクネ? >>147 考古学的にはシュメールの方が古いんじゃね? 今はシュメやエジプトより古い遺跡多く見つかってきたからな 発掘次第では、どっちが古いかは、微妙かも テル・アブ・フレイラ遺跡(メソポタミア北部)が中東一帯の最古の農耕遺跡で、1万1500年前。 長江域の仙人洞・呂桶環遺跡からは栽培陸稲が見つかっているが、1万4000年前ごろなんだと。 そんなことを言い出したら日本の縄文時代は1万6000年前からだ。 農耕と狩猟採集で区別してることに思い至りもしないのか? 縄文で焼畑農耕が行われたのは後期以降だから、ピラミッド建設が始まっちまってるよ。 土器に関しちゃ、世界的にもそこそこ早いほうだがな。 農耕に関してはそれに適した原種がないとどうにもならんしな >土器に関しちゃ、世界的にもそこそこ早いほうだがな。 早いと そこそこ早いと 並の代表例を二つ三つ挙げてくれ 基準がわからん 玉蟾岩洞窟 1.8万年前 ← 最も早い 大平山元I遺跡 1.6万年前 ← そこそこ早い 泉福寺洞穴 1.3万年前 ← そこそこ早い オウンジョウゴウ遺跡 1.1万年前 ← そこそこ早い サラット・ジャーミー・ヤヌ遺跡 0.9万年前 ← このへんから並 >玉蟾岩洞窟 1.8万年前 ← 最も早い 二万年前のがあるのだ!とか言い出しそうだが ようするに「そこそこ」という言葉の使い方が分からないヒトなのねw 玉蟾岩(ぎょくせんがん:ユイチャンイエン)遺跡は湖南(フーナン)省道(ダオ)県白石寒(バイシーハン)村にある洞穴遺跡で、加速器質量分析法による測定から紀元前14000年〜紀元前12000年のものとされている。 加速器質量分析法(AMS:Accelerator Mass Spectrometry)とは放射性炭素(14C)年代測定法の感度・精度を追求した発展系で、重イオン用半導体検出器を用いることによって14Cをほとんどバックグラウンドなしで測定できるため年代の推定を更に正確にするもの。 やれやれ、こういうネット上で勝ち誇るのを生きがいとする輩は、蛆虫のように沸いて出るな。 Boaretto E. et al.(2009): Radiocarbon dating of charcoal and bone collagen associated with early pottery at Yuchanyan Cave, Hunan Province, China http://www.pnas.org/content/106/24/9595 >We show that the age of the ancient pottery ranges between 18,300 and 15,430 cal BP. Charcoal >and bone collagen samples located above and below one of the fragments produced dates of around 18,000. やれやれ、こういうネット上で勝ち誇るのを生きがいとする輩は、蛆虫のように沸いて出てきりがないな 玉蟾岩洞窟 1.8万年前 ← 18000〜17000 大平山元I遺跡 1.6万年前 ← 16500 何故日本が切捨てなのかイミフ 会話にならない馬鹿 得意技は印象操作と数字の誤魔化し しまった「そこそこ」という日本語を正確に使えない馬鹿に反応しちまったな俺 反省 キレちゃう子が多いなあ。ネットだしフェイドアウトすれば済むのに・・・・ 意味の無いコピペで反論した気分に浸れて当人は満足なんだよ もっとも157が日本語をどこまで理解できているのか不明だが(苦笑 サラット・ジャーミー・ヤヌ遺跡 0.9万年前 ← このへんから並 ↑を基準にして、あてにならないC14で最古が1.8万〜1.7万年前と仮定して 16500年前が、かなり早いのか、そこそこ早いのかは日本語能力によるんじゃねぃ? 世界史板ってオリエント系のスレ少ないよね 看板の元ネタにもなってるのに >>168 古代史系のスレは、昔は5つくらいあったんだけど、 去年のノアの大洪水(サバ落ち)で全滅した。 あ薔荼悲畳紗織か あ薔荼悲畳紗織か あ薔荼悲畳紗織か 本当にh抜かねらや和末亜ぬやわー。呂な日ぬたに雪見様基地機だに言わん波やぬ針、和マヌやわ。 ?leはスク阿智眉夏阿智味ゃらっつぁsな玉置生君か巻きやす湯近間か幕マカ様話チアな湯な比喩てぬそな粉屋な。 巻き右間側沼かいまな体にゃ街化しは山に釜釜釜は可否ら味様様に間は酒屋あや位ユアや草や可否アラ玉さ並木間釜様方マサ隊ユアや穴藤間様に打ち返される。 樓魔寧文へ真帆斃瑜も聾薆を禰伊れ偉ぷ武万葉其方を砂魑ね地魏とぞ廻れ倭嶺、あ蘭魔廼擢と他部釜无劣不ぞ哈密き貯寸那致䄅く釜奴辺戸は善魔慈魔梨た魃厦亜に嘉羅汰鬼戦弥踏み縷魔荼父母夛め都莉鎖圖師苑て魘巍衛恵る木歩雨他琉偉な。 愛がなら浜な沙汰は姉ライや高谷伽耶。新たの白湯쀒נב효효효효효っら픂퐆푶픂풒픞표やな。でもちょっとトゥルリンゲていてもブワジュギ〜 ぬら彩奈棚しまさタサ裏や鮎なさやさならアラleは沙汰またさやな白湯'çaõ白湯穴や否熱美優沼アヤあり得な島さへありタラ荒尾や生は馬•嗎。 原油話庵は兄エア他沙汰し、はリオ無はアラ日は金原荒谷暢気久皮膚さ八幡は逢たは場に棚あり荒畑は差は間様かなあ谷田八幡的たえ。觧? また硬い粥ぬんん無鮎泡アマ泡川かを乾き、話なユダヤな罠間様やSIM絢爛たる鬨ッ=田畑腹たる多羅について舞まあ身釜か湯屋にかやかも又マカや何もかもハマスやな。 ピラミッド内部のレリーフやらヒエログリフ・・・ 自分はこれまで、完全に死者の為だけのものだと思ってきたから疑問にも思わなかったんだが、 いまさっきNHK教育で放映していたテーベの33号墓が、「実は図書館的な意味も持っていたようだ」 としていたので、大きな疑問を持った というのは、昔は今のような明るい照明器具はなかった「筈」な訳で、ならば松明や篝火だけで、 全体を照らして、高い天井付近のヒエログリフまでを読めるようにしていたという事になる それには、非常に多数の、大きな松明や篝火を必要とする訳で、それを並べたら、どの通路も部屋も、 かなり狭くなって動きづらくなるし、そもそも大量の酸素を消費し煙をだして、 あの地下空間の中で果たしてそんなこと可能だったんだろうか・・・? と、いうものなんだが、誰かそのあたりについて詳しい方いる? ピラミッドを作りながら壁画を描けば照明など必要ない 図書館的な意味ももっていたってのは、完成後もその壁画を読むことがあったってことでは? その番組、録画はしているがまだみていないから図書館的っていうのが分かんないけど 当時の常識が書いてあるだけで(パピルス等が失われた)後世へ残すためじゃねぃ その番組良作も多いけどここ数年はネタギレなのかトンデモ系も混じっているからなぁ… それより今度のクレオパトラがアンジーって・・・ まぁ観ちゃうけどさぁ もうクレオパトラなんていいよ。 ギリシア人もどきのマケドニア人が作ったプトレマイオス朝なんて古代エジプトじゃないよ ネフェルタリだせよ。 と言ってみるテスト。 そうだね。 有名人はもっといるのになんでいつもクレオパトラなんだろう。 電球の壁画レリーフがあるので電球光を利用した説、みたいな? 第30王朝のファラオ・ネクタネボ2世が、ペルシア軍に敗北して滅んでから、 20世紀にナセル大統領が登場するまで、エジプトには外国人支配者しかいなかった。 これ程の由緒正しき土地であるにもかかわらず、2000年もの間、外国人支配者しかいなかったことは何とも不思議なことだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる