アンネ・フランクを密告したのは誰だ?
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●緊急拡散希望 《『アンネの日記』関連本を破る国際謀略》 ■都内全域で 『アンネの日記』関連本に狙いを定めて、破ることを組織的に実施している輩は、日本を陥れる国際的な謀略組織です。 それは、戦時中もユダヤ人に愛情を注いで、1938年、2万4000人のユダヤ難民を救出した樋口季一郎ハルビン特務機関長や 1941年に、6000人のユダヤ人に命のビザを発給した杉原千畝リトアニア総領事など、日本人とユダヤ人の歴史的な信頼関係を貶める国際謀略です。 反日左翼の日本人でも、文献を破る行為を潔しとしない不文律があります。 筆者が以前警告を発したことがありますが、日本に一冊しか所蔵されていない1899年韓国で発行された『大韓地誌』の原本に添付されていた竹島が韓国領だったと仮定すると、 管轄していたであろう「江原道」の地図だけが、破り取られていたのです。 この地図は、韓国が主張する日露戦争のドサクサで竹島を日本が奪い取ったとの言いがかりを潰せる証拠だから持ち去ったと判断し、 必死に復刻版を探して見つけた「江原道」の地図は、『ひと目でわかる日韓・日中歴史の真実』に収録してあります。 http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4569806864/ref=mp_s_a_4?qid=1340108812& ;sr=1-4&uid=NULLGWDOCOMO この度のカリフォルニア州グレンデール市の慰安婦像の撤去を求める在米日本人グループが提訴した裁判と『アンネの日記』破る事件は、水面下で連動していると思っています。 それは、在米韓国人ロビー活動が一部ユダヤ人組織に支えられていることは公然の秘密であり、本格的にユダヤ人組織が動くと米国韓国人ロビー活動が破綻する危機感があり、 日本はユダヤ人を差別する国との宣伝工作として、今回の事件を見ると分かりやすいでしょう。 また、在米日本人が慰安婦問題を法廷に持ち込んだことも危機感になっているのです。それは、米国法曹界は圧倒的なユダヤ人社会であり、 良質なユダヤ人は日本人の「恩」を深く心に刻んでいることで、強烈なブーメラン効果で、在米韓国人が全米で批判に晒される可能性がでてきました。 警視庁は各図書館の防犯ビデオを徹底的に分析して犯人を捕まえることが最重要です。 >>145 労働力でないのなら生かす理由がない。 エミール・モーリスのような名誉アーリア人なのか? 日本に反ユダヤ思想は無いから 韓国の日本を孤立させる謀略 ユダヤの人権団体が毎回抗議してくるのを 快く思わない人たちはネットにたくさんいるけどね >>152 ユダヤ人が世界を裏で支配しているという陰謀説を唱えているやつはいる 犯人のネトウヨはこの本破りでナチス自民を応援してるつもりなんだろうなあ ネトウヨデモやツイッターアイコンもハーケンンクロイツだらけだし はだしのゲンの焚書坑儒といいネトウヨってのはキチガイばかりだわ アンネの日記破りニュースを新聞で見て 「あっ、これネトウヨっぽい犯罪」って思ってしまった 日記破ったのは 全世界でDISCOUNT JAPANを展開中の近親相韓国もしくは人肉食中国の在日です。 日本のイメージを悪くするために イルカ漁とこれで今世界中でさかんにやってるわ。 中国や韓国のようなウジ虫民族のなすがままに日本人はつぶされるんですかね? 留学生やら観光客に化けた移民を増やしてる政府だものね。日本人は殺されるんだろね。 チベット人みたいに。 ナチスが台頭し始めたワイマール憲法下のドイツでも インテリとかは馬鹿なウヨがなんかやってるわ、って感じだったんだろうなあ 反共の旗頭だし、中産階級以上のインテリ層には結構受けてたんじゃないか? 初期に入党したメンバーにはインテリ多いっしょ アンネの日記に意味があるとすれば、 日記にガス室の描写が何もない。 アンネ・フランクはアウシュヴィッツで死ななかった。 上記の事しか意味がない。 日記の正否などはミスリードでしかない。 ネトウヨ「アンネの日記なんて虚構。価値なんてない」 ネトウヨ「特攻隊の遺書にこそ日本人の精神の真髄がある。世界遺産にするべきだ」 >>161 日記の正否には何の意味もないんだよ。 意味があるのは日記にガス室の描写が何もない。 そしてアンネ・フランクはアウシュヴィッツで死ななかったの2つだけ。 >>163 それなら日記にガス室の描写はあるのかどうなんだよ? アンネ・フランクはアウシュヴィッツで死んだのかどうなんだよ? ユダヤ人修正主義者がいるのかどうかどうなんだよ? >>162 日記に書かれてるのは、捕まる前までだろ。 なんで捕まった後のガス室の事が日記に書けるんだ? >>165 アウシュヴィッツで殺されてなければ書ける余地があるかもしれないが。 どちらにしろあの日記には何の意味もないが。 >>164 なんでアウシュビッツじゃないと駄目なんだ? そのこだわりがよく分からない 他の強制収容所で死んだとしたら、何か問題があるのかい >>167 アンネの日記はガス室および600万の証拠になるのか? もしも密告した人がまだ生きていて、密告した事を告白したらその人はどうなるの? >>169 それよりガス室と600万の証拠を出してもらいたいんだが。 アンネは死んだからこそ名を残せた人物 生きる方法や生き残った過程をするのは愚かだ >>171 アンネ・フランクはアウシュヴィッツで死んでいない上に日記にはガス室の描写がない。 ベルゲン・ベルゼンでチフスで死んだ。 正否など全く意味がない上に日記自体ヴィルコミルスキーの断片と同じで関心がない。 肝心のガス室と600万の証拠を出せよ。 すまないが、アナル・フランクな方以外は帰ってくれないか >>173 アンネ・フランクはアウシュヴィッツで死んだのか? 日記にガス室の事が書いているのか? 正常なら答えろよ。 >>174 肝心のガス室と600万の証拠を出せよ。 ペーター視点だと「それなんてエロゲ」って感じの展開だったと思う。 日本語の読み書きが不自由な基地外が一匹紛れ込んでいるようだな >>176-177 アンネ・フランクはアウシュヴィッツで死んだのか? 日記にガス室の事が書いているのか? お前ら正常なんだろだったら答えろよ。 正常ならヴィルコミルスキーの断片はもちろん知っているよな? 正常ならせめて600万の証拠だけでも出せよ。 宗教から歴史、オカルト、UFO問題まであらゆる情報の宝庫! 本日の講義は「大日本帝国は生きている ヒトラーのUFO」です。 UFOはドイツ製って本当? ヒトラーは日本神道を学んでいたのか?? http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/ アウシュヴィッツに入所した後も日記なんて書けたのか? ナチスがユダヤ人にそんな“贅沢”させる訳ないだろ だのにガス室の描写なんて残る訳ない 万が一書いたものがあってもそれこそ捨てられて終わり >>1 日本で言うと横田めぐみさんのような人か。 方や全ユダヤ人の女神、方や全日本人の女神。 >>180 そしてアンネ・フランクはアウシュヴィッツで死んだのか? お前ら正常なんだろだったら答えろよ。 正常ならヴィルコミルスキーの断片はもちろん知っているよな? 正常ならせめて600万の証拠だけでも出せよ。 なあ、みんな。 日本版のアンネ・フランクは横田めぐみさんだよな? 意見求む。 >>184 話そらすなよ。 そしてアンネ・フランクはアウシュヴィッツで死んだのか? ヴィルコミルスキーの断片はもちろん知っているよな? せめて600万の証拠だけでも出せよ。 日記も捏造 音楽も捏造 細胞も捏造 お前ら日本人はクズだな。 >>186 アンネ・フランクはアウシュヴィッツで死んだのか? ヴィルコミルスキーの断片はもちろん知っているよな? せめて600万の証拠だけでも出せよ。 600万数えるのに必要なユダヤ人と非ユダヤ人の境界線って何? ユダヤか否かはまず宗教の違い。 キリスト教国ではカトリックなりプロテスタントなりのコミュニティに属してないという時点でかなり異質。 >>188 >ユダヤか否かはまず宗教の違い。 >キリスト教国ではカトリックなりプロテスタントなりのコミュニティに属してないという時点でかなり異質。 それなら600万数えるのに必要なのでソ連の4分の1ユダヤ人をどうやって調べるのかだけでも明らかにしろよ。 そしてアンネ・フランクはアウシュヴィッツで死んだのか? >>189 確認できないから判断できない。 今ちょうど隠れ家支援者の本読んでるけど オランダの食料事情が著しく悪化した時期の前だったとはいえ 42年の夏から丸2年、8人もの大所帯を一カ所で匿っていられたのは凄いことだと思う あのままあと半年頑張ればと思いながら読み進めていたが そこから先の半年は飢餓の冬があり物資の調達もままならず互いに地獄と化していたろうな >>191 それなら600万数えるのに必要なのでソ連の4分の1ユダヤ人をどうやって調べるのかだけでも明らかにしろよ。 そしてアンネ・フランクはアウシュヴィッツで死んだのか? これらの方が重要なんだが。 600万死んだとか誰のレスにあるの?お前だけでしょ? >>193 多くのユダヤ人が600万に固執しているのを知らぬはずがないだろ。 ヒルバーグの510万でもこの場合意味は同じ。 600万を数えるのに必要なのでソ連の4分の1ユダヤ人をどうやって調べるのかだけでも明らかにしろよ。 ソ連とナチスではユダヤ人の定義が大きく違う。 ナチスは4分の1でソ連は自己申告制。 正統派と改革派でもユダヤ人の定義は違うので最低4種類ユダヤ人の定義がある事になる。 そしてアンネ・フランクはアウシュヴィッツで死んだのか? アンネフランクとは関係ねえじゃん お前アンネの日記読んだ事あんの? >>195 その人完全に頭おかしいみたいだからもう放っておいたほうが良いんじゃない? 日本語の会話が成り立ってなくて異常だよ。 誰も相手してくれなくて飽きたらor寂しくなったらそのうち消えるんじゃないかな。 >>195-196 どういうユダヤ人の定義を使ってアンネをユダヤ人と確定させたのかな? >>195 アンネはホロコーストの話ではないのか? >>196 お前はまともなんだろ? まさかヒルバーグを知らないのか? 600万でもヒルバーグの510万でもかまわないので、 ソ連の4分の1ユダヤ人をどうやって調べるのかだけでも明らかにしろよ。 >>199 賢いと主張したいのなら、600万でもヒルバーグの510万でもかまわないので、 ソ連の4分の1ユダヤ人をどうやって調べるのかだけでも明らかにしろよ。 根幹だが、アンネ・フランクはアウシュヴィッツで死んだのか? アンネはホロコーストの話ではないのか? >>201 まさか知らないのに、600万でもヒルバーグの510万でも正しいと断言できるのか? ユダヤ人と非ユダヤ人の境界線がないとユダヤ人は数えられないが。 アンネ・フランクはアウシュヴィッツで死んだのか? >>203 アンネ・フランクはアウシュヴィッツで死んだのかどうなんだ? 死んだのはアウシュヴィッツじゃなくてベルゲン・ベルゼン収容所だけど、それが何なんだ? >>205-207 アウシュヴィッツで死ななかった理由は? 600万でもヒルバーグの510万でも正しいと断言できるのか? ユダヤ人と非ユダヤ人の境界線がないとユダヤ人は数えられないが。 >アンネ・フランクを密告したのは誰だ? イスラエル派の、いや週末派のユダヤ人グループと言ったほうがいいか? 日本のアンネ・フランクこと横田めぐみさんが拉致されたのは、 日本国内に北朝鮮の協力者がいたから。 それゆえに、アンネ・フランクのまわりにもナチスの協力者がいたのは間違いない。 しかし、どちらも真相は謎のままである。 北朝鮮の協力者は、他の人ではなくて、普通の女子中学生が適任だと思ったの? ユダ狩りのゲシュタポ、武装SS、更にはSS装甲師団相手に、 アラフォー幻魔拳を駆使し、ばったばったとなぎ倒しオランダを解放する アンネ・アラフォー・フランクの姿が目に浮かぶ。 小学3〜4の頃クラスで12人ぐらいでできたグループがあった もう派閥とかじゃなく多数派。スポーツやってた ある日横一列(12人でw)になって歩いているそいつらの後ろにいた。 俺の視線に気づいた奴が不快そうな顔で振り向いた。 そいつの隣にいたリーダーポジションだった奴が何か言った。 そいつら12人がいっせいに石を投げてきて俺の頭にあたった。 ひとりが謝りながら俺の頭を撫でてきた。 俺は泣いた。 親に話がいき相手は謝って終わった。 人間って怖いね。「グループの誰かがやったから」と脊髄反射で行動する前に考えた方がいいよ。 最後の方で夜中に一階に不審者が入ってきて物色していたのをどうするかで隠れ家の人達がもめた その時鍋だったか積んでいたのを落としてしまいその物音に驚いた不審者は逃げ出していった その数日後にゲシュタポが来て捕まる と言うことで、その不審者が上の階に人が居るのを察知してゲシュタポに連絡した アンネの日記の真贋が騒動になったら困るってことで 頭がおかしい訳でもない犯人が名前も出ず罪にも問われず に釈放されたんですよ。 まあ、日記は捏造ですけどね。 別にあの当時なら、アンネ以外でも潜伏ユダヤ人の中で、毎日日記書いてた人は沢山居たと思う。 しかももっと史料的に信頼できるレベルの。 アウシュビッツ生存者が語る「死の収容所」、解放から70年 AFP=時事 1月26日(月)17時10分配信 【AFP=時事】張り巡らされた鉄条網で感電死した女性の耳をつんざくような悲鳴、ガス室へ送られた子どもたち、 絶え間ない死の恐怖──アウシュビッツ・ビルケナウ(Auschwitz-Birkenau)強制収容所の生存者たちは、史上最も忌まわしい「死のキャンプ」での生活を驚くほど鮮明に語る。 ドイツの若者、5人に1人が「アウシュビッツって何?」 生存者たちの大半は今や90代に達しているが、何人かは、27日に開催されるアウシュビッツ解放70年の記念式典に出席できる。 現在のポーランド南部にあったナチス・ドイツ(Nazi)最大の絶滅収容所は、1945年1月27日にソビエト連合の赤軍によって解放された。 「感電して死んでいく人の叫び声なんて、想像できないでしょう」。 生存者の1人、ソフィア・ポスムイシ(Zofia Posmysz)さん(91)は、共に捕らわれていた人々が自ら死を選び、収容所を取り囲んでいた電流が流れる鉄条網に身を投げ出していった様子を語った。 アウシュビッツと独北部ラーベンスブリュック(Ravensbruck )の強制収容所で3年間を過ごしたポスムイシさんには、今も当時の記憶が付きまとう。 「鉄条網に引っかかった遺体を幾つも見た。夜になると、バラックから若い女性たちが出てきて、鉄条網に身を投げた。恐ろしい光景だった」 「つんざくような叫び声で目を覚ましたものです」と話すポスムイシさんの左腕には、今も囚人番号「7566」の入れ墨が残っている。 ■ 囚人が行っていた収容所長の散髪 囚人番号「121」の入れ墨を持つユゼフ・パチンスキ(Jozef Paczynski)さん(95)は、目を閉じれば、アウシュビッツの悪名高い所長、ルドルフ・ヘス(Rudolf Hoess)のひげそりと散髪の儀式をありありと思い出すという。 パチンスキさんは1940年6月に初めてナチスがアウシュビッツへ送り込んだ囚人700人のうちの1人だった。 収容所へ到着するとまもなく、理髪班に配属された。 「(収容所には)ワルシャワ(Warsaw)から来た理髪師たちが8〜10人ほどいて、ヘスは私のような見習いに命じて自分の髪を切らせた」 「私の手は震えた。しかし、命令は命令だ。仕事をしなければならなかった」と、パチンスキさんはAFPに語った。 「カット方法は簡単だった。一般的なドイツ風の髪型だ。かみそりで首筋をそらなければいけなかったし、もみあげにはバリカンを使った。私はいい道具を持っていた。同僚がいつも刃を研いでおいてくれた」 かみそりをヘスの喉へ突きつけようと思ったことはなかったのか、という質問をパチンスキさんは何度も浴びるという。 「結果は分かっていたし、私は狂ってはいなかった。もし私が彼の喉を切り裂けば、すぐさま収容所の囚人の半分が処刑されただろう」 ■「集団で歩くときは常に真ん中に」 ポスムイシさんもパチンスキさんも、19歳で収容所へ送られた。2人が生還できたのは、まだ若く、そして収容所で生き延びる方法を素早く学んだからだった。 「生き延びる方法を覚えた。集団で歩くときには、最前列や両端にならないよう気を付けるのが肝心だった。 常に集団の真ん中の方にいるようにして、犬や看守、囚人を殴って来るカポ(監視役の囚人)たちから離れていなければならない」 「何としてでも、懲罰を受けるような目に遭わないようにすることが基本だった」(ポスムイシさん) 囚人番号「118」のカジミエシュ・アルビン(Kazimierz Albin)さん(92)が生き延びることができたのは、1942年2月27日に他の囚人6人とともに脱走したからだ。 「星のきれいな夜で、外気温は零下8〜10度だった」と追想する。「みんなで服を脱いで、ソラ(Sola)川を半分ほど渡ったところでサイレンが聞こえた。私たちの周りには氷が浮いていた」。 逃げ切ったアルビンさんは、ポーランドのレジスタンスに合流した。 脱出した例は、まれだ。収容所跡地にあるアウシュビッツ・ビルケナウ博物館(Auschwitz-Birkenau Museum)によれば、アウシュビッツへ送られた約130万人のうち、脱出を試みたのは女性45人を含む802人だけで、成功したのはわずか144人。 327人が捕まり、残る331人の運命は分からない。 「あの殺人者たちを忘れたり、許したりすることができるだろうか。真っすぐガス室へ送られた女性や子どもたちのことを忘れることなど、絶対にできない」。 こう述べたパチンスキさんは、だが、次のように付け加えた。「終わりのない戦争を続けたって、死者は帰ってこない──和解がなされ、平和があり、境界が消えたことを嬉しく思う」 【翻訳編集】 AFPBB News ポーランドのクラコフで取材を受ける、ナチス・ドイツのアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所から生還したユゼフ・パチンスキさんが見せる左腕に刻まれた囚人番号の入れ墨(2015年1月5日撮影)。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150126-00000057-jij_afp-int.view-000 93歳の元ナチス親衛隊員を起訴、30万超の殺人共犯で http://www.afpbb.com/articles/-/3026045?utm_source=yahoo& ;amp;utm_medium=news&utm_campaign=txt_link_Mon_r1 〔写真特集〕アウシュビッツの記憶 http://www.jiji.com/jc/d4?p=asw024& ;amp;d=d4_oldnews 〔写真特集〕ワルシャワ・ゲットー〜1943年4月蜂起〜 http://www.jiji.com/jc/d4?p=wsg420& ;amp;d=d4_mili アウシュビッツ収容所解放70年 繰り返さぬ…誓い胸に 産経新聞 1月28日(水)7時55分配信 【クラクフ(ポーランド南部)=宮下日出男】ナチス・ドイツによる第二次大戦中のホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を象徴するアウシュビッツ強制収容所の解放から、27日で70年を迎えた。 ポーランド南部オシフィエンチムの収容所跡地では関係各国の首脳や生存者らが出席して記念式典が開かれ、犠牲者を追悼し、悲惨な歴史を二度と繰り返さないことを誓った。 アウシュビッツ収容所は大戦末期の1945年1月27日、旧ソ連軍が発見し、残されていた約7千人を救出した。 今では当時を直接知る生存者の多くが80〜90代と高齢化し、記憶の継承が課題となっている。 式典に参加する生存者も解放60年時の約1500人から約300人に減少し、今回は多くの生存者が集まる「最後の機会」ともされている。 このため式典では生存者の証言に耳を傾けることを重視し、代表3人が演説で再発防止を訴えた。 式典にはドイツのガウク大統領やフランスのオランド大統領ら約40カ国の首脳らが参加。 ガウク氏はこれに先立つ独連邦議会での演説で「アウシュビッツなしにドイツ人のアイデンティティーはない」と訴えた。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150128-00000093-san-eurp (朝鮮日報日本語版) 独首相「ナチス虐殺の記憶はドイツ人の永遠の責任」 朝鮮日報日本語版 1月28日(水)9時38分配信 「アウシュビッツ強制収容所」の解放70周年を翌日に控えた26日、ドイツのメルケル首相は「ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を記憶することはドイツ人の永遠の責任」と述べた。 アウシュビッツ収容所はナチス・ドイツが第二次世界大戦中にユダヤ人約100万人を殺害した場所だ。 ここに収容されたユダヤ人たちは1945年1月27日、ソ連軍により解放された。 メルケル首相は同日、独ベルリンで行われたアウシュビッツ開放70周年記念式典で「アウシュヴィッツは人間が人間にどれだけ残酷なことができるかを示す警告だ。 これはきょうのような記念日だけでなく、常に我々が頭を痛めなければならない課題だ」と言った。 そして、「収容所の生存者たちの証言のおかげで、私たちは過去を記憶できる」と、生存者に対し感謝の言葉を述べた。 記念式典に参加した若者たちにも「私たちは歴史を学ぶことで洞察力を得ることができ、社会的価値を脅かす勢力を見分けることができる」と語った。 そうした一方で、最近ドイツで目立つ反ユダヤ主義の動きに対し懸念も示した。 メルケル首相は「ユダヤ人たちが理由もなく攻撃されるのはドイツの恥。反ユダヤ主義と人種主義から自由・民主主義・法治などの価値を守るには、関心と努力を続けることが必要だ」と訴えた。 ホロコーストの生存者約300人りとフランソワ・オランド仏大統領、ヨアヒム・ガウク独大統領など各国首脳は27日、アウシュビッツ収容所で行われる追悼式に出席する。 生還者語る…“アウシュビッツ”解放70年 日本テレビ系(NNN) 1月27日(火)22時14分配信 70年前の27日、現在のポーランドにあったアウシュビッツ強制収容所が連合軍の手で解放された。 ナチス・ドイツによって600万人もの人が殺害されたといわれる「ユダヤ人大虐殺」を象徴する場所。 当時の様子を知る人々が高齢化する中、「人類史上最悪」の虐殺の記憶をどう語り継ぐのか。収容所から生還した男性に話を聞いた。 ポーランド南部にあるアウシュビッツ強制収容所では23日、解放から70年を記念した追悼式典の準備が進められていた。 ナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺の象徴であるアウシュビッツ。第二次世界大戦当時、ユダヤ人や捕虜などがヨーロッパ全土から100万人以上、送り込まれた。 アウシュビッツは、現在は国立の博物館として保存されている。 第一収容所のゲートには、「働けば自由になれる」との文字が。しかし、連れてこられた人のほとんどがここで命を奪われた。 薄暗い窓のない部屋。シャワー室にみせかけ、天井から毒ガスを投入し、一度に多くの収容者を殺害するために造られた。 ガイド「彼らは全員が確実に死ぬまで30分は待ちました。ガス室の扉が開いた時、生存していた人は銃殺されました」 収容者の生活スペースだったバラック群には、当時の資料が展示されている。毒ガスの原料の缶の他、遺体から奪ったカバンやメガネ、兵士の制服などに使うために刈り取られた髪の毛など。 さらには、山積みになった子ども用の靴も。子どもたちは労働力にならないと判断され、到着後すぐにガス室に送られたり、人体実験の実験台などにされたりしたという。 アウシュビッツでは110万人が殺害されたともいわれている。 ポーランド・ワルシャワで、当時を知るステファン・ソトさん(84)に話を聞くことができた。 13歳の時、突然自宅にドイツ軍がやってきたという。 ソトさん「(ドイツ軍は)ワルシャワ西駅へと我々をせき立てました。何の説明もありませんでした」 「政治犯」のぬれぎぬを着せられ、ユダヤ人ではないソトさんも母親らと共にアウシュビッツへ送られ、約5か月間過ごした。 ソトさん「殺りくは毎日行われていました。囚人たちは毎日ベッドに入る時、そして起床した時、命があることを神に感謝していました」 あの忌まわしい記憶から70年。ソトさんは、アウシュビッツに向かった。 貨物列車で連れてこられたというソトさんは、暗く不衛生な宿舎で、棚のようなベッドに押し込められ、食事も満足に与えられず、重労働を強いられたという。 ソトさん「(他の収容者が)『君たちが自由になるのは、あそこ(焼却炉)の煙突を通ってからだ』と。生きてここから出られるとは思っていませんでした」「食事なんて言えない、最低なものでした。家畜の豚の方がましなものを食べていたでしょう」 何とか生き残り終戦を迎えたソトさんは今、ある使命を感じている。 ソトさん「歴史は歴史です。私たちが伝えなければ、誰が伝えられるのでしょうか」 語り継がれるアウシュビッツの記憶−。しかし、当時、生き残った人も年々減少している。 そこで、アウシュビッツでは歴史を風化させぬよう取り組んでいる。英語、ロシア語、日本語など19の言語に対応できるよう外国人ガイドを起用している。 また、修学旅行なども積極的に受け入れ、若い世代の教育にも力を入れている。 追悼式典の3日前、当時、“加害者”だったドイツから、アウシュビッツに50人余りの学生たちがやってきた。 見学が始まると学生らの表情は一変した。彼らの祖父母の世代にこの悲劇は起きたのだ。 学生「実際の現場に来ると、すごく胸が痛みます」「戦後世代として、この記憶を継承し、議論していくことが私たちの責任だと思う」 悲劇の記憶を未来へと語り継いでいく取り組みが続いている。. 最終更新:1月27日(火)22時14分 アウシュビッツ強制収容所 解放から70年 日本テレビ系(NNN) 1月28日(水)7時30分配信 第2次大戦中、ナチスドイツが110万もの人を虐殺したといわれるポーランド・オシフィエンチムのアウシュビッツ強制収容所が27日、解放から70年を迎え、生存者などが出席して追悼式典が行われた。 式典は収容所の正門の前で行われ、加害国ドイツの大統領など49か国の首脳や要人のほか、生き残った元収容者およそ300人が出席した。 元収容者の代表は「私たちの過去と同じことを子どもたちの未来に起こしてはならない」と訴えた。 「死の壁」は反抗した収容者が射殺された場所で、解放後、初めて訪れたという生存者もいた。 元収容者「言葉にならない。当時の私と今の私は別人のように感じる」 高齢化が進み、今回の式典は「生存者が一堂に会する最後の機会」とも言われている。記憶を語り継ぐことが課題となっている。 最終更新:1月28日(水)7時30分 アウシュビッツ強制収容所解放から70年の追悼式典 TBS系(JNN) 1月28日(水)10時11分配信 第2次世界大戦中のナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺を象徴するアウシュビッツ強制収容所が解放されてから、ちょうど70年となる27日、現地ポーランドで追悼式典が開かれました。 今年はアウシュビッツ強制収容所が解放されてから70年の節目ということもあり、27日の追悼式典には、世界各地から元収容者およそ300人が集まりました。 当時、高齢者に加え、女性や子供が容赦なくガス室に送られ、犠牲者はアウシュビッツだけで110万人を超えました。 収容所が1945年に解放された時、残っていた収容者はわずか7500人だったといいます。 「子どもたちの未来が、私たちの過去のようであって欲しくありません」(元収容者) こうした生存者のうち、現在何人が生きているのかはっきりしたデータはありません。 しかし、ほとんどの人はすでに80歳を超えていて、10年前の追悼式典の時と比べて参加者は5分の1に激減。 貴重な歴史の語り部は減る一方です。(28日10:50) 最終更新:1月28日(水)12時36分 アウシュビッツ解放70年、年老いた生還者「永遠に忘れない」 AFP=時事 1月28日(水)9時55分配信 【AFP=時事】第2次世界大戦(World War II)中ナチス・ドイツ(Nazi)がユダヤ人を大量虐殺し、「死のキャンプ」と呼ばれたアウシュビッツ・ビルケナウ(Auschwitz-Birkenau)強制収容所が解放されて27日で70年を迎えた。 ポーランド南部オシフィエンチム(Oswiecim)にある収容所跡では同日、追悼式典が開かれ、出席した高齢の生還者らが史上最悪の残虐行為の一つを決して忘れてはならないと訴えた。 雪に覆われ冷たく荒廃した収容所跡で行われた式典には各国首脳に並び、今やその多くが80〜90歳台になった生還者約300人も出席した。収容者の服と同じ青と白のしま模様のスカーフを着用して式典に臨んだ人もいた。 フランスやドイツをはじめ、欧州各地で反ユダヤ主義の再燃が懸念されている中での開催となった。 「われわれの過去を、子どもたちの未来にしたくはない」と訴えたのは、生還者の一人、ロマン・ケント(Roman Kent)さん(86)。 「アウシュビッツの入り口で目にした残虐行為だけで(当時のことを)永遠に記憶するには十分だ。辺りに充満した焼け焦げる人肉の臭いをどうやったら忘れられるというのか」と、ケントさんは抑えきれない感情に声を震わせた。 日が落ちると各国首脳や生還者らは、収容所の周囲に張り巡らされた鉄条網の影が落ちる手すりに沿って歩き、花輪やろうそくなどを手向けた。 ドイツのヨアヒム・ガウク(Joachim Gauck)大統領、フランスのフランソワ・オランド(Francois Hollande)大統領、ウクライナのペトロ・ポロシェンコ(Petro Poroshenko)大統領ら各国首脳が出席したが、 ロシア、米国、イスラエルは首脳ではない代表者を出席させるにとどめた。 この日は、アウシュビッツの所長だったルドルフ・ヘス(Rudolf Hoess)の孫、ライネル・ヘス(Rainer Hoess)さんも式典に姿を見せた。 「私は自分の父も祖父も許すことができない。私は全く違っている」と語ったライネルさんは報道陣に対し、反ユダヤ主義との闘いに力を尽くすと誓った。【翻訳編集】 AFPBB News 小学生の頃に見たミュージカルでは夜に隠れ家部分の下にあるオフィスに忍び込んだ泥棒が後にナチスに密告した設定になっていた 倉庫番か管理人夫妻だろうね、多分 ペーター少年が5月4日まで生きていたとは 知らなかった すっかり衰弱していただろうから 解放直後に没したかもしれないが それにしても残念 家の構造を見てみたら2階のオフィスより上の部分に何かがあると疑問に思わなかったのだろうか? アムスに生還したオットーさんが近所の人たちから 聞いたところによれば少なからぬ人が気づいていたそうな 6階まで作って3階は隠れる前にあらかじめ買い貯めした保存食や洗剤石鹸の物置にして出来る限り立ち入らないようにして 4階は史実の3階と5階は史実の4階と6階は史実の5階とほとんど同じような構造にすべきだった そうすれば音でバレにくくなった 【ゲスウヨ】 ハイ、予告通り、欧米から経済崩壊、最後のトドメは、バカウヨの望む中国からの・・・ではなく、日本からの株式大暴落www(笑) 【カスウヨ】 マイト レーヤの出現のタイミング 近い将来、欧米で株式市場が破綻すれば、マイト レーヤは直ちに出て来られるでしょう。崩壊によって生じる現実感覚が、マイト レーヤが待っておられる要素の一つです。 最初になくなるのは世界の株式市場でしょう。 差し迫る株式市場の暴落は、他の人々が飢えている間にお金を儲けることの結果です。かれらは自分の財産を隠し、犯罪的雰囲気さえも創出しています。 彼らはただ座って待っているだけです。世界を餌にして生きており、何も還元しません。 来るべき株式市場の崩壊は必然的に多くの失業者を出すでしょう。 日本から始まる世界的株式市場の大暴落 ウォールストリートの大暴落(1997年)につながったプロセスが、いま日本におけるプロセスの中に写し出されており、再び株式市場の暴落につながるでしょう。 終いには政府にも支えることができなくなり、どん底に落ちていきます。日本がアメリカ国債の25%を引き出すと世界経済が破綻し、マイト レーヤは出現するでしょう。 彼は日本人ではありませんが、日本語で話すでしょう。彼は、非常に物静かなやり方で話します。彼の最初の控えめな態度に混乱してはなりません。 非常に間もなくマイト レーヤを、テレビで見るでしょう。マイト レーヤは毎日テレビに現れ、質問に答えるでしょう。彼は「匿名」で働いております。 マイト レーヤが公に現れるにつれてUFOが、とてつもない数で姿を表すでしょう。 日本国民はどう対処すればいいのか。 新しい政権は民意を反映し、適切な食糧、住宅の供給、健康管理、教育が最も重要な責任となるでしょう。そして最後に防衛です。 抑制のない成長に基づく現在の経済の終焉を見るでしょう。自由貿易はよくありません。物は需要がある場所で生産されるべきだからです。 民衆の指導者は職業的政治家ではない人々から見つかるのです。国民の意志を裏切ることは、極端な場合、自殺や殺人にまでつながります。(安倍ちゃんサヨナラ笑) 牧師に懺悔してどうしたらよいか尋ねた男がいた。彼はすすり泣きながら言った。 男 「懺悔することがあります。第二次世界大戦の最中、私はユダヤ人を天井裏に匿ったのです。」 牧師「それは、罪とは言えませんよ。」 男 「だけど、彼に家賃を払わせたのです。」 牧師「それはさすがによろしく無いことだ。しかし君自身もリスクを背負ったのだ。」 男 「本当にそう思いますか?ああ、牧師様、ありがとうございます。あなたがそう言ってくれた事で どれだけ私の良心が救われたことか。しかしながら、もう一つだけ質問があります。」 牧師「それはなんでしょうか?」 男 「彼に戦争が終わったことを教えてあげなくちゃだめでしょうか?」 アンネフランクの日記は矛盾が多すぎてすべてが捏造じゃないにしても後日オヤジが加筆したのは明白だが 尿道オナニーの部分だけは真筆と信じたい アンネの日記は当時全く普及してなかったボールペンで書かれてるってみんな知ってた? >>248 自立心が強い一方で甘えたがり 思春期にはこういう二面性はよくある ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる