フランスの歴史
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古代から現代に至るまでのフランスの歴史について語るスレです 現代人が維新って漢字でどう遊ぼうが廃藩置県後に明治維新に参加して近代国家建設をした日本の初代総理大臣伊藤博文が
渡米した際に米議会で我々日本は一滴も血を流さずに無血革命を成し遂げましたと演説してるけどな 民衆が支配者を倒したわけじゃないから革命じゃない
理屈としては成り立つけど民衆がってのは夢見すぎだよな >>585
旧ド・ゴール派のような右翼はフランス革命まんせーだけど対独協力派やブルボン派、カトリック右翼は革命否定 >>589
文脈によるけどフランス革命の位置付けについては、マルクス主義者の側が「あれはブルジョア革命だった」と言いたがり、
反マルクス主義(左翼の反マルクス主義者もいるが)の側が「そもそもフランス革命のころは産業革命もまだで資本家なんてそんなにいなかった。
革命は官僚とか弁護士とか知識人が中央集権的な統一国家を作るために起こした」と言いたがる。 フランス革命というのが単なる左翼による共産主義革命で、それによって生み出されたのが社会主義的な国家なら
国民軍なるものは社会主義的国家でないと生み出せないという事になる
そんなわけないだろうよ。 >>602
フランス革命時の「左翼」は共産主義ではない
国民公会の左翼に陣取ったのはジャコバン派
これが元祖左翼 >>603
そうだよな。
フランス革命というのが左翼革命なら近代国家というのは左翼革命で生み出されたのが事になる
そんなわけないからな。
例えるならアメリカ独立戦争の内戦版だよな。 >>604
左翼革命だって言ってるだろ阿呆
ジャコバン派が左翼なんてよ 明治時代には神仏分離、国家神道は、進歩的な意識高い系の宗教だった。
島崎藤村の「夜明け前」では、国学者の主人公は維新になると寺から位牌を引き取って神式に変えようとする。で、
寺の住職は主人公たちと前から親しい「村のインテリ」なので「残念ですけど、当然ですよねえ」と穏やかに位牌を引き渡す。
江戸時代には成田山に帰依していた市川團十郎家の明治期の中興の祖の九代目団十郎は、
演劇改良、活歴ものに熱心な近代派で、団十郎家の宗教を神道に切り替えた。
もっとも団十郎家=成田屋で、成田山との関係を断ち切るわけにはいかなかったけど、団十郎家の私的な宗教は12代目までは神道。
だから先代団十郎の葬儀も神式だった。もっとも海老蔵の代になったら仏教に戻るかも。 >>607
フランス革命はジャコバン派が起こして社会主義的左翼国家を作ったのか? まさかロシア革命でソビエト連邦ができる前に左翼による革命で社会主義国家があったとは知らなかった。 https://www.youtube.com/watch?v=Afj1muIIHPo
これの0:06あたりに映っているのが神式の祭壇。
九代目団十郎は、ファンからは「江戸歌舞伎の伝統を明治に引き継いだ人」ということで人気があったんだけど
本人は演劇改良で欧米人に馬鹿にされないような歌舞伎を作ることに努力しているつもりだった。曽我兄弟をやるときに歌舞伎風の派手な衣装を止めて
史実に忠実な貧乏武士の衣装で舞台に上がろうとして関係者と大喧嘩になったこともあったそうだ(w。
そんな革命派の九代目団十郎だからこそ古来の宗教を捨てて「最高存在の祭典」をやったんだよ。
団十郎家の葬儀のニュースを見て俺は「明治維新というのはフランス革命だったんだなあ」とシミジミと思った。 フランス革命でも、明治の日本の「廃仏毀釈」みたいなのはあった。
ナポレオンが、ライン川に沿ったドイツの古城を「封建主義の象徴だ」といって
壊しまくったおかげで、イスラム教徒に破壊されたインドの古都みたいになってしまった。 フランス革命を主導した層と明治維新を主導した層は似てそう
新興の貴族という点で ナポレオンは主義主張より実用とか自分の趣味に合わせるからなー
廃仏毀釈ってのはイデオロギー的面もあったけど、
ナポレオンの城破壊はこの中にいちいち立てこもられたら厄介だって判断だろう 革命のイデオロギーなしでは、あれだけの数のフランス人を熱狂的に動員するのは無理。
あまりにも大勢が戦争に行ったおかげで、フランスの男性人口は大幅に減少した。 ドイツやイタリアは、まだ思いっきり封建領主の時代だったからな >>617
日本でも明治維新の時に、お城を壊して、桜の木を植えたな。 壊さないで残した熊本城は西郷軍を撃退したな。逆に反政府組織に籠られたらやばかった。 >あまりにも大勢が戦争に行ったおかげで、フランスの男性人口は大幅に減少した。
実際には男性人口のわずか3%しか徴兵されておらず
これは志願制をとっていた第一次世界大戦時のイギリス(5%)より低い
人口が減少したのは別の要因 >>625
ただのグローバリストだよ
サルコジ時代へ逆戻り
フランス国民もバカな選択をしたもんだ
一生移民問題で苦労しとけ >>628
じゃぁルペンが勝ってフランスはEUを離脱。求心力を失ったEUは崩壊。
その先のフランスはどうなるの? >>628 イタリアの五つ星運動も、ギリシャの黄金の夜明け党も、言ってることはともかく、その国の国民から湧いてきた政党だなって思えるけど、
マクロンのはそれを感じさせなくて逆になんか不気味。二十世紀少年の「ともだち」に近いものを感じるのは気のせいかな....
日本の偽民進党が党名を決めてる最中に、「いみんの党」とか揶揄されてたけど、まさにリアル「いみんの党」がフランスにできるのか >>573
間接的に竹中を支持したことになるんだよ ルペンが大統領になっても議会の反対で結局何も出来ずに任期終了だろうな >>631
日本にもルペンみたいな奴が出てきて欲しいね ルペンはフランス人の感覚では極右ってだけで
保守的な日本人の目から見ると思想は相当左寄りだぞ >>634
>思想は相当左寄りだぞ
社会主義者なのか? 「女帝」マリア・テレジア生誕300年、オーストリアで祝賀行事 写真17枚 国際ニュース:AFPBB News
http://www.afpbb.com/articles/-/3128144?cx_tag=sp_photo&cx_position=2#cxrecs_s
マリアテレジアは仮想敵国をフランスからイギリスに乗り換えた人。
そのために娘のマリーアントワネットはルイ16世に嫁いだ。
それを許せない英国=国際金融資本がフランス革命を実行し、
最終的に第一次世界大戦でオーストリア帝国も滅亡させたのだと思われる。
16人の子供を産んで、子供の婚姻により平和を目指した彼女は偉大な指導者。
虐殺と戦争で覇権を維持する英国とは対照的。 その英国も最後はアメリカに身売り
少なくともドイツよりはマシと 身売りしたかに見せてアメリカを操っているではないか
21世紀後半は新大英帝国が地球を支配する時代であろう >>637
>仮想敵国をイギリスに乗り換えた
イギリスじゃなくて、プロイセンだろう。
マリア・テレジアの宿敵といったら、どう見てもフリードリヒ2世 >>637
大英帝国も、第一次大戦で崩壊してるんですが 戦間期の英仏は既に実力無き幻影大国
最終的にはナチスによって暴露されるが 英仏って、なんだかんだ言って昔から一体だよな
分けるほうが無理 既得権層として新興には手を組んで対抗なんだよな
但しアメリカに対してはイコールではない >>640
フリードリヒ2世って、イギリスが雇ったやくざ者でしょ? フランスの地域ごとの違いについてだけどさ、
プロヴァンスには黒髪が、
フラマン地方やアルザス地方には金髪が多かったりする おなじ地中海に面したリビエラ海岸でも、南仏のフレンチリビエラは、
なぜか隣のイタリア側と比べてずっと洗練された雰囲気 しかし南仏は、夏しか人がいない
冬はミストラルが吹き荒れ、北極なみの酷寒地獄らしい
冬の南仏に行ったことある人が知り合いにもいないから真偽は不明だが ミストラルというのは、アルプス山脈から吹き下ろす冷たい風
群馬県の空っ風みたいなやつ フランス料理も、大西洋岸ではシーフード、アルザス地方はビールとソーセージ、
中央部ではワインとパン、南部では地中海料理だったり。 大西洋岸は海洋民族だな
中世から、イギリスとのつながりが深い
大統領選でも、支持率の傾向がまったく違っていた 南仏はもともと完全に異民族だったのに、いつのまにか統合された 南仏とイタリアは同じ海岸に並ぶ横並びの国だが、
アルプス山脈が海岸近くまで続いているおかげで、
自然国境により完全に分かれている
サルデーニャ王国のカヴール首相がニースをフランスに割譲したおかげで、
さらに国境がはっきり分かれた フランスの地方は、従来の諸侯領の境界をそのまま使ったようなフランス革命前の区分に代わって、
革命後は、県の数は1789年の83県から96県プラス4つの海外県に整理され、それらの県には、
川や山(アルプス、ピレネーなど)の自然的・地理的な特徴を示す名前が与えられた。
こうして、それまで特権階級の都合で人工的に作られてきた国家や地方の区分を自然化し、
また各県のアイデンティティーを土地に根付かせるようにしたのである。 >>658
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%81%AE%E5%B7%9E_(%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E9%9D%A9%E5%91%BD%E4%BB%A5%E5%89%8D)
フランスの州 (フランス革命以前)
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%81%AE%E5%9C%B0%E6%96%B9%E8%A1%8C%E6%94%BF%E5%8C%BA%E7%94%BB
フランスの地方行政区画 日本でも有名なマドレーヌって、ありゃもともとロレーヌ地方のお菓子だったんだよな
それが鉄道網の整備により、地方と中央が結ばれると、地方の名産品がパリに集まり、
そこでブレークするようになる。
マドレーヌのほか、ボルドー地方のカヌレ、エクス・アン・プロヴァンスのカリッソン、
北ノルマンディーのブルドロ、リムーザン地方のフロニャルド、ブルターニュのクイニー・アマン、
アンジュー地方のプラム・パイ、ナンシーのマカロンなどもそうした地方菓子。
ttp://stundenbirne.jugem.jp/?eid=628
コメルシー駅のマドレーヌ売り、20世紀初めの絵葉書 オック語文学はこのころ発展し隆盛を極めた。12世紀から13世紀、
トルバドゥール達が宮廷恋愛を詠うようになり、
オック語はヨーロッパ全土に広まった。
オック語やオクシタニアの語が現れだしたのもこの頃である。
1102年にはトゥールーズ伯レーモン4世が第1回十字軍の際にトリポリ伯国を建てている。
トリポリ伯国にはオクシタニアやイタリアから住民が集まってオック語が話され、
オクシタニアの植民地とも呼べるものであった。 13世紀のアルビジョア十字軍の後、フランス王の支配力が及ぶようになったが、
完全にフランス王権下に入るのは17世紀である。
こうした流れのなか、住民は依然オック語を話してはいたものの
貴族やブルジョワジーがフランス語を学ぶようになり、
1539年、フランソワ1世はヴィレル=コトレの勅令で
行政上での言語をフランス語に限定するまでになった。
1789年のフランス革命では地中海地域の自治とオック語の復権が図られた。
しかしこの試みはジャコバン派の反対で挫折してしまう。
一方19世紀になるとオック語文学の巻き返しが始まり、
フレデリック・ミストラルがノーベル文学賞を受賞するなどしている。 しかし1881年、ジュール・フェリー内閣の時代から学校でのオック語の使用は禁止され、
結果オック語の地位は次第に低下していく。
フランス語によるマスメディアの影響もあってこの傾向はさらに顕著である。
1999年の統計によればオクシタニアの1400万から1500万人の人口のうち
オック語を母語とするのは600万人とされるものの、
その多くが高齢化を迎えており、オック語の維持発展を求める試みがなされている。 イギリス、ドイツ、イタリア、スペインなどと同じく、
フランスも、本当は北と南では別の国だったのを、
強引にくっつけて1つにしてしまった国家。
強力な中央集権が早くから進んだおかげで、南北対立は目立たないが。
南のオクシタニアは、中世においては一大勢力であった。 それにしても、ルアーヴルにマルセイユと、欧州でも最大級の港湾都市を
北と南にそれぞれ持つフランスだが、両方とも歴史には存在感ゼロ。
隣のドイツとイタリアには、ハンブルクとか、ヴェネチア・ジェノヴァ・アマルフィとかがあって
中世から海運の中心だったのに、やはりフランス人は、
近代になるまでは陸の民たったか。 しかし、マルセイユが発展したのは18世紀の後半
歴史の長さでは、ジェノヴァとは比べものにならない マルセイユの歴史は浅いが、近郊のエクス・アン・プロヴァンスは南仏の古都 コート・ダジュールといえば現在では観光地として有名だが、中世から18世紀末まではイスラーム海賊が、
またときにはスペイン海軍が出没していた。
この脅威に対抗するため、サン・トロペは強力な海軍を保持して、フレジュスやアンティーブへ
応援に駆け付けたりした。
観光産業が起こるまで、コート・ダジュールは辺境地帯だったのである。 全世界の風光明媚なところって大体辺境だったところじゃない?
人が多いところって近代〜現代でもれなく工業化してそう >>673
大昔のことだけに、大都市といっても、たかが知れている
現代の巨大都市とは、どっちにしても規模が比較にならない >>674
北京とかと同じで、発展したのは数百年前からだけど、
さかのぼれば古代ローマ帝国からの歴史がある アヴィニョンを中心とする教皇領は教皇庁が合法的に入手したものだったから、
「朕は国家なり」といったルイ14世の力も及ばず、フランスがここに主権を回復するのは
1791年9月、フランス大革命の混乱期においてだった。 >>672
18世紀の前半には、マルセイユでペストが大流行して十万人が死んだりしている。
18世紀のフランスっていったら、バリバリの近代国家に思えるけど、
まだ中世っぽさを色濃く残してたんだねえ。 地中海リゾートの中でも、南仏のフレンチリビエラ海岸は最高峰に位置づけられている ここをフランスに取り込んだのは、歴代フランス国王の功績 1804年、ニースは住民投票によってフランス帝国への帰属を決定したが、
1815年パリ条約によりニースはサルデーニャ王国に割譲された。
サルデーニャはイタリア王国の成立をフランスに承認してもらうため、
プロンビエールの密約に基づき1860年に再びニースはフランスに割譲された。
ニース出身の武人でイタリア統一戦争で活躍したジュゼッペ・ガリバルディは、これに激怒した。
その後もイタリアによるリソルジメント・失地回復の目標にされ、
第二次世界大戦期にはイタリア軍の進駐を受けたが、
その後はフランス領として現在にいたる。 モナコ公国、通称モナコ(Monaco)は、西ヨーロッパの立憲君主制国家。
都市国家であり、世界で2番目に小さいミニ国家で、国連加盟国の中では世界最小である。
フランスの地中海沿岸地方コート・ダジュールのイタリアとの国境近くに位置する。 カンヌ(Cannes)は、フランス南東部の、地中海に面する都市の一つ。
地中海に臨むコート・ダジュールで、ニースに次ぐリゾート地。ニース西南約30km。
中世から19世紀頭までは、農業、水産業を中心とする村落であったが、
1834年、イギリスのブルハム卿がイタリアへの途上滞在したのを
きっかけとして国内外の貴族がこの地域に別荘を建てはじめ、
次第に高級リゾート地へと発展。
毎年5月のカンヌ国際映画祭の開催地として、世界的に有名である。
目抜き通りのラ・クロワゼット通りには、世界から集まる著名人や
映画俳優が宿泊する超高級ホテルをはじめ、高級レストラン、ブティックなどが並ぶ。 プロヴァンスでは、秋になると、東西に走る中央山塊と地中海の上空は
北高南低の気圧配置となり、山肌を吹き降りるミストラルは
「吹くのではなく落下してくる」
とさえいわれ、自動車や列車も速度を緩めないとひっくり返されてしまう。
そして、この氷のような突風が一週間余りでぴたっとやむと、空は埃が一掃され、
まばゆいばかりの青さに返る。 やっぱり、ヨーロッパはいいね。
「白人崇拝」と言われようとも、魅力が違うのは認めざるを得ない(笑) 江ノ島 >>>>>>>>>>>> モンサンミシェル モンサンミシェルというか、江ノ島の近くの海岸はニースに似てるなとよく思う 最近は、広島が世界的な観光地として浮上している。
外人の旅行サイトなんかを見れば、もはや
「東の厳島神社、西のモンサンミシェル」
というくらいの位置づけ。 日本も、電柱を埋めるとか、ゴチャゴチャした街並みを本気で整備すれば、
ヨーロッパに勝るとも劣らないんだが。
しかし、日本人といえども、しょせんはアジア人なので、そこまでの秩序を求めるのは無理(笑) 隣の韓国では、百済の宮殿を新築したり、新羅の寺院を新築したり、
想像力を駆使して必死で観光名所を作っている。
まさに、「歴史と伝統は、ないのなら作るニダ」の精神。
日本の地方都市も見習うべきだ。 ニューヨーク・タイムズ紙が選ぶ「2017年 行くべき世界の場所52」
日本からは「大阪」「琉球諸島」が入ってる
http://fuandstyle.com/%E5%A4%A7%E9%98%AA/post-9973/ >>693
大阪は、韓国からの旅行客に大人気
グルメの街として「鶴橋」が筆頭に挙がってるあたり、なんか怪しい記事だな? 地中海世界との玄関口であるプロヴァンスの歴史は、フランスで最も古いといえます。
Provenceという地名が「プロウィンキア・ロマーナ(ローマの属州)
"Provincia Romana"」に由来しているように、
紀元前6世紀からギリシアやローマの植民地として様々な影響を受け、
中世においてはプロヴァンス伯の領地として独立性を保ち、
15世紀末にフランス王国に吸収されるまで、独自の歴史を歩み、
言葉や文化を培ってきました。
プロヴァンスだけでユネスコ世界遺産に5ケ所も登録されているなど、
多くの史跡に恵まれているため、思わぬところで様々な遺跡に出会えます。
つまり、歴史を知れば旅を数倍楽しめるはず。 >>694
大阪で外人観光客が一番多い所は戎橋筋と梅田スカイビルだけどな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています