しかし830年代になるとヴァイキングの侵寇はますます激しくなり、次第に内陸部の
奥深くまで侵入するようになる。
836年にはオニールの南部で多くのアイルランド人が殺され、また捕虜となった。
こうしてコノート全域が異教徒によって荒らされ、大きな被害を受けた。
翌年、120隻の船に分乗したヴァイキングの大集団がリフィー川とボイン川を
遡航して内陸部に入り込み、リフィー渓谷やブレーガ平野を守っていた砦を
次々に攻め落とし、教会や農場を片っ端から荒らしまわった。