【コテカから】衣服・装身具の歴史【モードまで】
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フードをかぶった旧石器時代のビーナス像から、現代の
ファッション百花繚乱に至るまで幅広く語りましょう。
個人的にはヨーロッパでストライプ柄がアウトローの象徴として
扱われていたルーツに興味があって。囚人服・道化・異教徒…一体どこから? でもダボダボの、しかも長いワンピースだよな。戦闘員なのに。
見ていて動きづらそうだが。 ムスリムの伝統の服を着ていれば、敵の銃弾も貫通しないに違いない。
ムスリムの伝統に反する服は不可能。 イスラムを象徴する色といえば緑だぞ。
イスラム圏の国旗も緑が多用されてる。 白人たちは豚の革で足の大きさ丁度に作った小さな舟に足をそれぞれ一日中入れている
風も日光も当らない白人の足は腐りかけていてとても臭い 風俗博物館・日本服飾史資料
http://www.iz2.or.jp/fukushoku/f_disp.php?page_no=0000001
ここのサイトを追ってゆくと、推古・飛鳥時代〜奈良時代は明らかに
古代中国風衣装なのだが、平安時代はどこからが日本式なのだろう?
説明を読んでもよくわからん >>154
推古までは、共衿じゃないという点で基本のコードが違う気がした
袖などはすっかり漢服風だが、胸紐を結ぶところはちょい遅くまで残ったんだなぁと思った 武装といえばアルマジロ
こいつに向かって発砲したら弾丸が跳ね返って大怪我、という話を最近どこかで読んだ。
ホントかウソかわからんが。 平安時代初期の頃の風俗がよくわかってないせいもあって
奈良時代の唐服から突然平安後期の和服にワープしてしまう印象になる。
実際にはある日突然どこからともなく和服が湧いてきたわけではなく
唐服が少しづつ和風化していったはずなんだが >>157
自分もそこ気になる。
日本の服飾として大きな転換期のはずだけど、
あまり研究されてないのか、調べてもあまり資料でてこないんだよね。
小野小町とかは、まだ唐服なんだっけ。
一般のイメージとしては十二単だけど。 詳しい方にちょっと質問。
清代にチョッキ状の「一字襟」ってありますよね。
襟が左右どちらにも開く構造の上衣のアレなんですが、中国のみならず
世界の衣類の中でも風変りな構造と思うのですが、どういう起源なんでしょうか。
ひょっとして甲冑がルーツとか?
着用する性別・年齢層・身分等だけでも分かれば推測できそうなのですが・・・ >>158
正倉院のおかげもあって、奈良朝の方がまだ分かるというか推測出来るレベルですから。
平安前期は神像からある程度推測されているものの、奈良朝より分かりにくい。
京都の時代祭に登場する小野小町(9世紀中頃)。元々女房装束(十二単)であったが、考証の結果変更された。
ttp://shgeking.up.n.seesaa.net/shgeking/image/BBFEC2E5BAD7A4EA200933.JPG?d=a869577
9世紀末頃の女神像+僧形像(後世にいう八幡三所)
ttp://livedoor.blogimg.jp/tomooji/imgs/1/9/19b717f2.jpg
男子の服装も10世紀、11世紀、12世紀でかなり異なりますね。
挿絵が有名な『紫式部日記絵巻』は鎌倉時代の作なので、1000年頃を描く史料とするには注意が必要。 >>160
時代祭の小野小町、初めて見ました。ありがとう。
資料が少ないのがなんとも残念。
源氏物語も、制作当時に読んだ平安時代の人たちは
唐服を着た桐壷とかを想像してたのかもしれない、
なんて思うとちょっと楽しい。 >>159
ボタンの数が武勲の数と聞いた。
としたらやっぱ武将の官服なのかな。 >>161
『源氏物語』「絵合」には、紀貫之が詞書に筆を執った『竹取物語』の記述があります。
そして、『源氏物語』の他の例から推して、この『竹取物語』も実在したと考えられます。
紀貫之は、905年に『古今和歌集』を選定し、945年に没しています。
もっと狭められなくもないですが、おおよそこの間に書かれたものでしょう。
当然、「絵合」の時代はこの時期以降になります。
そしてこれ以外にも複数の理由から、『源氏物語』の時代設定が醍醐〜村上朝(897〜967)
に相当するであろうことは、鎌倉時代以降の注釈書の意見が現代まで一致しています。
>>160で挙げた神像の時代が、ちょうど桐壺帝の治世開始時期ですね。
モデルであろう醍醐天皇の治世は930年まで続くのですが、まだ垂髪に女房装束の時期では
なかったかもしれませんね。
桐壺の女房への嫌がらせに廊下に汚物を撒いた箇所、「衣の裾」が汚れたとはあるものの、
髪が汚れたとは書かれておりませんし。
なお、光源氏が子供の頃に高麗人の人相見と会い、皇位に就かない方がよいと言われたとい
うくだりがあり、これが後々の登場人物の運命を変えて物語を作るのですが、宇多天皇から
醍醐天皇への遺誡に「外国人と直接顔を合せてはならない」というものがあり、高麗人に顔を
見られた時点で皇位に就けないフラグが立っていたと考えられています。
史実ネタを頭に置くと、面白い作品ですよ。 今でこそ世界中で男はズボン履いてるけど
もともと、ズボンなんかはいてるのは一部の馬に乗る連中ぐらいだった
日本も中国もインドも中東もギリシアもローマもケルトもヒラヒラの涼しい服きてるほうが普通だった
金玉は涼しく風通しを良くするという、男子には合理的な服だ
なんで今はみんなズボンなんかはいてるんだ
現代でも、スカートで日常生活は普通にできるのは、女が証明してるだろ
金玉がむれてかなわんわ スカートの中に扇風機を入れるというのは伝説だったのか? 正面に座った女性が何cm脚を開けばパンチラするのか? 真面目に検証してみた
http://nikkan-spa.jp/858736/_tkd1399 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:847cfeaf6f31691a42c25abc56bd4433) >>164
ミャンマーからバングラデシュにかけての腰巻文化圏が
男性非ズボン文化圏最後の牙城かもなW なぜ男子はズボン一辺倒になってしまったのか?
なぜそんな騎馬民族の習慣が全世界に普及してしまったのか? 高緯度圏の民族が世界を席巻したのが大きいかも。
列強諸国がもし常夏だったら世界中の男性の礼装はふんどしか腰蓑だったかも。
で、寒さに耐えかねおずおずズボンをはく民族は指を指されて蛮族とあざけられてたりしてw 自宅周辺は和服、かしこまった席だけ洋装と言う暮らしに還ればいいのか いやいや、礼装こそ衣冠束帯であるべきですよ
普段着は何を着ようと勝手だ >>169支那は清の時代にズボン化。
欧州はもっと早く、ゴート族に蹂躙されたときにズボン化。
それまで両者ともに
ゆったりとした、あの我々が古代人として連想する服装をしていた。 昭和の頃に児童向けの本によく描かれた「縄文人の服装」というと
男性は袈裟がけの毛皮で下半身はズボンなし&はだし、といういでたちだった。
平成に入ってから徐々に(特に冬場の服装は)
フード付きのパーカ+ズボン+膝丈ブーツ、が主流になってきたな。
土偶からの復元が進んだことと、植物素材の「編布(アンギン)」の発見が転機だったのかもね。
あれ? ということはキモノ以前の日本ではズボンが普及してたってことか?
でもアイヌ男性は(丈の高い脚絆ははくが)ズボンはかないよね。どゆこと? 本日7月5日は「ビキニの日」! 世界で最も小さな水着ビキニが誕生した記念すべき日だゾ / 発明した人にありがとう
http://rocketnews24.com/2015/07/05/604204/ 本日7月9日は「世界ノーブラデー」らしいぞ〜ッ! ブラを脱ぎ捨ててお胸に自由を与える日!!
http://rocketnews24.com/2015/07/09/605755/ 英国の高校で「スカート禁止令」 賛否両論あるが、日本でも意外に多い「支持派」
http://www.j-cast.com/2015/07/10239978.html
女子生徒の風紀違反に悩まされてきたイギリスの高校がついに「スカートでの登校禁
止」を決めたというニュースが、日本人ネットユーザーの間で賛否に分かれた激論を巻き
起こしている。
双方の議論は未だ収まる気配がない。一方、短いスカートを見た男性教員や男子生徒の
気が散るから、という禁止理由も同時に注目されている。 少し古い記事だが3300年前のズボンが見つかったという記事
「世界最古のズボンを発見か、中国報道」
http://www.afpbb.com/articles/-/3017030
日本では縄文時代のころ、すでに大陸ではズボンが
ファッションに取り入れられていたとは・・・ 遮光器土偶の下半身はズボンに見えなくもないが・・・
縄文文化を色濃く受け継いでいるとされる北海道アイヌにズボンが存在しないのは一体なぜ?
樺太と千島のアイヌははいてたようだけど。 欧州のニットは十字軍が中東から持ち帰った技術って本当ですか?
なぜアイルランドやドーバー海峡のような僻遠の島で開花したのやら。 スボンだけと金玉周辺は涼しいという
理想的な服装だな
5000年前にすでに正解は生まれていた!
これからは男はガーターでニーソをとめる時代! >>183
原始時代のオッサンの絶対領域を見ることになろうとはな 日本のお祭りではく股引ももとはアイスマンがはいてたような
左右分離式の衣類だったようだね。 >>186
なおかつ排泄にも便利。
なのに、股割れズボンはなぜ(少なくとも先進国では)廃れてしまったのだろうか・・・ >>183
このおっさんはオカマだったのか?
おっさんのくせに絶対領域とは気持ち悪い 中国の新たな“国民病”!? 公衆の面前で裸になる女性が続出
http://nikkan-spa.jp/929293 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:847cfeaf6f31691a42c25abc56bd4433) >>189
掘ったり嵌めたりする時も便利なのにな、不思議だ 世界史板で尋ねるのもなんだが、日本の編み物産業って
江戸時代から盛んで、なかには藩を挙げて励んでいたところもあったくらいなのに、
明治に入ると西洋のニット産業に切り替わってしまう。
手編みに代わって機械編みが導入されたのも大きいが、旧来の編み物を今に伝える遺物も文献も乏しい。
襦袢に股引に足袋に手袋に、と庶民にも普及していたのに
一体なんでだろうな。 編物一般は知らないけど生糸なら糸の太さが太くて欧米の需要を満たすことができず。
イタリアとフランス製の機械という2系統で製作した生糸のみを輸出するしかできなかった。
輸出した生糸ですら糸の太さが安定しておらず、日本からの輸入生糸はすぐに
ジャムるので不人気で米国の工場では粗悪品(日本製)への反対デモがおこった。 女の仕事なので、男は文章化・文献化しない。庄屋日記でも女の行動はほとんど不明。
身分が高い女性以外は文章を書かない。
消耗・実用品なので遺物として残りにくい。
国は機械化を推進しているので手編みなどは相手にしていない。
工芸保護という概念もない。 衣服の禁忌で古今東西共通しているのは
上位者の服装を下位者が着るのはOK
下位者の服装を上位者が着るのは忌避 >>197
そうでもないだろ。貧乏貴族でも
それなりの恰好をしていないといけない。
無理なら宮廷に出てこれない。 >>193
織物 経糸と緯糸で布を織る
編物 数本の糸で編む
製糸 糸を作る
紡織 糸を作る 布を作る
国が絹を主体に製糸と織物(紡績)に力を入れていた。
女たちは製糸工場の女工などに吸収されてしまった。 1589年ウィリアム・リーの足踏み式の靴下編機 毎分約600目(手編みはおよそ100)
1インチ8目、改良後20目(増減目可変調整可能)
リーはイングランドで特許がとれず失望してフランスのルアンに渡り、フランスの
編物業が各地に伝播する。イングランドではリーの弟たちがノッティンガムで編物業
を発展させる。
ユグノーを経由してドイツとくにヴュルテンベルクを中心に発展した。
一方、地元にあった平編業と対立。
1798年デコロワーが従来の横編機に対して丸編機を完成させる。
ナポレオン戦争の影響で、ドイツの靴下編業が衰退。
イギリスの横編機、フランスの丸編機の2強体制となる。
1852年フランス人フケがドイツに工場を移転、
19世紀後半にドイツの編物業が躍進。
1862年アメリカ人ウィリアム・ラムが平行式編機を発明する。
家内作業用の小型の手編工(平編業)のための機械。
1880年代にベンガー社の丸編機「イェーガー・システム」により高級編物肌着を確立。
横編機 目が粗い、伸縮性が高い、もこもこ
丸編機 円筒状、製品化には裁断・縫製が必要
経編機 目が細かい、伸縮性が低い、織物に近い 江戸時代の編物だと、
・組み紐
・メリヤス製造(ストッキング・股引)
武士の内職と専門の職人
足袋などは2枚の布地を縫製した織物
明治時代に
織物 大規模工場
機械式編物 中小家内規模工場
手芸・教養 女学生 江戸時期は名古屋帯と呼ばれる組み紐か男性と同じ幅の平帯。時代が下がるにつれて帯が太くなる。 着る服が無いという京都の全裸男、さては元は犬だなw 近世ヨーロッパだと
仕立屋が服を元請で、お針子に下請けにする
日本の江戸時代だと
布を購入して御物師に仕立てさせる
日本はワンランクレベルが低い >>205
そのままズボンを下ろすだけ。
現代でもファスナーのないトレーナーとかジャージとかパジャマとか同様でしょ。 >>208
中級以下の武士だと女房が奉公人を含めて家族の分の服を縫うね。 やたら邪魔なバストケアの広告、これを見てて思い出すのが職場の1つ先輩だった女子社員。
アパートに行ったときナニしようとTシャツとジーンズ脱がしたら着てたのはなんとビキニの水着。
「なんで?」と聞いたら「変わりないでしょ、形だって同じだしw」
確かに・・・
そのあとの手順も下着の時と変わりは無かったしな。
やがて先輩は田舎に帰って結婚したが、今も水着を下着として使っているんだろうか。 「毎年のように2組づつ買っててそれを海やプールでしか着ないのはもったいない。
ならば下着として使えばいい。
そしてなにより値段が高い分だけ丈夫で長持ち」
という理屈だそうだ。
何回か誘われてアパートに行ったけど、毎回ビキニだったな。 良く分からんが形状が同じでも素材が違うんじゃないか? その女子社員にとって海やプールに行くことは
下着姿を公衆の面前に晒すという感覚なわけだなw TPOだろ。
浜辺の近くのコンビニで水着で買い物をしても抵抗がなくても
都心のコンビニで水着で買い物をしない。 ジャズダンスかなんかのレオタードに巻きスカートというのを
池袋だったかで見かけたことがある。 水着を下着として使うときには、パンストはその上にはくのか下にはくのか、どっちだろう? >>224
紙の服くらいで驚いてはいけない
紙の鎧があった(紙甲)
↓こんなの
http://img0.dili360.com/rw9/ga/M00/00/25/wKgBy1Q2Q6OAb3WhAAGmIoE12ZY048.jpg
銃弾に対する防御力が革や金属や木より高かったらしい。
濡れるとダメになってしまうのが欠点。 平安末 烏帽子も紙製もある
戦国武将 陣羽織も紙製もある
江戸時代 紙子・紙子紙で服の裏地や綿の代わりに詰めたりする |
| 彡⌒ミ
\ (´・ω・`)また紙の話してる
(| |)::::
(γ /:::::::
し \:::
\ >>199
それはまさしく、下位者の服装を上位者が着るのは忌避ということだろ。 身分や階級が不明瞭になるので上位者が下位者の服装もできない。 >>232
高貴な身分の人が街で遊ぶために庶民の服装で
こっそりと出掛けるなんてのは昔からよくあることだぞ 江戸時代とかだと特に厳しい。
髪型・髭などでも区別する。
百姓の一揆では雨が降っていなくても簑を着ける。
国の城下町での移動の際にも、武士の階級ごとに従者や馬の規定を細かく設けている。
駕籠も飛脚も区別できるようになっている。 >>233
>こっそりと出掛ける
つまり普通は出来ないと言っている 旧唐書倭国伝の
婦人衣純色裙,長腰襦,束發於後,佩銀花,長八寸,
左右各數枝,以明貴賤等級。
ってどういうファッションですか? >>233
現代のように随所に道案内板があるわけじゃなし、
手軽な地図があるわけじゃなし、
あったとしてお忍びなので街角で開いて見るわけにもいかず、
迷子になってちゃんと帰れないおそれがある。 >>239
そりゃあもちろん迷子になったら困るから
お供の者は付いてただろ
やっぱり庶民の服装で >>240
人的紐帯が全ての前近代で、お供まで汚いなりしてチョロチョロしてたら、御殿に帰ってこられなくなるよ。
政的はいっぱい、仮に気づいても、殿様の騙る狂人として手打にされてしまう。 江戸時代だと服で誤魔化しても髪型である程度の身分がばれてしまう。
牢人頭も職を探していますというアピールにもなる。 おまいらも面白い民族衣装の写真があったら、ぜひ貼り付けてくれ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています