【プロイセン】フリードリヒ大王【啓蒙専制君主】
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今年で生誕300周年を迎えるフリードリヒ大王。
18世紀を代表する卓越した君主である大王を語り尽くそう。
また大王に関する伝記・書籍についても情報あればお願いします。 大王って言うほど偉大なのか?このホモ犬は
大王っつたらアレクさんとカメハメハとデデデがいるが
それに伍する格があるのだろうか ロシアのウスラ馬鹿ピョートル3世のおかげで命拾いしたラッキーボーイw 親友と二人で逃避行 しかし、捕縛されその死を生涯悔いた。
美人の嫁さんをもらったが、子供どころか全く手を出さなかった。
姉以外の女を見下し、馬鹿にしまくっていた。
士官の膝枕で仮眠をとったりしていた
導き出される結論は・・・・・・・・・・? >>3
けどピョートル3世は大王ファンだったんだよね。
ラッキーってだけじゃなくカリスマ性で助かった部分もあると思う。
けどピョートル3世といいヨーゼフ2世といい大王ファンはあんまりぱっとしない印象。
大王様∩( ・ω・)∩ばんじゃーい
ピョートル3世は、エカテリーナ2世が自分達を正当化するために貶めたせいもあるんだろう。 ドイツじゃこれといった大英雄がいないから相対的に持ち上げられてる感
赤髭皇帝は情けない最後だし、白ひげ兜は戦争指揮してないから派手さにかけるし、ちょび髭伍長はユダヤが怒るし
結果的に髭無し大王がドイツ屈指の英雄ということになっている エカテリーナ2世をロシアに輸出したホモを語るスレはここですか? 大王「カッテよ、ピョートルとヨーゼフの両手に花となっても
君のことを忘れたことはないぞ」 アレクサンドロス大王にせよ、フリードリヒ大王にせよ、
偉大な人物は何故たいてい男色家なんですか? アレクサンドロス大王は寵妃もいたし
アケメネス朝ペルシャの王女とも政略結婚をしているよ
男色もしていたならホモではなくバイでしょ このゲイ術家王は、王なのに子供を残せとかそういう声はなかったのだろうか
このシスコンホモがマリア・テレジアと結婚して
男子をもうけていたら歴史はめちゃくちゃ変わったな 男子をもうける以前に、その夫婦仲が良好だったらっていうだけでも歴史が
というか当時のヨーロッパ地図がすさまじく変わったろうな。 2人が結婚したらオーストリア継承戦争時に
フリードリヒ2世VSフランス大元帥モーリス・ド・サックスの
ドリームマッチが見られたな >>16
当時どころか後世にも相当な影響あっただろうな。
フランス革命が起きなかった可能性も結構ある。
少なくとも王妃があのマリー・アントワネットでなかったら、
ああいう形にはならなかったと思う。 フリードリヒ大王とマリア・テレジアが結婚してたら、18世紀中にドイツは統一されていただろ。 今、歴史群像の7年戦争とこ読んでる最中やけど、凄まじいな(笑)
コリーンの敗戦で俺なら気持ちがおれてるw けどコリンの後に有名なロイテン・ロスバッハで勝ってるんだよね。 >>20
フリードリヒ大王は大の女嫌い。
女と結婚なぞ政略上も無意味! 王のそういう偏見を矯正するだけで、5桁か6桁の数の兵隊が死なずに済んだと思われ >>25-26
私はそもそも彼が言われるほど女嫌いだったかに疑問持ってるけどなあ。
兄弟で一番仲良かったのは姉だと言うし。
ホントに女嫌いだったら姉も嫌いだろう。
マリア・テレジアに関しては「父親が死んだら周辺諸国が戦争始めるのも読めずに
先祖代々の領土も持てない男と恋愛結婚した女」
という意味で見下していた可能性が高いと思う。
彼の合理主義的精神からすれば「よりにもよってフランツと」だろう。
フランツ自体は良い奴だと評価していたとは思うけど、
現代流に言うと「恋愛と結婚は別」みたいな。
より正確には「自分との結婚のために、フランツに先祖代々の領土を捨てさせた女」
だからな、マリア・テレジアってのは。
父親の方はフランツに帝王学の教育受けさせたがマリア・テレジアには受けさせず、
ならば父親が死んだらフランツに権力持たせるかというとそうはならなかった。
実際にはフランツからの又聞きで勉強していたらしいが、
プロイセンという遠方からでは分からない。
君主としてのまともな教育を受けていないという認識の女が権力握ったら、
十八世紀当時としては見下したくもなるだろう。
当の女性がいる宮廷ではそれを言ったら自分の首が危ないが、
フリードリヒはプロイセン国王だから。
恐らく、内心で彼に喝采送ってた男もいただろうと思う。 面白いの見つけた
ネットの占いで大王の生年月日とタイムゾーンをドイツに設定
で出てきたのがコレ
あなたは外見からは強さを感じる人ではありませんが、非常に自尊心が高く、頭ごなしの命令や指図を嫌います。
また愛情面に薄い傾向があります。
弟か妹の生まれか、もしくは分家の生まれになります。
また、独立精神が旺盛で、たとえ長子であっても親のあとは継がず、仮に継いだとしても、
自分なりの方法で親とは別の方向へと転換させていきます。
最初は苦労や試練が多い傾向にありますが
努力によって二十代後半から次第に順調となり先天的な金運の弱さをカバーして、
安定した生活を営むことができます。
生家を離れ独立することが多く、養子となる場合もあります。
たいへんな 努力家でがんばり屋ですので、 何ごとも自分が納得するまでやらないと気が済まないところがあります。
発展気運を備えていますが、どちらかといえば金運につきがあるとは言えない方なので、
本業以外に手を広げると失敗することもあるようです。 ↑↓啓蒙に合わない単なる占いです。ネタスレと思ってください。
同じくマリアテレジアさん タイムゾーンはオーストリア設定
クールな印象で、あまり目立つタイプではありませんが、
内面には激しさを秘めています。
知謀に優れており、表舞台よりは裏方で活躍する傾向があります。
また、自分に同調する人には非常に親切ですが、
反発する人に対しては、徹底して反撃をする傾向があります。 彼が最も愛した男色相手は何という人物ですか?
少年時代ではなく、即位してからの話だけど。 マリア・テレジアとポンパドゥール夫人はともかく、ロシアのエリザヴェータ帝はなんで
あんなに大王が嫌いだったんだろう。単なる感情の問題か?
・元々プロイセン人の貴族だから幼少の頃から評判を聞いていた
・プロイセン貴族時代に王宮のサロンとかで女嫌いの大王に嫌味を言われた
・夫が大王大好きで戦争止めて講和までしちゃって周囲から突き上げくらって肩身の狭い思いをした
このへんだと思ってるが真相は知らない ってエカテリーナさんの事じゃなかったのかごめん見間違えた 「フリードリヒ」は受験生の最大の敵
つか何で外人はあそこまで個人名に無頓着なんだろね
「東洋と比べると、家名よりも個人名を大切にする〜」
みたいな事習ったけど絶対嘘だわ >>37
何でも先祖との連続性を確認するために
先祖と同じ名前にするんだとか。
ハノーヴァー朝のジョージ王連続とか
ブルボン朝のルイ王連続も原因はこの辺でないかと。
日本で言うなら徳川氏が歴代「家」の字を引き継いだのと似てる。
古代ローマに比べたら個人名増えた方だから文句なしな。
あっちには個人名8つしかない。だから姓やあだ名で呼ぶ。 >あっちには個人名8つしかない。
プロイセン王の個人名フリードリヒとヴィルヘルムの2つじゃないですかー 中国じゃ、皇帝と同じ発音の字まで変えさせられるのにw ドイツの貴族で、一族全員同じ名前の家ってあったよね。 >>41ロイス家だね
男子は全員「ハインリヒ」と名付けられる
一族のハインリヒ72世は序数が最も大きい君主としてギネスブックにも掲載されている
ちなみにヴィルヘルム2世の後妻がロイス家の姫 カーライルの『フリードリヒ大王伝』って邦訳ないの・・・? >一族のハインリヒ72世は序数が最も大きい君主としてギネスブックにも掲載されている
もう個人名の意味をなしてないじゃないかw ハインリヒロイス家にしちまえよ!! >>37
フリードリヒ=ヴィルヘルム大選帝候
フリードリヒ1世
フリードリヒ=ヴィルヘルム1世
フリードリヒ2世
フリードリヒ=ヴィルヘルム2世
フリードリヒ=ヴィルヘルム3世
フリードリヒ=ヴィルヘルム4世
ヴィルヘルム1世
フリードリヒ3世
ヴィルヘルム2世
こんなに受験生にとって覚えやすい王朝もそうそう無いですよ そのリスト内で友達になりたいのは
大選帝侯、ヴィルヘルム1世皇帝、フリードリヒ3世くらいかな
後は戸塚ヨットスクールの校長、ドイツ版9代将軍、ゲイ(2人)、女たらし(2人)、ドン・キホーテ…
どれもヒドイ性格だ
エリザヴェータはピョートルの娘だけど
フリードリヒ大王たちは(北ドイツ諸侯)はドイツ系の君主を帝位につけたくていろいろ画策してたし
アンナ女帝なんかにも軍事顧問団(マンシュタインやヴィンターフェルト)を送って影響力を及ぼそうとしてた。
つまりロシア宮廷内では反エリザベータ勢力を支援してたのさフリードリヒ(大王)は
だからエリザベータに好かれるわけがない。
>>38
それエカティリーナのことだからエリザヴェータはその姑。
エリザヴェータを売春婦呼ばわりしたとどっかで読んだ記憶が、
まあ私生活はかなり乱れきっていたらしいけど。
7年戦後には懲りて後釜のエカティリーナにはお世辞を言いまくったって、
中公文庫「世界の歴史・専制君主の時代」に書いてあった。 エリザベータは両親共にロシア人。
エカテリーナはアンハルト・ツェルプスト家令嬢で
プロイセン軍騎兵大佐ゲオルグ・ルードヴィヒ(・ヘルツォーク)
フォン・ホルシュタイン・ゴットルプ公爵に嫁ぐはずだったのに
フリードリヒ2世自体がロシア皇帝(この人もホルシュタイン・ゴットルプ家)に嫁入りするように
計らったんだから態度が違って当然だわ。 大王より兵隊王の方が君主としては優れてると思うがな ロシアのお人好しに助けられたのも
戦術で絶対的危機を7年間凌いだからこそ >>54
志向も才能も違うけど有能な親子だった、というだけでは?
どっちが有能かなんて本格的によくわからんし、特にこの2人 >>47
同じ名前ばかりでも、かえって区別がつかないような…。 >>54
でも名実ともに「プロイセン王」にしたのも、
肥沃なシレジアを手に入れたのも大王だからなあ。 シレジアの貴族層にプロテスタントが多くて、
さらにカトリック貴族もすこぶる日和見主義だったのが功を奏したね
鉱山を制した邦がドイツを制したのだね どう考えても大王の方がすごいだろ
ちょっと斜めに構えてるだけな意見はいくない つか兵隊王の功績も大選帝侯のレールの上だからな
それは大王も同じだけど プロイセンがドイツを統一できたのも、シュレジエンとラインラントという2大工業地帯を押さえていたのが大きかったし。
オーストリアもベーメンがあったけど、あそこはチェック人が多い被支配地域だったからな。 >>59
シュレジエンの場合、ハプスブルク家はそこまで先祖代々の主君ということでもなかったからね。
もともとホーエンツォレルン家によって領有されていたり、相続される予定だった諸侯領を、
ハプスブルク家が三十年戦争やその後の法令違反を理由に分捕ったという話なんだよね。
そこがベーメンと違うところで、だからプロテスタント貴族も多かったんだと思う。 15世紀まではポーランド王とベーメン王とブランデンブルク選帝侯その他で飛び地だらけの分割してた土地を
ハプスブルク家が時間を掛けて聖ウェンセスラスの王冠の元に回収、統合してるから
ブランデンブルク家にも相応の取り分返せって主張は存在してるんだよね >>66
だからフリードリヒも、オーストリア継承戦争の最初は
というか途中までは、シュレジエンの一部である
「もともと自家所有だったり相続協定結んでたりする諸侯領」しか要求してないんだよね。
恐らくシュレジエン全体からすれば半分行かない程度。
オーストリア宮廷で「その程度なら譲ればいい」という声が多く出たのも
一理あるという微妙なライン。
緒戦で負けた時点でマリア・テレジアが当面の奪回を諦めてれば、恐らくプロイセンも
当初の要求領土しか取らずに終わって、史実よりオーストリアが取られた面積は
少なかったと思う。 それなのに自国でも後代の宰相にシュレジエン泥棒扱いされる大王カワイソス うん、重要
プロイセン王国の人口のがシュレジエン獲得で1.6〜1.7倍程に膨れ上がったし
シュレジエンは鉱工業が盛んで単なる人口増ではなく鉱工業力まで一気に手に入れたことになる
以降のプロイセンの拡大はシュレジエンによって大いに支えられた >>67
財布に三万円+色々カード持ってる金持ち相手に、一万円恐喝しようとしたら拒否されたんで,
ぶん殴ってカードとか含めて財布ごと持ってったみたいなもんだからなあ。
言うなれば恐喝から強盗に変わったみたいなもんで、泥棒呼ばわりも無理ないとは思う。
ただ、相手の方も恐喝時点で応じてれば、被害が少なかったってのも事実。
これ以上の話については、その協定結んでた諸侯領が
シュレジエン全体でどれくらい重要だったか、ってのにも寄るから
どっちがどうとかは言いづらいと思ってるけどね。
ただ、フリードリヒの当初の要求に関しては、オーストリア側にも交渉の余地は
あったはずだと思ってる。
父親同士の話になるけど、プロイセンが要求していたユーリヒ=ベルクを
オーストリアがフランスに獲得させた事情もあって、
フリードリヒの当初の要求は「ユーリヒ=ベルクの代わりを寄越せ」的な
意図が含まれていたという見方も出来るんだよね。 フランツ1世とフリードリヒ大王との間で、妥協案がまとまりかけていたのに、マリア・テレジアがプロイセン相手に
妥協は不要とか言って、ぶち壊したみたいな話を聞いたな。 確かに文化人、戦術家としては一流だけど
外交・戦略は二流
ホモで子が無かったため、他国の王室と閨閥関係を築け
なかったのは国王失格 いや男の愛人もいないからホモですらないだろ
性的に不能だっただけなんじゃ? 若いころ女遊びでやらかして不能になったとかいう説がけっこう信憑性ある啓蒙専制君主様 >>73
ヴォルテールは愛人じゃなかったの?
同棲までしたのに。
>>1
大王を扱った映画では「Mein name ist Bach」
(日本未公開。DVDはPALしかなく、英語字幕で見た)
J.S.バッハが「音楽の捧げもの」を作曲するいきさつをあたりの話。
大王はバッハに構ってほしくて仕方ないオーラが出まくり。
愛に飢えた子供状態でした。 たしかにラッキーボーイだけど運も実力の内なんでセーフ ヴォルテール 1694年生まれ
大王 1712年生まれ
同棲するようになるのって大王が40代、50代の頃じゃなかったっけ? >>73
性に関して淡白だっただけかと。
英国人の高級娼婦あてがわれたときに「言葉のわからん相手とやっても仕方ないし」的な理由で断った、という逸話があるらしいしな。
嫁に冷たかったのも、ピロートークを交わす相手としてつまらんかったからだと思う。 ぶっちゃけ、女性に構うのが面倒ってだけだよね
もしくは自分の脳内に描いていた理想の女性像と現実の女性に折り合いつけれなかったか
現代でも「何でこの人が?」って感じで独身貴族やってる人もいるわけだし
でも、弟の方はガチで同性愛者なんだっけ? >>71
それは例えば北海道をロシアに占領されて、どうしようもないからそのまま和平条約を結ぼうか
と言うようなもの。納得できるかよ。 >>73
愛人はいないけど、年上の男性と妙に親密じゃね?
まあシスコンだったから女を嫌いではないと思うけど。 幼少期に親との関係が上手くいかなかった人は、虐待の連鎖を恐れて親になるのを避けることがある。
若いうちから母親の子作り要求にはぐらかしたり、子供をほしがってなかった様子があったし、
女に興味なかったから子供を作れなかったんじゃなく、
子供を作りたくないから女と距離を置いていたのかもしれないな。 >>83
何らかの理由あって女性を遠ざけてるだけで
基本的には気さくでいい人なんだろ >>73
家出事件で処刑されたカッテ少尉とできていたという説を聞いたことがある。 フランスとロシアの糞ビッチを糞ビッチだと本当のこと言ったら女嫌いってことにされましたとさ
まぁ国際舞台で暴言しまくるってどうかと思うけど
ビスマルクにも受け継がれてる暴言DNA >>87
七年戦争史の自己弁護は割と面白い
つーか、ロシア女帝ってあそこまで無能扱いされるような人だったのか? ペチコート同盟に追い詰められて自殺寸前まで行った男の恨みつらみ、と理解するが。 フリードリヒは女性を遠ざけてはいない
家族とかでも親しいのはお姉ちゃんや妹や姪っ子ばかり
にも拘らず女に手を出すことはしないから、「女っぽい性格」だと思われた
まあ別にホモでもいいんじゃね、もうだいぶ前に死んどるし エリザヴェータが急死せずあと1年でも生きていれば、
プロシアは戦争に敗北して分割され、フリードリヒは
無用に女の恨みを買って国を滅ぼした道化として史書
に記されたろう。
まちがいない。 >>88
グレート・ブリテンが島だと知らなかった >エリザヴェータ 幼少期のトラウマといい女を敵にまわすといい
漫画の悪役キャラが成り立っているのに
生き残ってるとこがすごい >>91
そう、だから親父の兵隊王の方が堅実で、王らしい王なんだよ
何故かこのスレでは兵隊王の偉大さが支持されて無いけど
自作自演とは違うからね ランク的に
大王>大選帝侯>>>兵隊王>>>>>その他よくわからん 大選帝侯の時のプロイセンはアフリカ植民地まで持ってたしな 軍人王は王子時代の大王への虐待と、友人の処刑が有名だからなあ。
国王としての評価と個人的な行動のと評価は別なんだろうけど、
後者への嫌悪感から全社へも厳しくなるって人は多いよな。
逆も良くあるけど。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています