出身/行方が分からない歴史上の人物
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どこから来たのか・どこへ行ったのか分からない人物について推測を交えて語りましょう。 >>93
あの国の文弱・軍事蔑視・腐敗以外の悪徳は大体遊牧民由来だからむしろ史実より大変なことになりそうだな。
天の思想や、「兄の国、弟の国」(一番最初に言い出したのは匈奴)といった中華思想の発想自体がモロ遊牧関連。 >>104 それ鳥類・哺乳類だとほんとうに厄介な疑問だよな。まさか一卵性双生児で性別が違って生まれるってことはないだろうから、
先祖種とのいわゆる戻し交配を一回はやってるのか、
なぜか同じ部位の遺伝子が変化して生まれた別の個体がたまたまいたのか(ある意味多地域進化説のごく小さい版)
植物なら自家受粉で片付けてもよさそうなんだけど 最初は神が完全な人間を作って努力を怠ったヤツが退化したことくらい知らないの? 出身/行方がわからないっていうか、正体に疑惑があるのがシェイクスピア。生年、没年、出身地、親もわかってる通説の人物と作品を書いたのは別人だという説と政治絡みの陰謀論がしつこくあって、今度映画にまでなってしまった。
個人的には、別人説は全然信じてないけど。別人作者の候補は何人もいるのに、映画の主人公は一番あり得なさそうなバカだし。 日本人が写楽の正体探しを楽しむように英米人はシェークスピアの正体探しを楽しんでるんだろうな。
正直どちらも正解はどうでもいいのかも。 ヴォー・グエン・ザップ。ベトナム戦争の英雄のはずが20年前に党籍剥奪されてから消息不明。
生きてれば100歳だが・・生きているとも死んだともニュースはない。
張学良が100歳、ヘスが93歳まで生きてたから意外と生きてるかも・・
写楽も江戸時代の複数の史料に阿波の能役者だと書いてあったのに、あれだの
これだのと諸説が立てられましたね。
現在では過去帳も発見されており、能役者説が有力な様ですが。
某推理作家の御大の小説では、オランダ商館員とされていましたが、あれは洋
画とは異なる、東洋画の線描の技術で描かれた作品です。
ノウハウがまるで違うので、清人や朝鮮人には描けても、オランダ人には無理。
勿論、行動範囲や滞在期間を考えれば、朝鮮人も有り得ませんが。
写楽ではありませんが、北斎朝鮮人説というものが、韓国から出た事があった
そうなので、一応申し上げておきます。 >>93
張献忠はポエマーだよな
七殺詩おいときますね。
生万物以養人
人無一物以報天
殺殺殺殺殺殺殺 >>113
たまに記念式典によく顔出したり、政府批判したりするのがニュースになるぞ?
最近は陸軍病院に入院してるけど >>117
まだ生きてるんだ。サンクス。
詳しいね。ベトナム在住の人? >>118
いや、海外ニュースのサイトで見かける
今年は韓国の新聞がインタビュー載せてた
ボー・グエン・ザップが消息不明って釣りかよw
孫がドラえもんにハマって、自分にかまってくれないってインタビューでこぼしてたのはかなり有名だと思うが >>119
100歳だから死んでるものと勘違いしてた。
ソフトバンクの孫がドラえもんにはまってる?って読んじまった。
100歳なら曾孫くらいか。 >>115
史書に墓のことも含めておおよその事跡がありますし、実在はしたでしょう。
事跡不明瞭といえば、師升の方が年代的には早くて一応疑う理由もないとい
うのに、卑弥呼が日本史上最初の「人物」であるかの様な扱いを受けている
のは、不憫。
一行で終わる様な内容ですので、無理もないですが。 >>121
それプラス男で有るって事が面白みに欠けてるってのも有るだろう
卑弥呼はなんと言っても女王って言う(実際はともかくも)そう言うある種のロマンチシズムが有るからな 行方がわからないというよりも
死後ミステリーなったのは
エバ・ペロンだな
何で死体があそこまで流転したのだろう
スターリンの死体だってどうなったのかちょっとわからないところがあるだろう
一説には、どこか秘密の隠し部屋に隠してあるとかいわれていた時期が
あっただろう
ベリア、処刑されたのは間違いないにしても、いつ殺されたか
どんな死に方をしたかちょっとわからないところがあるだろう >>120 ちなみにあと12日で100歳
そういえば世界史板の長寿の人物ってスレがなくなったな >>121
宋の皇帝、趙匡義。宋ったって、倭の五王の宋ではなくて、五代十国を平らげて、西夏やら遼やらと対抗していた、統一王朝の宋な。
隋に盛んに使節を出していた倭が、盛唐期に対外的に国号を日本としていること、その後も連続した王朝が続いていることを知らなかった。
夜盗あがりの明や漢とは違って、宋王朝の趙家はは長く続く有力家系の出で、且つ、禅譲を受けての王朝。趙匡義は故事に通じ文治策を
進めたことでも有名。
そういう教養人が、商船の盛んに往来していたところの国情に全く疎かったわけだよ。官的な交流は無かったにせよ、その百年前まで
遣唐使が来ていた。にもかかわらず、隋以前に使節を遣した「倭」と、唐に使節を遣していた「日本」と、今(10世紀末の宋)の東の海にある
「日本」が、連続した王朝の連続した政権に配下にあるとは知らなかった。
オマケに、日本国には、犀や象がウヨウヨ居る、とまで思い込んでいた。
双方安定期の政権のときに支那の皇帝の認識がこういう有様なのに、分裂戦乱時代の一地方政権の魏の政権が、原始時代からチョロっ毛の
生えたような時代の日本にのことを、正確に把握しえるのか?
>>125
詭弁のガイドラインにあったな。
特殊な例を持ち出して一般的であるかのように主張する。
アホ皇帝の知識と歴史家が書く史書の信憑性に何の関係が? >>126
ちょっとスレ違いだが
明史倭人伝でも、に本に対することはかなりトンデモを書いているぞww
あの時代は、倭寇はやってくるわ、朝鮮征伐でたくさんの日本人
捕虜を捕まえるわで日本の知識は豊富にあるはずなのにだ
ああいった史書は、皇帝の業績だけを書くためにあるのだから、
日本のことなんか適当でいい、ただ皇帝に朝貢に来たことだけを
載せたらいいとの感覚で書いたのだろうww
>>125そういや、この皇帝も殺されたのか病気なのかわからない
ところがあったのではないかな
>>113>>117
去年だったかニュースで見た。
ハノイの街に出たところをアメリカ人観光客にキャーキャー騒がれて囲まれていた。 >>125
時代も事例も別の話を持ち出してきて言ったところで、反証になりません。
それでも一応申し上げておくと。
>日本国には、犀や象がウヨウヨ居る、とまで思い込んでいた。
発言者は「然でしょう。家畜の面でも羊などが飼われていると言っており、
何故そんな事を言った(厳密には筆談した)のか分かりませんが。
あるいは、日本を大国であると意識させたかったかものか。
「然はこの時、日本の年代記を献じています。
『宋史』には、歴代天皇と諸道について長い引用がありますが、それまでの
中国の史書には見られなかった記述です。
つまり、新出の知識であって、知らなかったことは無理もない。
私は、中国側の事情というよりも、日本国内における書籍というものが、正
史以外でもある程度充実してきたからこそ起きえた現象だと思います。
「然と当時の文人貴族、就中慶滋保胤は『作文大体』や『本朝文粋』に親交
が見える仲で、保胤以降、中国の書籍の日本版が執筆される例が増え、概要
を掴みやすい書籍が次々と生まれている。
そうした、アンチョコ本の様なものが日本で生まれる様になるまで、中国側
では細かい事情まで知るに及ばなかったのでしょう。
『日本書紀』の題名が海外を意識したものであることは有名ですが、宋代よ
り前に中国に伝わってはいない様です。 扇や刀に対する評価といい、この頃ようやく日本の文化が中国に対してある
程度評価され、注目されるレベルに達していたと思います。
『源氏物語』も含めた「国風文化」も、中国文化の消化が生んだもの。
それだけに、近年中国の影響を離れたという意味での「国風」という名称は
カッコつきで扱われていますね。
しかし、日本自体は太宗自身が言っている様に、あくまで「島夷」です。
太宗が意識していた「古之道」というものは、所詮中国で成立した古籍に習
うべきものであって、日本については「教養」と見なされなかったのでは。
実際に、「然が国内にありとしているのは、儒典・仏典・白氏であって、中
国側に伝えるべきものとして、国産の書籍が挙がっておりません。
また、献上品として特に解説があるのは、中国で散逸していた『鄭氏孝経』と
『孝経新義』です。
知るべき価値ありと認めていたのは、島夷の情報より、本来その辺りでしょう。 また、過去の出来事については伝聞となりますが、『魏志』に関して言えば、
直接使者が行ってきた見聞を記したものです。
発掘結果と多少の食い違いはありますが、まだ理解出来る範囲内。
こんな「別の話」を持ち出すのも恐縮ですが、『海東諸国紀』では、日本の
歴代天皇や地理について、概説を記している。
要するに、それまでほとんど知る機会がなかったのでしょう。
『日東壮遊歌』でも、過去の天皇について、事跡と名称に錯綜がある。
過去の情報について、詳しく知る手段が限られた時代であったという、現代
との環境の違いを考えてみないといけません。
『明史』の秀吉ほかの扱いはいい加減ですが、直接行って来た人が書いた本
である『看羊録』でも、どっこいどっこいですからね。
しかし、卑弥呼とその国については、後継者の台与に魏の使節が激を伝えて
いますし、戦争→「鎖国」に至った時代の日本の情勢よりも、よりよく見る
ことが出来たと考えます。
かたや使節としての朝貢国倭国の見聞、かたや捕虜や居住・移動を限られた
人々からの伝聞ですから。 >>129
或る程度、往来の盛んになっている時期ですら、この程度の知識、この程度の関心しかないものが、
往来の困難な自分の状況を把握しえるのか?
新出の知識、というところがそもそもおかしいだろ。 >>132
>往来の困難な自分の状況を把握しえるのか?
移動行程が、実際おかしいでしょう。
西域と距離を合わせたためだとも言いますが。
しかし、現地に行って見たことをおかしいと判断する必要はない。
更に、人物の実在や葬送の状態まで疑う必要もないでしょう。
>新出の知識、というところがそもそもおかしいだろ。
何がですか。過去の歴史を通して見た訳でなければ、無理もないでしょう。
隋の使いも、推古天皇を実見していなかった様ですし。
隋代以降は日本側がいささか夜郎自大的な態度を見せたこともあり、中国側
もつかみにくい点があった様に見えます。
それだけ、国として発展していたということですが。
隋に対して天子を名乗ったり(日没する処、致すという表現などが問題とな
ったとも)、自国を倭皇としたり。 >>113
ヴォー・グエン・ザップは党の全ての役職を剥奪されたのは確からしいが
共産党から除籍されたという話は発見できなかったが。
アレクサンドル一世にも死んだのは別人で
シベリアかどこかの修道院に入ったとの説があるだろう? やたら宮廷社会に詳しい世捨て人がいて
その人が実はアレクサンドル1世じゃないか、って話ですな。
パーヴェル1世の庶子、つまり皇帝の兄弟だった人じゃないか
って説もあるね。
アレクサンドル1世は意志薄弱な偽善者という印象がある。
自由主義を信奉するようでいて農奴制はそのままだったし
屯田兵制度で農民を塗炭の苦しみに陥れた。
皇后も貞淑なふりして間男と密通する淫乱だった。 明の崇禎帝の皇太子。
李自成軍に捕らわれて後行方不明。
処刑はされていないようだ。 >>133
何が、って、為政者が、近隣国について関心も持たず知識も無い、というところがおかしいだろ。
しかも皇帝としては二代目だよ。
遠方の今まで見も知らず聞きも知らずというようなところでもない、前の統一王朝の頃にはそれなりに官約の交流のあったところに
新出もなんもないだろ。唐の頃に、対外的な国号を倭から日本に改めているのに、それすら知らんとかいうのが。 ナポレオンってどうやって亡くなったのでしょうか?(・・) >>139
最後の遣唐使から150年たってるし、軍事的脅威も無けりゃそんなもんじゃない。
戦争中に海軍の司令長官が行方不明になってしまう世界史に類を見ない椿事
「海軍乙事件」
信憑性は低いけど、古賀峯一大将が実は生きていたって話は時々出るよね
>>138
本人のものとされる心臓をDNA鑑定にかけたら、本人のものと判断された様ですね。
ニコライ2世一家といい、ボルマンといい、つまらないと言えば、つまらない。
>>139
>対外的な国号を倭から日本に改めているのに、それすら知らんとかいうのが。
そこは、太宗個人の言葉ではありませんが。『旧唐書』の記述を踏まえたもの。
原文にも、9世紀以降の伝を失ったとある様な混乱ぶりで、致し方ない。
それに、話は戻りますが、それとこれとは別です。
宋の太宗が日本について知る所は、史書によればここからここまでであった。
これは、史書から実際に読み取れることです。
『明史』に見える、日本の記録がいい加減である。
これも、日本の記録から判断される事実です。
しかし、『魏志』の倭人に関する記述は厳存しているのであり、いくら宋や
清の例を引いたところで、否定する根拠にはなりえません。 >>143
いやさ。
だからさ。
直接攻め込まれたりする心配ないから、日本への大陸からの関心なんてそんなものなのよ。
魏志倭人伝の卑弥呼にしても、漢書に出てくる大秦国の安敦にしても、どこまで把握していたか。 エジプト女王クレオパトラーの弟で夫のプトレマイオス13世。
ナイル河で溺死して行方不明。
今まで登場して居ぬところから察するに、お前らは『西洋古典学事典』も購入していぬようだナ
貧乏人どもは実に哀れなものだ! >>145
どういう生まれで、どこでどんなふうに死んだか、ちゃんと判ってんじゃん。 >>145
そんなに西洋古典学事典を薦めるなら貴殿が自腹で希望者分を購入して無償配布してくれ 溺死は、死んだ筈だが、死体が無いんで「行方不明」になるね
フリードリヒバルバロッサもハルツ山地で今もドイチュライヒを見守っているのだ! 遺体が見つからなかったのならコンスタンティノス11世パライオロゴスも >>149
こういった最後は胸が熱くなるなぁ
新撰組の土方歳三と同じで >>150
貴様には硫黄島戦を勧める。
栗林中将とバロン西。逆に身バレしてルーズベルトニ与フル書を残した市丸少将。 >>150
小芝長之助と安富才助とが戦死を確認しているだろ。 >>149
私の胸に剣を突き刺してくれるキリスト教徒は一人もいないのかって最期の言葉がカッコいいな。
誰が聞いたんや〜ってツッコミは無しで。 ロシアの偽ドミトリー一世の話も面白いな
一応モスクワを占領したからな
それに、偽者の偽者まで出てくるのだからなww >>154
自分から「偽のドミトリーだ」と言ってたの? ロマノフ朝成立までの混乱とgdgdは面白いな
偽ドミトリー1世、偽ドミトリー2世の
1世、2世が、一人目二人目の意味だと分かったときはどこの小説かと思ったよ なんと、ここまでドイツ語圏で「謎の人物」の代名詞である
カスパー・ハウザーなし フランスの有名な山師
サン・ジェルマン伯爵とカリオストロ伯爵には
いずれも出自があやふやで死後にも生存説がある カスパー・ハウザーなんてただの池沼ホームレスだろ。 エジプト・マムルーク朝の初代皇帝も出自不明
てか、もともとハーレムの女奴隷だし ジンギスカン。日本にわたり源頼朝になったとの説があるが
真相は不明である。 最初の人間はどうやって猿から進化したか。
さらにいうと最初の生命は・・宇宙の始まりと終わりは・・ エコール・ド・パリの画家モーリス・ユトリロ
母親は画家のシュザンヌ・ヴァラドンだが、父親が誰か今でも不明
科学者アインシュタインの最初の子供、長女リーゼル
生後、里子に出され、その後は消息不明 >>164
アインシュタインほどの超有名人の子孫でも不明者がいるのがすごい。 石川ゴエモンが逃げてヌルハチになったかもしれないって漫画なら最近あったな。 星野泰視先生の『風と雷』ですね。
五右衛門も、江戸時代に「絶景かな」などの名台詞や辞世の句、名場面など
で有名になったものの、同時代人のスペイン人の記録によって実在が確認さ
れたという人物で、諸説紛々です。
そういえば、江戸時代には清王朝の遠祖が義経であるという説が出ていました。 五右衛門出してよければ山本勘助出しますがな。
記録に出て来て実在確認されたのは昭和になってからで
しかも使者としての登場だから生没年も史実としては未確定。
通説では第四回川中島の戦いで戦死。
出生地は諸説あって定まらず。
デッドライオン・・・
という冗談はやめておいて、切り裂きジャック事件の最後の被害者とされるメアリー・ジェーン・ケリーも出自不明ですね。
本人の言説による出自はでたらめだったと証明されたそうですが、実際には孤児院あたりの捨て子だったのでしょうか。
写真も当然無く、遺体すら当人だったかも不明。
そのあたりの不確実さが後世の諸説(皇族がどうのとか真犯人はメアリーだったとか)を生んだ気がします。
>>169
それでは、百地丹波と藤林長門と佐田彦四郎を(ry
あれは、使者に「山本菅助」がいたというだけの史料ですからね。
同音異字が珍しくない時代ですが、普通なら単なる同名で済ませる所です。
発音だけなら同名の人物が、当時何人いたことやら。
モデルになった可能性あり。これ以上もこれ以下も言えなさそうです。
しかし、それもまた面白し。
>>170
一人だけ若いですしね。娼婦の経歴詐称は、時代と地域を問わずいつもの事
でしょうが、事件がその内の一つの記憶を半永久的なものにしてしまった。 チンギスハーンも病死とか暗殺とか落馬による事故死とか死因がはっきりしていない >>18
> ここまで辻政信の名前なし
> 20世紀で謎の失踪を遂げた人物と言えば真っ先に出てきそうなものだが。
ラオス王国最後の国王サワンワッタナーも、病死と発表されたが、どうなったかの真相は不明。
墓も無い。 >>173
弥助ってのもかなり謎めいた黒い人物だよな。 >>23
遅レスでスマンが、
カニシカ王に関して言えば、近年発見されたバクトリア語の碑文から、
クシャーン王朝の代々の王の血統であり、父は前王ヴィマ・カドフィセスであったことが知られている。 >>177
確かにそうだね。クシャーナ朝における王朝交代説は最近になって、
否定されてるんだった。古代インドだとチャンドラグプタとかのほうが、
出身が不明な人物として有名かな。ヴァルナも良く分かってないしね。 弥助の正体は小林克也・・・・と言っても知っている人はもういないだろうな >>179
困った時のウィキペ先生に頼ったら「おしゃべり人物伝」て番組だったのか完全に忘れてた。
それにしても「へうげもの」の弥助はぶっ飛んでたな。 >>167
油でかまゆで
油はヌルヌル
ヌルヌルでヌルハチ
ということか >>168
>江戸時代には清王朝の遠祖が義経であるという説が出ていました。
それってモンゴルの始祖、チンギスハーンでは?
寧ろ清の祖先(金)を滅ぼしちゃった方では?
>>179
>おしゃべり人物伝
超懐かしすぎるんだがw
竹中直人が源義経の回に演じてたね。 >>184
>それってモンゴルの始祖、チンギスハーンでは?
そんな当たり前のことなら、わざわざ書いておりません。
確かに、シーボルトが来日した時代にはあった様ですが。
随筆『甲子夜話』や、贋作者として有名な沢田源内が偽作した書にも出て来る説です。 ヌルハチ自体の出自がよくわかってないからな。
だから後世の日本の漫画界でゴエモンがヌルハチかは定かではないとか、抜かずヌルハチとか書かれちゃう。
完顔阿骨打って名前のエロ漫画家もいたな。 しかし、五右衛門が処刑される頃(1594年)には、とっくに満洲の主を
名乗って勢力を拡大していましたからね。 秀吉の朝鮮出兵のとき、明の和平使節として送られてきた沈惟敬は、
やる事も怪しげだが、その出自も不透明で山師っぽく面白い。 >>186
となるとWikipedia辺りに出てるヌルハチの生年月日は
眉唾と思っていいのかな?
月日はともかく生年は間違いなかろうと思ってたが
出自不明なのに生年だけは正確って考えにくいんだけど。
親がそこだけ正確に覚えてたとも限らんし。
ウィキペディアの記述が何を元にしてるかわからんが。
当時でも自分の年と誕生日を知らない人間の方が珍しいだろう。
清朝成立後でもドルゴンとかヌルハチの子供らに聞けばわかるだろうし。
wikiに頼ってる奴は自分の知識の無さを認めている奴。
よく覚えておけ。 >>184
先に清祖義経説があったの
元祖義経説はその焼き直し
焼き直しの方がメジャーになったというだけ 民族単位だと出自も行方もわからんのは多いよな
ヒッタイトはアーリア系語族じゃなかったことがわかったし
扶余もわからん
高句麗だって民族構成が未だに不明、扶余説から女真説まで 今のコリアンもそうだな。
李朝の四代目の作った諺文の見本には今の朝鮮語に似たような語呂の単語がいっぱいあるから、李朝の早い時期には
そういうのが主流になってきたんだろう。
でも、高麗の単語は残ってないし、人名は唐名とモンゴル名で固有語っぽいものも無い。
その前の新羅や三韓の人名や伝わった事物についての単語は、およそ今の朝鮮語とは結びつかないし。 >>194
扶余系はアルタイ系らしいとはかなり言われてるけどツングースではないそうだ
ではトルコかモンゴルかと言うとそれとも違うと
それで海外主に欧州系の学者は第4のアルタイ諸語って言う扱いで探ってるらしい
しかし余りにも不明確な部分も多いし未だ確固たる定説は無い様だ
高句麗に関しては王族っつうか支配層は扶余系って説が強い
被支配層がそれだけどの民族が居たのかに関してはこれも諸説紛糾して不明確
高句麗は後に上層部の連中が渤海を立てたりしてたけど
これなんか扶余とツングースの連合体って説が結構有る
何れにせよ高句麗と現在朝鮮とは直接的な繋がりはほぼ無いはず >>196 何せ「村」が白村江にあるように「スキ」だったようだし。今は「マウル」か 高句麗どころか新羅や百済の文化も全然残ってないでしょ今の半島には
辛うじて高麗文化の痕跡があるって程度 エベンキと同系統でしょ。
トーテムポールとか鳥のヤツとかそのまんまでしょ。 ロシア人やウクライナ人、ポーランド人も出自はゴチャゴチャだな ん?
モンゴルの被征服地つながりか?
polskaは別か。 テオティワカンやナスカやインダス文明並みに担い手の民族系統がよくわからないんだな
高句麗や新羅や百済って
まだ契丹や西夏のほうがあたりがついてる
唐を建国した李氏も史書では老子の子孫だとかになっているが
武川鎮軍閥の来歴といい、血縁関係といい、どうみても漢族ではなく
鮮卑族だろjkて説がある。
李氏朝鮮を建国した太祖李成桂は朝鮮族ではなくて女真族だとか
書くと2ちゃんがまた鯖落ちするのかな?
岡田宮脇研究室
論証:李氏朝鮮の太祖李成桂は女直人(女真人)出身である
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