【プロイセン】フリードリヒ大王【啓蒙専制君主】
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今年で生誕300周年を迎えるフリードリヒ大王。
18世紀を代表する卓越した君主である大王を語り尽くそう。
また大王に関する伝記・書籍についても情報あればお願いします。 |lililililililililili/ .ヽlili| /:::::::,ヽ#"ヽ` "゛/ :::::|
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反 知 性 主 義 者 (フリードリヒ2世は)まるで何ら戦術の知識がない者のように
行動することがしばしばであった。
─── ナポレオン 戦術的なセンスに欠けていたのは、残念ながらナポレオンくんの指摘通り。 ホッホキルヒなど負けた戦闘の指揮には酷いものがあるが、
ロスバッハの戦いにおける指揮は他ならぬナポレオンも賞賛してる
ロイテンの戦いも見事な采配だった 知識が弱いというか頭でっかちで実地の知識が足りてないというか
何ていうか文人肌だから現場を結構無視して
ぼくのかんがえたさいきょうのせんじゅつ
やってる時がある しかしツォルンドルフ、リーグニッツにトルガウのいずれも
果敢な攻撃が多勢な敵からの勝利をもぎ取っているので、
結局誰もが結果次第で後からあーだ、こーだと言ってるだけ。 >多勢な敵から勝利を
いや、会戦の場で敵より少数になってしまうというのが
そもそも指揮として拙いわけよ。 >>819
プロイセンとオーストリア一国のみでも人口差が大きいのにそんなこと言ってたら始まらない。
兵力差の背景にある動員数や軍の配置なんて語りだしたらもう戦略レベルの話だし、それなら
そもそも戦争すんなと言うのが正解で終わる。だが今の話題は戦術だ。いざ戦場に臨んだ時、
手持ちのカードをどう切るかって話だ。その観点でフリードリヒ大王を見ると、極端な兵力差の
前に順当に敗れることもあるかと思えば、倍以上の敵に勝ったりもする。兵力差が1.5倍未満の
戦いでもだいたい勝ってるな。 それ言い出すと、プロイセンの王だったことから戦略ミスじゃないか? >>821
戦術レベルの話をしてるのに戦略レベルの話を持ち込むのが間違い
それも大王を批判するなら、「負けた会戦の指揮が拙かったです」なんて
至極当然な話にしかならないんだがな >>813
ナポレオン1世の言うことを信用するなら、足萎えのイカサマ師タレイランのことを絹の靴下の中の糞といったのも正解なんだな? ナポレオンは確かフリードリヒのことを、戦力集中がヘタみたいな事を書いてた気が。
まあナポレオン自身、人の事を言えるとは思わんが。 フリードリヒ大王のころの戦争と、ナポレオン戦争とではそもそも戦争の質が違うからな
戦争は王侯のスポーツといわれていた。
敵であるヨーゼフ2世やピョートル3世からも尊敬されたフリードリヒ大王と同国人からもコルシカの食人鬼といわれた
ナポレオンの違い >>822
はあ
戦略の話が検討外れだと思ったから出自から間違ってるって皮肉言ったつもりだったんだが >>826は>>819に向けた言葉だよね?
そもそも>>813以降、戦術が話題なのに戦略レベルの蹉跌を持ち出した
>>819の方が見当違いなのであって、>>820も>>822もそれを指摘する側だろ。 >>820
フリードリヒ大王の頃とナポレオンの頃で違うのは、戦争の質じゃなくて徴兵の質。
プロイセンはカントン制を敷き、少なくとも国内では都市部からの徴兵を控えた一方、
フランスは王政時代から都市部の住民を含めてほぼ無軌道に徴兵していた。
連隊所属の募兵部隊が応募者を甘言と深酒で勧誘したり、徴兵請負人が民家や教会に
まで侵入して男を拉致したりすることまでやってた (ttps://go o.gl/HUyJ3f)。
フランス革命期、カルノーの改革で国民皆兵となり、後の時代に悪影響を及ぼすほどの
動員が達成され、フランス一国で周辺各国を圧倒するまでになる。
プロイセンは第六次対仏大同盟戦争の時期にはラントヴェーアを導入して同様の傾向を
辿るが、同時代のフランスほどの根こそぎ動員はやってない。てか、やりたくても
そこまではできなかった。 友達から教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方
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K8Q 七戦争のプロイセンは、軍隊の損耗率が100パーセントを越えたと何かで読んだが・・・
そんな戦争をする王も王なら、それにつきあう国民も国民だ。
呆れるしかない。 先代がそのためだけに国家を保有する軍隊とまで揶揄されるような
プロイセン王国を長年かけて作り上げたからな >>830
何で読んだのか言えないようじゃ鵜呑みにできん
だいたい大王の時代は現代に通じる啓蒙思想がようやく芽生え始めた頃で、
一般人、特に軍人は日本の体育会系を煮詰めたような精神性の持ち主ばかりだぞ
しかも、それはプロイセンに限らずヨーロッパのどこでもそうだった そもそもフリードリヒ大王の時代の兵隊は傭兵だから、一般国民とは何のかかわりも無い >>835
大王の時代のプロイセン兵はカントン制で集められた農村出身者と
徴兵請負人が国外から連れてきた傭兵の二本立てでございます。 さらに都市の守備隊は民家に分宿してたんで、一般国民とはめっちゃ関係がある。
兵士は薄給だったから、市内で内職にも励んでいたし。 迷惑な兵隊を街から連れ出して
戦場で大量に磨り潰してくれる
我らが大王様ばんじゃーい。 そういやなんでプロイセンが国家を持つ軍隊なんだ?
意味がよく分からん >>823
どちらも本質を捉えたコメントだと思うね。
ナポレオンには評論家の素質がある。 確か前スレあったよね
URL判る人いたら貼ってくんない 定期的なレスになるが
フリードリッヒ2世の功績としてはオーストリア継承戦争とシュレージエン領有は確かに評価される。
しかし7年戦争の窮地に嵌まったのは明かなフリードリッヒ2世の外交的失策つーか、外交以前の自身の舌禍が原因だ。
戦術的勝利で戦略上の窮地を7年凌いだのは立派だが、最終的に勝てたのはたまたまの幸運だ。
大王と呼ばれる程の王ではない、明かに過大評価だろ。
むしろ抑止力としての軍事力育成に徹した父の兵隊王こそ評価されるべき。 七年戦争勝ち抜いた後の内政面に大王の手腕って父親よろしく盛大に発揮されてる
というかむしろそっちのが後のプロイセン雄飛の礎と言ってもいいくらいに成功してたりする
単純に勝ったから大王というわけじゃないってことはちょっと抑えとくべきだな 7年戦争時の状況を作ってしまった反省を戦後に生かしてるよね >>845
確かに総合的には兵隊王の方が君主として評価に値すると思うが
後継者の教育には成功したと言い難いのでそこが減点 天才の業だった(ジョミニ「戦争概論」)
ジョミニの評価は高い >>848
ハァ?
兵隊王の後継者が他ならね大王だろ
兵隊王の「あの教育」が無ければフリードリヒ2世は唯の芸術好きな文人王に終わってたかもな >>850
兵隊王は最晩年、ユーリヒ=ベルク公国の継承を巡ってハプスブルク家と
決裂し、王太子に自らの言葉で外交に関する遺訓を残してたりするんだよね。
かなり大雑把に言うと、諸外国に決して気を許すなというもの。
日本だとフリードリヒが恩あるオーストリアにいきなり牙を剥いたかのように
言われることもあるが、兵隊王の最晩年にも神聖ローマ帝国に対する遺恨があった
点に注目する人はあんまり居ない気がする。
(「にも」と言うのは兵隊王に限らず、大選帝侯もフリードリヒ1世も神聖ローマ
帝国に煮え湯を飲まされてきたから) シュレジェンの領有確定については現地が新教人口が多くプロイセンの統治を歓迎していた面も大きい >>853
だからと言って侵略が正当化されるわけでもない。 >>859
当時もフリUさんは非難されていましたが・・・ >>860
その3代前、大選帝侯に皇帝レオポルト1世が与えたシュヴィーブス(シフィエボジン)
一帯をフリードリヒ1世(ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ3世)から再び召し上げた
経緯も非難されてるがね。
大選帝侯はシュヴィーブスを代償として、父祖がレグニツァ公と結んだ相続契約の放棄に
同意したのにレオポルト1世は、侯世子だったフリードリヒ3世が納得できない形で同地を
取り戻した。
これが巡り巡って、フリードリヒ大王の宣戦理由になってる。 フリードリヒ大王のような人はプロイセンの政治風土の中では異端なんだよな
彼のような人が彼の地にもっと多くいれば、ドイツが軍国主義に染まることもなかっただろうし、
その夢と熱から醒めるのに二回も頭を激しくぶつけて出血多量になる必要もなかっただろうに 彼のような人が居たから、ドイツは軍国主義に染まって
二回も頭を激しくぶつけることになったのではないかな ビスマルクがどれくらいフリードリヒ大王を参考にしていたか
知らないけど、ビスマルクであれば「外交的に孤立したらドイツは詰む」って
教訓を引き出していたと思う。自身も外交畑だしな。
一方ヴィルヘルム2世やヒトラーは、この点を甚だしく軽視していたとしか
思えない。政治は結果責任だから、大選帝侯からフリードリヒ・ヴィルヘルム2世
までの歴代君主の功績は否定しようがないが、あの二人は「ブランデンブルク家の
奇跡」があくまでも「奇跡」であることを重く見てなかったのではないかな。 僥倖で戦争に勝つと、将来の戦争でそのツケを払うことになる。
日本も身に覚えがある話だ。 フリードリヒ大王については、なぜかオーストリア継承戦争とバイエルン継承戦争は無視される。
また、七年戦争でもイギリスからの経済援助の影響は大きかったし、ハノーファーの兵力もあったのだが、
なぜか単独で戦ったかのように言われる。 史実でもギリギリで勝った(生き残った)のだから
イギリスが早々に援助を切り上げてたら
プロイセンは自分でしかけた戦争で自滅した可能性が高いね。
イギリス様様だよ。 イギリスは金さえ出しておけば、フランスの力を大陸に引き付けられるのでプロイセンを利用しただけだし、
大王はそれを承知で、ザクセンを兵站基地化することで長期戦に耐えられるようにする目的で、自分から敢えて戦端を切った イギリスはイギリスで、途中で単独講和したからプロイセンからは裏切ったと思われ、他の国からは
皆が大陸で戦っている間に上手いことをして勢力を広げたと思われ、実利は大きかったが他国からは警戒されるようになった >>870
イギリスにはハノーバー朝の故郷をフランスから守りたかったという重要な
理由があるぞ。そこには金だけじゃなくて兵も出してる。 プロイセンをつぶしておけばナチスに悩まされる未来も無い。
タイムマシンに乗ってイギリスに教えに行きたい。 その分フランスかロシアが拡張してめんどくさくなりそう 正に>>874の言う通りで、>>873は大陸に突出した国家が
できないよう立ち回ってきた、というイギリスの基本政策を
理解できてない。
ヴィルヘルム2世と、もはやプロイセンと関係もないヒトラーの
時代が例外的だっただけで、プロイセンは基本的に親英だったし。 >>864
第一次世界大戦が終わるまでは、どこもかしこも軍国ばかりだった件 >>873
そのときどきで弱い方を助け、強い方を叩くのが、バランスオブパワー政策の基本
その結果、強い方を叩きすぎてバランスが壊れるのは、よくあること アメリカが、ロシアとのパワーバランスを目指して中国をテコ入れしてきた結果が、現在の状況
今度は中国が強くなりすぎて、米中冷戦が始まった
その一方で、アメリカとロシアの関係は急速に改善へと向かっている >>876
軍事作戦上の都合のためにかねてから中立国の侵犯すら織り込んでいたような戦争馬鹿と一緒にされたら、
他の国も堪りませんわ 戦争馬鹿と言うのは、戦争をやりたいばかりに、中立法を無視しまくったルーズベルトだろう >>879
「おう、イギリスの悪口はもっと言ったれ」ってアイスランドとノルウェーが
言ってたぜ 絶頂期のフェリペ2世、ナポレオンやヒトラーでさえ英国侵攻は出来なかった
フェリペ2世はアルマダ海戦で負けてスペイン斜陽が始まった
ナポレオンとヒトラーはある意味英国を孤立化させようとロシアに手を出して破滅した
「平時には神に祈り、戦時には海軍に祈れ」の伝統は伊達じゃない >>884
カエサル「オッスオッス」
ザクセン人「ちぃーっす」
クヌート大王「ハァーイ」
ギョーム2世「よっ」
チャールズ・ステュアート「うっす」 色々知っててすごいねw
チャールズさんがそこにあるのは不勉強で分かんなかったから教えて >>886
「若僭王」ことチャールズ・エドワード・ステュアートが1745年、ジャコバイトの蜂起に乗じて
フランスからスコットランドに上陸した。
てか、英国侵攻(主にフランス発)って歴史上、結構あるのよ。
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Invasion_of_England
↑には計画も込みだけどな。 >>885
884はイングランドの国家アイデンティティーが確立した絶対君主制テューダー朝以降の話ね
それ以前の封建領主制時代に受けた侵攻は国家に対する侵攻というより単に王朝交代だから
特に100年戦争前のイングランドとフランスなんて互いに国家のアイデンティティーが確立して無いから、国境はあって無いような物やし
後、チャールズ・スチュワートの場合、侵攻ってより侵入にして現地のジャコバイトを蜂起させたけど、結局凹られて逃げ帰ったんじゃん >>888
ゴールポストが動いたね。
それはさておき、若僭王の侵攻は鎮圧されるまでの間にスコットランド全土と
イングランドの一部を切り取るほど大規模な侵攻だったと評価できるし、それ以前の
1690年にはイギリス海軍の敗北に終わったビーチー・ヘッドの海戦の余波で
フランス軍の上陸を許し、ティンマスの町を焼き払われてたりするが。
翌年の名誉革命も、集結まで戦闘が起きなかっただけでウィレム3世率いるオランダ軍
によるイギリスへの侵攻だぞ。 >>889
ゴール動かすも何も、最初からフェリペ2世以降の話しかしてないし
カエサルなんて紀元前の話されてもな
あと英海軍が不敗だとは言ってない
ただ大陸からの大規模上陸は許してない、100年戦争時だって戦場は大陸だし
反対に英国は大小の遠征軍を大陸に送ってナポやヒトラーを締め上げたりしたけどね
チャールズ・スチュワートのはあれは実質ブリテン内の反乱だろ
フランスもコソコソと800人しか上陸軍送れてないし
名誉革命は確かにオランダの侵攻とも言えるけど、英軍は戦意なくて殆ど戦ってないから実体はクーデターに近い
ノーカウントだわな 「絶頂期のフェリペ2世さえ」という表現では、その前後の時代を除外したと受けとる読み手はいない。
ジャコバイトの蜂起もフランス軍まで侵攻してきた事実は否定できない。
名誉革命も、直後にそのままウィリアマイト戦争が勃発している経緯を考えると無血の看板に味噌が付く。
そもそも争われているのは、英国侵攻の可否だろ。
なら、昔っから千客万来でFAだわな。 名誉革命ねぇ……ステュアート朝の視点から見れば内憂外患の果てに
国王が外国軍によって玉座から追われた一方、自国軍は王のためにほとんど
動いてくれなかったなんて果てしなくgdgdな事件だよなw 釣られて途中論点多少ずれちまったけど元々は王立海軍(Royal Navy)の話をしたつもりでね
だからカエサルやノルマンの話されてもな(まぁ当時から海軍はあったけど)
英国侵攻の可否ね
王立海軍となったテューダー朝以降では英国へのゲリラ的上陸は出来ても、英国を追撃できるような大規模侵攻は無理だね(ビーチーヘッド海戦なんて初めて知ったわ、町を焼き払ったぐらいで、それが何か)
本格的な英国侵攻可能ならナポやヒトラーがやってるだろ
大陸欧州制覇した(ロシア除く)ナポやヒットラーが出来ないのに誰がやれるのさ ノノヽ、
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勝った!勝った勝った、はい論破!
とでも言えば良いのかな ノノヽ、
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| ヽ___/ / | つーか最初の条件設定が甘過ぎる。
後付けで
-テューダー朝以降
-大規模侵攻(何をもって「大規模」とするのかも主観的だが)
でないと駄目だと言うくらいなら、最初からそう明示しないとツッコミ放題だわ。
そこまで条件を緩和しても、名誉革命は繕いようがない内憂外患と、
それに起因する外国軍の侵攻による政権転覆だがな。
しっかしプロイセンスレで、なんでこんな話になったのやら。 歴史マニアはめんどくせえのが多いからな
プロイセンには内戦状態になるようないざこざってないよね
いや神聖ローマ帝国内では揉めてるからそれどころじゃないないのか 歴史学も科学だからな。
何かを論じる際、条件設定はそれなりに厳しい。
「史上初の」、「史上最大の」、「歴史上、存在しない」などの言葉はウカツに使えない。 884は単にRoyal Navyマンセーで書いたのに、カエサルまで持ち出されて突っ込まれてさ、挙げ句に条件設定が甘いとかさ
本当歴史マニアは面倒くさいわ
だいたい884はナポレオンスレにレスする積もりのを間違えて大王スレにレスしちまった奴なのに 今のナポスレはイギリス海軍を語る流れじゃないし、
そもそも誤爆したのに違うスレに居残るとかこれもうわかんねぇな 大王の本当に偉大なところは一時的に優勢になっても本来の戦略目標を見失わなかった事 フリードリヒ2世の悪名は後世にも轟いている
マリア・テレジア皇后陛下、万歳万歳万々歳! 大王様は、ヨーゼフ2世やピョートル3世など、敵国の皇帝さえファンになってしまうほどの人気者 同時代に生きてたらそりゃファンになるよな
とベタ褒めすると鋭いツッコミが入りそう(期待の目) ファンがいました、という意見に対して
「いや、アンチもいたぞ」なんて言っても
当然過ぎてツッコミにもならん 政治家や軍人はファンになるだろうけど
音楽家や詩人はクソ味噌にけなすであろう フリードリヒ2世の悪行は後世にも轟いている
マリア・テレジア皇后陛下、万歳万歳万々歳! >>909
フリードリヒの宮廷から去ったC.P.E.バッハのような音楽家がいる一方で、
クヴァンツやベンダ、グラウンなどその宮廷こそが活躍の場だった音楽家も
少なからずいる
てかフリードリヒ2世の宮廷って、その庇護下でギャラント様式が開花した
舞台だしね
音楽史の観点から見ると、どちらかと言えば高評価だよ レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。