【カルムイク】モンゴル語族【ブリヤート】
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モンゴル語族の歴史、文化について語るスレです
主な対象民族
蒙古族、ブリヤート人、ダウール族、トンシャン族、カルムイク人、
バオアン族、回族、ユグル族、土族、モゴール人など 通用語や通貨の利便性があるから、
分離されて不便になるのはいやだが、特区にしてほしい。
そういうスコットランドみたいな指向が多いのな。
ジョージアの少数民族が、民族語とロシア語はできても
公用語のジョージア語ができないから、急な変化についていけないとかな。 >>845
「中国に住む諸民族は、数千年の歴史を経て形成された一体性を有する」
というのが中国の民族学と政府の見解で、みんな「中華民族」だというロジック
この理論が生まれたのが六四天安門事件の直前の88年だというのが興味深い
すでに冷戦終結と同時に分離の動きがあった
今も分離独立は厳格に戒められ、同時に相互のヘイトを高める差別も禁じられている
中国のネカフェの受付にデカデカとそういう禁止事項が貼られている 定住民であるオアシスの民が、イスラム原理主義に触発されて
神秘主義の遊牧系と軋轢起こしているのが新疆だから
あそこは民族対立のメカニズムが違う。
ウズベキスタンの定住民とキルギス系の対立はこのメカニズムだから
世界的には珍しいわけでもない。 >>847 基諾族以降の民族認定がないのもそのせいなのかな
台湾なんか逆に90年代以降に新規認定された民族が沢山あるのに
まだ独自言語をかろうじて保ってたり(カハブなど)、近年まで話者が生きてて言語を復活させられるほど記録のある(パゼへなど)
民族もあるから、これからもまだ新規認定はありそう
ちなみに台湾には雲南あたりの少数民族が、国民党と一緒にやってきて、どこか山の中に住んでる場所があったような
もちろんモンゴル族も台湾に来てたような >>847 基諾族以降の民族認定がないのもそのせいなのかな
台湾なんか逆に90年代以降に新規認定された民族が沢山あるのに
まだ独自言語をかろうじて保ってたり(カハブなど)、近年まで話者が生きてて言語を復活させられるほど記録のある(パゼへなど)
民族もあるから、これからもまだ新規認定はありそう
ちなみに台湾には雲南あたりの少数民族が、国民党と一緒にやってきて、どこか山の中に住んでる場所があったような
もちろんモンゴル族も台湾に来てたような >>247
文革が失敗した後の改革開放政策で
少数民族の文化や言語の保護を(ポーズにしても)行ったり
名誉回復されたエリートが執筆活動や寺院の再建を行ったりしたため
民国時代から続いているナショナリズムが息を吹き返したともいえる
費孝通の「中華民族多元一体構造」論はそうした動きに妥協した面が半分はある 匈奴とは時代が離れているが
突厥時代初期のモンゴル語碑文が見つかったらしい >>853
突厥の時代だとモンゴルの祖先は室韋じゃないんかね?
それは何文字で書かれてて、どうしてモンゴル語だと分かったのか
もしそれが本当なら契丹文字よりも古く、モンゴル系言語が文字で記された最古の例にならないか? >>855
モンゴル国で見つかったのは40年ぐらい前だが
碑の状態が良くなかったのとブラフミー文字で書かれていたので
3次元画像処理技術を使うまでは
長い間モンゴル語だということがわからなかった
泥利可汗時代の碑文だと推定されているから
突厥が東西に分裂した後なので初期というよりも中期か
もちろんモンゴル系言語の文字資料としては最古に属するので
世界中のモンゴル学者の間では今世紀の歴史的発見として話題になってる
ttp://www.surag.net/?p=15628
ttps://www.zhihu.com/question/66772009 >>856
これは夢がひろがりんぐwwwwwwwwwwwwwwwwwww
ブラーフミー文字を読むだけでモンゴル系と分かる位だからそれこそ蒙古文語や契丹語と大きく違いはしないのだろうな
その碑文の言語が現存のモンゴル諸語と比較してどの位置にあるのか気になるわい 六四天安門忌
∧∧ ∧∧
(*゚ー゚) (´∀`)
| つ(⌒⌒)と |
〜(,_つ\/と_ ,,)〜 >>823
破産、財布、お丸とか、なんか日本語にすると面白いイスラム系男子名w >>857
ttp://www.surag.net/?p=15628 にある論文を見た限りでは
中期モンゴル語に近いようだ だからってこう書くのはどうかなウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%95%E3%83%9F%E3%83%BC%E6%96%87%E5%AD%97
>ブラーフミー文字は南アジア、東南アジア、チベット、モンゴルのほとんどの文字体系の祖である。
ここで「モンゴルの文字体系」と言われて「ああパスパ文字のことか」と分かるような関係じゃないだろう、 >>859 変な響きではないけど、「勇」もあるな
サンコンさんの息子が、日本ギニア両方で使えるようにということか、「いさむ」って名前だったな 馬鹿に限って、他人をすぐバカ呼ばわりとかするの法則
これは古今東西当てはまるw バカ呼ばわりされてすぐムッとする煽り体制の低い人は、
もっと読書して知識を身につけるといいと思うよ 金髪美女ってもロシアあたりまで東にくると微妙だぜ・・ 北欧の本場金髪美女も鬼みたいなゴッツい顔つきなんであんまり キプチャク汗国のハンたちはいつ頃までジュチ顔というかドルジ顔だったんだろう?
現在のカルムイク人がコテコテのドルジ顔ということを考えると、
エカテリーナ2世によるクリム汗国の滅亡までドルジ顔だった可能性は高いな。 カルムイクは17世紀清の康熙帝ぐらいの時代にやってきたから時代が新しい。 クリミア・タタールはクリミア・ゴートというゲルマン人を同化したからどこからどう見ても白人だっての キプチャクハン建国時のモンゴル人の人口って8000人とかその程度
ほとんどは在来のクマン人 アルタイ族のクマン人ってか? いまのキルギスみたいにチュルク語族じゃね? イメージがわくかどうかというのは、けっこう大事だと想う。 精神面を理解しようとしないから見た目だけでものを言いたがる
そのくせそういうやつは自分の顔つきや見た目で何か言われると発狂する
あの辺の人の顔っていうのは、見る角度によってどっちに見えるか微妙に変わるんだよ ザギトワとかにもモンゴルの血が入っていたりするのだろうか? 韃靼そば茶やタルタルソースがタタール由来って知らない人っているのかな? ジョチウルスのチュルク系氏族がタタール。その時代はスラブ系の言葉を話していなかった。 ジュチ顔のトルコ人って、やっぱりコテコテのドルジ顔だよね
萎える ザギトワは朝青竜とかマサル的な可愛さがあるとか言って受け入れそう ザギトワに続きダグワドルジ ドルゴスレンにも秋田犬贈呈。 >>875
ユル・ブリンナーはハルムイク人とスイス人のハーフ。 >>896
荒野の七人で共演したユル・ブリンナーはハルムイクで、
チャールズ・ブロンソンがタタール人と西部劇に2人乗りも
モンゴルルーツの俳優が出ていた。 https://en.wikipedia.org/wiki/Yul_Brynner
英語版記事だとブリヤート系らしい
>Brynner's paternal grandmother, Natalya Yosifovna Kurkutova, was a native of Irkutsk and a Eurasian of part Buryat ancestry.
でも祖母の代で既に混血?多くてもモンゴル要素は12.5%か ドルジをイケメンと思ってる人って世界で皆無なのかな?w >>901
居る。朝青龍の本名自体チベット語。
共産政権史崩壊後にチベット仏教の坊さんに、
名前を選んでもらう習慣が復活書房したから。 チベット仏教方式なのは、グワドルジ(達瓦徳吉)の部分。
ロシア式に親の名前でドルゴスレン。 >>903
その親父さんの名前のドルゴルスレン自体が、
チベット語だから。
ロシアのイワノビッチみたいに父称をつけるのはロシア式だが。 >>903 ドルジのサンスクリットでの同義語(というかドルジがチベット語への翻訳がなまったもの、本来はドルジェ)
の「ヷァジュラ」をチベット並びにモンゴルで使う人は居るのかな
タイだと現国王ワチラロンコンのワチラが相当するか ラサチベットではドルジェだけど、四川省のカム語で、徳吉って音写されてドルジらしいな。
ニンマ派の僧侶の地元は、羌系のカム(西康)の音使うので北方漢語みたいな音節構造になってしまう。 >>906
オチルバト元大統領の名前などに使われてる「オチル」が
サンスクリット語彙「ヴァジュラ」のモンゴル語式転訛だそうな >>905
全然持ってないよ。チベット系遊牧民は何世帯も連合した隊になっていて
モンゴル系遊牧民は核家族であり分隊でしかない。
チベット系遊牧民と出ぐわしたら最後、モンゴル系遊牧民は
諂って家畜を差し出すか何かしておかないと何されるかわからん状況。
チベット系は好戦的で雪豹と出ぐわすよりたちが悪い。
モンゴル系の子供たちは父母がそうやってチベット系に媚びているのを見ているので
メンヘル気味に育つ。 >>905
時々行ってたガールズバーにモンゴル国人の女の子(日本語ペラペラ)が居て、
お喋りしている時に、xxxxの居酒屋にモンゴル族の中国人の女の子がバイトしてた
と言ったら、会いたいと言うのでガールズバーがオフの時にその居酒屋に連れてったら、
お互い自己紹介して仲良くなってた。さらに、xxxxのネパール料理屋に
チベット族の女の子がバイトでいると教えたら、
今度は二人から会ってみたいと言われて、今度は二人を
そのネパール料理屋に連れて行ったら、モンゴル族の子が
中国語で通訳してた。結果として三人とも仲良くなってたから、
基本的に親近感は持っていると思う。 モンゴリアン人が韓国人に間違われて不愉快だから、
韓国人みたいな不細工の野郎と一緒にしないで
というから、韓国人がどう不細工なのか聞いたら、
革袋にナイフで着けた傷の様に細い目と
親指が入りそうな大きな鼻の穴が不細いって。
でも、モンゴル人も目細いと言ったら、
ソロンゴスみたいなキモイ目付きはしてないと。
彼らは言い方ストレートだけど散々だな。 顔バカってやっぱりもてないブス腐女子だな
おっさんワールドの再現度低すぎ >>909 モンゴル人は河西回廊を超えて青海高原まで行ったけど、チベット人は逆に北上してないな
家畜の犬とヤクはチベットからモンゴルに伝わったけど
暑さが問題なら、人より弱そうなヤクが青海高原をいったん降りてモンゴルまでいけなさそうだけど
チベット人にとってはモンゴル高原はさほど魅力がなかったのかな モンゴル人は南モンゴル(中国内蒙古自治区)のほうが
北のモンゴル高原(モンゴル国)よりも
人口が何倍も多く、経済的にも豊かで、文化的にも中心だった
過疎ってて貧乏なハルハだけをソ連が掠め取って勢力圏に組み入れたのが今のモンゴル国 結局チベット人からしたら、山を下りてもモンゴル中心地のオルドスの方まではゴビ砂漠しかないし、北のモンゴル高原は過疎ってて貧乏だからそれ以上行っても意味ないってことか
ヤクとマスチフだけモンゴル人にやって、代わりに何かもらって、またチベットから青海の山の上に引きこもったのかな >>903
四川省カム地方カンゼ・チベット族自治州康定出身の歌手アランの本名は阿蘭 達瓦卓瑪。 モンゴル人の女の子から、モンゴルの男は体は大きいのにチンチンは親指みたいに小さいと言われた。
韓国人も小さいし、中国人も日本人よりは小さいと聞いたと言ったら、東アジア人で何人かわからなかったら、
男ならチンチン見れば区別できるねって言ってた。 >>916 康定県の中心、打箭爐鎮という街は、三国の蜀の時代や吐蕃の時代にも記録が残っていて
羌の言葉が使われていた。
ラサや青海以外にも、チベット仏教は広まっていて現代では羌もチベット民族に分類されているんだな。 ギャロンとか白馬とか、チベット仏教が広まってなくて異言語を話すグループもチベット族扱いなんだっけ
中には西夏の末裔と証明されたミニャク(木雅)も(宗教がチベット化してるかは知らない)
一方で近世にダライラマを輩出したメンパは別民族扱い
やっぱり中国の民族分類は、チベット周辺に関しては、チベット亡命政府の認識とだいぶん違うんだろうか 中国の民族分類が細かった理由は、一つはソ連をお手本にしたこと。
ソ連型の民族政策は、固有言語の文字化や教育を行って民族性を保ち、それによって諸民族の
団結による反乱を防ぐ。中央でロシア語がよくできるエリート幹部を育てて地元を孤立させ統治させる。
もう一つは抗日戦争期の西南聯合大学(北の名門大学が疎開してできた寄り合い所帯)の民族識別工作の結果。
戦争で暇な民族学者や言語学者が雲南の地でフィールドワークしまくったらいろんな民族と言語の情報が集まってしまった。
民国なら政治的には「五族」ぐらいで済んだが、新中国はソ連式ということになったので、56民族が行政区分として取り込まれた。
政治的に独立したこともないか独立を失って久しい民族が大半で、上から与えられた行政システムとしての「民族」だ。
しかし民族教育はお金がかかる。政府の脱社会主義の大リストラが進んだ90年代には形骸化し、今も漢化が進行中。
そもそも人類学的分類は学術的正確さによるもので、行政にとっては反乱が起こらず予算内に収まれば分類はそれでOK。
両者の分類上の「民族」概念の不一致は今後とも増大するだろう。
なお、独立もしていないチベット亡命政府側では、少数民族を行政単位とするなんて画餅だから言及のしようがなく、
宗教と文化を中心とした漠然とした観念としての「チベット民族」を提示するにとどまっている >>916>>918
康定の航空写真見たが、すごい綺麗というか、もはや絶景だな
深い山に細長く続く傾斜のきつい深い谷に、集落がビッシリ詰まっている
この地方に美人谷なる場所があるらしい
美人が多いのかな?w >>923
ウランバートル行けばいっぱいいる。
ドルジ顔というより、菊川怜の目を細い吊目にした感じのが多い。
要するにアンパンマンみたいな丸顔が多い。 暑いのに顔バカは元気だなあ
顔の汗で前が見えなくなってるからつい手元が狂って自演しちゃうのか 色川高志(葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室)の挑発
色川高志「関東連合文句があったらいつでも俺を金属バットで殴り殺しに来やがれっ!! 関東連合の糞野郎どもは俺様がぶちのめしてやるぜっ!!
賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! 糞バエ関東連合どもっ!! 待ってるぜっ!!」 (挑戦状) 食器といやあブリヤート人って箸使うんだろうか?
内モンゴルやモンゴル国のモンゴル人は箸を使う伝統がある様だが
ブリヤート人が箸を使ういう情報はどんなに検索しても出てこなかった >>928
ナイフとフォークとスプーンを使ってるのを紀行番組で見たことがある。
ロシアの影響だろうけど。 >>915
チベット系の遊牧民にビビっていたのは
清朝に負けて勢力を失った青海のモンゴル人で
吐蕃時代のモンゴル高原は突厥・ウイグル
それ以降も遼・金・元・北元の遊牧民国家があったので
チベット人が武力で征服するのは無理 準葛爾汗国(Dzungar Khanate) ジュンガル汗国
瓦剌(Oirats) オイラト部
そういう集団だな 第6世までのダライラマのパトロンが青海に移住したモンゴルやオイラトだったように
元・明・清初にかけては広域部族連合を結成する術に長じたモンゴル系の軍事力が
氏族教団に分裂したままだったチベット人を圧倒した
しかし清朝によってモンゴル人の遊牧地が定められてからはその活動が制限され
青海・四川の奥地にいたために清朝の実効支配を受けなかったチベット系遊牧民の勢力が強くなる
略奪行為を行った好戦的なチベット系遊牧民としてはゴロク(Golog)族が有名
ただ民国期の青海で一番恐ろしいのは西北三馬率いる回族軍閥で
近代火器で武装した騎兵が山岳地帯まで侵攻してくるからさすがのゴロク族も敵わなかった >>933
雲南省廸慶、四川省甘孜あたりは土司 (五品官 宣撫使司副使) 支配で
清朝でも自治権が大きい地域だったし、土司は世襲で後継者指名できたし、徴税も自前の税率。
青海省だと玉樹も同じような土司支配だった。
自治区のナクチュ(nagchu) チャムド(cabmdo)も土司支配だったけど、このへんになると
宣撫使司世襲扱いにするのではなく、ラサに領地寄進して寺領扱いにして
実態は土司支配のような手のこんだことをやっている。 現在の雲南省南部・四川省西部・青海省南端にあたるカムのチベット人は
17世紀半ばにオイラト部のグシハンによって征服されたが
その際に多くの土地や部族がダライラマの所領として寄進された
18世紀のロプサンダンジンの乱の後に清朝がオイラト部(青海ホショト部)の支配体制を解体したために
それまでオイラトに支配されていたチベット人有力者は清朝の土司となったが
ゲルク派の寺院領には手が付けられなかったので
ラサと清朝の二重支配が清末まで残ってしまった
清朝末期から行われた西康建省運動は錯綜した政治秩序を整理しようとした試みでもあったが
実際にそれが完成したのは、土地の所有や人の支配・被支配の状況に対する徹底した調査が行われた
共産党支配以後 それぞれ小領主がいて、信仰の宗派も違う
しかも半牧半農でボーダーレス。
カム地方は純遊牧民地域よりまとまりがない。 モンゴルの王・カァンに汗の字を当てるのは、
単に音が似ているから?
それとも「汗臭い野蛮人 プゲラ」という悪意もこめて? とりあえず現状確認できる最古のものが、北魏(鮮卑)が自民族向け碑文に「可寒」と号したもの
その時代に北方遊牧民の間で頭目をそのように呼ぶ慣習が既にあったようで、
北魏に対抗するように北で対峙していた柔然のほうでも王がカガンと号するようになったが、
それを北魏側で「可汗」と記録したのは単に区別するためか悪意を込めたのかは定かでない オイラートのマフムードってやっぱりイスラム教徒?
ということはオイラート部はいったんイスラム教に
改宗したけど、後に棄教したってこと? ちなみに北魏(鮮卑)の嘎仙洞碑文には可寒だけではなくその女性系の可敦も記されている。
ただ、嘎仙洞碑文が刻されたのは西暦443年(北魏の太平真君4年)
柔然の社崙が丘豆伐可汗を名乗ったのは西暦402年以前なので
嘎仙洞碑文が北魏皇帝の先代を可寒と呼んでいても
皇帝としての可汗号を用いたのは北魏と柔然のどちらが先か
という問題については決着がつかない。 丁零とか結骨って明らかにモンゴロイドだと思うんだが・・・ バイカル湖周辺にコーカソイドがいた痕跡ってあるの? レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。