「犯された女の子供たち」
メキシコ麻薬カルテルが残虐な理由
藤原章生 (毎日新聞記者)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/5963

アイデンティティーに隠された「しみ」

 なぜ、そうなのか。それは、メキシコ人は、ぼんやりとでも、自分の中に消しがたい「しみ」を隠しているからだ。
自分自身を全面的に肯定できない傷、暗さを抱えている。

 それは、大多数の先住民が少数のスペイン人に犯され、隷属させられ「メキシコ人」を名乗らざるを得なかった運命
から来ている。自分たちのアイデンティティーは「犯された女の子供たち」であり、恨む相手も敵も自分たちの中にいる。
だから、楽天的にあっけらかんとは自己肯定できないーーというのがパスの説だ。

 同じ中南米でも、メキシコは先住民の犯され方が実に広く深かった。そんな歴史を背負い、生を無邪気に肯定できない
からこそ、死を軽んじるというのだが……。

 これは1950年にパスが欧州で母国を思い書き記したエッセーであり、彼が見るメキシコ人の象徴的な特徴である。

 それが、ここ数年のカルテルの死者の扱いに合致するかどうか。カルテルのやり方は、パスの言う「死を茶かし、
かわいがり」「大好きな玩具」というよりももっと陰惨で、単に死者を馬鹿にしているだけで、残酷さを誇示している
ようにしか思えない。パスの洞察は、カルテルには通じないのかもしれない。