1180年まではハインリヒ獅子公がバイエルンとザクセンを支配していた。
ミュンヘン、リューベック、ブラウンシュヴァイクなどの都市を建設した同公は
バイエルンよりもザクセンの統治に熱心だったが、ミュンヘンでは、現在も産みの親
として尊敬されている。しかし彼は皇帝フリードリヒ1世バルバロッサの再三の命にも
関わらず、イタリア遠征を拒否し、また、他の諸侯との紛争も多かったので、
帝国会議でバイエルン公爵とザクセン公爵の地位を罷免され、亡命先で憤死してしまう。

そしてフリードリヒ1世がその忠臣であるヴィッテルスバッハ家のオットー1世を
バイエルン公爵に任命し、これ以後1918年まで同家の支配が綿々と続くことになった。