フランスの歴史
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古代から現代に至るまでのフランスの歴史について語るスレです >>31
もともと、伯の補佐をする役職だったからでは
そういえば伯は王による地方支配を代わって行う代官だったのに、
いつの間にか世襲されるようになった >>29
28だけど、いいですねーその解説。
西ゴート王国滅亡後、支配下のゴートおよびヒスパノローマ人はアラビアの影響を
強く受けることになる。
そのためその地における俗ラテン語は、アラビア語の語彙が多く含まれるようになり、
スペイン語へと発展していく。
フランスにおいても、南部のセプティマニア・ブルグント地域では、29の解説にある通り
イスラムの支配を受けた俗ラテン語が現在のプロヴァンス語の元となる。
が、一方でローマの遺産が一番長く残された地域でもある。
(ワインの造り方、耕作方法はローマ時代から現代まで全く変わっていない) 南仏にはもともとリグリア人が住んでいたんだよな
マルセイユ、アンティーブ、ニース、アグドはギリシア人の植民市だったし >>34
伯あるいは大公はローマ末期の長官職(ドゥクス)をモデルに司教座都市を中心に配置され、
その地を古くから支配してきたセナトール貴族が任命されるケースが多かった。
これが後のデュークの語源になるのは、ご存知の通り。
不安定な時代では、一代で消えていく脆弱基盤のフランク系より、
確固たる基盤をもつガロローマ系が継続して支配していく方が上手くいったようだ。
よって征服民であるフランク自由民が、被征服民であるガロローマ貴族に従属する
というケースは、都市のみならず農村地域においても多々見られた。 フランス軍で流行っていたエラン・ヴィタールとかいう精神主義は
どう考えても日本軍の大和魂に影響を与えている つーか近代のヨーロッパの軍隊なんてどこも、精神主義の塊だろ。 フランスはその中でも異様なほうだ
普仏戦争で負け、人口でもドイツに追い抜かれた。
じゃあどうするのかと言えば精神力に突破口を見出すしかなかった。
その精神主義の行き過ぎがマヌル以前の敗北につながる
(相手がマシンガン構えてる所に銃剣突撃して中隊ごと壊滅という
パターンが相次いだ) 絶滅危機のブルトン語、フランスは多様性と向き合えるか
http://www.cnn.co.jp/world/30001363.html
クレープがフランス料理の文化として欠かせない存在になる一方、ブルターニュ地方独特のもう1つの文化、「ブルトン語」は、話し手の高齢化に伴い絶滅の危機に瀕している。 ブルトン語なんて一地域でしか話されない言語を
貴重な授業時間を使って教わってなんになる
他の教化を教えたほうがいいだろうが フォッシュだったか
ドイツが一時大戦で負けたのは精神力がなかったからとか言ったの ソンムの戦いのイギリスやゲティスバーグの戦いのアメリカを見れば
>>39が正しいと思われ。
「非合理的な精神主義で平気で国民を大量に殺せる」ことこそが近代国民国家成立の
必須条件なんだよ。
「非合理的な絶対神の概念」が近代科学の成立の前提であることとパラレルなんだと思う。 18世紀のフランスでは「商業―軍事貴族」論争というのがあった
貴族だけで戦争を行う時代はとうに終わり、火薬・戦術革命による戦争様式の変化は
戦場における平民の役割をますます増大させていた
この意味では、近世以降の相次ぐ戦争が平民の軍隊、さらには社会での地位向上を
もたらしたといっても過言ではない
ただし、平民出身者が将官位に達したとしても、彼らは“貴族同様の熱意と勇気”を
示した故に評価され、またその論功行賞も“貴族化”といった形で行われた
したがって、軍事的資質を持つ者=貴族という理念そのものは、依然として
根強く残っていたと考えなければならない
ちなみに戦略が、なるものが学習可能な原理・法則としてまとめられるには、
19世紀初頭のビューロー、なかんずくジョミニを待たなければならない >>44
アンヴァリッド軍事博物館、ルーヴル美術館などのミュージアムは、
教会にとって代わった市民宗教の神殿なのかもしれんな
今ではフランスだけでなく、たいていの国にナショナル・ミュージアムがある
実際、機関銃構えてるとこに何度も銃剣突撃した例は少ない。
機関銃は銃剣突撃するフランス兵の左右や背後に穴掘って隠してあった。
\ /\
/ /\ 機関銃(フランス兵から見えない)
\ 塹壕 /\ ↓
/ /\/\ ↓ ○ ○ ○砲弾痕
\ ↓○ ○ ○ ○ (××)
/ いまだ!! →→→→→→銃剣構えたフランス兵○ 砲撃でアボンされたドイツ兵
\ ○↑○ ○ ○ ○ (××)
/ /\/\/\↑○ ○ ○
\ /\ ↑
/ /\機関銃 >>35
ガリア・ナルボネンシスはもともと地中海性気候で、マルセイユなどギリシア植民市が
このちにブドウ酒生産を伝えたが、ガリアのブドウ酒市場では前175年ごろから
イタリア産ブドウ酒が目立ち始め、前1世紀になるとほとんど独占状態となる
ガリアには古くからビールがあり、当初はイタリアからの移住者やローマ軍、
ガリアの貴族層が輸入ブドウ酒の消費者だったが、ローマ支配下でブドウ酒の
消費量も増え、紀元後1世紀になるとブドウ栽培とブドウ酒づくりの技術は
ローヌ川にそって北上し、2世紀にはモーゼル川地方にまで達した
1世紀末ごろからガリア産ブドウ酒はガリア外に輸出されるようになり、
ローマ市のモンテ・テスタッチォでは「五年物ベジエ産ブドウ酒」という銘がある
壺が発見されている >>49
ガリア人の葡萄酒好きは、征服前のローマ人の間でも知られてたよね。
交易や交渉の材料にも使われていたし。
ただ、お酒が強くなかったって話じゃなかったかな、ガリア人は。 >>42
そういって過去と断絶してしまったのが、たとえば漢字を捨てた韓国ではないのかな。 いつも思うのだが、下戸遺伝子の混じってない非東洋人達の間でも
酒の強い弱いあるのか?慣れや肝臓の強さなんかで多少の差はでそうだが 縄文人には下戸がいなかったとか。日本でも中部地方が一番下戸率が高く
離れるに比例してアルコールに強くなる。東北、四国、沖縄など酒に強い。 あ、すまん。誤爆レス。非東洋人だった。
俺も不思議に思ってたが、映画Three Amigos(サボテンブラザーズ)でテキーラ
飲んだアメリカ人が吐き出すシーンがあるから慣れはあるんだろうな。 ローマの酒商人はガリア人に、ワインを水で薄めないで飲むように勧め、これで酒にはまらせさらに消費量を
多くさせ、酒の代金として奴隷を提出させ、ガリア人たちは酒を手に入れるため、それと交換する奴隷を得ようと
ガリア人同士で人狩りの戦争をしまくった。
ローマの方もガリアを弱体化させるためその状況を煽った。
と、「ルビコン」に書いてあった。 日本人はなぜか欧米人のことを狩猟民族というが、ガリア人は大麦・軟質小麦・
エンマ小麦・ヒトツブ小麦などの栽培を行っていた
また大麦は食用だけでなく、ビール作りに用いていたらしい
彼らはさらに麻や亜麻を栽培し、その繊維で衣服を作る技術ももっていた
羊毛をつむぐ技術もかなり普及していた
こうした先進的農耕を可能にしたものとして、たとえば無輪犂利用の一般化がある
この農具は、すでにハルシュタット時代から知られていたが、ラ・テーヌ時代には
鉄製の犂刃が発明されていた
中世ヨーロッパの農業生産を飛躍的に増大させたとされる有輪犂も、
実はヨーロッパ中部のケルト人たちの発明だった
ブドウ収穫用の鉈鎌や大鎌や熊手が現在のようなかたちをとるように
なったのも、やはりラ・テーヌ時代だった
同じことは回転式石臼の発明についてもいえる 古代にフランスなんぞ存在しないぞ。
ローマ帝国の領土ガッリアの一部でしかなかったんだから。
それよりもケルト=ガッリア人の男色愛好風俗について語れよナッ!!! 確かに典型的な白人のノルウェイ人、オランダ人、アイスランド人などは漁民ばっかりで魚中心の食生活。 >>58
そんなこと言ったら歴史が語れなくなるだろうが。
現在のフランスにあたる場所の歴史を語るようにすればいいだろが >>57
脱穀機もガリア人の発明じゃなかったっけ? http://www1.doshisha.ac.jp/~takusemi/nishitaku/study/nougyoushi/000108.htm
ヨーロッパにおける千歯扱−その機能と消長
鎧スレに、ケルトやゲルマンをただの蛮族だと思っている馬鹿発見。 狩猟民族なんてブラックアフリカとか
東南アジアとかの辺境くらいだろな
農耕や牧畜しないと人口養えない アマゾンのジャングルに住んでいる人々は狩猟・採集生活
パプアニューギニアの人々も 質問なんだけどヴァロワ朝のシャルル7世の兄ルイとジャンの死因って何?
近親相姦な結婚の続いた血筋のせいで体が弱かったとか何かの病にかかったとか、
寝たきりになって死んだとか、何処かで倒れて突然死だったとか、
そういう具体的な死因が知りたいんだけど、百年戦争に関する本やネットで調べても
死んだってことしか載ってなくて気になってる ギュイエンヌ公ルイの死因はヘンリー5世と同じく赤痢らしいですが、トゥーレーヌ公ジャンに
関しては記述がないですね。 トゥーレーヌ公ジャン(Jean de France, 1398-1417)は毒殺されたみたい
ttp://fr.wikipedia.org/wiki/Jean_de_France_(1398-1417) 日本の非常にあざとい工作が、タイとまだ名目上はインドシナの支配者である
ヴィシー仏政権のトラブルをかきたてる。タイはフランス植民地に編入される前に
自国領土だったいくつかの省の返還を要求した。国境で騒ぎを起こさせておいて、
日本は調停役を買って出た。その上で治安秩序のため、インドシナの戦略要地に
陸海空軍を駐屯させる権利を主張した。この警察行為はついでに、日本の新聞の
洋鬼、とりわけ英国と米国が平和な土地の民衆に憎しみの種をまいているとの
猛烈な悪意に満ちた攻撃を伴った。
1941年ヴィシー政権は譲歩した。
「シンガポール陥落」 かつてたくさんあったナチス系スレッドが全滅状態。
いい悪いはべつにして、世間(リアル社会)で全否定されてるナチスを
再評価する思想的自由が世界史板にあった。
世界史板でなければ発見できない事実が豊富にあり
戦前ドイツを複眼的思考を研鑽できた。
サーバー大破でその膨大な蓄積が灰燼に帰して復興できなくなり
知識豊富なナチス研究者も去り、面白い知的議論が消滅した。
以前の世界史板は、現実社会では不可能なナチス擁護ができた刺激的な知的空間だった。
個人的には(現実社会で絶対悪視されている)ナチスへのタブーなき議論ができなくなったら、もう存在理由無いと思う。
フランスの黄金パターン
イギリスが行動を起こす → 「何しとんじゃワレ―」 → ボッコボコにされる
ドイツが行動を起こす → 「何しとんじゃワレ―」 → パリを蹂躙される >>75
トンデモ本の受け売りの妄言を聞くのが好みならオカルト板行けば? 普通に皆、ナチスに飽きただけだろ。
正直厨二が好みそうな薄っぺらい部分以外、どこが魅力なのか分からん。
普通の歴史好きってのは大体が工業、農業、文化、交通、通貨、政治、宗教、学術、労働など
幅広い分野に目を向けるもんだが、その辺なら帝政の頃の方がまだ遙かに魅力的だしな。 ナチスは冷静に史実を研究すれば研究するほど、ダメ政権ダメ政党ダメ集団であったことが
明らかになっていくからなあ。少なくともそういった知識を持つ人間の多い学問板では、オカルト妄言の入り込む余地はないよ。 ナチスがというよりワイマールの流れは何も変わってないからなぁ。
戦後は結局ドイツは悪化していくだけだったんで、ナチスに変わった事を
気にする意味が無い。 ナチスはむしろ回復期にあったドイツを台無しにさせた。 正直ヒトラーよりビスマルクのほうが能力は上だろうな。
ビスマルクはかなりのやり手だ。
フランスにとっては、ヒトラーよりビスマルクの方が怖かったんじゃないか 個人はそいつが死ねば終わりだからなあ。
恐れる必要は無い。ましてビスマルクは戦争する気無いし。 プロイセン期は勿論その動きからくる
プロイセンに警戒しただろうけど。 普仏戦争後の対独復讐感情ってどういうものだったの
ビスマルクが策略をめぐらしたことも事実だろうけどフランスもかなり無礼を働いただろう
大きな視野で見ればビスマルクがやったのはただの小さな挑発であって
プロイセン自体はスペインの継承について譲歩してあげてるのに パリ蹂躙されて、皇帝捕虜にされて、ヴェルサイユ宮殿で戴冠式までやらされたのに
「小さな挑発」て 極端な対独復讐感情を煽って政治的に利用していたのは、ブーランジェの取り巻きみたいな右翼だろう。
特にナポレオン三世タンは悪くない!と信じるボナパルティスト。
カぺーイスト、オルレアニストは、やっぱり成り上がりのボナパルトはダメだった的感覚。
クレマンソーみたいな左翼はドイツに対する憎悪より、ドイツと協力してパリコミューンを皆殺しにした右翼に対する憎悪の方が強い。
とはいえ実際ドイツ、特にカイゼルがあからさまに頭ヤバイ感じだったのも事実。
フランスの近代史はドイツとの対決の歴史
フランス人とドイツ人なんて合うわけがない
EUもいつまで持つか >>79
∧__∧
(`・ω・) 民主党政権と比較した上での事かね?
.ノ^ yヽ、
ヽ,,ノ==l ノ
/ l |
"""~""""""~"""~"""~"
なんだこんなところにナチス厨の残党が。
つかもう最近は厨と言う言い方自体廃れたよな。 >>91
はっきりいうと民主党なんて目じゃないほどのぶっちぎりのダメ政権だぞナチス。 ビスマルクが失脚していなかったら、2つの世界大戦もなかったし、
ロレーヌ・アルザスはいまだにドイツのまま。 ビスマルクの唯一の致命的失敗は、楽するためにカイゼルの権威を利用したこと。
すなわちカイゼルがビスマルク嫌いになれば挽回のしようがない。
その点すさまじい選挙戦を経て政権についたクレマンソーの方が強い。 楽も何も
プロイセンで強権を手に入れるには皇帝の信任を得るしかないんじゃないの いやフランスでは強権を手に入れるために皇帝や国王を退位させる。 ベルサイユ宮殿で戴冠式
エッフェル塔にドイツの旗
凱旋門の前でドイツ軍行進
フランス人の屈辱 >>91
民主党と比べてナチスの方がいい点って、国民に人気があったことくらいじゃね?
だから余計にたちが悪いわけだが。 ナチスはそれ以外に選択肢がなかったし、どの政党でも
結局同じことをしてたろうが、民主党は単に気まぐれで選ばれた政党が
国家を傾けてるんだから比較にならん。 > どの政党でも
> 結局同じことをしてたろうが、
無い無い。ナチス以外に戦争前提経済なんて気違い政策するところがあるかよw
それにナチスはせっかく自然回復していたドイツ経済を台無しにしている。
どう考えても民主党以下だわ。キミみたいなのは民主党がましに見える存在が居ることが我慢出来ないんだろうけどさw >>101
ここまでくると、もはや何を言ってるのか理解できないw
>それ以外に選択肢がなかったし
「それ」ってどれ?
>どの政党でも結局同じことをしてた
共産党みたいな極端な例を出さなくても、例えば中央党がナチスと同じ事をするなんて想像できないんだが・・・
そもそも「同じこと」って何? 1945年、ベルリンでフランス軍が行進。
東西ドイツ統一まで、ベルリンはフランス・イギリス・アメリカが分割統治。
ドイツ人の屈辱 西ベルリンは西ドイツではありませんが東ベルリンは東ドイツの首都です。
西ドイツの首都はボンです。
西ベルリンは外国の軍隊が駐留するとかそういうレベルではなく、ドイツですらなかった。
貯蓄経済を戦争前提だと思うのは結果論に過ぎないよ。
輸入額のインフレに対してはそれ以外対処しようがない。運が良ければ上手くいったろう。
仮に輸出を増やして上手くいったとしても、第一次包囲があった以上、周辺諸国の
工業化発展は戦争危機の増大に繋がる事が明白だし、世界的平和の見地に立てば
そんなリスクは負えない。
戦争前提はむしろ仏波鉄道等軍需企業の投資政策にある。結局これがドイツの
危機感を煽り、一連の流れを作ったわけで。
ワイマール期は自然回復はしていないどころか労働組合運動の失敗や企業の寡頭化で
悪化の一途を辿り、貿易面は辛うじて保てたにせよ、投資面はそれに遙かに及ばず、
資源面ではついに戦前の水準を取り戻すことがなかったんだけど。
賠償金支払いの要である独鉄も二等化や自動車競争云々でズタボロになった上、
ドーズ案以上に厳しく制裁的・商業的なヤング案により修復不可能になったわけで、
賠償不履行はナチス以前から既に決定されていた。
結局経済面でも外交面でも、ナチスによって変わるものは何もない。 >>107
>>102が言っている自然回復ってのはワイマール期じゃなくて1933年のことじゃないの?
どの国も回復しているし、ドイツの公部門では軍事費の増大が一番GDPの伸びに寄与した。
国民生活を犠牲にして軍事力を増強することが、戦争前提じゃないのなら、一体何の目的
でそういう政策をとったのか説明できない。
ドーズ案では賠償金総額についてはロンドン計画のままだし、ドーズ案よりヤング案が
厳しいってことは絶対にない。そもそもナチスが政権を取る以前に、賠償金の支払い
義務は事実上免除されていたわけだが。
ドーズ案以降、返す当てのない過剰な投資を敢えて受け入れ、それをデフォルトすると
脅して賠償金のデフォルトを引きだそうとしたシャハトが諸悪の根源で、そのシャハトが
ナチス政権前期の経済相だったし、ワイマール期の負の遺産を引き継いでそれを一層
悪化させたのがナチス。 シャハトの計画の34年までなら33年は総予算に対し31%、34年は45%で
軍事費は大したことは無いが。
隣国のポーランドでは34年44.3%で、原料費の削減を受けて33年より減少しての事だし。
確かに国民所得に対する割合は15%と極めて高いものの、結局はフランスとソ連、日本の
二年分に満たない。
ヴェルサイユの欠点は賠償総額にあるのではなく、工業力の喪失と支払い方法にある。
ドーズ案では喪失した工業力の低下を補うため、鉄道の利権を基にした国際企業によって
ドイツの貿易の促進と定期的な支払いを確保するはずが、現実には結局外国勢はやる気をなくし、
企業経営も悪化、28年2.5倍になるとドイツは対処できなくなった。
総額に対する負担ではなく、この倍加に対する不可能が不履行の原因。
とはいっても、ドーズ案が生きている間は支払いに協力する義務が外国にも存在したが、
ヤング案によってそれが無効化される。ローザンヌ会議中の英仏間のヤング案復帰協定は
会議を幾らでも後から無実化できるものだったし、免除を求めた企てはすべて失敗したと
いっていい。
結局ヤング案における返済の脱ドイツ化が各国の様々な政策を引き出すに至った。 どっちみちヒトラーに経済の仕組みがマトモに理解できるとは思えない。
奴の行動理由は主観的感情的なユダヤ人嫌悪、共産党嫌悪、ソ連嫌悪、フランス憎悪で、
経済の悪化とか好転とかはあまり関係がない。 神のため戦ったフランス騎士の十字軍は偉大ってことだな。
まあ、商業流通だけでなく交通開発なんかもあるしね。
交通といえば南仏はとことん遅れたなあ。
南北戦争とかやっても良かったように思うけど。 創元社の知の再発見シリーズのヴァイキングを読んでいたら、
ヴァイキングのパリ包囲の部分で
”当時のパリ城は河に浮かぶ島のようなもので、ヴァイキングは昼夜攻撃を加えた“
とあった
驚きだね
地形も今とはだいぶ違ったのだろうか >>115
埋め立てたのはずっと後かね?
面白いよねえ ルテティア=パリでもないのかい?
誤差はあるだろうけど
誤差っていうか・・・数学的にいや、「ルテティア ∈ パリ」でしょう。
現代のパリはダダ広い。中心部のさらにごく一部がルテティア領域。 ルテティアはフランク人にとってどの程度価値があったのだろうか
ユーグカペーも辺境伯扱いだよね
これはローマ時代のルテティアの存在価値という意味と同義ですが… >>120
ローマ側ではなく、フランク王国側からみると、
王国枢要部というのは、実は長兄が相続した帯状の地域なんだよね(ロタリンギア)。
長兄の王国は、地理的版図としては大変に評判が悪く、「だからすぐに崩壊した」と書かれることが多いが、
実はこの地域、その後もずっと人口稠密で経済力の強い地域で、
今では、「青いバナナ」と言われ、
米国北東回廊(ボストンからワシントンまで)、日本の太平洋ベルト地帯と並ぶ、
「世界三大帯状メガロポリス」という扱いになっている。
そこからみると、パリというのは、枢要から外れた平原の真ん中の中州にぽつねんとある、謎の辺境都市。
そういうところだったからこそ、弱いながらも王権が持続して生き延びたのかもしれない。 >>121
ああ、「ロタールの国」ってやつね
なるほど…
大河沿いに街を造るのはローマ式の流通形式で、
ルテティアも単なる多くの町の一つだったのかな
>>104
ナポ軍によるベルリン陥落と神聖ローマ帝国消滅も外せないでしょう フランスの歴史教科書ではラスコー壁画とか石器時代からちゃんと教えているのだろうか?
>>121
遅レスだが、その後もブルゴーニュ公国やベネルクス・アルザス・ラインラント(北イタリア)など西欧の経済中枢になっているね。 日本だと戦後になって神話教育をやらなくなったて、
その穴埋めとして考古学を教え始めたんだよな http://www.clair.or.jp/j/forum/c_report/pdf/094-1.pdf
これを見るとフランスでは自国史・他国史を中等教育で区分せずに教えているようだ。
ちゃんと人類出現から教えているのはさすがだな。 http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/05/17/kiji/K20120517003264240.html
アンリ4世王妃のダイヤ 7億7000万円円で落札
フランスの「良王」と呼ばれたアンリ4世の2番目の王妃が所有していた
34・98カラットのダイヤモンドが15日、ジュネーブで競売にかけられ、
904万2500スイスフラン(約7億7000万円)で落札された。
共同電によると、予想落札価格は185万〜365万スイスフランだった。
競売大手サザビーズによると、西洋ナシのような形をした美しいダイヤはインド南部産とみられる。
アンリ4世が最初の所有者から買い取り、17世紀初めに王妃となった
中世イタリアの名門メディチ家出身のマリー・ド・メディシスに贈った。
[ 2012年5月17日 06:00 ] フランスの歴史の裏?
・仏と露とのクリミア戦争では、仏が勝つために
わざと昼飯の時間に露を襲った。
・100年戦争中で、ナポレオン軍がイギリスの落とし穴に
引っ掛かる。
いつの戦争かとか、忘れたけど仏って
結構、漁夫の利なの多いよね
そんでもって、他の国が似たようなことすると、
すごく怒るw
>>129
そんなことだからベトナムやアルジェリアで完敗するんだよ。 フランス王の「ルイ○世」は
カロリング朝のルートヴィヒ敬虔王を1世として起算するけど
クローヴィス=ルートヴィヒ=ルイだから
メロヴィング朝のクローヴィス1世から起算して
敬虔王はルートヴィヒ5世、聖王ルイはルイ13世、太陽王はルイ18世、
ナポレオン失脚後の最後のルイ王はルイ22世、
としないと計算が合わなくない?
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