偉人同士の意外な繋がり
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マルサスの父はヒュームの思想上の同志で、ヒュームを招いて息子の生誕を祝ったとか、
カントは規則正しい生活を送っていたが、あるときルソーの本に夢中になって日課を忘れた、という類のエピソードを希望。 エディソンと大フォードが、あるレストランで会談をする、という話を聞きつけたある記者が
隣席を確保してその内容を聞き取った。
しかし、内容はどうってことない世間話の連続で、高額の予約料金と食事代を無駄にした、と後悔した。 マウリヤ朝のチャンドラグプタが少年時代にアレクサンドロス大王を目撃 森鴎外が、ナウマンの日本蔑視発言の場にいて、堂々と反論したこと。 ドフトエフスキーとツィオルコフスキー(宇宙ロケット構想の始祖)が同じ人に師事していたこと。
ニコライ・フョードロフだったかな? レーニンとムッソリーニは、スイス亡命中に親交があった。
(1900年代のスイスは政治亡命者のメッカのような場所だった・・・) ドゴール(フランス大統領)とトゥハチェフスキー(ソ連陸軍元帥)は
若い頃ドイツの同じ捕虜収容所に入れられてそこで友人になったという話 マルコポーロは元の首都である大都で二月騒動により日本から亡命してきた
六波羅探題南方の北条時輔に会い、東方見聞録にて黄金の国ジパングの着想を得た。
ちなみに時輔を伴ってジェノバに帰国したマルコは時輔の赤マフラーからヒント得て自国の兵の目印に採用したという。
これが後にジェノバ特産の赤色ネクタイとして発展したのはあまり知られていないお話。
フランスの画家、マネとモネがお互いにお前の名前何とか汁!とか聞いたことあるな。 ヒトラーとビイトゲンシュタインは同じ小学校で
子供の頃に一緒に写真に写っている。
東条英機を絞首刑にしたのは、キング牧師のお父さん。
>>14
リンツ実科学校だろう。
ヴィトゲンシュタインの家はウィーン ヒトラーがウィーン美術アカデミーを受験した時、
エゴン・シーレは年下だったが既に在校生だった。
1944年7月20日、ヒトラー暗殺計画ワルキューレを実行した、
シュタウフェンベルク伯爵はウィーン大学で
シュテファン・ゲオルゲに文学を学んだ。
第一次大戦中、ルドルフ・ヘスが
入隊した部隊の師団長がハウスホーファーであり、
戦後ミュンヘン大学の教授となったので、
退役したヘスも入学して教え子となった。 >>16
> ヒトラーがウィーン美術アカデミーを受験した時、
> エゴン・シーレは年下だったが既に在校生だった。
これ(と言うか、シーレという人物についても)某ゲームで初めて知ったw ダーウィンの外祖父が、陶器製造会社ウェッジウッド社の創業者。 劉禅の皇后の張氏の母(つまり張飛の妻)は、夏侯淵の息子で後に蜀漢に亡命
して来た夏侯覇の従姉妹。
後に亡命して来た夏侯覇に、劉禅は夏侯淵の死を恨まず、自分の子が夏侯氏の
血を引いていることを覚えておいて欲しいと述べている。
この板なら今更でしょうが。
一応、張飛による夏侯氏の娘誘拐自体を疑う現代の史家も存在します。 天草四朗は豊臣秀吉の孫。
大坂夏の陣の際、豊臣秀頼は密かに大坂城を脱出して乞食の扮装をして薩摩に落ちのび
そこで島津家に匿われて生き長らえた。
その時に地元の娘との間に出来た子が秀綱で、名を隠して益田四朗と名乗り、
後に農民反乱のカリスマとなった天草四朗時貞である。 プラトンに論を弄ぶソフィストとしてこき下ろされたゴルギアス、プロタゴラスは
それぞれエンペドクレス、デモクリトスの弟子 哲学者のデューイは胡適がコロンビア大学に留学していたときの教授。
ちなみにデューイは欧洲大戦が終わった1919年〜1921年にかけて日本と中国を訪れている。
胡適の方も晩年に中国共産党が政権を掌握するとアメリカに亡命した。 プルードンは貧しい印刷所で働いていた若者時代にフーリエに出会って彼を崇拝した。 ポリドリ版『吸血鬼』と、『フランケンシュタイン』は、同じ場所で行われた
怪奇談義から生まれた。
まあ、これは前者を知っている人は皆知っているかもしれないことですが。 >>28
漫画家のつのだじろうも始皇帝の子孫だそうだ 画家のドラクロワの実父を、外交官のタレーランとする説がある。 >>29
ジャンプ漫画つながりで、漫画家の小栗かずまたは、小栗上野介の子孫。
大岡越前守忠相の母方の先祖に、「地黄八幡」こと北条綱成がいる。
後醍醐院の寵愛を受けた阿野廉子は、全成(源義経の同母兄)の子孫。
加山雄三の母方の先祖に、岩倉具視がいる。
オタク系アイドルの中川翔子の遠縁に、野尻抱影・大佛次郎兄妹がいる。 ×兄妹がいる。
○兄弟がいる。
失敬。
朱鎔基元首相が、朱元璋の子孫という話もありましたね。 『顔氏家訓』の著者として名高い顔之推は、顔回の子孫。
更に顔之推の子孫に顔師古、書家として王羲之と並ぶ顔真卿がいるが、三国
志で袁紹配下の武将として名高い顔良も同族である。
毛利元就の先祖は、源頼朝に仕えて鎌倉幕府創業期を支えた大江広元。
広元自身は養子であるが、義理の曽祖父に当る大江匡房は、院政期の学者で
あり、後三条院・白河院の近臣として名高い。
その曽祖父である大江匡衡は藤原道長の腰巾着で、妻は赤染衛門であり、後
に系譜上の子孫が仕える頼朝の先祖である源頼光とは、尾張守時代に美濃守
であった頼光に書簡を送り、互いの「文武」の功を認める仲であった。
匡房と彼の産着を縫った赤染衛門は、共に百人一首で知られる。
モンゴル帝国の将軍として小アジアまで遠征し、『信長の野望』「諸王の戦い」
シナリオにも登場する郭侃は、子孫繁栄の画題で知られる名将郭子儀の子孫。
漫画『キングダム』の主人公とライバルの子孫は、李白と王羲之とされる。 ノストラダムスは幼い頃のアンリ4世を見て「この子は後に国王となるだろう」と予言した、という伝説がある。
アンリ4世は当時の王族ヴァロワ家ではなく新興のブルボン家の生まれなので、この時点では国王になることは確定していなかった。 >>36 デタラメを書く悪い子はナマハゲが連れて行くぞー 重信房子は子供の頃、父の知人だった井上日召の膝に抱かれたことがあった。 皇帝軍司令官ヴァレンシュタインの運勢を占う天文学者ケプラー アントニオ猪木の母親は九州の大名・相良家の子孫。
松田聖子、ザードの坂井泉は共に九州の大名・蒲池家の子孫。
アラビア石油の山下太郎は楠正成の子孫(眉唾だが)。
坂本竜馬は明智光秀の子孫。
孫文、孫正義は孫子の子孫。
李登輝とリー・クアンユーは客家の同じ宗族。
1774年、科学者・実業家・政治家として内外に名高い紳士ベンジャミン・フランクリンは
ロンドンである男に出会った。
商売に失敗し女房に逃げられたというそのイギリス人に話の成り行きでアメリカ移住を勧め、
職がすぐに見つかるようにと、アメリカに住む義理の息子宛てに紹介状を書いてやった。
紹介状には小学校の補助教員ぐらいは勤められるだろう、ということが書いてあったのだが、
その男トマス・ペインはアメリカに渡るやジャーナリストに転進、
2年後には超ベストセラー『コモン・センス』を発表してアメリカ独立戦争への世論を主導
することになる。 フランクリンほど顔が広いと、同時代の著名人とはたいてい知り合いかも。
フランス革命の5年前、国王ルイ16世は世間を騒がす「動物磁気」なるものの実在を
調査する委員会に、内外の著名な学者4名を任命した。
その4名とはラヴォアジエ、ギヨタン、バイイ、そしてフランクリン。
ギヨタンとは後にギロチンを提案したその人。ラヴォアジエとバイイ、そして
ルイ16世にはそのギロチンで首を落とされる運命が待っていた。
フランクリンはフランス革命の大流血が始まる前に他界してるが、もしこの成り
行きをあの世で見ていたらどんな感慨を持っただろうか。 フランクリンは酸素を発見したイギリスの化学者プリーストリーとも親友ね。
んでプリーストリーの発見した酸素を燃焼という現象に結びつけたのが、
フランスの化学者ラヴォアジエ。今で言えば時代の最先端を行くノーベル賞
クラスの化学者ふたりと個人的に知り合いだなんててすごいよフランクリン。 ヘレンケラーにサリバン先生を紹介したの電話の発明者グラハム・ベル アメリカ合衆国第36代大統領リンドン・ジョンソンは太平洋戦争従軍中
乗っていた爆撃機が坂井三郎に襲われ撃墜されそうになった。 津田梅子は晩年のナイチンゲールと面会し話をしたことがある 金メダリスト高橋尚子の母親の又従兄弟はノーベル化学賞受賞者の白川英樹 グーテンベルクがドイツ人だったことと版画家のデューラーがドイツで生まれたことは無関係ではないんだろうな。 東条英機と西城秀樹は読みは似ているが同じ漢字は無いw 岡本一平は、アインシュタインの日本周遊に同行していた。 呉善花さんの「日朝文化の違い」への目覚めは、見事ですね。
私はその事を、彼女の『スカートの風』シリーズで知りました。
ところが、彼女がその事を著書などで発表すると、韓国内では非難の大合唱です。
勿論、著書も発刊禁止です。親族や友人なども遠ざかって行きます。帰国のビザも出ず、母親の葬儀の時は流石に出たようです。
これとほぼ同様なケースがあります。『親日派のための弁明』(草思社)を著した金完ソプ氏です。
彼の場合は、オーストラリアに留学して、「韓国国内で言われている日本憎像とは違う」と気づいたのです。
その事をこの本に書いたのです。ところが国賊扱いされ、出版の禁止は勿論、氏自身も自宅軟禁状態となり、日本への出国も許可されませんでした。
隣国・韓国とはこんな国なのです。「歴史を語り合う」などは絶対に不可能なのです。
古田博司先生が長い韓国滞在や、歴史文化研究、日韓合同「歴史教科書研究」などの体験を踏まえて、指摘されていることです。
そんな韓国の現大統領が、満洲帝國陸軍中尉《高木正雄》の娘です。 トルストイとドストエフスキーは同時代を生きていたが
没交渉だったらしいな。 海洋調査船チャレンジャー号に乗り込んだヘンリー・ノティッジ・モーズリーが書いたその時の記録は、
チャールズ・ダーウィンに絶賛された
そしてそのH・N・モーズリーの子のヘンリー・モーズリーと、ダーウィンの孫チャールズ・ゴールトン・ダーウィンは
2人とも物理学者となって協同で研究を行っている
子の方のモーズリーは、業績ではノーベル賞確実と言われていたのに、その前に第一次大戦で戦死したため
受賞を逃した(ノーベル賞は生者にしか与えられない)人物として有名 >>51 >>54
繋がりが無いじゃないか
スレチ ドストエフスキーとゴロヴィンスキー(「シオン議定書」の作者と専らの噂)は親友 >>54
お互いにお互いの作品を高く評価しているのにまったく没交渉ってのは
何か理由でもあったのかな? 司馬遼太郎と野村克也が同じマンションに住んでいた。 浜村淳さん(映画評論家、ラジオパーソナリティ)が、クルム伊達公子さんが小さい頃に
隣同士で住んでいたとのこと。 永六輔が、かつて大阪に引っ越した時
部屋に入ろうとしたら前の住人がまだ引っ越しが終わらず
「どうもすみません」と謝られ名刺をもらった
その名刺には
産経新聞 竹村健一
と、あったそうだ。
あれ、この二人偉人じゃなかったm(_ _)m 引っ越しと言えば
鬼平・長谷川平蔵と、金さん・遠山金四郎は
時期は異なるが同じ屋敷に住んでいた アインシュタインは稀代の変人として有名だが彼が夏休み休暇でロング島という島に遊びに来ていた時のお話。
彼はビーチで遊ぼうと思いサンダルを購入しに島の店に入ったが彼のドイツなまりのあまりに強い英語はロング島
の店の店主には聴き取りずらくにた発音のsundial(日時計)を
この老人は所望しているのだと勘違いしてしまう。
店主がアインシュタインを店の奥の倉庫に連れてゆき無数の日時計の中からアインシュタインに「どれがいいですか?」
とたずねたときにはアインシュタインの顔は憤慨と厚恥で紅潮していたそうだ。
しかしアインシュタインはなぜかその店の店主を気に入り彼がロング島での休暇を終えた後でもその店主と数多く文通を行っている
。今ではその店主の曾孫か孫かは忘れたがその人がその「アインシュタインに恥をかかせた」店の経営を継いでおり
アインシュタインと当時の店の店主との実際の手紙を所有しているなどで
アインシュタインマニアの間では「神」とまで崇められているそうだ。 >>54
アレ、そうなの?
ともにニコライ・フョードロフ(>>6で登場済み)に師事してた気がするけど
時期が違ってたのかな 長崎のオランダ商館長フランソワ・カロンと『フィガロの結婚』等で有名な劇作家
カロン・ド・ボーマルシェが血縁関係にあるとかいう話は、いまでは完全に否定されてしまったのかなあ >>35
ナバラ王になるのは確定だったんじゃないの。
ナバラ王だって国王だからな。 非ユークリッド幾何学の創始者の一人ボーヤイ・ヤーノシュ。
父の友人がガウス。 アメリカのTV映画「リンカーンを殺した男」でナレーションを務めた
トム・ハンクスは、リンカーン大統領と遠い親戚。 野口英世とフリッツ・ハーバーのパトロンをしていたのが星新一の父親 SF作家ルーディ・ラッカーの先祖は、ヘーゲルとかいう哲学者だった 苗字つながりで訪問した若き日のイサム・ノグチに対し、彼の父を知っていて
芸術家の道を歩むよう進めたのが野口英世。
夫が不倫してから、イサム・ノグチと交際していたのがフリーダ・カーロ。 画家ドラクロワの実の父は、タレーランという説がある アメリカ大統領の大半は国王の子孫というのをどっかで見たんだが、分からなくなった 自分にとって、ゲーテとベートーヴェンは意外だった。 数学者パスカルの妹が、リシュリューの前で子供演劇で演じている。
詩人で、妹の方がしばらく有名だった。 「ペンは剣よりも強し」という台詞の元となった戯曲『リシュリュー』を書いたエドワード・ブルワー=リットンの孫が
あのリットン調査団の団長ヴィクター・ブルワー=リットン 何とかいう不良道楽貴族の紹介で、モーツァルトとバッハの息子が遊び仲間になった
という話を最近どこかで読んだ。 ケッペンの気候区分で有名なウラジミール・ケッペンの娘婿が大陸移動説のアルフレート・ヴェーゲナー 『不思議の国のアリス』のモデルになった少女とイギリス王子が恋人同士だった ・・・嫁旦那的にどうなんこれ?
イギリス王子=レオポルド → 別の女と結婚して生まれた娘をアリスと名付ける
アリスのモデル=アリス・リデル → 別の男と結婚して生まれた息子をレオポルドと名付ける クレッチマーの「天才」って本読むと、いかに血縁で繋がってる天才たちが多いか分かる
それが何を意味しているかは簡単には言えないと思うけど 総統ヒトラーと自動車王フォードはお互いを尊敬しあっていた
それぞれ相手の写真を額に入れて部屋に飾っていた ヒエログリフ解読で有名なシャンポリオン。
少年時代の彼にエジプトみやげのロゼッタストーンを見せて
その解読に取り組ませるきっかけを作ったのは、
熱伝導方程式などで有名な数学者ジョゼフ・フーリエ。 >>19
夏侯=夏后=夏人
張飛は燕人
そりゃ華夏族様ですから 偽書『台湾誌』で、台湾に関する膨大なデタラメ情報を創作し
ヨーロッパ中に広めたジョルジュ・サルマナザール。
彼の嘘を看破して自白に追い込んだのは、ハレー彗星の周期性を
見抜いたことでも有名なエドモンド・ハレー。 映画ベン・ハーの原作者ルー・ウォーレスの本職はメキシコ準州の知事であったが、
後に西部劇映画の主人公として有名になる無法者ビリー・ザ・キッドに、一種の
司法取引として恩赦を与えようとしたことがあったという。 モールス電信機を発明者サミュエル・モースは画家でもあり、
ラファイエット侯爵を前にしてその肖像画を描いたことがあった。
この二人は全然時代が違う気がしていたので、意外だった。 オスマン帝国皇帝スレイマン1世はフランス王フランソワ1世を経由して
キリスト教宗教改革を起こしたルター派の活動資金を出していた。 「さまよえる湖」説で有名な探検家スヴェン・ヘディンは
ノーベル賞選考委員を務めたこともあり、パール・バックの
『大地』の受賞は彼の推薦によるもの。 チューインガムの発明者トーマス・アダムスと、
メキシコの独裁者サンタ・アナが協力関係にあったこと。 大和撃沈時に座乗していた第二艦隊司令長官伊藤整一と、
撃沈を命じた米第五艦隊司令長官レイモンド・スプルーアンスは親友同士 密林の聖者シュヴァイツァー博士と実存主義哲学者サルトルは親戚同士。
前者はノーベル平和賞を受賞し、後者はノーベル文学賞を辞退した。 フランス大統領レイモン・ポアンカレは、若いころ弁護士をしており
『SFの父』ジュール・ヴェルヌの弁護をしたことがある。
ちなみにその裁判とは、大威力の新火薬メリニットを開発した
化学者テュルパンが、ヴェルヌのSF小説『悪魔の発明』に
登場する狂気の発明家は、自分をモデルにして愚弄してるんだろ
ゴルァというということで起こした名誉棄損裁判である。 童貞は悪いことではない!!!
童貞だった世界の偉人たち
確実
宮沢賢治、ニュートン、ロベスピエール、
ルイス=キャロル、ベートーヴェン
可能性高い
吉田松陰、正岡子規、宮本武蔵、ヒトラー、カント、
アンデルセン、エドガー=フーバー
ニコラ=テスラ、ヘンリー=キャベンデッシュ
プラトン、レオナルド=ダ=ヴィンチ
キッチナー提督、ジェームズ=ブキャナン 片方は偉人ではないが・・・
量子力学の大家マックス・ボルンと歌手オリビア・ニュートン・ジョン
オリビアにとっての祖父(母イレーネの父)という関係
「神はサイコロを振らない」というアインシュタインの有名な言葉(※後に誤りだったと分かる)は、
マックス・ボルン宛ての手紙に書かれたもの 孫がレオタードで歌ってる姿をTVで見たのかな (´・ω・`) ナポレオンって幾何学の定理を発見しているらしいね。
幾何学の本を読んでいて見つけた。 >>109
「ナポレオンの定理」を実際にナポレオンが発見したのかは不明。
英語版Wikipediaでは、ナポレオン以前に遡る初出文献を提示している。 http://www.nico☆video.jp/watch/sm30367179 「ナポレオンの業績」というのは、なんでも一応疑ってみる必要がある。 アンリ・ファーブルはジョン・スチュアート・ミルからお金を借りてた
意外でもないか。 作家マーク・トウェインの家の前に住んでいたのが、作家ストウ夫人 催眠療法の開祖である医師メスメルは
音楽家モーツァルトのパトロンでもあった。 >>35
ブルボン家は新興じゃなくて王家の分家で、当時のヴァロワ王家の男系が途絶えたら跡を継ぐ順位にあった家。アンリが国王になっても何の不思議もない。流行り病で家族が次々死ぬような時代なんだし。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています