ゲルマン人の大移動と彼らが建てた諸王国
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
ローランド・エメリッヒのエメリッヒだけどこれってエルマナリク(グルツンギの王)と
アマラリク(6Cの西ゴート王)、どっちのドイツ語形なん? フランク王国ではなくアラブ人に制圧されたイベリア半島
フランク王国に制圧されなかったものの,文化・生活様式面で
フランク化したヴァイキングであるノルマン人に制圧された
イングランド インド系民族(アーリア人)が建てた諸国
インド、パキスタン、ペルシャ(イラン)、スリランカ、ネパール
中国系民族が建てた諸国
中国(諸王朝があったが征服された)、シンガポール
他にアラブ系、ロシア系、マヤ系諸国
最近だと英系諸国 ”古”フランク語はあるけど,中期フランク語を経てのフランク語は
現存してないのな >>77
「遊牧」とは「狩猟」の一種(動物の群の制御を覚えた狩猟)だが、遊牧民て戦争しまくりだよ
狩猟民(女真族など)が武力で略奪→奴隷に農作業させ半農半猟、の形態もあるが
遊牧のモンゴル帝国の侵略については説明不要
・狩猟民 不猟時には縄張り争いや略奪するし、武力を背景に交易しつつ弱い相手は狙う
→・遊牧民 毎日が軍事訓練を兼ね、日常的に略奪+戦争が日常的
工業社会で銃器が発達するまで、力関係では、狩猟・遊牧≧農耕だった
チンギス・カン(狩猟民の一形態である遊牧民)
「男たる者の最大の快楽は敵を撃滅し、これをまっしぐらに駆逐し、
その所有する財物を奪い、
その親しい人々が嘆き悲しむのを眺め、その馬に跨り、その敵の妻と娘を犯すことにある」 >>77
また、アイヌは、交易に依存する「職業的な狩猟採集民」だが
他の部族を虐殺するなど、好戦的に拡大して各アイヌ部族同士での紛争も頻繁だった
オロンコ岩(アイヌが敵対する先住オロッコ族を虐殺した伝承がある)
https://shiretoko-style.com/ho0516/
> アイヌ以前と伝えられる先住民族「オロッコ族」(Orokko=ウィルタ族)がその名の由来で、
> 少し南にある亀岩(チャシコツ崎)にはアイヌのチャシ(砦)があり、
> オロンコ岩のオロッコ族と対峙していたといわれています。
「北の元寇」といわれる戦争は、利益目的でアイヌ(加害者)がニヴフに侵略したため
ニヴフの訴えにより
ケツ持ちの元朝がアイヌを何度も懲罰し、アイヌは元朝に臣従(以降歴代の中国王朝に朝貢)
http://wpedia.mobile.goo.ne.jp/wiki/%83%82%83%93%83S%83%8B%82%CC%8A%92%91%BE%90N%8DU/5/
> 日本では鷲羽は、アイヌ交易の代表品として捉えられており[25]、
> アイヌは鷹羽・鷲羽流通の掌握を狙っていたと思われる[26 狩猟民族同士の縄張り争いでも、追い出された先に定着できなければ全滅 よくあるパターン
狩猟民、その変種の遊牧民、は農耕民と交易しつつその軍事力で農耕社会への略奪を繰返す 「史記」や「竹書紀年」読んでると春秋諸国から戎や狄にちょっかいかけてることがほとんどだがな
殷の王国貴族は羌族で人間狩りを楽しんでいた
驪山に暮らしらしていた驪戎であったが晋に皆殺しにされた多くの女たちが戦利品として晋の王侯貴族の慰み者になった
献公の妃の驪姫もその一人
李牧の守っていた代はもとは代戎と呼ばれる遊牧民が暮らしていたが趙が皆殺しにして奪った
秦の領土はもとは関中盆地に限られていた
隴西郡・北地郡・上郡は宣太后の時代に義渠と呼ばれる遊牧民から奪った土地
匈奴が秦漢と戦ったのは漢族に奪われた彼らの故地であるオルドス地方を取り返すため オルドスも一時は緑豊かな森林草原地帯だったらしいね 基本的に奴隷制が発達するのは農耕社会に入ってからだからな
沢山の奴隷の供給が必要になるから必然的に戦争も多くなる バイエルン、フランクは多民族の集合体だったんだな
単一民族のシュヴァーベン、ザクセンとは毛色が異なるんだな フランキスカで武装して共同体に参加する者がフランク人であると言われるのと同様に
サクスで武装して共同体に参加する者がサクソン人であると言われていて、
つまりサクソンもフランクと同様です。
シュヴァーベンはカエサルと戦ったスエビ族の末裔の一部らしいがよくわからん。 近年スエヴィがケルト人との説があるね
けっこう有力らしい 出所不明なものは何でもかんでもケルト人にするという風潮は如何なものかと ゲルマン人と言っても
その数百年前はケルト人だったと言うのが多いからな アラリック、テオドリック、ガイセリック、
リューリック、フレデリック と〜リックという
名前が多いのは何で? 他にも、キルペリック、アタラリック、アルダリック、
ヒルデリック、フネリックなんてのもあるね。 なぜならリックが「支配者、王」をあらわす言葉だから
ちなみにガリア語では rix という語が同等で、古ゲルマン語と大きな乖離はない
カエサルを悩ませたヴェルキンゲトリクスなどが例にあげられる >>804
〜リックは英語読み
ドイツ語では〜リッヒ
アラリッヒ、ガイセリッヒ、フリードリヒ >>806
それはケルト語とゲルマン語が「特に」近いみたいな変な誤解
(このスレでは両者に区別がない、実は同じ、みたいな誤解が相変わらずあるが、言語の上ではとんでもない)
イタロ=ケルト語というぐらい、
ケルト語はラテン語を含むイタリック語派により近く、一つの語派が比較的新しく分かれたものと考えられている
この例では違いが分かりづらいが、ガリア語のrixはラテン語のrex「王」に近いことにもっと意味がある
ラテン語にはrego「支配する」(不定形regere)という生きた動詞があり、名詞とは派生関係にある
ゲルマン語の場合はこれらとともに印欧祖語h3regsに遡り、他にサンスクリットのraja-n「王」とつながっている
西欧の諸語派でkやgで現れるものがインドではjになって現れるのもケントゥムvsサテムという現象の一端 遺伝子面からのゲルマン人社会の特徴に触れている
https://news.yahoo.co.jp/byline/nishikawashinichi/20180927-00098231/
ハンガリーに居住していたころのランゴバルド人は、
子供を産ませた女性がゲルマン人か否かで墓を別にしていたらしい。
自分はゲルマン人女性と一緒に埋葬され、ラテン人女性母子の墓とは区別していた
本妻はゲルマン人、妾がラテン人と言う認識なのだろう
ただしイタリア侵入後はその区分けは解消していたようだが 西ゴート王国のゲルマン起源名はゴート語由来、
アングロサクソン時代におけるイングランドのゲルマン起源名は古英語由来、
スカンジナヴィアのゲルマン起源名は古ノルド語由来
としてフランク王国でのゲルマン起源名はフランク語由来ではなく古高ドイツ語
由来なのか。 新大陸へのゲルマン民族大移動、19C頃さかんにおこなわれてたけど
独自に王国を作る事はなかったなw ワイアット・アープのワイ、
ヴィヴァルディのヴィ、
ルートヴィヒのヴィヒ
ゲルマン祖語まで遡れば同語源だったの最近まで知らんかった。 >>816
新大陸では君主国は作りにくいらしい
ラテン系のほうがまだやっているけど、
ブラジル帝国にせよメキシコ帝国にせよ
それなりに続いたものの滅んでいる 民族大移動より前だけど,アルミニウスや彼が属してる部族が話してた言語って
ゲルマン祖語?
はたまた紀元前後の時点でドイツ語の元となったゲルマン系言語が存在してて
それをしゃべってた?(この頃はまだ子音推移おこってないよね) >>819
第一次子音推移は紀元前1000年紀に起こったと推定されている
ゴート語を含めすべてのゲルマン語派に及んでいる特徴とされ、かなり古い
アルミニウスの生きた時代のゲルマン語なら当然その特徴はあっただろう
ゴート語は他のゲルマン語派よりも数百年古い記録が残っているため
動詞に双数主語の活用がある、動詞本体に受動態活用が残っている(コピュラや分詞を使わない)、
また後にゲルマン語派で発達したウムラウトがまだない、
コピュラなどで起こったロタシズム(英are, wereなどのR音に見るs,z→rという変化)がまだ起こっていない
といった古い特徴が残っているが、それでも第一次子音推移はすでに経験している
資料に乏しいので言えることはこれぐらいだが、第一次子音推移を経験していないゲルマン語の記録はない 名前の文化誌スレ向きとは思いつつあえて…
西欧言語圏のキリスト教徒の間で広く用いられているゲルマン起源名。
古ノルド語(北ゲルマン)、ゴート語(東ゲルマン)、古英語(西ゲルマン),
古高ドイツ語(西ゲルマン)由来の物があるけど圧倒的に多いのは
古高ドイツ語由来のやつか。 古高ドイツ語以外のゲルマン起源名で有名どころを
それぞれ挙げるとしたら
古ノルド語:Eric
ゴート語:Fernando,Alfonso
古英語:Edward、Alfred
あたりになるんかな >>820
レス819のいう子音推移は6C頃におこったといわれる第二次のほうを
いってるのかも アタナシウス派へ改宗したクローヴィスの名はルートヴィヒとか
ルイとかルイスといった形で西欧言語圏で広く用いられてるけど,
彼が属したメロヴィング朝の王朝名のもととなったメロヴェのほうは
サッパリのような >>796
奴隷制の元は狩猟の一形態である遊牧だという話だな
>■『家畜文化』の蓄積
>メソポタミアなどの小アジアで、10,000年前にヒツジ・ヤギの家畜化が始まり、
>9,000〜8,000年前頃に「搾乳」、少なくとも6000年前までに「去勢」の家畜技術が開発されている。
>それ以来3,300年前の本格的な“騎馬遊牧民”に至るまで、
★> 『どのように家畜の群れを意のままに管理するか』という【家畜文化】が遊牧民には蓄積されている。
★>(※後にこれを人間に当てはめ、遊牧民は奴隷管理に長けていくことになる)
あと日本からの北方への漂流民も千島アイヌなど現地人の奴隷にされてたし
アイヌ同士でも奴隷制はあったからね いちいち書いていないだけである意味どこでもあったみたい
古代ギリシャやローマ帝国、朝鮮李朝
アマゾン原住民同士でもあるらしいし、中国南部の少数民族間でもあったらしい、イ族 フランク族はゲルマン系+ガロ=ロマンの集合体だってフランクスレに
あったがこの場合はガロ=ロマンがゲルマン風の名を持ったりでゲルマン化
してったん? >>800
スエヴィってシュヴァーベンの語源じゃなかったっけ?
シュヴァーベンといえばアレマニエン
フランス語でドイツのことをAllemagneというらしい
これは歴史が変わるぞ ・フランスから見たドイツ Allemagne アレマン人(スエヴィ人、シュヴァーベン人)の国
・ドイツから見たフランス Frankreich フランク人の国 スエビ人がケルト人、だったりゲルマン系とケルト系で混血・混成してても不思議はないな
おそらくライン境界のゲルマン人も同様だろう ゲルマニア時代の白人が見てみたいわ ローマと混血していないだけに今より青目で白いんだろうか 色素的に今より青いってことはないか 今より肌が白いならあるかもなぁ オーディンとかのゲルマン神話の神を信仰してたのは北方ゲルマン人だけ?
ゴート族とかはどんな神を信仰してたの? ゴート系の名Farthinanthsは"大胆な遠征"という意味だが
オーディンにちなむ名前だったってのを人名関連の本で
見た事ある ドイツに伝承する中世の英雄叙事詩「ニーベルンゲンの歌」の前半の主人公ジークフリートが
ノルマン神話のシグルズであり、その物語がゲルマン世界に広く共有されていた様子なので
神話も共有されていたと推測される。ゴート族がどうといった細かい話までは文字資料がないので不明。 ツェッペリンの移民の歌はゲルマン民族のイメージがあったが
ヴァイキングの歌だった メロヴィング朝の王は、キルデリクスの時代には軍馬の供犠という、
きわめてゲルマン的な習俗を残しており、同王の時代には、
なお異教色の強い北西ガリアの一地方政権にすぎなかった なぜアルプスの南の地中海性気候の地域に移住したゲルマン人は独自の言語を保てなかったんだろう
ラテン系はそれこそ新しい移民のケベックを除いても、スイスのダボスみたいな寒冷地にまで住んでるのに
ロンゴバルド・ヴァンダル・ゴート・スウェビ、すべてラテン系などに同化された
夏涼しい気候の元でしか独自の生活様式は保ちにくかったのかな?
上層階級以外のゲルマン人も農民として住み着いたはずだけど
ようやく近代になってカリフォルニアや西オーストラリアにゲルマン系言語(ゲルマンとしてはパッチもんの英語だけど)が根付いたけど ゲルマン系言語だから根付きにくい、なんてことは特にないだろう
移住先でもっと多数の民族と混血すればその中に溶け込んで言語が消える
混血せず孤立しつつコミュニティを保ったり
社会的地位が上位のままその言語が緩やかに近隣の民族にも共通語として使われれば
アフリカーンス語のように生き延びる
満洲語も漢人に多く交わる地域の順に死語となっていったが
新疆のシボ語(実質、満洲語の方言)のように孤立した集落で使われ続けて
今も数万人の話者を保っている例もある アペニン山脈やスペイン・シエラネバダ山脈の山奥にゲルマン系言語の隠れ里を見たかったな
同じラテン系なら、アルプス周辺のフランコ・プロバンス語がなぜか南イタリアの山奥で話されてるくらいなのに(絶滅寸前だけど) フランク人の中にガロロマンが混ざってたみたく他のゲルマン諸族の中にも
ローマ系とかローマ人の血を引いてる人がいたりして。
さすがにスカンジナビアのヴァイキングはわからんけど ハプスブルク家はローマの名族の血を引くという嘘か本当かわからない伝承を持ってるんだっけ? フランス・ノルマンディー地方のノルマン人の場合だと入植してきたヴァイキングと
現地のガロロマンの女性との通婚だけでなく、ガロロマンの男性がノルマン人に
同化という線も・・・ >>839
カリフォルニアやテキサスも、現代の技術をもって国境を監視しているから英語文化を維持できてるんで、メキシコから無制限に移住してきてたら、とっくにスペイン語になっている そしてオーストラリアは中国語とアラビア語に席巻されるか....
南アフリカのカラードや白人の母語も、何の干渉もしなければバントゥ―系との折衷みたいなクレオールになっていくのかな カリフォルニアやテキサスも南の方は既にスペイン語圏だけどな もはやロサンジェルスじゃなくてロスアンヘレス、アルバカーキじゃなくてアルブケルケ、トゥーソンじゃなくてトゥクソンか >>849
もともとそうだったから、元に戻るだけだけどな ヨーロッパはそのうちイスラム教徒にのっとられるんだろうか 日本の人口は、今後80年間で今の半数以下になる
そうすると、財界からは当然移民を入れろという要求が出てくるだろう
そして、中国人、韓国人、イスラム教徒などが大量に移民してくれば、
日本社会の性格も変わってしまう >>853
後でドッと移民を入れるのは良くない。
時間をかけて少しずつ入れていくべき。
自称「リベラル」でさえも、移民には反対しているのが日本の特徴。これに関してだけは、右翼も左翼も変わらない。
でも、それは長い目でみて、いかがなものか。 日本の国民が嫌がっても、経済界は安い労働力を必要としているから、
移民の導入は避けられないのではないかと思う
「多様性反対!」と叫んだところで世界の流れは止められないし、
いまさら鎖国するわけにもいかない >>851
ヨーロッパの左派って頑迷・狂信的で移住先でトラブルをおこしてるイスラム移民をリベラルとしてひいきする反面、
移住先に溶け込もうと努力するイスラム教徒は目の敵にしてるような。 革命の夢からまだ冷めない連中だから社会を混乱させて欲しいんだろうよ。 移民ではないがシチリアに拠点を置いたノルマン人勢力は現地のアラブ人・ギリシャ人の
文化を尊重してて彼らの人材登用もおこなってたんだっけか
>>857
不安定化を図るべく中国共産党が糸引いてそう ゲルマン人国家の君主がキリスト教の聖人名を名乗りはじめたのはいつ頃から?
キリスト教へ改宗した後もしばらくはゲルマン由来の名前名乗ってたみたいだが 中世では先進地域だったアラブは何で近現代において後進地域になったんだ? >>860
中世から少しずつイタリアの都市国家におされるようになっていた もともとアラビア語の方言だったマルタ語で王をさす語はイタリア語由来のre
島の支配者が変わったことが露骨に表れてるな ヴァンダル族は豊かな北アフリカで三代も暮らしているうちに、
すっかり軟弱になっていたらしい
だから東ローマ帝国の軍勢にあっさり滅ぼされた >>851
貧しい人に施しをするのが宗教的義務としているのでその可能性は高い
共産主義でも出来なかったことを宗教でやろうとしている
貧富の差を業の結果とする仏教や貧しい者は努力が足りないと切って捨てるキリスト教にとっては驚異だろう ヴァンダル王国は、東ローマ帝国とのわずか四か月の戦いであっさり滅んだんだよな
歩兵を持たないヴァンダルの軍隊は、べリサリウス将軍の指揮のもとに組織的な
攻撃をかけてきた東ローマの軍勢に太刀打ちできなかった キリスト教を受け入れるようになったゲルマン系諸国家だが同地のゲルマン系が
キリスト教の聖人名を持つようになったのはかなり後(11Cあたり?)なのね 東ゴート王国の首都ラヴェンナでは、ゴート人の居住街区は「蛮族区画」と形容され、
当局はローマ人との混住を禁じていた
この特別街区には、アリウス派キリスト教徒の六つの教会があった
さらに法律については、ローマ人は引き続き帝国の法である『テオドシウス法典』に
依拠したが、ゴート人に関してはテオドリック大王が布告したとされる
『テオドリックの布告』が拠るべき法とされた >>868 何だったらゲルマン由来の名前の聖人がいたり 600年代後半から、イングランドとフランク国家の間で交易が行われていた
イングランドから輸出されたのは手工業製品、靴、毛皮、奴隷など
反対に大陸側は穀物、ブドウ酒、ガラス製品などを送り出した ゴート族などの族という言い方
日本の氏や家(平氏、武田家)とどう違う
ゴート氏、バンダル氏、 全然違う
今でいえばスペイン人とかイタリア人といった感じ ランゴバルド王国には、一時国王が存在しない、
「諸公の時代」と呼ばれる時代があったんだよな
30人以上の諸公が支配する連合政体だったらしい メロヴィング朝フランクも豪族の寄り集まりで大公とか執事、司教のあらそいがひどかった ランゴバルド王国を滅ぼした後、カール大帝は伯職担当者として
フランク人かアレマン人の自らの臣下をすえた
やがてのちにイタリアの中世貴族の多くが、これらフランク人の
血統から生まれていった 東ゴート王テオドリックがイタリア半島を支配したのち、ゴート人の入植は
主としてイタリアの北部と東部で、ローマ人地主は資産の三分の一をさしだした
シチリア、南イタリア、カンパーニャ、ローマ市周辺にゴート人の入植はなく、
そこの地主たちは代わりに土地収入の三分の一を税として差し出し、
それをゴート人の給料にあてた 後期のランゴバルド王国の国王はバイエルン公のアギロルフィング家が相続していたんだな ランゴバルト人はゴート戦争のとき、東ローマ帝国のナルセス軍に二万八千の兵を
提供して、東ゴート王国の壊滅に一役買っている
しかし、ナルセスは戦役の途中で、このランゴバルド傭兵部隊のあまりの野蛮さに
あきれはて、全軍の秩序を乱すものとして解雇してしまった >>881
もっとも長く生き残った東ゲルマン語は
クリミアゴート語らしいけど、
クリミアゴート語はどういう文字で書き表されたの? >>880 ただ食文化だけはゲルマン語を保った集団の中ではあまり洗練されなかったw
気候もあるけど、主にはプロテスタントの出現と産業革命のせいか アーリア人(ゾロアスター教)
↓
ゲルマン人(ゲルマン神話)
↓
北欧人(北欧神話)
↓
アングロ・サクソン人(祖神オーディンの一つ目教) 東ローマ帝国がフランク王国を滅ぼそうとしなかったのは、
彼らの本拠のパリに大軍を進めるとなると、どうしても
アルプスという難所を越えなければならなかったからかな?
その場合、兵站戦の確保に苦労するし、海軍も使えない なぜフリース人ってこんなに長く民族意識を保ち続けたんだろう
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3%E4%BA%BA#%E8%AB%B8%E9%83%A8%E6%97%8F
>タキトゥスの時代から大移動までの300年の間連続性を保っていた部族は、
フリースィイー(フリージアン)
今のフリース人とフリースィイーは実は別物? ゲルマン人五大部族(フランケン、ザクセン、バイエルン、シュヴァーベン=アレマネン、フリーゼン)のうちフリーゼンだけは大公領を形成出来なかったと習ったわ >>887
訂正
× 大公領
◯ 部族大公領(Stammesherzogtum) オドアケルは、西ローマ帝国を滅ぼした後も、これまでのローマの行政機関は
そのまま置いた
執政官を含む官吏を任命するときは形式的であれ東皇帝の名においてだった
ゲルマン人は軍務についたが、彼らの大半は上イタリアに地所をもらった
また、それまで庶民に厳しかった課税制度の緩和にも努力した
決して暴君だったわけではない >>885
> 東ローマ帝国がフランク王国を滅ぼそうとしなかったのは、
アリウス派じゃないから オドアケルは外交面でも成果を上げている
ヴァンダル王ガイセリックとの交渉でシチリアの大半をイタリア領に戻したし、
ゼノン帝の承認の下、西ゴートに南プロヴァンスを割譲して和議を結んだ
当時西ゴートはローヌ川を渡り、イタリアに一度攻撃をかけてきている 覇王ガイセリック
暴君テオドリック
傭兵隊長オドアケル
クシャーン大帝カニシカ王 ヴァンダリズムという言葉の生みの親はフランス、ブロワ市の司教
アンリ・グレゴワールで、1794年度の修道士会での発言がもとだった
当時、革命騒ぎのパリで、いきりたった大衆が手あたりしだに
美術品を掠奪、破壊しているのを憂い、455年のヴァンダル王ガイセリックの
ローマ掠奪にからめて”ヴァンダリズム”という言葉を口にしたのである オドアケルは西ローマを滅ぼしたわけでは無い
元老院が皇帝擁立しては暗殺され、各属州からは対立皇帝を何人も擁立させられたり
対立皇帝同士で内戦・領土の奪い合い、執政をローマ教皇に丸投げしたり
国民から皇帝不要論が続出した中での国民の声を代弁してオドアケルが皇帝に退位を迫っただけ
その後はオケアドル、テオドリックの元で執政は古代ローマと同じ様に元老院が取り仕切り
自身達も皇帝や王としてでは無く古代ローマのインペラートル(軍最高責任者)と同じ様な役割をしてた ゲルマン人の大移動という言い方が誤解を与えている
ドイツ人かドイツ民族の大移動という言い方に変えるべきである
ゲルマン人は誤訳 ガイセリックが北アフリカを征服したとき、それまで迫害されていた
ドナトウス派はヴァンダル人に協力したのだとか メロヴィング朝時代、支配地域の統治はローマから継承した官職制にもとづく
機構に依存しており、フランク戦士社会を組織する原理とは大きな隔たりがあった
このために現実に統治の任にあたったフランク人の官職担当者の働きは、
はなはだ合理性を欠いていた
これはしばしば政治的に不安定な状況をつくりだした 仕組みだけあっても意味がないのは現代になっても無理やり導入された民主主義で
国家が空回りしている国々を見ているとよくわかる。 奈良時代に中国の制度を輸入した日本も似たようなものだな メロヴィング期の分王国の中で、もっともローマ文化の刻印の深いブルグントを
中心に、集権的なローマ的統治原理を復興しようとする動きが王妃ブルンヒルドを
旗頭として台頭したが、フランク人の優勢なネウストリアが勝利して潰え去った >>899
天皇やら元号やら、以外と続いてるけどね 大ピピンの一族を支えた貴族門閥や従士集団はゲルマン的伝統を持ち、
もっぱらゲルマン語を日常の言語としていた
メロヴィング朝の人々にゲルマン語使用の事例を見つけることができないのに対し、
カロリング朝のカール大帝にとって生活言語はゲルマン語であり、ラテン語能力は
学習の結果だった カール大帝の息子のルイ敬虔帝は幼少のころからラテン文化の名残を強くとどめる
アクィタニアで育てられたにもかかわらず、その臨終の言葉はゲルマン語だった
本当の意味での旧西ローマ世界のゲルマン化は、8世紀以後のカロリング権力の
伸長がもたらした成果である ルイじゃなくてルートヴィッヒと呼んだ方がいいか
まあ当時のゲルマン語での発音はまた違ってたかもしれないけど ランゴバルド人はローマ的慣習を取らず、自分たちの文化を推し進めていったから、
東ゴート王国よりも文化レベルは低かったんだろうな なんだかんだで東ゴートはローマ帝国の範疇だったが、ランゴバルドはヴァンダルと同様の独立王国だったからな ランゴバルド人もしだいにローマ帝国の役職名や固有人名、
伝統を受け入れるようになった
八世紀になると、ランゴバルド人の言語は失われ、
固有の装束様式や髪形も消滅していたらしい ランゴバルド王アウドインは、ユスティニアヌス1世の進めるゴート戦争に
同盟者として二度、対ペルシア戦争にも一度部隊を派遣した
こうしてランゴバルド人はドゥクスやコメスなどビザンツの軍官職を採用した
彼らはビザンツ帝国への勤務を通してイタリアが肥沃な地であることをも知る
アウドインの子アルボインは567年にゲピデ人を壊滅状態に追い込むと、
パンノニアをアヴァール人に委ね、568年にはアルプスを越えてイタリアへ
入るべく移動を開始した ドイツのKohlhammer VerlagからでているWalter Pohl のDie Völkerwanderung はいつになったら再発されるのかな? >>907
ロンバルディアの地名が残っただけで消えた民族か まるで鮮卑族みたい 北欧にあるゴート語っぽい地名の多くが13世紀頃のゴート人ブームで作られた偽ゴート地名
そのせいでかつてはスカンジナビア=ゴート人の島と推測されていた ローマ、ランゴバルド系貴族の末裔はまだイタリアにいるけどね 各王国におけるゲルマン人の割合ランキング
フランク王国(20%)
ランゴバルド王国(6%)
東ゴート王国(2%)
西ゴート王国(1%) ゴート人は、東西ゴート王国に住んでたゴート人の総数より、実は東ローマ帝国に住んでたゴート人の方が多かった 西欧でゴート人が姿消した後ビザンツじゃ13世紀ぐらいまでゴート人活躍してるのそういうことか クリミア・ゴートの絶滅は惜しいことだ
あと150年?持ちこたえたら蝋管で生の発音を録音できたかも クリミア・ゴート人て何語なの?
西ヨーロッパのゴート人はゴート語を知らなかったようだが 私の人生を危険に陥れるものは、名声や刑罰もそうである。善を行うことがあったとしても名声を掲げない程度にし、悪を行うことがあったとしても刑罰に触れない程度にして、善と悪の中間にある根源を守ることを、不変の原理としたいものだ、そうするならば、我が身体の安全を保持することも、我が身体の安全を保持することも、我が生命を恙(つつが)なく全うすることも、肉親を養育することも、さらには天寿を本来のままに生き尽くすことも、全て可能となるのである。 イベリア半島のローマ人が残した歴史では、ゴート戦争でローマに攻め込んできたビザンツ帝国は「ローマへの叛逆者」ということになっている
そのため彼らは、ローマの敵となったビザンツ皇帝の代わりに正統なるローマの守護者をイベリア半島に推戴し、ローマ帝国の最後の生き残りとしてイベリア半島でローマの名を守り続けた
彼ら最後のローマ人の現代における名称が「西ゴート王国」 イベリア半島に移住した西ゴート人は、当初はゴート語を話していたが、レカレド王が
カトリックに改宗してアリウス派の典礼が行われなくなると、ゴート語も消滅に向かった 孟子は、孔子や老荘・墨子みたいに「思想家としては有名だが、現実の政治には縁がうすい」者でない。 政府が借金証書を新たに書き、それを中央銀行が受ける代わりに、政府に通貨を渡す。 スペイン語内のゲルマン系由来の人名ってゴート由来なのか、フランク語やノルマン語由来なのか
ロドリーゴ、アルベルト、ロベルト、エンリケ、カルロスetc .... ローマの共和制からゲルマン諸王による王制への移行は現代社会の我々から見ると社会の退行に見えるのだがどうなんだろ?
マルクスの唯物論的歴史観によると古代奴隷制から中世封建制への移行は進歩と見ているようだが ローマ共和制とゲルマン王政の間にローマ帝政がある
初期のゲルマン王政は成功した軍人家系が軍の要職を実質的に独占してるってだけで、都市の行政権も持ってなければ行政官の人事権も持ってなかった
ローマ帝国における文武の分離が行き着いた果てがゲルマン王政 ローマ帝政って必ずしも特定の王朝が世襲的に帝位を継いでいった訳ではないので、ローマ共和制の発展段階とみるのだが如何だろうか?
帝政初期には元老院も機能していたの訳だし ゲルマン王も制度上は選挙制なんで実は世襲制度ではなくて皇帝が血縁者を優遇して後継者として育成していたのと同じことが繰り返されてただけ
というか、もっと細かくいえば王も皇帝も王位や帝位といった連続した地位ではなく、必要に応じて次々と別の有識者に指導をこうているって建前になっている
ゲルマン王は王号が一人一人違う(あるいは存命中は王を名乗っていない)が、これは王が先王の王位を受け継いだのでなく新たに推戴された別の王だから、ということになっている >>933
ローマの後継者争いに端を発する事件でもあるのでもっと複雑 欧州中を移動することで
かなりいろいろな血を交えたものと想像される 今のドイツなんて色んな血が混じった極みで
ドイツ人と言う概念はもはやドイツ語を喋れる人と言う括り
それ以外の分類のしようが無い ゲルマン人の遺伝子を追跡したらドイツ人やフランス人には殆ど含まれてなかったってやつか ただ言語や生活様式が似てるだけで他部族と繋がりが何も無いのに勝手に第三者に名付けられ括られただけ
統一意識が最初から無ければ差別意識もまちまち ヴァンダル族はスラブ系と言う説が強くなってきているようだね 当時のローマの記録ですらゲルマン人どもはゲルマン人同士でも互いに言葉が通じずそれぞれ異なる王を担いで争いあってるって言われてる
なんでそんなの一括りにしたのか ガリア人もブリトン人もそんな感じじゃん
各々の部族で好き勝手にやってて統一意識無かった
外敵からの脅威でようやくまとまり始めた ヘレネスじゃないやつらは全員バルバロイ!みたいな適当さ
やつらからすればゲルマン人がゲルマン民族とスラブ民族に別れてようがどうでもいい話だったんだろう 元々がガリア人から見たライン川の向こう側の連中だからなぁ。 ゴート人なんぞ最初はスキタイ人の仲間ってされてたのにいつの間にやらゲルマン人の仲間みたいにされてるし とりあえずIとR1bはゲルマン
R1aはスラブ
厳密ではないけどこんな分類なのかな ガバガバだけどそれぞれに特徴があったんだよ
ゲルマン人は明らかに他とは違う屈強な体付きで
ガリア人はアクセサリー身に着けてたり
ブリトン人は顔青く塗ってて
ピクト人は赤髪とか
統一意識は無かったけど分類される何かは共通してた 古典研究や考古学の成果からは、当時の知識人が古典の名称を色んなものに使い回す傾向があっただけで、同じ名称で呼ばれている人々にはほとんど共通点がなかったと考えられている 馬に乗ってる遊牧民族はみんなスキタイ!
200年後別の民族騎馬民族が現れる→再び「スキタイ」がやってきた
とか最初はカッコつきでいわゆるスキタイみたいな言い方してるがスキタイが定着して普通にスキタイって呼ばれるようになるとかな 『ネイションという神話』だったかなあ
もっとバッサリした仮説も読んだことある
古代末期の〇〇人はローマの傭兵が自分を強く見せるために古典から探して名乗ってた伝説的ブランド名
だから〇〇人を名乗ってる人が戦争に勝つと〇〇人が流行って(名乗る人が)急増するし、負けてブランド価値が下がると名乗る人がいなくなって一瞬で「民族滅亡」、そして別の××人が増える
だからどんだけ民族が滅亡しても総人口は変わってない
民族名の大移動があっても、それに伴う人口の移動の痕跡が見つからないのはそのせい
民族大移動の正体は民族「名」大移動
寒冷期の北部地域でゲルマン人の人口爆発なんてあるわけない
みたいな 普段は「私はガリア人ですぅ!」とか言ってた連中が、
ゲルマン系の集団がローマを破って進軍するや
「俺たちゃゲルマン人だぜ!」って言い出してゲルマン人の人口が増えるってのは面白い ゲルマン人はローマを破らないだろ
歴史に残ってるゲルマン人の大部分はローマ帝国所属 ゴート系とかフランク系とかブルグント系とかのローマ寄りのはそうかな https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/134863/1/aak_10_1.pdf
近年の考え方が pp.13-18 で簡潔にまとまってる
これも10年以上は前の話だけど、ウィキペとかだといまだにグルトゥンギ/テルウィンギと東西ゴートの区別すらない1960年代のような記事が多いから、それらよりは近年の傾向に近いかと 昔の民族移動仮説
辺境でゲルマン人らが増えてローマになだれ込んでローマ人が滅ぼされて南欧の人口が減った
増えたゲルマン人のおかげで北寄りの街道が発展した
今の民族移動仮説
重税やゴート戦役を避けてイタリアから逃亡したローマ人が圧倒的人口差で辺境のゲルマン人らを駆逐してしまった
そのせいで南欧の人口が減って北寄りの街道が発展した
随分と変わってしまったなぁ そもそもローマ人自体がかなりのゲルマン人を含んでいるからね 衰退期は労働者不足で「近年は人狩りが不作、辺境の蛮族は狩り尽くしてしまったようだ、都会で働いてる奴らが最後の蛮族」って愚痴が残ってるぐらいだからな 古代ゲルマン人にもR1bが多い集団がみられる
これはもとケルト人などがゲルマン語に転換したのだろう 何人の血ってのが定義次第な問題だから解答はない
例えば日本人の中で1番濃いのは遡れば南アフリカ人の血だし ブリテン島や日本のような離島の血統は
ある程度歴史事実とリンクしてる面があるので調べる価値観はあるけど
大陸の血統は歴史事実とは関係無い所で混ざったり離れたりもあるので
追えないし調べても不毛な結果にしかならない 各王国におけるゲルマン人の割合ランキング
ビザンツ帝国(30%)
フランク王国(20%)
ランゴバルド王国(6%)
東ゴート王国(2%)
ヴァンダル王国(1.3%)
西ゴート王国(1%) 西ゴート人は約10万人
当時のイベリア半島の人口が約600万人
割合は2%弱といったところか 「ハイペリオン」というSF小説の中で、宇宙に進出しても進歩しない地球人のことを「ローマの黄昏にしがみつきながら文明人と名乗っていたゴート人」のようだと言っていたが、ゴート人が自分たちのことを文明人だと思っていた事実はありますか。 出自がゴート人でも文明人ならローマ人
出自がローマ人でも軍属になったらゴート人
それが東ゴート王国でのローマ人とゴート人の呼び分け >>972 ブリテン島方面が気になる。子孫のY-DNAハプログループだとI1が大体全人口の4分の1か5分の1くらいだから、少なくともそれくらいは占めてた?ほかにR1bもあるからもう少し上がるか
でも言語がローマ文化に触れてたブリトン人のから蛮族ゲルマンの古英語に変わったのは不思議
ブリトン人が本来の言語を保てない何かの要因があった? >>977
ブリトン人は駆逐されてアングロサクソン人に入れ替わったから。 東ゲルマン人(ゴート族など)・西ゲルマン人(フランク族など)・北ゲルマン人(ノルマン人) ケルト人
丘や山に避難城塞オッピドゥムを築いて
敵に攻められるとオッピドゥムに籠城した
城攻めが得意なローマに征服された
ゲルマン人
城塞を造らず集落を防御しない
敵に攻められると集落を捨て
森林や沼沢地で抵抗した
ローマは征服を諦めた ゴート族
ウクライナの平原に移住しても
集落に城壁を築かなかった
フン族に攻撃されると集落を
放棄して逃げ出した >>982
東南アジアのタイ、ベトナム、ミャンマー族も似ている
華南にいたが漢族に攻められて南に逃げた >>977
アングロサクソンに追い出されたブリトン人の
移住した場所がフランスのブルターニュ
ローマ時代にはアルモリカと呼ばれていて
ラテン化してケルト語は話されていなかった 「直感表現が幼児言語の基盤をなすものであるとしたら,幼児言語に特徴的な構文は自動詞文ということになる」 「幼児は次のような順序で他動詞文を習得する」
「まず,最初に,「トッテ」のような1語文が生まれ」、「次にこれが,「トッテ・ママ」あるいは「ママ・トッテ」のような主語を含む2語文に発展」し、「その後で,「トッテ・コレ」あるいは「コレ・トッテ」のような目的語を含む2語文が現れる」
「そして最後に,「ママ・トッテ・コレ」あるいは「コレ・ママ・トッテ」のような3語文が生成される」が、「この最後の段階への移行,すなわち主語と目的語と述語動詞が統合された文の生成は,言語処理能力の乏しい幼児にとっては容易ならざること」である。 「まず,語順について言えば,幼児が発する文の語順は十分には固定化されていない」が、「主語と述語動詞あるいは述語動詞と目的語の倒置が日常の話しことばにおける直感表現に特徴的な現象であるということ,したがって直感表現は語順に関して幼児言語の特質を受け継いでいる」のである。 「言語進化の過程で最初に発達を遂げたのは,自動詞文による直感表現であ」り、「最古の言語には,前置詞や後置詞はなく,格語尾も存在」せず、「語順も固定化されてはいなかった」と考えられる。 「言語進化の過程で最初に発達を遂げたのは,自動詞文による直感表現であ」り、「最古の言語には,前置詞や後置詞はなく,格語尾も存在」せず、「語順も固定化されてはいなかった」という。
そうすると、最も古層の言語には、名詞の格語尾や動詞の接辞もなく、それらの名詞や動詞はゼロ標識の絶対格であったと考えられる。 父と母,扉,開く
「この場合の「父と母」は現代人には明らかに行為者として認識され」たが、「原始時代の人々にはそのような認識が希薄であ」り、「むしろ積極的に,「父と母」を副詞的なものとして見立てたかもしれない」 文字が国家の奴隷管理のために発達したのなら
言語も命令のために発達したのだろうか 左右の概念のない言語もあり
数詞が5ぐらいまでしかない言語もある 「能格の具格起源たることを裏付ける有力な証拠としてとくに強調されねばならないのは,言語によっては能格と具格とが一体化しているという事実,それゆえ能格と具格は歴史的に密接な関係を有するということである」 「具格というのは,非常に具体的な意味関係を表す格であ」り、「主格や対格がその標識を欠いている言語はあっても,具格がその標識を欠いている言語は存在しない」 「また,具格という文法カテゴリーが存在しない言語では,必ず前置詞や後置詞が具格に代わる役割を果たしている」が、「そのよい例は中国語であ」り、「中国語には主語や直接目的語を標示する形態は基本的に存在しないが,具格的意味を表す前置詞がある」 このように、具格の起源は能格の起源よりも古いことも能格が具格に起源することを傍証しているのである。 実際のところ,世界の多くの言語において主体・客体関係は格語尾や前置詞などによってではなく,語順の拘束によって表される」 このスレッドは1000を超えました。
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