アンネ・フランクを密告したのは誰だ?
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>>244
加筆よりも削除が多数
同居者ら関係者の悪口や性に関わる記述が多すぎたから >>19アンネフランクってかなりの中二病で痛いやつって感じだった
亀レスだが同意。それゆえ俺のばあいは黒い意味で共感しすぎて、最初の
数ページで挫折した。言い換えれば、ねつ造ってのはありえんわ
>>250
2chのよその書きこみによれば、ベルギー王への忠誠だの、黒人などの異人種
には、当時の白人らしいナチュラルな差別意識も吐露していたと書いていたが
本当だろうか? ちょっとその個所は読んでみたい 厨臭い日記を後年見返して黒歴史に身悶えするどころか焼却する機会が永遠に失われ、さらに翻訳までされて世界中に未来永劫晒され続けるとか罰ゲームすぎ
アンネ逮捕、密告でなく偶然か=博物館が新説紹介−オランダ
【ハーグAFP=時事】オランダの首都アムステルダムにある、アンネ・フランク財団が運営する博物館「アンネ・フランクの家」が、1944年8月のフランク一家逮捕のきっかけについて、
従来言われてきた密告ではなく「偶然だったのではないか」と推理する新説を紹介している。
17日付の声明で明らかにした。
声明は「最近の研究は従来と違う視点を提供しており、偽造配給券の家宅捜索中だったナチス親衛隊情報部(SD)が偶然、アンネたちを見つけた可能性がある」と紹介。
「裏切りがあったという定説に反論するわけではないが、別の説も考察されていい」と述べている。
「誰がアンネたちを裏切ったのか突き止められていない」と定説の弱点も指摘した。
アムステルダムのアンネたちの隠れ家では44年4月、配給券偽造で2人が逮捕されている。
これが8月の家宅捜索につながった可能性がある。
アンネは逮捕から1年もたたず、ドイツ北部のベルゲン・ベルゼン強制収容所で死亡した。(2016/12/17-22:47) 「密告者は女だった」っていうレスもあるようだけど、
ソースはあるの?
あるんだったら、ぜひとも教えてもらいたい。
1948年、オランダの警察は、《隠れ家》の友人たちが密告され、逮捕された件につき、調査を行った。
警察の記録によれば、確かに誰かが私たちの友人を密告したことになっていた。
ただし、残された記録には、名前はいっさい記載されていず、
ただある人物がユダヤ人ひとりにつき、7・5ギルダーの報奨金を受け取ったことが記されているのみだった。
つまり、総額では60ギルダーである。
友人たちが密告されたのに違いないということは、私たちも確信した。 (後略)
ミープ・ヒース著 「思いでのアンネ・フランク」
密告の容疑者
● ファン・マーレン(倉庫係)
● ランメルト・ハルトホ(ファン・マーレンの助手)
● レナ・ハルトホ(ランメルト・ハルトホの妻・掃除係)
● 隠れ家の近所のオランダ人たち
● 隠れ家の事務所を訪れてフ事務所を訪れてくる客
● 夜中に事務所に押し込んだ泥棒たち
アンネフランク逮捕について
http://ikukuru.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-69b9.html
>ゲシュタポは密告を受けて出動していた。
この密告者が誰かについては今日に至るまで判明していない。
倉庫係ヴィレム・ファン・マーレン、ランメルト・ハルトホ、もしくはその妻で掃除婦のレナ・ハルトホを疑う説もあるが、真相は不明である。 「アンネの日記 : 研究版」
オランダ国立戦時資料研究所編 ; 深町眞理子訳
文藝春秋, 1994.12
内容説明・目次
内容説明
完全版はこの本から生まれました。三種類の「日記」の徹底比較と筆蹟鑑定。
目次
第1章 “…出生地、フランクフルト・アム・マイン”
第2章 逮捕と連行
第3章 密告はあったか
第4章 収監と移送
第5章 『隠れ家』の出版と各国語への翻訳
第6章 戯曲『アンネの日記』をめぐる紛糾
第7章 日記の信憑性にたいする攻撃
第8章 アンネ・フランクの日記として知られるテキストの文書調査、ならびに筆跡鑑定報告—その要約
アンネ・フランクの日記
カール・ヨーゼフ・ジルバーバウアー(Karl Josef Silberbauer, 1911年6月21日 - 1972年9月2日)はオーストリア及びドイツの警察官、諜報員。
オーストリアの警官だったが、オーストリア併合後にナチス親衛隊の下士官となった。最終階級は親衛隊曹長(SS-Oberscharführer)。
戦時中にはオランダ・アムステルダムのSD・ユダヤ人課に勤務していた。1944年にプリンセンフラハト263番地に隠れていたアンネ・フランクとその家族らを逮捕したことで知られる。
戦後はオーストリア警察に復職していたが、1963年にサイモン・ヴィーゼンタールの調査によってアンネの逮捕者であることを付きとめられた。
訴訟になるも罪に問われることがなく余命を全うした。
ヴィレム・ヘラルト・ファン・マーレン(Wilhelm Gerardus van Maaren、1895年8月10日 - 1971年11月28日)は、アンネ・フランクとその家族が隠れていたプリンセンフラハト通り263番地のオペクタ商会の倉庫係をしていたオランダ人男性。
戦後、隠れ家の密告者ではないかと疑われた。
真の密告者は、依然として歴史の陰に身を潜ませているのだ。
アンネたちが連行されてゆくところを遠巻きにして見ていたのかもしれない。 永遠の謎なんだろうが、
警官たちはすべてが分かっているかのように行動していた。
あの隠れ家のみを捜索しに来たってことを考えると、やっぱり密告はあったんじゃないかなぁ。 生前にミープは「密告者はレナ・ハルトホです」とアンネの伝記作家に証言している
息子が殺されて失意のどん底にいたレナは、家族そろって潜伏していたフランク一家に嫉妬し逆恨みしていた どうせトランプの祖父ということにしてネガキャンやるつもりに100CNNクレジット ミープは密告者はファン・マーレンではないと断言している
なぜなら、ファン・マーレンもユダヤ人を自宅に匿っていたから
それと、隠れ家にフランク一家はじめユダヤ人が潜伏していたのは、
近所の住人たちは気づいていたらしい
知っていて、暗黙の了解で黙っていた
おそらくミープの言うとおり密告者はレナ・ハルトホだろうな そうか、密告者はレナ・ハルトホだったのか・・・・・ カール・ヨーゼフ・ジルバーバウアーにしても、
ヴィレム・ヘラルト・ファン・マーレンにしても、
僕が子供のころまでは生きていたんだな。 アンネ・フランク
(1929年6月12日 - 1945年3月上旬)
僕の父親より1才年上だ。 http://this.kiji.is/65080851729876469?c=39546741839462401
アイヒマン書簡を公開
「私は道具」と恩赦要求
2016年1月27日 23時36分
【エルサレム共同】イスラエルは27日、第2次大戦中の
ナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)の責任者として
1962年にイスラエルで死刑を執行されたアドルフ・アイヒマンが
恩赦を求めた手書きの書簡を公開した。ロイター通信が報じた。
当時のイスラエル大統領に宛てた書簡で日付は死刑の2日前。
自分はホロコーストに責任のある指導者の「単なる道具にすぎない」と主張。
「私は責任ある指導者ではなく有罪と感じていない」として死刑を執行しないよう求めた。
アイヒマンは60年、逃亡先のアルゼンチンで
イスラエルの対外特務機関モサドに捕らえられ62年に絞首刑となった。
http://giwiz-nor.c.yimg.jp/im_siggidqwo7qM5p_XKcm4k2icmg---exp3h/r/iwiz-nor/ch/images/65088119653056520/origin_1.jpg 作家のメリッサ・ミュラーさんは、アンネの伝記を執筆するために、あらゆる資料を詳しく調べ上げました。
その結果、倉庫係のファン・マーレンは密告者ではないという結論に達したのです。
『アンネの伝記』の著者 メリッサ・ミュラー「資料すべてに目を通した結果、彼が密告者だという証拠は、どこにも見当たりませんでした。
しかもミープ・ヒースは、40年間ずっと、ファン・マーレンは無実だと言い切っています。これに私は関心を持ちました。
1987年に出版されたミープの回想記のなかでも、彼女は、警察はどうかしている。密告者の可能性のある人を放っておいて、ファン・マーレンばかりに注目するのはおかしいと主張しています。
それで私は、密告者の心当たりがあるのかどうか、ミープに尋ねました。
すると彼女は、フランク一家を密告したのは、おそらく、レナ・ハルトホ・ファン・ブラデレンでしょうと答えたんです。」
(以下略)
http://www10.plala.or.jp/elf_/hakenkreuz/4-8.html 密告者はレナ・ハルトホで間違いなさそうだな
そもそも倉庫係は最初から雇わないか、秘密を守れそうな信頼できる人物を雇うべきだった
フランク一家たちは、潜伏し始めは物音にも細心の注意を払っていたが
潜伏期間が長くなるにつれて油断し警戒心が緩くなっていったらしい
そして倉庫番たちにも気づかれてしまった ファン・マーレンは1948年3月に事情聴取を受けた。彼は密告について否定するとともに、疑念に対して次のように反駁した。
「1943年から1944年にかけてパン屋や牛乳屋、八百屋などがしょっちゅう大量の食糧を届けてくることから
社屋の中でなにか奇妙なことが進行しているという疑いは持っていましたが、
ユダヤ人が匿われているという可能性には一度も思いいたりませんでした」
「私がそんなこと(罠の設置)をしたのはあまりにも頻繁に物が盗まれるうえ、皆が私に疑いの目を向けていたからです。
終業後に誰かが忍び込んでいる、そういう証拠を見せられれば私への疑いは晴れますから」
「(アンネたちの逮捕の前に)私がケフ商会(隣の会社)の社員と、うちの社屋に匿われているユダヤ人のことを話題にしたという話は嘘です。
あのユダヤ人たちが連行された後にはそういう話もしましたが」
「手入れの後でヒース夫人から鍵をもらいましたが、それがSDの命令でなされたとは知りませんでした」
「私がヒース夫人にSDと親しい間柄だからあんたは逮捕される心配をする必要はないなどと言ったというのは、全く事実に反します。
それどころか私は友人の間では筋金入りの反ドイツ主義者として知られていたのです。」 結局ファン・マーレンの主張を突き崩すほどの具体的証拠はなく、1948年11月、アムステルダムの特別裁判所はファン・マーレンを条件付き免責とした。
条件とは3年間「戦争犯罪人監視局」の保護観察に付すというものだった(またその間は公職に就くことを禁じられ、また選挙権・被選挙権を停止される)。
これは戦争犯罪人への扱いとしては最も軽微な物で、当時何万もの「対独協力者」とされた人々がこの処分を受けていた。
しかしファン・マーレンはこれに憤慨し、ただちに「告発された罪状は身に覚えがない」として不服申し立てを行った。
そして5日後に治安判事は密告の事実は立証されなかったことを認め、ファン・マーレンを無条件免責とした。彼の疑いは公式にはこれで晴れたはずだった ところがその後、『アンネの日記』が爆発的に世界に広がったため、密告者が誰なのか世界中から関心を寄せられた。
また1963年にはサイモン・ヴィーゼンタールの調査によりジルバーバウアーが「アンネを逮捕した者」として突き止められた。
これを機にアムステルダムの国家犯罪調査部は密告の容疑者の捜査に本格的に乗り出した。
世界の目もあり、この時の捜査は1948年の時以上に厳しく徹底した物となった。
警察はまずJ.J.ド・コックという1943年中に2、3か月だけファン・マーレンの下で働いていた男の居場所を探し出し、事情聴取を行った。
ド・コックは自分とファン・マーレンは結託して倉庫から盗みを働いていたと証言した。
ただしド・コックは「ファン・マーレンに関する限り、国家社会主義に関心があるどころか、占領軍に取り入ろうとする形跡さえ見られませんでした」
と証言している ファン・マーレン自身は1964年11月に警察から事情聴取を受けた。その中で彼は倉庫から盗みを働いた事実は認めた。
また食料を運びこんだり、倉庫に見慣れない足跡があることについてクーフレルを問いただした時、彼のはぐらかすような態度から
疑念を抱いていたことも事実と認めた。クーフレルの証言にある青いペンキを剥ぎ取って云々という話は否認したが、
主屋の後ろに家があることは雨漏りの修理で屋根に登った時に気付いたことを認めた。
しかしそこにユダヤ人が匿われているのを知っていたことについては否認し、したがって密告したのは自分ではないと主張した。
また事務所の鍵はミープから渡された物でジルバーバウアーから管理者に任じられたという話は否認した。
また自分はレジスタンス組織のリーダーと友人関係にあったことを証言した。 レジスタンス組織のリーダーと親しかった件は当のレジスタンス組織のメンバーから証言が取れた。
そのレジスタンスたちはファン・マーレンが金に意地汚い男だったことは認めたが、
彼がアンネの事をドイツ軍に密告をするなど到底考えられないと証言した。
一方、別の人間から彼がドイツ国防軍に購買代理人として雇われていたという証言も出てきた
(ファン・マーレンはこれを否認している)。
いずれにしてもファン・マーレンの主張を突き崩すほどの具体的な証拠は見つからず、
1964年11月4日に捜査は再び打ち切られた。
ファン・マーレンはその後1971年にアムステルダムの自宅で死去した。76歳だった。 >>286
なぜレナ・ハルトホには、ファンマーレン並の事情聴取が行われなかったんだろう?
オランダ警察は無能としか思えない アンネの家族の中で唯一の生き残ったのは父親だけだった。
アンネの逮捕につながったナチへの密告は誰がしたのか? 多くの名前があがっているが、特定はできていない。
カール・ヨーゼフ・ジルバーバウアー(Karl Josef Silberbauer, 1911年6月21日 - 1972 年9月2日)はオーストリア及びドイツの警察官、諜報員。
オーストリアの警官だったが、 オーストリア併合後にナチス親衛隊の下士官となった。最終階級は親衛隊曹長(SS- Oberscharführer)。
戦時中にはオランダ・アムステルダムのSD・ユダヤ人課に勤務し ていた。
1944年にオランダに隠れていた アンネ・フランクとその家族らを拘束した中心人物。
1944年8月4月、ジルバーバウアー の勤めるアムステルダムのSDに何者かから電話があった。
ジルバーバウアーの上司 ユリウス・デットマン(Julius Dettmann)が電話を受けた。
電話の内容はプリンセンフラ ハト263番地にユダヤ人がかくまわれているという密告情報だった。
デットマンはジルバーバウアーを出動させた。
アンネ一家の居所について電話を受けたナチの将校ユリウス・デットマンは、ドイツの降伏後自殺した。
密告電話について彼が知っていたことは、本人と共に永遠に墓の中に葬られてしまった。
https://www.excite.co.jp/News/odd/Karapaia_52230214.html?_p=6 密告の電話の声は女性だったという説がある
ということは…
状況証拠から考えて、レナ・ハルトホしかいない 当時の電話の音質なんて低かったろうから、裏声とか出したら分からないだろ >>290
密告電話にわざわざ裏声を使う意味がわからん 1944年当時、ナチス政権下でユダヤ人狩りの密告は日常茶飯事だった。
フランク一家を通報した密告者は、
まもなくドイツが負けて、
アンネの日記が出版されて、
世界的ベストセラーになったおかげで密告者探しが始まり、
自分が密告したのがバレて逮捕されることを、少しでも予想しただろうか?
そんなリスクも不安も感じてないのに、わざわざ裏声で女性のフリをするだろうか?
普通に考えてあり得ない。 倉庫係なんか雇わなければ、密告されることもなかった
アンネもマルゴーも生き伸びてたと思うと… カール・ヨーゼフ・ジルバーバウアー(Karl Josef Silberbauer, 1911年6月21日 - 1972年9月2日)
ヴィレム・ヘラルト・ファン・マーレン(Wilhelm Gerardus van Maaren、1895年8月10日 - 1971年11月28日) 世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
10QF1 マルゴーの日記も読んでみたかった
アンネと違って人の悪口は書かなそうだけど >>93
女流官能作家になっていたかも分らんね
とはいえ。わざわざアンネ自身が読まれたくないと思いなおして前張り・・・
もとい、紙を張ってかくしたエロページまで解読してしまうとは何という死体蹴り
ttp://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1528295387/ >>93
女流官能作家になっていたかも分らんね
とはいえ。わざわざアンネ自身が読まれたくないと思いなおして前張り・・・
もとい、紙を張ってかくしたエロページまで解読してしまうとは何という死体蹴り
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9IO アンネ・フランク一家は本当に裏切られたのか? あれから72年、歴史家が新説を発表(オランダ研究)
2016年12月27日
http://karapaia.com/archives/52230916.html
アンネ・フランク一家は本当に裏切りられたのか? あれから72年、歴史家が新説を発表(オランダ研究)
http://www.excite.co.jp/News/odd/Karapaia_52230916.html Youtubeにあがっているアニメのアンネの日記を今見てるけど
なかなか良い仕上がりだね。黒柳徹子のペトロネラが似合ってたw >アンネを密告したのは誰か?拘束の謎解明へ
>元FBI捜査官チームが調査 「アンネの日記」で知られるユダヤ人少女、アンネ・フランク一家の隠れ家を密告したのは誰か。
>米連邦捜査局(FBI)の元捜査官が率いる約20人のチームが長年の謎の解明に乗り出すことが4日、分かった。
>アンネが拘束されて75年となる2019年8月の調査結果公表を目指す。
>公式サイトによると、調査を主導するのはFBIで麻薬犯罪捜査などを担当していたビンス・パンコーク氏。
>歴史家ら各分野の専門家が加わり、最新のデータ解析技術を駆使して調査を進めるという。
>アンネの一家は、ホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)を進めるナチスから逃れようと占領下のアムステルダムの隠れ家で暮らしていたが、
>1944年8月に拘束された。ドイツ北部の強制収容所に移されたアンネは45年、15歳で死亡した。
>密告説については多くの研究が行われてきたが、密告者は謎のまま。
>オランダの博物館「アンネ・フランクの家」は昨年、密告ではなく別件捜査で偶然ナチスに隠れ家が見つかったとの新説を発表した。
>パンコーク氏は、第2次大戦後、米国に移送された機密文書から新たな情報を得たとしている。(共同) >アンネを密告したのは誰か?拘束の謎解明へ
>元FBI捜査官チームが調査 「アンネの日記」で知られるユダヤ人少女、アンネ・フランク一家の隠れ家を密告したのは誰か。
>米連邦捜査局(FBI)の元捜査官が率いる約20人のチームが長年の謎の解明に乗り出すことが4日、分かった。
>アンネが拘束されて75年となる2019年8月の調査結果公表を目指す。
>公式サイトによると、調査を主導するのはFBIで麻薬犯罪捜査などを担当していたビンス・パンコーク氏。
>歴史家ら各分野の専門家が加わり、最新のデータ解析技術を駆使して調査を進めるという。
>アンネの一家は、ホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)を進めるナチスから逃れようと占領下のアムステルダムの隠れ家で暮らしていたが、
>1944年8月に拘束された。ドイツ北部の強制収容所に移されたアンネは45年、15歳で死亡した。
>密告説については多くの研究が行われてきたが、密告者は謎のまま。
>オランダの博物館「アンネ・フランクの家」は昨年、密告ではなく別件捜査で偶然ナチスに隠れ家が見つかったとの新説を発表した。
>パンコーク氏は、第2次大戦後、米国に移送された機密文書から新たな情報を得たとしている。(共同) >アンネを密告したのは誰か?拘束の謎解明へ
>元FBI捜査官チームが調査 「アンネの日記」で知られるユダヤ人少女、アンネ・フランク一家の隠れ家を密告したのは誰か。
>米連邦捜査局(FBI)の元捜査官が率いる約20人のチームが長年の謎の解明に乗り出すことが4日、分かった。
>アンネが拘束されて75年となる2019年8月の調査結果公表を目指す。
>公式サイトによると、調査を主導するのはFBIで麻薬犯罪捜査などを担当していたビンス・パンコーク氏。
>歴史家ら各分野の専門家が加わり、最新のデータ解析技術を駆使して調査を進めるという。
>アンネの一家は、ホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)を進めるナチスから逃れようと占領下のアムステルダムの隠れ家で暮らしていたが、
>1944年8月に拘束された。ドイツ北部の強制収容所に移されたアンネは45年、15歳で死亡した。
>密告説については多くの研究が行われてきたが、密告者は謎のまま。
>オランダの博物館「アンネ・フランクの家」は昨年、密告ではなく別件捜査で偶然ナチスに隠れ家が見つかったとの新説を発表した。
>パンコーク氏は、第2次大戦後、米国に移送された機密文書から新たな情報を得たとしている。(共同) 遅ればせながら、ヨーピーの渾身の手記読みました。
オットーは何故イケズの女を後妻に迎えたのでしょう?
連れ子エヴァもホラ吹きだし、やるせない。
アンネの友達ヅラするのは百歩譲って許すにしても、アンネがエヴァにエヴァの兄を紹介しろと迫ったとドキュメンタリー番組の中で証言したのは許せない。それもお得意の捏造なんだろうけど。 なんでこんなことが気になるんだろ。
当時は悪い事ではないだろうし、他にも密告にあった人はたくさんいるだろうに。
フランク一家だけ特別扱いっておかしい。
日記ない人はどうでもいいのかと。 アンネは実在した
アンネは悪いユダヤ人のプロパガンダとマネロンに利用されたかわいそうな子どもだと俺は思う 【佐藤優】オランダが『アンネの日記』を必要とした理由
http://blog.goo.ne.jp/humon007/e/4ba6e11f228c1c2c596e9627a42f27f9
例えばアンネ・フランクの『アンネの日記』を読むと、「オランダ人はいい人だ」みたいなイメージになるけど、
ナチス時代のオランダにおけるユダヤ人の殺害率って何%だと思う? 75%だよ。
これはポーランドと同じくらいの率です。ドイツ本国や、フランスあるいはベルギーなどと較べて、
オランダにおけるユダヤ人の殺害率は突出して高いんですよ。
裏返して言うと、だからこそ『アンネの日記』は必要なんだよね。オランダ人はいい人たちだったという印象を、
オランダが世界に向けてプロパガンダするためにも、『アンネの日記』をオランダの国策として広めていかないといけない。
そのことによって、いかにオランダ人がナチスに協力してユダヤ人排斥を進めたかを隠蔽する効果があるわけです。 アンネの家族の中で唯一の生き残ったのは父親だけだった。
アンネの逮捕につながったナチへの密告は誰がしたのか? 多くの名前があがっているが、特定はできていない。
カール・ヨーゼフ・ジルバーバウアー(Karl Josef Silberbauer, 1911年6月21日 - 1972 年9月2日)はオーストリア及びドイツの警察官、諜報員。
オーストリアの警官だったが、 オーストリア併合後にナチス親衛隊の下士官となった。最終階級は親衛隊曹長(SS- Oberscharführer)。
戦時中にはオランダ・アムステルダムのSD・ユダヤ人課に勤務し ていた。
1944年にオランダに隠れていた アンネ・フランクとその家族らを拘束した中心人物。
1944年8月4月、ジルバーバウアー の勤めるアムステルダムのSDに何者かから電話があった。
ジルバーバウアーの上司 ユリウス・デットマン(Julius Dettmann)が電話を受けた。
電話の内容はプリンセンフラ ハト263番地にユダヤ人がかくまわれているという密告情報だった。
デットマンはジルバーバウアーを出動させた。
アンネ一家の居所について電話を受けたナチの将校ユリウス・デットマンは、ドイツの降伏後自殺した。
密告電話について彼が知っていたことは、本人と共に永遠に墓の中に葬られてしまった。
https://www.excite.co.jp/News/odd/Karapaia_52230214.html?_p=6 作家のメリッサ・ミュラーさんは、アンネの伝記を執筆するために、あらゆる資料を詳しく調べ上げました。
その結果、倉庫係のファン・マーレンは密告者ではないという結論に達したのです。
『アンネの伝記』の著者 メリッサ・ミュラー「資料すべてに目を通した結果、彼が密告者だという証拠は、どこにも見当たりませんでした。
しかもミープ・ヒースは、40年間ずっと、ファン・マーレンは無実だと言い切っています。これに私は関心を持ちました。
1987年に出版されたミープの回想記のなかでも、彼女は、警察はどうかしている。密告者の可能性のある人を放っておいて、ファン・マーレンばかりに注目するのはおかしいと主張しています。
それで私は、密告者の心当たりがあるのかどうか、ミープに尋ねました。
すると彼女は、フランク一家を密告したのは、おそらく、レナ・ハルトホ・ファン・ブラデレンでしょうと答えたんです。」
(以下略)
http://www10.plala.or.jp/elf_/hakenkreuz/4-8.html 生前にミープは「密告者はレナ・ハルトホです」とアンネの伝記作家に証言している
息子が殺されて失意のどん底にいたレナは、家族そろって潜伏していたフランク一家に嫉妬し逆恨みしていた
Miep Remembering Anne Frank....Dear Kitty
https://www.youtube.com/watch?v=kci_AXVxVY0
Miep Gies | "Herinneringen aan Anne Frank" | 1987
https://www.youtube.com/watch?v=2UdMLYYCzt8
Miep Gies, 1994 Wallenberg Lecture
https://www.youtube.com/watch?v=7exvJQWHueg
Interview Miep Gies over Anne Frank en het Achterhuis op de Prinsengracht in Amsterdam (1987)
https://www.youtube.com/watch?v=vZLHLHudhwU
Documentaire Anne Frank (1976)
https://www.youtube.com/watch?v=6xzqhiibPTo
"That's What I Hope" – The Story of Hannah Pick
https://www.youtube.com/watch?v=ZFtj33U3weI
アンネ・フランクの家1960年、オットー・フランク、ミープ・ヒース-日本語字幕
https://www.youtube.com/watch?v=GATuOHJLt3Q
>1960年のアンネフランクの家の初年度からの映画。
オットーフランク、ミープギース、ハンネリゴスラー、ミリーパーキンスがアンネフランクの家を訪れます。
Holocaust Survivor Anne Frank's best friend - Hannah Pick Goslar
https://www.youtube.com/watch?v=L8fQo0Jy0sk
【アンネの日記】アンネフランクの家の中を覗いてみよう!Anne Frank Haus VR
https://www.youtube.com/watch?v=MOyY-i36sCM
Otto Frank "Le journal de ma fille Anne" | Archive INA
https://www.youtube.com/watch?v=hF26UM9JlAw
Otto Frank
https://www.youtube.com/results?search_query=Otto+Frank
Miep Gies
https://www.youtube.com/results?search_query=Miep+Gies
アンネ・フランクが映っている動画、YouTubeで公開
[オランダ発]
『アンネの日記』で知られるユダヤ人少女アンネ・フランクの生前の姿が映っている動画が9月23日、YouTubeで公開された。
アムステルダムの「アンネ・フランクの家(記念館)」による。
わずか20秒のビデオは、生前のアンネを撮った唯一のもの。
隣人の結婚式当日、新郎新婦を一目見ようと、2階の窓から身を乗り出している彼女の姿が、
数秒間(0:09-0:14)収められている。
撮影日は1941年7月22日。アンネはこの時、数えで13歳だったそうだ。
それから1年もしないうちに、彼女は両親や姉と共にアムステルダムで潜伏生活に突入。
しかし、1944年8月、密告により隠れ家がゲシュタポ(ドイツの秘密警察)に発見され、
アンネは1945年3月、ナチスの強制収容所でチフスのため死亡した。
ちなみに、新婚夫婦は今も存命で、ビデオはこの夫婦が提供したものだという。
記念館が最近開設した公式チャンネルでは、このほか、アンネの父親オットー・フランクや、
フランク一家らの潜伏生活を支援したオランダ人女性ミープ・ヒースのインタビューからの抜粋も公開されている。
生前のアンネ・フランクの唯一の映像
9秒〜13秒のあたり ↓
https://www.youtube.com/watch?v=4hvtXuO5GzU
アンネ・フランクを密告したのは誰だ?
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1323241895/109
『アンネ、わたしたちは老人になるまで〜』刊行時点
生還したクラスメート13人(/30 )のうち不明の2人を除く11人が、皆80手前まで存命って
確率的にありえる? 『アンネ、わたしたちは老人になるまで〜』刊行時点
生還したクラスメート13人(/30 )のうち不明の2人を除く11人が、皆80手前まで存命って
確率的にありえる? アンネとリースの物語が映画化されたらしいが
アンネが心底惚れ込んでいた親友はヨーピーだよね 密告者が誰とかは問題ではない
アンネの日記はこの世で一番悲しい書物 >>342
意外なことに「アンネの日記」には下ネタコーナーもありました。お茶目ですよね。 何で男が密告者なのか
https://news.yahoo.co.jp/articles/cd44c3ebbdc5ce8d24ece2073c6439e8cd702321
アンネ裏切りの密告者、特定か 元FBI捜査官ら オランダ
1/17(月) 20:49配信
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時事通信
「アンネの日記」を書いたユダヤ人少女アンネ・フランク=1942年撮影(AFP時事)
【アムステルダム・ロイター時事】「アンネの日記」で知られるユダヤ人少女アンネ・フランクの一家が1944年8月、オランダ・アムステルダムの隠れ家で発見されるきっかけをつくった密告者の疑いのある人物を、米連邦捜査局(FBI)の元捜査官や歴史家ら約20人で構成する研究チームが特定した。
〔写真特集〕アウシュビッツの記憶
名指しされたのは、比較的無名のユダヤ人公証人アーノルト・ファンデンベルフ。研究チームのメンバーは17日のオランダ紙NRCに対し、自分の家族を守るため、フランク一家を裏切った可能性が「極めて高い」と述べた。 >アーノルト・ファン・デン・ベルフ
このスレでも初めて出る名前か? 意外なダークホースの出現。 >>348
そもそもアンネは自分の日記が人に読まれるのはイヤなのではないか。
あの年頃の女の子は、自分の日記が衆人の目に晒されるなんて耐え難いだろう。
オレはやさしいから、興味津々だがあえて読まない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています