七年戦争についてはむしろロスバッハやロイテンのような戦術的勝利の方が取り沙汰されたからな
むしろ外交的な不利を戦術的勝利の連続で挽回するという志向が一般的になってしまった
流石にビスマルクはそれに乗らず妥協も後退も辞さなかったがそれもまた当時の彼の不人気の理由の一つだったような