【コテカから】衣服・装身具の歴史【モードまで】
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フードをかぶった旧石器時代のビーナス像から、現代の
ファッション百花繚乱に至るまで幅広く語りましょう。
個人的にはヨーロッパでストライプ柄がアウトローの象徴として
扱われていたルーツに興味があって。囚人服・道化・異教徒…一体どこから? ギリシャ・ローマって建築とか土木には凝ってたくせに、
服飾とかには無頓着だったんだな。 古代ギリシャよりローマの方が布が大きい。
ローマでも身分が高くなるほど布地のが大きくなる。
裁断したり、縛ったりすると、布地が小さく見えてしまうので、
裁断したり、縛ったりすることが発展しない。 >>9
今更だけどアラブ系以外に白人東洋人黒人と人種揃ってるのがすごい 古代ローマとか、元老院専用のトガとか喪服用のトガとかいろいろあるんだけど。 「アサクリ2」をやっていて思ったんだけど、
ベレー帽=画家のイメージっていつ頃生まれたんだろう。 フェルメールの自画像で、ベレー帽もどきをかぶっているような カザフスタン政府がレースの下着に禁止令。
自由を訴える女性たち、パンティを手にデモ。
http://japan.techinsight.jp/2014/02/yokote2014021809560.html
カザフスタン共和国の最大の都市アルマトイで今、女性たちが「どんな
パンティを穿こうと私たちの勝手よ!」とのデモを繰り広げている。
国がレースの下着の製造や輸入を禁じようとしているためだ。 普通に考えて、工場や商店が取り扱わないだけで、
すでに所有しているレースの下着は事実上不問だろ。
日本のロリ規制と同じ。 楽天市場の広告にボディコンが載り始めてしばらく経つが、これ、昔の悲劇は解決してるのかね。
急いで歩くと脇の縫い糸が切れてスカートがざっくり割れたり、
椅子に座るとどう位置を変えても中身がモロ見えだったり、
腰を曲げる際にスカートがまくれ上がってパンツ丸出しになったり、
パンツの線がくっきり出たり、などなどw >>88
アラブの野外で身体を露出なんかしてたら死ぬぞ ディズニー映画のアラジンでヒロインがヘソ出し衣装なのは、自殺願望の表れ? 千夜一夜物語はアラブだけが舞台だと思ったら大間違い
アラジンは中国人
アリババはペルシア人
シンドバッドはインド人 質問です。
元代の肖像画ではモンゴル人は着物風の(襟を斜めに打ち合わせる)形式の衣服を着ているのに
(チンギスやフビライの有名な絵がそうですよね)、
近代あたりになると、現在朝青龍らが着ているデール(旗袍に似たあれね)一色になってしまう。
いったいいつごろから入れ替わったのでしょうか。そういや明代のモンゴル人の姿を描いた絵って見かけないですよね。
清代に満州族の服制に従ったため…とか? うおお、絵入りの詳しいお答えありがとうございます。 壮観だ… まー、あくまで参考程度にね
色が綺麗なのとタッチが全部似てるってことで、近代になってから書かれたもんかもしれんしね
そうなると、時代考証がどこまでしっかりできてるか分からんし 北海道アイヌの衣装が着物風なのは太古からああなんだろうか?
それとも途中から和人の影響か、あるいは>119みたいな遊牧民の服がアムール経由で広まったのか、それともその他?
女性の肌着のモウルはもともと前を縫い塞いでいたそうだけど。 蝦夷錦は沿海州の民族との交易でアイヌにまで流れてきたチャイナ産衣服ということを考えれば、
チャイニーズ・デザインが及んでいるのかもしれんし、あるいは和装の影響なのかもしれん 古代ギリシア人は、
鍛え上げられた肉体に優る美しいものはない
という真理を悟っていた。 だからオリンピアではフルチンなんだな。
日ごろ鍛えてきた肉体美を神々にいわば照覧いただくという感じか。
相撲のふんどし姿が見苦しいと言う欧米人に説明するにはギリシャのオリンピアを
引き合いに出すとすんなり理解してもらえそうかも。 相撲取りの肉体は美しいと認識されていたのかな?
今はともかく、江戸時代以前。 ギリシャとかローマは服飾面が半裸なので、あんまり文明国っぽくないんだよなあ。
同時期の中国の方が、まともな服装だし。 「勝利の女神ニケの名に賭けて卑怯なプレイはしない」との意思表明のため
文字通り「包み隠すことは何ひとつない」をそのまま実行したのかもね。
相撲のふんどしの件もこっちのほうが通りやすいかも。 ムスリムって、頭にターバンって布をまいているだけで、あまり文明国っぽくないんだよな。
帽子の方がまともだし。 そうか?
充分に文明的な服装に見えるが?
http://www.pu3.fiberbit.net/topkapi/turkey/mef-473.jpg
そういうことだとむしろ半裸が当然だった古代のエジプトやギリシアのほうが文明っぽく見えない イスラム教徒の男性が着る白い民族衣装 高級品は日本製、高値でも人気
http://www.j-cast.com/2014/12/08221797.html
アラブのイスラム教徒の男性たちが日々身に着ける白い民族衣装。
この民族衣装の素材として今、最も人気なのが日本メーカー製の生地だ。
フォーマル用や富裕層に好まれる高級品市場では「ほぼ100%が日本製」という。
長く「斜陽産業」と呼ばれてきた日本の繊維業界だが、海の向こうの新たな市場で花を咲かせている。 人気があるの化学繊維なんだよな、そのへんの趣向の違いが面白い
酷暑だから機能性重視ってことなのかな アラブの白い服は日本製なのになぜ日本では売らないのか
意地悪してるのか?
酷暑のアラブの服なんだから涼しいんだろうなあ ユザワヤとかで布地は売ってるだろ。
TV番組では布地が店に並んでいたので、オーダーメイドじゃないの?
そもそも軽工業などまともな産業がないし。 >>135
アラブは酷暑だが乾燥しているので、通気性が良ければそこそこ汗の蒸発熱で涼しくなる。
日本の気温・湿度両方高い暑さとは性質が違う。 >>131
文明的じゃないよね。縫製技術も低いんだろうね。 服もあんまり発展していないし
最も衰退しているから仕方ないけど ベリーダンス衣装を生み出したのは人類史上に残る偉大な功績 イスラム国の兵士の黒ずくめ軍装は機能的なのだろうか?
それとも戒律に忠実であろうと実は結構無理&我慢してるのだろうか。 合理的とは思えないな
クソ暑いアラブで黒い格好してたらますます暑い
暑すぎて体力は消耗するわ意識朦朧とするわで
あんな格好じゃまともに戦えそうにない でもダボダボの、しかも長いワンピースだよな。戦闘員なのに。
見ていて動きづらそうだが。 ムスリムの伝統の服を着ていれば、敵の銃弾も貫通しないに違いない。
ムスリムの伝統に反する服は不可能。 イスラムを象徴する色といえば緑だぞ。
イスラム圏の国旗も緑が多用されてる。 白人たちは豚の革で足の大きさ丁度に作った小さな舟に足をそれぞれ一日中入れている
風も日光も当らない白人の足は腐りかけていてとても臭い 風俗博物館・日本服飾史資料
http://www.iz2.or.jp/fukushoku/f_disp.php?page_no=0000001
ここのサイトを追ってゆくと、推古・飛鳥時代〜奈良時代は明らかに
古代中国風衣装なのだが、平安時代はどこからが日本式なのだろう?
説明を読んでもよくわからん >>154
推古までは、共衿じゃないという点で基本のコードが違う気がした
袖などはすっかり漢服風だが、胸紐を結ぶところはちょい遅くまで残ったんだなぁと思った 武装といえばアルマジロ
こいつに向かって発砲したら弾丸が跳ね返って大怪我、という話を最近どこかで読んだ。
ホントかウソかわからんが。 平安時代初期の頃の風俗がよくわかってないせいもあって
奈良時代の唐服から突然平安後期の和服にワープしてしまう印象になる。
実際にはある日突然どこからともなく和服が湧いてきたわけではなく
唐服が少しづつ和風化していったはずなんだが >>157
自分もそこ気になる。
日本の服飾として大きな転換期のはずだけど、
あまり研究されてないのか、調べてもあまり資料でてこないんだよね。
小野小町とかは、まだ唐服なんだっけ。
一般のイメージとしては十二単だけど。 詳しい方にちょっと質問。
清代にチョッキ状の「一字襟」ってありますよね。
襟が左右どちらにも開く構造の上衣のアレなんですが、中国のみならず
世界の衣類の中でも風変りな構造と思うのですが、どういう起源なんでしょうか。
ひょっとして甲冑がルーツとか?
着用する性別・年齢層・身分等だけでも分かれば推測できそうなのですが・・・ >>158
正倉院のおかげもあって、奈良朝の方がまだ分かるというか推測出来るレベルですから。
平安前期は神像からある程度推測されているものの、奈良朝より分かりにくい。
京都の時代祭に登場する小野小町(9世紀中頃)。元々女房装束(十二単)であったが、考証の結果変更された。
ttp://shgeking.up.n.seesaa.net/shgeking/image/BBFEC2E5BAD7A4EA200933.JPG?d=a869577
9世紀末頃の女神像+僧形像(後世にいう八幡三所)
ttp://livedoor.blogimg.jp/tomooji/imgs/1/9/19b717f2.jpg
男子の服装も10世紀、11世紀、12世紀でかなり異なりますね。
挿絵が有名な『紫式部日記絵巻』は鎌倉時代の作なので、1000年頃を描く史料とするには注意が必要。 >>160
時代祭の小野小町、初めて見ました。ありがとう。
資料が少ないのがなんとも残念。
源氏物語も、制作当時に読んだ平安時代の人たちは
唐服を着た桐壷とかを想像してたのかもしれない、
なんて思うとちょっと楽しい。 >>159
ボタンの数が武勲の数と聞いた。
としたらやっぱ武将の官服なのかな。 >>161
『源氏物語』「絵合」には、紀貫之が詞書に筆を執った『竹取物語』の記述があります。
そして、『源氏物語』の他の例から推して、この『竹取物語』も実在したと考えられます。
紀貫之は、905年に『古今和歌集』を選定し、945年に没しています。
もっと狭められなくもないですが、おおよそこの間に書かれたものでしょう。
当然、「絵合」の時代はこの時期以降になります。
そしてこれ以外にも複数の理由から、『源氏物語』の時代設定が醍醐〜村上朝(897〜967)
に相当するであろうことは、鎌倉時代以降の注釈書の意見が現代まで一致しています。
>>160で挙げた神像の時代が、ちょうど桐壺帝の治世開始時期ですね。
モデルであろう醍醐天皇の治世は930年まで続くのですが、まだ垂髪に女房装束の時期では
なかったかもしれませんね。
桐壺の女房への嫌がらせに廊下に汚物を撒いた箇所、「衣の裾」が汚れたとはあるものの、
髪が汚れたとは書かれておりませんし。
なお、光源氏が子供の頃に高麗人の人相見と会い、皇位に就かない方がよいと言われたとい
うくだりがあり、これが後々の登場人物の運命を変えて物語を作るのですが、宇多天皇から
醍醐天皇への遺誡に「外国人と直接顔を合せてはならない」というものがあり、高麗人に顔を
見られた時点で皇位に就けないフラグが立っていたと考えられています。
史実ネタを頭に置くと、面白い作品ですよ。 今でこそ世界中で男はズボン履いてるけど
もともと、ズボンなんかはいてるのは一部の馬に乗る連中ぐらいだった
日本も中国もインドも中東もギリシアもローマもケルトもヒラヒラの涼しい服きてるほうが普通だった
金玉は涼しく風通しを良くするという、男子には合理的な服だ
なんで今はみんなズボンなんかはいてるんだ
現代でも、スカートで日常生活は普通にできるのは、女が証明してるだろ
金玉がむれてかなわんわ スカートの中に扇風機を入れるというのは伝説だったのか? 正面に座った女性が何cm脚を開けばパンチラするのか? 真面目に検証してみた
http://nikkan-spa.jp/858736/_tkd1399 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:847cfeaf6f31691a42c25abc56bd4433) >>164
ミャンマーからバングラデシュにかけての腰巻文化圏が
男性非ズボン文化圏最後の牙城かもなW なぜ男子はズボン一辺倒になってしまったのか?
なぜそんな騎馬民族の習慣が全世界に普及してしまったのか? 高緯度圏の民族が世界を席巻したのが大きいかも。
列強諸国がもし常夏だったら世界中の男性の礼装はふんどしか腰蓑だったかも。
で、寒さに耐えかねおずおずズボンをはく民族は指を指されて蛮族とあざけられてたりしてw 自宅周辺は和服、かしこまった席だけ洋装と言う暮らしに還ればいいのか いやいや、礼装こそ衣冠束帯であるべきですよ
普段着は何を着ようと勝手だ >>169支那は清の時代にズボン化。
欧州はもっと早く、ゴート族に蹂躙されたときにズボン化。
それまで両者ともに
ゆったりとした、あの我々が古代人として連想する服装をしていた。 昭和の頃に児童向けの本によく描かれた「縄文人の服装」というと
男性は袈裟がけの毛皮で下半身はズボンなし&はだし、といういでたちだった。
平成に入ってから徐々に(特に冬場の服装は)
フード付きのパーカ+ズボン+膝丈ブーツ、が主流になってきたな。
土偶からの復元が進んだことと、植物素材の「編布(アンギン)」の発見が転機だったのかもね。
あれ? ということはキモノ以前の日本ではズボンが普及してたってことか?
でもアイヌ男性は(丈の高い脚絆ははくが)ズボンはかないよね。どゆこと? 本日7月5日は「ビキニの日」! 世界で最も小さな水着ビキニが誕生した記念すべき日だゾ / 発明した人にありがとう
http://rocketnews24.com/2015/07/05/604204/ 本日7月9日は「世界ノーブラデー」らしいぞ〜ッ! ブラを脱ぎ捨ててお胸に自由を与える日!!
http://rocketnews24.com/2015/07/09/605755/ 英国の高校で「スカート禁止令」 賛否両論あるが、日本でも意外に多い「支持派」
http://www.j-cast.com/2015/07/10239978.html
女子生徒の風紀違反に悩まされてきたイギリスの高校がついに「スカートでの登校禁
止」を決めたというニュースが、日本人ネットユーザーの間で賛否に分かれた激論を巻き
起こしている。
双方の議論は未だ収まる気配がない。一方、短いスカートを見た男性教員や男子生徒の
気が散るから、という禁止理由も同時に注目されている。 少し古い記事だが3300年前のズボンが見つかったという記事
「世界最古のズボンを発見か、中国報道」
http://www.afpbb.com/articles/-/3017030
日本では縄文時代のころ、すでに大陸ではズボンが
ファッションに取り入れられていたとは・・・ 遮光器土偶の下半身はズボンに見えなくもないが・・・
縄文文化を色濃く受け継いでいるとされる北海道アイヌにズボンが存在しないのは一体なぜ?
樺太と千島のアイヌははいてたようだけど。 欧州のニットは十字軍が中東から持ち帰った技術って本当ですか?
なぜアイルランドやドーバー海峡のような僻遠の島で開花したのやら。 スボンだけと金玉周辺は涼しいという
理想的な服装だな
5000年前にすでに正解は生まれていた!
これからは男はガーターでニーソをとめる時代! >>183
原始時代のオッサンの絶対領域を見ることになろうとはな 日本のお祭りではく股引ももとはアイスマンがはいてたような
左右分離式の衣類だったようだね。 >>186
なおかつ排泄にも便利。
なのに、股割れズボンはなぜ(少なくとも先進国では)廃れてしまったのだろうか・・・ >>183
このおっさんはオカマだったのか?
おっさんのくせに絶対領域とは気持ち悪い 中国の新たな“国民病”!? 公衆の面前で裸になる女性が続出
http://nikkan-spa.jp/929293 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:847cfeaf6f31691a42c25abc56bd4433) >>189
掘ったり嵌めたりする時も便利なのにな、不思議だ 世界史板で尋ねるのもなんだが、日本の編み物産業って
江戸時代から盛んで、なかには藩を挙げて励んでいたところもあったくらいなのに、
明治に入ると西洋のニット産業に切り替わってしまう。
手編みに代わって機械編みが導入されたのも大きいが、旧来の編み物を今に伝える遺物も文献も乏しい。
襦袢に股引に足袋に手袋に、と庶民にも普及していたのに
一体なんでだろうな。 編物一般は知らないけど生糸なら糸の太さが太くて欧米の需要を満たすことができず。
イタリアとフランス製の機械という2系統で製作した生糸のみを輸出するしかできなかった。
輸出した生糸ですら糸の太さが安定しておらず、日本からの輸入生糸はすぐに
ジャムるので不人気で米国の工場では粗悪品(日本製)への反対デモがおこった。 女の仕事なので、男は文章化・文献化しない。庄屋日記でも女の行動はほとんど不明。
身分が高い女性以外は文章を書かない。
消耗・実用品なので遺物として残りにくい。
国は機械化を推進しているので手編みなどは相手にしていない。
工芸保護という概念もない。 衣服の禁忌で古今東西共通しているのは
上位者の服装を下位者が着るのはOK
下位者の服装を上位者が着るのは忌避 >>197
そうでもないだろ。貧乏貴族でも
それなりの恰好をしていないといけない。
無理なら宮廷に出てこれない。 >>193
織物 経糸と緯糸で布を織る
編物 数本の糸で編む
製糸 糸を作る
紡織 糸を作る 布を作る
国が絹を主体に製糸と織物(紡績)に力を入れていた。
女たちは製糸工場の女工などに吸収されてしまった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています