【プロイセン】フリードリヒ大王【啓蒙専制君主】
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今年で生誕300周年を迎えるフリードリヒ大王。
18世紀を代表する卓越した君主である大王を語り尽くそう。
また大王に関する伝記・書籍についても情報あればお願いします。 >>699
夏が6月止まりの東北地方北部並み
平均最低気温
ストックホルム −3.9から14.5℃
マルメ −3から13℃
カルマル −3.5から12.4℃
青森 −3.9から19.8℃(6月13.5℃)
秋田 −2.5から21.3℃(5月14.6℃)
八戸 −4.2から19.3℃(6月12.8℃) >>703
鉱物資源に恵まれているという意味では豊かだけど、土地は肥沃じゃないよ。
その上、寒くて作物が育ちにくいから人口が少なかった。ジャガイモと言えば
ドイツってイメージがあるが、北欧諸国はいずれもドイツ以上にジャガイモに
依存してる。ましてや三十年戦争の頃なんて、ジャガイモの伝来前だしなあ。
他の国では飼料や非常食にしかならないルタバガを、普段でも食べてた地域だったり。 何を食べていたのかがかなり不思議だよな
一粒まいても二つぶくらいしか実らない穀物を植えてそう フリッツ爺さん「俺の本が出たらしい。作者は塩野七生とは?あれ皇帝?」 >>706
ジャガイモの到来前だと痩せた土地に植えられていたのはルタバガ以外じゃ豆や
ライ麦、大麦、燕麦、ソバとか。んで食糧事情は得てして都市部より農村部の
方が良い。 >>707
アンタじゃマッチョ好き塩野の触手は動かない ホモで草食系でチビガリだっけ?
英雄だが、無理だろうな。 ヘタリア好きの塩婆じゃ、当然ボンクラ皇帝のほうだろ >>711
シュタウフェン朝のフリードリヒ2世と言えばボンクラどころか、
生まれてくる時代を間違えたってくらいの英傑だぞ。
ほとんどシチリアで過ごしてたから、治世の間にアルプス以北の
諸侯の権限が増大したという一面はあるが。 >>712
ならシチリアだけの王になって、
ドイツは他の一族に任せるべきだった 地中海帝国建設の夢想にふけり、神聖ローマ帝国の分裂を決定的にした駄目皇帝。
ハインリヒ6世がシチリアのババァと結婚したのが運のツキで、フリードリヒのようなボンクラが生まれた。
ハインリヒ獅子公のような人物だったら、神聖ローマ帝国を強大にしていただろうに。 >>712
生まれてくる時代を間違えたんじゃなくて、生まれてきたこと自体が間違い >>716
宗教的出自を問わぬ人材の活用と、それを通じたイタリアの効率的な統治と、
後の西欧世界にも影響を残したほどの学問の振興なんて、本当にボンクラなら
できんことだ。
それに神聖ローマ帝国の分裂を問題にするなら、ハインリヒ獅子公を引き合いに出すのは
不適切だろ。帝国に分裂や混乱を招いた、という点では獅子公も引けを取らんぞ。 スペインといいシチリアといい、中世には先進的だったのになぜかヨーロッパの更新国になるのはなぜか >>718
フェデリーコ2世の治世末期にそれまでシチリア王に従順だった
半島南部、島嶼部に点在していたイスラム教徒このコミュニティが
「何故か」反乱を起こしたことがシチリア衰退の直接的な切欠
鎮圧と同時に大規模移住の強制が行われて雑居していたキリスト教徒とイスラム教徒が分離することになった
イスラム教徒とキリスト教徒に限らず多文化の混在が
科学と文明の進歩、交易の発展のエンジンとして存在していたシチリア王国は
この事で統治の安定以外の多くを失った
フェデリーコ2世は大好きな面白い王にして皇帝なんだが
結構ダメなこともやってるんだよなぁ >>720
スペインもイスラム教徒とユダヤ教徒の扱いを間違えて、ヨーロッパ中の後進国に逆戻り >>720
でもフリードリヒはアラブ人、ギリシア人への偏見はなかつたんだよね 奴隷が減って奴隷経済が崩壊すれば腐り始める。
アラブ土人テクノロジーは中世止まり。 >>717
フリードリヒ1世がハインリヒ獅子公の忠告に耳を傾けて、イタリア問題に拘泥しなければ、帝国の混乱は無かった。
ハインリヒ獅子公はヴェンド十字軍に見られる様に、Drang nach Ostenを推進し、東方に生存圏を拡大しようとする等
先見の明があった >>723
だから「何故か」と強調してるわけ
教皇とガチで殺し合いしてるところで後ろからムスリムに刺されるとか
性質の悪いジョークみたいな話 共通の敵や目的があれば宗教の事は小事として忘れれるかもしれない そういや近世のオランダではトラブル防止のため、商売の時は宗教の話禁止だったと聞く 忘年会を半強制することはハラスメント
男社会のクソ文化
ダウンタウンの松本気取りのくだらない奴
街中みんなのお笑い草だぜ バカヤロ様がいる
弱い奴には強く出て 強い奴には媚びへつらい
店長崩れのニセモノは
仕事も人望も紛い物
人には厳しく自分には甘く ケジメも無しとする
何でもすべての事が人任せで それでも良しとする
大学行ってもクズだから 常識なんかは通じねェ
相手を選んでハラ立てて
得意の火病はお手のモノ
今は君のために飲もう 僕も風と共に行こう
すべての人に 懺悔しな!!
https://www.facebook.com/katsuyuki.kida.923 >>728
そもそもオランダで主流だったカルヴァン派が予定説を採ってて
主流派が商売と宗教切り離してるからオランダで商売する人はそれに倣ってただけという話ではある シチリア王国でも屋外で宗教の話を禁じる「フリードリヒ二世勅令」みたいのを出して
(宗教的な美術とかは可、ただしイエスやマリアはダメ)、
各民族の融合に努めるべきだった。
融合がうまくいけばそれがシチリアのオンリーワンの文化となる。 >>732
同じフリードリヒ二世だから多少は多目に >>725
ハインリヒ獅子公がフリードリヒ1世に対し軍役を拒否して帝国の混乱を招いてるんだから、
そらないわ
しかもそれは、自分も大いに関わったヴェンド十字軍の結果でもあるんだし >>726
シチリア王国のイスラム教徒はシュタウフェン家最後のシチリア王、
マンフレーディの時代まで従順だよ。1266年、ベネヴェントの戦いでも
マンフレーディ側について戦ってる。フリードリヒ2世からマンフレーディの
治世でイスラム教徒が反乱を起こしたことなんてあったっけ?
あったらすまん。
マンフレーディをイスラム教徒の兵ともども敗死させ、シチリア王を継いだ
アンジュー家のシャルル1世は教皇と親密だったし、イスラム教徒どころか
シチリア王国の住民からも人気がなかったから不思議でもなんでもない。
シチリア晩祷戦争でシャルルの相手になったのはマンフレーディの遺領を
継ごうとしたペドロ3世であって教皇じゃない。
「教皇とガチで殺し合いしてるところで後ろからムスリムに刺される」って
何を指してるん? >>734
結局ロンバルディア都市同盟に破れてすべてを失ったんだから、ハインリヒ獅子公のほうが正しかったんだよ。 >>736
獅子公の協力があったらロンバルディア同盟に勝ってたかも知れんから、
そうは言い切れん。 >>735
イスラム系の官僚、軍人、もしくは諸侯等で組織立っての反抗というのはないが
シチリア島の農業を支えたイスラム系の農民はフリードリヒ在世中継続的に何度も反乱して
シチリア島から半島南部への移住させられてる
この移住政策が始まるのは破門十字軍と同時期か少し後で何度か行われてる
フリードリヒ2世はイスラム系農民の反乱に継続的に苦しめられてるんだが
移住後のイスラム系農民から官僚や軍人が排出されたりもしてて
フリードリヒ2世は反乱起こしたイスラム系農民にかなり温情的でもあったと言えると思う でもシチリアではラテン人、ギリシア人、アラブ人の住むところは別れていたらしい
一方トレドはモサラベ、カスティーリャ人、フランク人、ユダヤ人、イスラム教徒は同じ >>741
なるほど、ルチェーラに移住させられる前の話か。
その後はパルマの敗戦後、ロマーニャのギベリンがゲルフに寝返った後も
シュタウフェン家にイスラム教徒が反旗を翻したって話は聞かなかったんで
変だな、と思ってた。 大王が死んだとき、甥のルイ・フェルディナントは14歳くらいだが、すでに才能の片鱗を見せていたのだろうか。
そうであれば、ルイ・フェルディナントを養子にして、王位を継がせたらよかったのに。 >>742
雑居状態でちゃんとオリジナルの融合文化が創造できるだろうか?
町の中に違う様式の建物が並ぶだけで終わるかもしれん >>733
多少なんてレベルは超えてるな。
失政続きの無能皇帝の話はいい加減にしろ >>748
そうやって釣り針垂らし続けた結果がこの爆釣だってことを分からないお前は
さらに無能だなw 見当はずれの現実離れしたイタリア中心の政策のせいで、ホーエンシュタウフェン家の力を失わせ、
王権失墜の原因となり大空位時代を招いたフリードリヒ2世とか言うボンクラはいくらけなしてもけなしすぎと言うことはない。 >>748
フリードリヒ二世一代目が放棄したドイツ統一路線を、
フリードリヒ二世二代目が復活させた >>750
シュタウフェン家の力も、ドイツの王権も獅子公が二代にわたってドイツ王の足を
引っ張ってる時点でもう失墜してるわ。なんでもかんでもフリードリヒのせいに
すりゃ済むってほど単純じゃない。 帝国諸侯には特権をばら撒く無定見な政策、財政は借金でしのぐ、その場しのぎの統治を続けた結果、
後には焼け野原のような帝国を残した。 実の息子に反乱された挙句、眼を潰して自殺に追い込むようなクズ皇帝によって、ホーエンシュタウフェン家は滅亡した スレ違いってことも分からん荒らしが湧いてるせいだよ プロイセン王国も多数のポーランド人がいた
プロイセンとオーストリアは薩摩藩や松前藩に近い プロイセンは開拓時代のアメリカの西部みたいなものだな。 >>749
爆釣だ?ふざけろ
てめぇ一人で自演やってるだけじゃねぇか >>760
そう言ってもっと釣るつもりなのかw
浅はかなこった しかし薩摩藩や松前藩は
「俺達はあくまで日本人であり、異民族を支配しているだけ」という認識だったと思うが
プロイセン王国はそのへんも怪しい
スラブ人だと思っていたわけもないが、どの辺までドイツ人意識があったことやら >>762
本当、見えない敵と言うか自演は大変だよ
一人将棋を楽しめる人間じゃなきゃ出来ない >>764
分かるよ!
見えない敵が独り相撲を取ってると思わないと、やってられないもんなw フリードリヒ大王が指揮した戦いじゃないけど、七年戦争でのミンデンの戦いは
なんでプロイセンが勝てたのか戦闘の経緯がよくわからん
プロイセン連合軍のうっかり突出してきた兵団をフランス軍が騎兵で包囲攻撃という圧倒的有利なはずの展開で
全部跳ね返されて敗北ってどういうこと? まず一つ訂正せにゃいけんが、ミンデンの戦いにプロイセン軍は参加してない。
指揮官はプロイセン軍出身で、それまでに実績もある人だけどね。
フランス軍にとっての誤算はシュペルケン師団が増援を得ながら予想外に持ちこたえ、
正面からの攻撃にもどうにか耐え抜いたこと。そして騎兵を援護するべき歩兵集団が
連合軍の砲撃で阻止されたこと。また敗走した騎兵が友軍まで混乱に巻き込んだのも
痛かった。
ゆえに「定石通り歩兵集団を正面から、騎兵を側面からぶつければ良かったのに」と
批判されている。 あ、間違えた。ミンデンの戦いならプロイセン軍も参加してたわ。
ホルシュタイン=ゴットルプ中将とフィンク・フォン・フィンケンシュタイン中将指揮下の
竜騎兵9個中隊、この他フザール3個中隊が投入されてた。 なるほど、詳しい解説ありがとう!
フランス軍はこの戦いであえて定石を外して騎兵を中央に配置したってのは知ってたけど、
それが裏目に出ちゃったってことか
歩兵戦列の撃破は戦力優勢であっても騎兵だけではなかなか難しいんだな
なんか双方戦列が整わない状態で戦闘になっちゃって
戦力が逐次投入になったような記述だったけど NHKの「名曲アルバム」
今月はバッハの「音楽のささげもの」が放送されてます ヴォルテールと喧嘩別れした話なんかは
フリードリヒUの人間性を考える上で興味深いな ヴォルテールはフリードリヒ2世の宮廷で聞いた内部情報を使って金儲けをしていたからな。 大王様の好きだけど下手糞な自作の詩というプロイセンの最重要機密を漏らしたことでしょうな 世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
0GYXD 主人にコーヒー禁止を言い渡し、自分は朝昼晩とコーヒーを愛飲。
18世紀のプロイセンにはそんな迷惑な下僕がいました。 国家第一の下僕ちゃんは国民がコーヒー買うとお金が国外に流出しちゃうから禁止してるだけで
自分がちょっとだけ買う分には大丈夫だと考えてるわけ
皆がやったらだめってだけだよ 国家の下僕であるが臣民個人の下僕ではないので問題ない 他の領邦やスウェーデン、スイスといった他国でも出てた禁令だから問題ない コーヒーを飲みながらジョルダーノ・ブルーノやベアトリーチェ・チェンチの首を切ったクレメンス8世こそ極悪人 大王様のおかげで我々臣民はどんぐりコーヒーを飲むことができるのですよ。
うん、おいしい。 あの手の代用コーヒーでプロが作った本気の奴のみたい 後のナポレオンもヒトラーも誤解ないし曲解しているがこの人の戦略目的はあくまでシレジアの領有と飛び地の連結だけ >>788
そらオーストリアとの国力差を縮めないと先代のユーリヒ=ベルク継承問題
みたいにさんざん神聖ローマ帝国から良いように扱われちまうからね。
「そんなこと」じゃ片付かないんだよ。 >>790
いや、シュレージエンの領有と飛び地の連結は結果として
オーストリアとの国力差を縮めるべ。
戦略目的、言い換えればやりたいことは変わってない。 >>791
つまり、オーストリアとの国力差を縮めるのが目的で、
シュレージエンの領有と飛び地の連結はその手段という位置づけになるな。
そうなると目的を達するための手段としては不足しており、
当然のようにさらなる征服活動が必要とされる。
事実、ポーランドを分捕るチャンスがあればすかさず食いついているしな。
(第二次・第三次ポーランド分割) ナポレオンやヒトラーとの大きな違いは、七年戦争を除けばオーストリア継承戦争、バイエルン継承戦争、ポーランド分割と
外交的にうまく立ち回って、おいしいところだけうまく頂くのを達成できたところ そういう勝ち逃げは真似できるもの、という錯覚を長きにわたり与えた。
石原莞爾もその一人だったな。 >>792
いや、だから大王が関わったポーランド分割は1次だけ。
あとはアホーな後継者がしでかしたことで、大王のせいじゃない。 大王だったなら緩衝帯としてのポーランドくらいは残したか否か そもそもポーランド分割は、ほっといたら全部ロシアの領土になりそうだから三国で分割することにしたのだから、
どっちみちポーランドは消え去る運命 >>793
ただし当時と後世を幻惑したのはむしろ七年戦争の奇跡の方という皮肉 >>799
ビスマルクのように外交センス抜群の指導者がいたことを考えると、
皮肉の対象になるのはあくまでも七年戦争じゃなくて、七年戦争に
幻惑されたヒトラーに絞られるがね。 フリードリヒとビスマルクの時代には超大国化したアメリカ合衆国がいなかったからなあ
ただこの二人ならもちろんそこも考慮に入れただろう。たぶん 七年戦争についてはむしろロスバッハやロイテンのような戦術的勝利の方が取り沙汰されたからな
むしろ外交的な不利を戦術的勝利の連続で挽回するという志向が一般的になってしまった
流石にビスマルクはそれに乗らず妥協も後退も辞さなかったがそれもまた当時の彼の不人気の理由の一つだったような その土壌の延長に登場するのが当然にシュリーフェンプラン >>802
7年戦争も、実際には戦術的勝利よりは、粘り強く戦い続けたことで、ロシアとオーストリアの不和を引き出せたことが
大きい。
フリードリヒ大王も、ザクセンを押さえて長期戦に耐える資力を蓄えるという目論見で開戦したし ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています