実はフランス革命にも影響を与える

天明の大飢饉(てんめいのだいききん)とは
江戸時代中期の1782年(天明2年)から1788年(天明8年)にかけて発生した飢饉である。
江戸四大飢饉の1つで、日本の近世では最大の飢饉とされる。

7月6日(8月3日)には浅間山が噴火し、各地に火山灰を降らせた。
火山の噴火は、それによる直接的な被害にとどまらず、
日射量低下による更なる冷害をももたらすこととなり、農作物には壊滅的な被害が生じた。
このため、翌年から深刻な飢饉状態となった

被害は東北地方の農村を中心に、全国で数万人(推定約2万人)が餓死したと杉田玄白は『後見草』で伝えているが、
死んだ人間の肉を食い、人肉に草木の葉を混ぜ犬肉と騙して売るほどの惨状で、
ある藩の記録には「在町浦々、道路死人山のごとく、目も当てられない風情にて」と記されている