ゲルマン人の大移動と彼らが建てた諸王国
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古代末期に始まったゲルマン人の大移動、および彼らが各地に建国した
諸王国について語りましょう ローランド・エメリッヒのエメリッヒだけどこれってエルマナリク(グルツンギの王)と
アマラリク(6Cの西ゴート王)、どっちのドイツ語形なん? フランク王国ではなくアラブ人に制圧されたイベリア半島
フランク王国に制圧されなかったものの,文化・生活様式面で
フランク化したヴァイキングであるノルマン人に制圧された
イングランド インド系民族(アーリア人)が建てた諸国
インド、パキスタン、ペルシャ(イラン)、スリランカ、ネパール
中国系民族が建てた諸国
中国(諸王朝があったが征服された)、シンガポール
他にアラブ系、ロシア系、マヤ系諸国
最近だと英系諸国 ”古”フランク語はあるけど,中期フランク語を経てのフランク語は
現存してないのな >>77
「遊牧」とは「狩猟」の一種(動物の群の制御を覚えた狩猟)だが、遊牧民て戦争しまくりだよ
狩猟民(女真族など)が武力で略奪→奴隷に農作業させ半農半猟、の形態もあるが
遊牧のモンゴル帝国の侵略については説明不要
・狩猟民 不猟時には縄張り争いや略奪するし、武力を背景に交易しつつ弱い相手は狙う
→・遊牧民 毎日が軍事訓練を兼ね、日常的に略奪+戦争が日常的
工業社会で銃器が発達するまで、力関係では、狩猟・遊牧≧農耕だった
チンギス・カン(狩猟民の一形態である遊牧民)
「男たる者の最大の快楽は敵を撃滅し、これをまっしぐらに駆逐し、
その所有する財物を奪い、
その親しい人々が嘆き悲しむのを眺め、その馬に跨り、その敵の妻と娘を犯すことにある」 >>77
また、アイヌは、交易に依存する「職業的な狩猟採集民」だが
他の部族を虐殺するなど、好戦的に拡大して各アイヌ部族同士での紛争も頻繁だった
オロンコ岩(アイヌが敵対する先住オロッコ族を虐殺した伝承がある)
https://shiretoko-style.com/ho0516/
> アイヌ以前と伝えられる先住民族「オロッコ族」(Orokko=ウィルタ族)がその名の由来で、
> 少し南にある亀岩(チャシコツ崎)にはアイヌのチャシ(砦)があり、
> オロンコ岩のオロッコ族と対峙していたといわれています。
「北の元寇」といわれる戦争は、利益目的でアイヌ(加害者)がニヴフに侵略したため
ニヴフの訴えにより
ケツ持ちの元朝がアイヌを何度も懲罰し、アイヌは元朝に臣従(以降歴代の中国王朝に朝貢)
http://wpedia.mobile.goo.ne.jp/wiki/%83%82%83%93%83S%83%8B%82%CC%8A%92%91%BE%90N%8DU/5/
> 日本では鷲羽は、アイヌ交易の代表品として捉えられており[25]、
> アイヌは鷹羽・鷲羽流通の掌握を狙っていたと思われる[26 狩猟民族同士の縄張り争いでも、追い出された先に定着できなければ全滅 よくあるパターン
狩猟民、その変種の遊牧民、は農耕民と交易しつつその軍事力で農耕社会への略奪を繰返す 「史記」や「竹書紀年」読んでると春秋諸国から戎や狄にちょっかいかけてることがほとんどだがな
殷の王国貴族は羌族で人間狩りを楽しんでいた
驪山に暮らしらしていた驪戎であったが晋に皆殺しにされた多くの女たちが戦利品として晋の王侯貴族の慰み者になった
献公の妃の驪姫もその一人
李牧の守っていた代はもとは代戎と呼ばれる遊牧民が暮らしていたが趙が皆殺しにして奪った
秦の領土はもとは関中盆地に限られていた
隴西郡・北地郡・上郡は宣太后の時代に義渠と呼ばれる遊牧民から奪った土地
匈奴が秦漢と戦ったのは漢族に奪われた彼らの故地であるオルドス地方を取り返すため オルドスも一時は緑豊かな森林草原地帯だったらしいね 基本的に奴隷制が発達するのは農耕社会に入ってからだからな
沢山の奴隷の供給が必要になるから必然的に戦争も多くなる バイエルン、フランクは多民族の集合体だったんだな
単一民族のシュヴァーベン、ザクセンとは毛色が異なるんだな フランキスカで武装して共同体に参加する者がフランク人であると言われるのと同様に
サクスで武装して共同体に参加する者がサクソン人であると言われていて、
つまりサクソンもフランクと同様です。
シュヴァーベンはカエサルと戦ったスエビ族の末裔の一部らしいがよくわからん。 近年スエヴィがケルト人との説があるね
けっこう有力らしい 出所不明なものは何でもかんでもケルト人にするという風潮は如何なものかと ゲルマン人と言っても
その数百年前はケルト人だったと言うのが多いからな アラリック、テオドリック、ガイセリック、
リューリック、フレデリック と〜リックという
名前が多いのは何で? 他にも、キルペリック、アタラリック、アルダリック、
ヒルデリック、フネリックなんてのもあるね。 なぜならリックが「支配者、王」をあらわす言葉だから
ちなみにガリア語では rix という語が同等で、古ゲルマン語と大きな乖離はない
カエサルを悩ませたヴェルキンゲトリクスなどが例にあげられる >>804
〜リックは英語読み
ドイツ語では〜リッヒ
アラリッヒ、ガイセリッヒ、フリードリヒ >>806
それはケルト語とゲルマン語が「特に」近いみたいな変な誤解
(このスレでは両者に区別がない、実は同じ、みたいな誤解が相変わらずあるが、言語の上ではとんでもない)
イタロ=ケルト語というぐらい、
ケルト語はラテン語を含むイタリック語派により近く、一つの語派が比較的新しく分かれたものと考えられている
この例では違いが分かりづらいが、ガリア語のrixはラテン語のrex「王」に近いことにもっと意味がある
ラテン語にはrego「支配する」(不定形regere)という生きた動詞があり、名詞とは派生関係にある
ゲルマン語の場合はこれらとともに印欧祖語h3regsに遡り、他にサンスクリットのraja-n「王」とつながっている
西欧の諸語派でkやgで現れるものがインドではjになって現れるのもケントゥムvsサテムという現象の一端 遺伝子面からのゲルマン人社会の特徴に触れている
https://news.yahoo.co.jp/byline/nishikawashinichi/20180927-00098231/
ハンガリーに居住していたころのランゴバルド人は、
子供を産ませた女性がゲルマン人か否かで墓を別にしていたらしい。
自分はゲルマン人女性と一緒に埋葬され、ラテン人女性母子の墓とは区別していた
本妻はゲルマン人、妾がラテン人と言う認識なのだろう
ただしイタリア侵入後はその区分けは解消していたようだが 西ゴート王国のゲルマン起源名はゴート語由来、
アングロサクソン時代におけるイングランドのゲルマン起源名は古英語由来、
スカンジナヴィアのゲルマン起源名は古ノルド語由来
としてフランク王国でのゲルマン起源名はフランク語由来ではなく古高ドイツ語
由来なのか。 新大陸へのゲルマン民族大移動、19C頃さかんにおこなわれてたけど
独自に王国を作る事はなかったなw ワイアット・アープのワイ、
ヴィヴァルディのヴィ、
ルートヴィヒのヴィヒ
ゲルマン祖語まで遡れば同語源だったの最近まで知らんかった。 >>816
新大陸では君主国は作りにくいらしい
ラテン系のほうがまだやっているけど、
ブラジル帝国にせよメキシコ帝国にせよ
それなりに続いたものの滅んでいる 民族大移動より前だけど,アルミニウスや彼が属してる部族が話してた言語って
ゲルマン祖語?
はたまた紀元前後の時点でドイツ語の元となったゲルマン系言語が存在してて
それをしゃべってた?(この頃はまだ子音推移おこってないよね) >>819
第一次子音推移は紀元前1000年紀に起こったと推定されている
ゴート語を含めすべてのゲルマン語派に及んでいる特徴とされ、かなり古い
アルミニウスの生きた時代のゲルマン語なら当然その特徴はあっただろう
ゴート語は他のゲルマン語派よりも数百年古い記録が残っているため
動詞に双数主語の活用がある、動詞本体に受動態活用が残っている(コピュラや分詞を使わない)、
また後にゲルマン語派で発達したウムラウトがまだない、
コピュラなどで起こったロタシズム(英are, wereなどのR音に見るs,z→rという変化)がまだ起こっていない
といった古い特徴が残っているが、それでも第一次子音推移はすでに経験している
資料に乏しいので言えることはこれぐらいだが、第一次子音推移を経験していないゲルマン語の記録はない 名前の文化誌スレ向きとは思いつつあえて…
西欧言語圏のキリスト教徒の間で広く用いられているゲルマン起源名。
古ノルド語(北ゲルマン)、ゴート語(東ゲルマン)、古英語(西ゲルマン),
古高ドイツ語(西ゲルマン)由来の物があるけど圧倒的に多いのは
古高ドイツ語由来のやつか。 古高ドイツ語以外のゲルマン起源名で有名どころを
それぞれ挙げるとしたら
古ノルド語:Eric
ゴート語:Fernando,Alfonso
古英語:Edward、Alfred
あたりになるんかな >>820
レス819のいう子音推移は6C頃におこったといわれる第二次のほうを
いってるのかも アタナシウス派へ改宗したクローヴィスの名はルートヴィヒとか
ルイとかルイスといった形で西欧言語圏で広く用いられてるけど,
彼が属したメロヴィング朝の王朝名のもととなったメロヴェのほうは
サッパリのような >>796
奴隷制の元は狩猟の一形態である遊牧だという話だな
>■『家畜文化』の蓄積
>メソポタミアなどの小アジアで、10,000年前にヒツジ・ヤギの家畜化が始まり、
>9,000〜8,000年前頃に「搾乳」、少なくとも6000年前までに「去勢」の家畜技術が開発されている。
>それ以来3,300年前の本格的な“騎馬遊牧民”に至るまで、
★> 『どのように家畜の群れを意のままに管理するか』という【家畜文化】が遊牧民には蓄積されている。
★>(※後にこれを人間に当てはめ、遊牧民は奴隷管理に長けていくことになる)
あと日本からの北方への漂流民も千島アイヌなど現地人の奴隷にされてたし
アイヌ同士でも奴隷制はあったからね いちいち書いていないだけである意味どこでもあったみたい
古代ギリシャやローマ帝国、朝鮮李朝
アマゾン原住民同士でもあるらしいし、中国南部の少数民族間でもあったらしい、イ族 フランク族はゲルマン系+ガロ=ロマンの集合体だってフランクスレに
あったがこの場合はガロ=ロマンがゲルマン風の名を持ったりでゲルマン化
してったん? >>800
スエヴィってシュヴァーベンの語源じゃなかったっけ?
シュヴァーベンといえばアレマニエン
フランス語でドイツのことをAllemagneというらしい
これは歴史が変わるぞ ・フランスから見たドイツ Allemagne アレマン人(スエヴィ人、シュヴァーベン人)の国
・ドイツから見たフランス Frankreich フランク人の国 スエビ人がケルト人、だったりゲルマン系とケルト系で混血・混成してても不思議はないな
おそらくライン境界のゲルマン人も同様だろう ゲルマニア時代の白人が見てみたいわ ローマと混血していないだけに今より青目で白いんだろうか 色素的に今より青いってことはないか 今より肌が白いならあるかもなぁ オーディンとかのゲルマン神話の神を信仰してたのは北方ゲルマン人だけ?
ゴート族とかはどんな神を信仰してたの? ゴート系の名Farthinanthsは"大胆な遠征"という意味だが
オーディンにちなむ名前だったってのを人名関連の本で
見た事ある ドイツに伝承する中世の英雄叙事詩「ニーベルンゲンの歌」の前半の主人公ジークフリートが
ノルマン神話のシグルズであり、その物語がゲルマン世界に広く共有されていた様子なので
神話も共有されていたと推測される。ゴート族がどうといった細かい話までは文字資料がないので不明。 ツェッペリンの移民の歌はゲルマン民族のイメージがあったが
ヴァイキングの歌だった メロヴィング朝の王は、キルデリクスの時代には軍馬の供犠という、
きわめてゲルマン的な習俗を残しており、同王の時代には、
なお異教色の強い北西ガリアの一地方政権にすぎなかった なぜアルプスの南の地中海性気候の地域に移住したゲルマン人は独自の言語を保てなかったんだろう
ラテン系はそれこそ新しい移民のケベックを除いても、スイスのダボスみたいな寒冷地にまで住んでるのに
ロンゴバルド・ヴァンダル・ゴート・スウェビ、すべてラテン系などに同化された
夏涼しい気候の元でしか独自の生活様式は保ちにくかったのかな?
上層階級以外のゲルマン人も農民として住み着いたはずだけど
ようやく近代になってカリフォルニアや西オーストラリアにゲルマン系言語(ゲルマンとしてはパッチもんの英語だけど)が根付いたけど ゲルマン系言語だから根付きにくい、なんてことは特にないだろう
移住先でもっと多数の民族と混血すればその中に溶け込んで言語が消える
混血せず孤立しつつコミュニティを保ったり
社会的地位が上位のままその言語が緩やかに近隣の民族にも共通語として使われれば
アフリカーンス語のように生き延びる
満洲語も漢人に多く交わる地域の順に死語となっていったが
新疆のシボ語(実質、満洲語の方言)のように孤立した集落で使われ続けて
今も数万人の話者を保っている例もある アペニン山脈やスペイン・シエラネバダ山脈の山奥にゲルマン系言語の隠れ里を見たかったな
同じラテン系なら、アルプス周辺のフランコ・プロバンス語がなぜか南イタリアの山奥で話されてるくらいなのに(絶滅寸前だけど) フランク人の中にガロロマンが混ざってたみたく他のゲルマン諸族の中にも
ローマ系とかローマ人の血を引いてる人がいたりして。
さすがにスカンジナビアのヴァイキングはわからんけど ハプスブルク家はローマの名族の血を引くという嘘か本当かわからない伝承を持ってるんだっけ? フランス・ノルマンディー地方のノルマン人の場合だと入植してきたヴァイキングと
現地のガロロマンの女性との通婚だけでなく、ガロロマンの男性がノルマン人に
同化という線も・・・ >>839
カリフォルニアやテキサスも、現代の技術をもって国境を監視しているから英語文化を維持できてるんで、メキシコから無制限に移住してきてたら、とっくにスペイン語になっている そしてオーストラリアは中国語とアラビア語に席巻されるか....
南アフリカのカラードや白人の母語も、何の干渉もしなければバントゥ―系との折衷みたいなクレオールになっていくのかな カリフォルニアやテキサスも南の方は既にスペイン語圏だけどな もはやロサンジェルスじゃなくてロスアンヘレス、アルバカーキじゃなくてアルブケルケ、トゥーソンじゃなくてトゥクソンか >>849
もともとそうだったから、元に戻るだけだけどな ヨーロッパはそのうちイスラム教徒にのっとられるんだろうか 日本の人口は、今後80年間で今の半数以下になる
そうすると、財界からは当然移民を入れろという要求が出てくるだろう
そして、中国人、韓国人、イスラム教徒などが大量に移民してくれば、
日本社会の性格も変わってしまう >>853
後でドッと移民を入れるのは良くない。
時間をかけて少しずつ入れていくべき。
自称「リベラル」でさえも、移民には反対しているのが日本の特徴。これに関してだけは、右翼も左翼も変わらない。
でも、それは長い目でみて、いかがなものか。 日本の国民が嫌がっても、経済界は安い労働力を必要としているから、
移民の導入は避けられないのではないかと思う
「多様性反対!」と叫んだところで世界の流れは止められないし、
いまさら鎖国するわけにもいかない >>851
ヨーロッパの左派って頑迷・狂信的で移住先でトラブルをおこしてるイスラム移民をリベラルとしてひいきする反面、
移住先に溶け込もうと努力するイスラム教徒は目の敵にしてるような。 革命の夢からまだ冷めない連中だから社会を混乱させて欲しいんだろうよ。 移民ではないがシチリアに拠点を置いたノルマン人勢力は現地のアラブ人・ギリシャ人の
文化を尊重してて彼らの人材登用もおこなってたんだっけか
>>857
不安定化を図るべく中国共産党が糸引いてそう ゲルマン人国家の君主がキリスト教の聖人名を名乗りはじめたのはいつ頃から?
キリスト教へ改宗した後もしばらくはゲルマン由来の名前名乗ってたみたいだが 中世では先進地域だったアラブは何で近現代において後進地域になったんだ? >>860
中世から少しずつイタリアの都市国家におされるようになっていた もともとアラビア語の方言だったマルタ語で王をさす語はイタリア語由来のre
島の支配者が変わったことが露骨に表れてるな ヴァンダル族は豊かな北アフリカで三代も暮らしているうちに、
すっかり軟弱になっていたらしい
だから東ローマ帝国の軍勢にあっさり滅ぼされた >>851
貧しい人に施しをするのが宗教的義務としているのでその可能性は高い
共産主義でも出来なかったことを宗教でやろうとしている
貧富の差を業の結果とする仏教や貧しい者は努力が足りないと切って捨てるキリスト教にとっては驚異だろう ヴァンダル王国は、東ローマ帝国とのわずか四か月の戦いであっさり滅んだんだよな
歩兵を持たないヴァンダルの軍隊は、べリサリウス将軍の指揮のもとに組織的な
攻撃をかけてきた東ローマの軍勢に太刀打ちできなかった キリスト教を受け入れるようになったゲルマン系諸国家だが同地のゲルマン系が
キリスト教の聖人名を持つようになったのはかなり後(11Cあたり?)なのね 東ゴート王国の首都ラヴェンナでは、ゴート人の居住街区は「蛮族区画」と形容され、
当局はローマ人との混住を禁じていた
この特別街区には、アリウス派キリスト教徒の六つの教会があった
さらに法律については、ローマ人は引き続き帝国の法である『テオドシウス法典』に
依拠したが、ゴート人に関してはテオドリック大王が布告したとされる
『テオドリックの布告』が拠るべき法とされた >>868 何だったらゲルマン由来の名前の聖人がいたり 600年代後半から、イングランドとフランク国家の間で交易が行われていた
イングランドから輸出されたのは手工業製品、靴、毛皮、奴隷など
反対に大陸側は穀物、ブドウ酒、ガラス製品などを送り出した ゴート族などの族という言い方
日本の氏や家(平氏、武田家)とどう違う
ゴート氏、バンダル氏、 全然違う
今でいえばスペイン人とかイタリア人といった感じ ランゴバルド王国には、一時国王が存在しない、
「諸公の時代」と呼ばれる時代があったんだよな
30人以上の諸公が支配する連合政体だったらしい メロヴィング朝フランクも豪族の寄り集まりで大公とか執事、司教のあらそいがひどかった ランゴバルド王国を滅ぼした後、カール大帝は伯職担当者として
フランク人かアレマン人の自らの臣下をすえた
やがてのちにイタリアの中世貴族の多くが、これらフランク人の
血統から生まれていった 東ゴート王テオドリックがイタリア半島を支配したのち、ゴート人の入植は
主としてイタリアの北部と東部で、ローマ人地主は資産の三分の一をさしだした
シチリア、南イタリア、カンパーニャ、ローマ市周辺にゴート人の入植はなく、
そこの地主たちは代わりに土地収入の三分の一を税として差し出し、
それをゴート人の給料にあてた 後期のランゴバルド王国の国王はバイエルン公のアギロルフィング家が相続していたんだな ランゴバルト人はゴート戦争のとき、東ローマ帝国のナルセス軍に二万八千の兵を
提供して、東ゴート王国の壊滅に一役買っている
しかし、ナルセスは戦役の途中で、このランゴバルド傭兵部隊のあまりの野蛮さに
あきれはて、全軍の秩序を乱すものとして解雇してしまった >>881
もっとも長く生き残った東ゲルマン語は
クリミアゴート語らしいけど、
クリミアゴート語はどういう文字で書き表されたの? >>880 ただ食文化だけはゲルマン語を保った集団の中ではあまり洗練されなかったw
気候もあるけど、主にはプロテスタントの出現と産業革命のせいか アーリア人(ゾロアスター教)
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ゲルマン人(ゲルマン神話)
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北欧人(北欧神話)
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アングロ・サクソン人(祖神オーディンの一つ目教) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています