昔の人って神とか魔女とか本当に信じてたの?
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意外とまじめには信じて無さそう。 神なんて現れないし魔女はファイアーボールとか出すわけでもないし 科学なんてなくても見たこと無いもん易々と信じないだろ。 本当に信じてたよ 現代の人々が科学を信じてるようにね 信じないほうがおかしい 孔子 : 君子は怪力乱神を語らず。 孫子 : 先知なる者は鬼神に取るべからず。事に象るべからず。度に験すべからず。 >>2 それは思う 現代人の99%は 「全ての物質は原子によって構成されてる」とか 「静電気と雷が同質のものである」とか分かってるけど、 それを実際に証明できる人となると1%もいない 大抵は みんなそう言ってる、偉い人も認めている、本にそう書いてある、そんな大がかりな嘘つく訳ない といった理由を根拠にして信じている 昔の人は今よりもずっと狭い社会で生きてたし、 生まれた時から親も他人も「神はいる」と主張してて、 何百人も動員して建てられたでかい神殿があって、 偉〜い人が礼拝なんてしてたらフツウに信じちゃうと思う >>1 >神なんて現れないし魔女はファイアーボールとか出すわけでもないし 恐怖感から信じてしまうんだよ。 お前だって、夕暮れの山道を一人で歩いてたら、信じたくは無いけど幽霊が怖くて仕方なくなるだろ? キリスト教にしろ仏教にしろ儒教にしろ、 ガチで信じてたならあそこまで変化するわけないと思うんだが。 どれも時代が進むにつれどんどん都合良く改変されて行ってる いや、民衆の素朴な信仰心や 神学者の「神がいるならきっとこうであるに違いない」 という情熱こそが教義を変えるわけで むしろそういう生きた信仰がない宗教こそ形骸化したものだろう 信長みたいに、宗教論争は好んだし、精神修養としての禅は受け入れても、宗教的なモノを 普通に軽蔑していた人も多いとおもうけどなw >宗教論争 その論争の対象に、自分が拠り所としているものを ちゃんと含めた上でならたいしたもんだけどね。 蒙古帝国でハーンたちがキリスト教やイスラム教の間の 宗教論争を見物して、信教の自由を認める自分たちの度量の広さを アピールして悦に入ってたという話を知ったんだが 「それ、『テングリ』は論争対象外だろ?」と。 「テングリ」なるものは蒙古人の妄想に過ぎないのでは? あなた方の侵略を正当化するために考え出されたものでは? とか主張したらその場で八つ裂きにされていただろう。 そんな「宗教論争」には俺はさして意義を感じない。 資本主義圏に生きる者からすると 「共産主義なんてあんな欠陥だらけのイデオロギーなんで信じられるんだ?もっと頭使えよ」 って感じでも 共産主義圏に生きる人からすれば 「資本主義なんてあんな欠陥だらけのイデオロギーなんで信じられるんだ?もっと頭使えよ」 となる 理屈の根拠や物事の影響力の重みというものを人は、人それぞれ自分なりに受け止める ある根拠が、宗教を信じてない、あるいは信じる気がない人間にとっては宗教を否定するに足る十分な根拠でも 宗教を信じてる、あるいは信じるという選択肢も視野に入れている人間にとっては 不十分な根拠になり得る まあ神道は寛容だと主張する人が A級戦犯批判、旧日本軍批判に 「靖国の英霊を冒涜するな!」って逆上するようなもんだな >テングリは対象外 >>9 そうなったという根拠もないなw 単なる君の妄想だろ。 まあ、今だったら「アベノミクス」を正面切って批判するのをあまーり好まれないのと同じかなw アベノミクスって実際のトコ、成功するも失敗するも半々で、庶民の給与が上がって庶民が 金を使わない限りなんともうまく行かないから、マスコミも結構協力している雰囲気あるけど まあ、「信じる、信じない」の世界だわな。成功してもらわないと困るってのは日本人共通の 話だけど、本当に成功するかってなると… 理屈ばっかこねてるなw もっと単純に考えて見ろよ。 昔は電気なんてなかったんだよ、夜になったら真っ暗闇だったんだよ。 真夜中の森はそれこそ獣の世界。 今みたいに人口も少なくて電気文明がなかった時代は自然を支配できる場面が何もなかったんだ。 日本にもこれだけ神社仏閣があって、 お参りしに来る人がたくさんいるんだけど。 合格祈願だの安産だの交通安全だの商売繁盛だの、 効力がないと思ってたらなんでお守りを持ってるのか? 霊感商法の被害者だって後を絶たないし、 霊障とか祟りとか言われて信じてしまう人がそれだけいるってこと。 スピリチュアルとかヒーリングとか、現代に合うよう言葉や形を変えたものを 信じる人も多いんだよね。 また、世界のキリスト教徒とイスラム教徒とユダヤ教徒の人口を考えたら、 神を信じている人がそれだけいる、ということだ。 信じるふりをすると、後々よいような気がするから、信じているふりを通すだけ。 アベノミクスと同じ。 魔法を扱える人間がこの世に存在しないのは科学的に証明されているが (エネルギー保存則) 一方で神の不存在は仮説が有るだけで未だに証明されてはいないぞ? この二つをごっちゃにするあたり、1はマルクス主義的な唯物論教育に毒されてるし それと同様に教会教育が全てだった昔の人は形而上的なものも簡単に信じてしまったんだろう。 >>18 何それw 神の存在は、肯定も否定もできんよ。 エネルギー保存則もほぼ正しい法則だけど、絶対的に成り立つかは分からん。 単に俺はより確率が高いモノを正当と判断しているだけ。 間違っているという確実な根拠なり証拠が出て来たら、一瞬のうちに態度を変えるよ。 現在でもキリスト教民主同盟とか日蓮上人の教えを信じる人々が大国の与党にいますね。 麻生はカトリック、石破、谷垣はプロテスタントだし 神さまを信じる人は数多いる。 というか逆に、自称無宗教の日本人に本気で唯物論信じてる人が どれだけいるか知りたいわ。 自分や愛する人が死ねば完全に無になると覚悟決めてる人間は 実際そういないと思うけどね。なんとなく霊的存在、 生の延長があると思っている人が大半じゃないの? >日蓮 日蓮系でいえば創価学会だけじゃなくて、霊友会や立正佼成会とかも 政治にかかわりを積極的に持つ宗教団体として重要だけどな。 神道系の生長の家も。 政治に宗教はかかわり持つなと力説する人が (政教分離それ自体は大事だが) 神社本庁のあり方になんの疑問も持ってなかったりするから おかしなもんだと思う。 >>21 そういうのが「あって欲しい」と思い、「あまーり考えないようにして」「形だけそういう行為を行う」って人は多いんじゃ? 俺は魂なんて全く無くて、死んだら人体はもぬけのからって考えだけどさ。 まあしかし何だな、 お釈迦様にしても、孔子にしても、モーセにしても(その後継者のユダヤ、 キリスト、イスラムの創業期の連中は)迷信とか呪いは信じるな と念を押しているのだけどな いつの間にやら、悪魔祓いや祈祷が本業になってくる >>14 に共感しつつ(松明の灯りは逆に闇を際立たせる場合もあります) 前近代とひとくくりにするのではなく、時代が下ると、とりわけ近世になる と知識層を中心に神や怪異が客観視されていますね。 盤珪禅師(1622生まれ)が、儒学者を念頭に置いたものか地獄極楽を道徳用 の作り事だという人がいる、と説教で述べていましたが。 また江戸後期になると「近頃の子供はお化けの話で脅かしても通じない」と 書かれていたりします。 更に時代が下ると仏典の歴史的研究が進んで多くの仏典が釈迦の直説でない と明らかにされたり、記紀の神の方でも世界中に太陽神がいるなら日本の天 照は何なのかという話になったり、どうしても神秘に思考を寄せざるをえな くなってしまう。 文化人に風刺・皮肉のネタにされ、それを準文化人(生めないが理解は出来 る)が受け止めてみたり。 ただ、信じる・信じないと二分出来ないのが人情の妙で。 じゃあ江戸後期の人間は信じていなかったのかというと、建前はともかくや はり因果話や怪異話自体は存続し、近代になってみても、やはり伝承自体は 生き残っていたりする。 私が直接見た限りでは(地域差や教育の差はあると承知の上で) 知っていて信じているのが明治生まれ、知っていて信じていないのが大正生 まれ、知らないのが昭和(一桁は微妙)二桁生まれという感じでした。 >>6 本人たちが意識せず、解釈によって変化していったというのが一つ。 夢告や託宣により、新たな解釈が生じたというのがもう一つです。 偽書というのも、信仰心が無いから生まれたのではなく、むしろ新しい展望 がある人間が宗教心ゆえに生み出している。 >>8 信長の場合、無神論者でも精神修養としての禅愛好家でもなく、ごく普通の 程度で信心していた人物のようですが。 「地獄極楽はない」という文句、上の盤珪と矛盾するようですが、今この時 を重視するという意味で当時の禅僧がよく用いていたものです。 フロイスの『日本史』にある信長像は有名ですが、同じ文献の他の部分に禅 僧の主張として、再三信長の発言とされるものと同じような言葉がある。 フロイスは日蓮宗の表向きの信者としていますが、兼学は珍しくありません。 何より、異教徒に庇護されていたとは立場上書きたくなかったのでしょう。 割と自分のために現実を枉げるような人でしたから、フロイスは。 >>25 とどのつまり、需要ですよ。 あくまで歴史上の一例ですが、鎌倉末期の『沙石集』にこんな話があります。 『ある老僧が亡くなった後、経は読めるが字の読めない弟子と『金光明最勝王経』 十巻が残された。弟子の一人は十巻の内二巻を「これは『金剛般若経』としてい ただこう」と取り、もう一人は「ならば残りを『法華経』として取ろう」と言った。 字が読めず、書いてある字ごとに種類があることも知らなかった無知を批判した 内容ですが、肝心なのは経典の内容・教理ではなく、信者たちの前で経が読まれ ることであり、経典が存在することであったともとれる話です。 そして『金剛般若経』に求められたのは田畑の実りであり、『法華経』に求めら れたのは追善や治病でした。 治病を求める衆生に、与えるべきは「正しい知識」でしょうか、呪文でしょうか。 変に原理に拘り、求められてもいないものを与えることが正しいとは思えません。 少なくともそれ「だけ」では、大衆を無視した独りよがりになろうと思います。 だから雨乞いのための念仏を自分の思想から止めた五木寛之版親鸞は嫌いです。 予言者は予言外しても大してダメージ受けないし"これからこうなる"本の著者も 別にダメージ受けてるようで無いのは正に需要に答えたまでだからなんだろうな >>1 こんな話があるよということで、明治初期の日本人の宗教観を推し量る手がかりになる話を 紹介するね。 明治の文明開化で日本に様々な西洋文化が入ってきた。海外のSF文学作品もそのひとつで、 ヴェルヌの「八十日間世界一周」も明治初期に翻訳本で読めるようになった。 当時(明治初期)そのヴェルヌの「八十日間世界一周」(川島訳)を読んだ栗本鋤雲という 人の読後の感想が記録に残っている。それはこんな感じ。 「とにかく変わっていておもしろい小説だ。」 「支那や日本の小説だと、災厄が四方に迫り、進退全く窮まるに際し、これを救うものは 神仏の加護にあらずんば必ず狐狸妖怪の助力である。しかるにこの小説を見ると、そうした 窮地を救うているものは常に金である。日本でも今後はこのように金が口をきく世の中に なろう。」 ヴェルヌ作品では経済的な裏付けの描写が物語の進行を支えているんだけど、明治初期の 日本人はそれを読んで、様々な災厄を神仏の加護や狐狸妖怪の助力ではなく金銭で解決する というその考え方自体が「変わっていて面白い」と感じてる。 現代の日本人なら、都合よく経済的な裏付けが出てくる展開にツッコミを入れたとしても、 神仏や狐狸妖怪が突然出てきて問題を解決する展開のほうが「変わっている」と思うはず。 当時の日本人は神仏や狐狸妖怪の物語を自然なものとして受け入れる感性をもちながら、 ヴェルヌ作品に触れて「日本でも今後はこのように金が口をきく世の中になろう」とも述べて 西洋文化がやがて日本人の伝統的な宗教観や価値観を大きく変えてしまうことを明治初期の 段階で予見する感性も持っていた。 さて、彼らは神仏や狐狸妖怪を「本当に信じていた」とみるべきなのか?それを知るためには 「現実」と「物語」が完全に引き裂かれて分離し現代に至る過程をさらに追う必要がある。 それはまたいずれ。 ※ヴェルヌ作品の当時の感想の話は、2009年12月に河出書房新社から出版されて翌年の 日本SF大賞を受賞した 「日本SF精神史---幕末・明治から戦後まで」 http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4309624073/ 厄災を神の怒りととらえたのは西洋も東洋も皆そうさ 黒死病の蔓延を魔女の仕業ととらえて、それでなくても人口減に くわえて女性を焼き殺していった 誰かの性にしないですまされなかったんだろう 菅原道真公の天満宮が日本全国にあるのだって、そうだろ、 それでも何処かヨーロッパの人って狩猟民族って感じがするよね 魔女の仕業だから殺してしまおうだろ 日本人は恐れて祭った、神の怒りをなだめようとした 錬金術にしたって神様に挑戦しようっていう発想が 東洋の人というか、農耕民族と異なる狩猟民族は 考え方がずれるかもね >>2 の物の見方で正しいと思うが、 現代人だって科学を完全に信じきっているわけじゃないだろうww オカルト番組の決め台詞に、「科学では証明しきれない事実がある」が あるけど、それと同じように魔術や呪術も万能ではないからなぁ と昔の人も考えていたと思う。 >>30 >神仏や狐狸妖怪が突然出てきて問題を解決する展開 ただ西鶴以降の江戸時代の小説では、特に時代が下るほど神仏が救うという のが信心関係なくテンプレ化して舞台装置になっていますね。 近世になると鎌倉末期に廃れた往生伝が復活していますが、何が何でも極楽 や兜卒天への往生を遂げるための証明を集めた中世の往生伝に比して、出版 文化が盛んな中での事例集的なものになっていたのではないかと。 >>32 でも教科書に載っているような科学的事実や物理法則なんかは 別に自分が確かめたわけではないのに皆信じてるだろ つまりそういうことさ まして昔の人は科学的知識や世界のことなんかまるで分からないし 周りのやつらは偉い人も含めて神を信じてる人達ばかりだし 信じないとかありえないよね 俺だって信じてたよその昔にいたら むしろ神を信じない人なんか居たのか?っておもうくらいだよ 居たらその人は先駆的すぎるね 実際に見たことが無い(人が多い) 人・集団によって言うことがバラバラ この辺から強固に見えた信仰に綻びが出てくるのかな 無神論はどのようにして発展したんだろうか? 現代の時代でいえば科学を否定する(完全に)に等しい事だよね >>34 そりゃ、「科学的手法」ってのが何かってのがまあ定義されてて、いくらでもいちゃもん付ける ことが可能ってことが分かっていて、しかもきちんといちゃもん付けることができたなら、 いちゃもん付けた人が賞賛される。さらに新しい理論まで作ったら名誉と金も…ってシステム が明白だから「信用」しているんだよ。 神は「いちゃもん付けるな」だろ? いやいやいやいやwww 科学と宗教は別物でしょ。 むしろ、科学は宗教の領域に踏み込んではいけないし (よく踏み込むのは疑似科学)、 宗教は科学の領域に踏み込んではいけない。 (よく踏み込むのは各種原理主義のアレな方々とか) 科学が宗教の一種として論じられてるのかわからんわ。 どうしても論じたい人はまず 「俺の考えた科学教」の教義をきちんと定義し説明して頂戴よ。 たぶん、各自バラバラでその場の思いつきで適当なこと言ってんだろうけどw でも大部分の人は科学を信じてるんだから 最早宗教と言っても良いのではないか? >>36 キリスト教があったからじゃないかなww これが他の宗教だと、「神様なんてくそくらえ」とわめいても周囲は 「ああそうですか?」でそ知らぬ顔で終わりだけど キリスト教に限っては、ムキになって火あぶりにするからww キリスト教に限らないだろ 何も知らないんだな ちなみにイスラム圏だとリアルタイムでやばい まあ、科学も宗教も信じるという点ではある意味似たようなモノかもな。特に一般の人にとっては。 しかし、科学は自らの教義において、自らを無限に疑って良い、むしろ疑うことを推奨するってコトが 入っている宗教なんだよ。 現在あまりに影響が強すぎるから、>>39 みたいなコトいう人がいるのも分かるけど。 >>1 昔の人って原発が安全とか本当に信じてたの? >>11 神道は他の糞宗教とは違う次元のもの!日本人の心! 崇めないやつは日本人じゃない!チョン確定!天罰天罰! 全然寛容じゃないな 科学信仰は目に見える成果、衣食住エネルギー食糧生産などがあまりにも 大きいからって要素が強いだろうな。何せ否定したところで今の数十億の 人間が生き延びるには科学技術に頼らざるを得ない http://junko717.exblog.jp/ __ _, -- 、 r'⌒ヽ _ _ / _ _ \ , '´ 丶 _ >-、 , -―ゝ ノ / , ィ `ヽ ,' / \ ハ / /´ ヽ ', _ / /ハト、 ヽ / , l/ ヽl ', ! /,-、 ,-、!| /∠ /,-、 ,-、 l Y ∠ | ', | , −-− 、 ,' l /-、 ,.-、| l | lr| 0 0 hl 刀イ / 0 0 | l | f´ 0 0 ! l / ,、 \ ! /l 0 0 ! l lト| lノ! レレ! ___ 从l!(| j)/ /_/^ヽ_ l| レl从l リ 从 | \ ー一 / | \ヽ _ ノ/| l\ ▽ /||l// ヽ Nl } レ个 ` ー ' /レ | l 〕 〔 l | / _〕 〔_ N l| 〕 〔 l 8j ⌒ ⌒ l8 ノ 〕 〔 レ| | /ヘ_/\ | /´ヽ l l /`ヽ /| ∨ |\8ハ ___ ハ8 /|_」 \ /| l l |\ ,' \_ヽ.ノ_/', l ∨ ∨ l| lト ` − ' イ| 8 /l | | l\ | \ ヽ/ / | | l | l | | レヘ _〕 〔_l| | \ ∨ / | | (_) | | l l l / ニュースの時間です。 ワタミの介護の控室で事件が発生しました。 昼間の控え室でワタミの介護社員、厨房勤務の男性が、渡邊美樹氏の悪口を言いました。 「会長って 鼻がヘン、鷲鼻、付けてる鼻、魔女の鼻」 ワタミの介護、派遣社員の女性が仲裁に入り事件は収まりました。 「高い鼻を咲かしてくれ!」 「そろ、そろ出番だ、お前のお鼻でも束ねるか?」 >>42 ただ、一旦定説になったモノを疑う時には、それなりの根拠なりを明確に示さないと ダメダメってコトが重要かな? これ分かっていない人が多数いると予想。 >>1 現代でも魔女の存在は信じられている。 というかウィッカという魔女団体を作って白昼堂々と魔女会員を募集し、 魔女ホームページを立ち上げ、魔女グッズを販売し、魔女修行に励み、魔女祭りを季節ごとに開催している。 教会の目を気にしなくてよい現代の方が、むしろ昔より活動が盛んなぐらいだ。 魔女、黒い飛行船、ユダヤ人による世界征服、UFO、親による子どもの性虐待を催眠によって突如思い出す なんてのが時代毎に流行っている。大衆は何か「隠されたモノ」信じたい。 まあ、実際に何らかの真実があったやも知れないけどね。大抵思い込み。 まあ、心霊写真だって、フィルムからデジカメ、ハードディスクの記憶 触媒になっても出てくるからなww スカイフィッシュなんて笑った 新しい、記憶触媒が出たところで心霊写真は出てくるのだろうなww テレビ局も定期的に心霊写真特集あなたの知らない世界を 製作するのだろうなww 魔女、ユダヤ人による世界征服、親による子どもの性虐待を催眠によって突如思い出す これらの噂による被害者はシャレにならないんですけどw とくに、最後のは本当に最近のアメリカでの出来事だしなあ。 魔女ってのはまじない屋兼民間医だから、信じるも信じないもない。いつの時代にもフツーに存在する職業だ。 >>1 の台詞は、昔の人間は靴屋の存在なんか信じていなかっただろ、と言うのと同じレベルだ。 何の関係もなさそうな数学上の問題(リーマン予想とか) 実はミクロの世界の物理法則と関係してたり やっぱり神は居るんじゃないかと思うんだよなあ ていうか最初にリーマン予想を考えた数学者は単なる素数のバラつきが宇宙を解明する手がかりになると狂信してたみたいだし こういう狂信的なものが科学を発展させる原動力になったんじゃないだろうか 勝手に虚数を設定して無闇に計算してみると、最終結果が現実の現象にぴったり合ってびっくりとか 数学上の勝手な決めつけが現実に合うって昔からあるよ。 そもそも、中1でホントは負の数の個数なんてあり得ないのに、勝手に計算できるとして、方程式をつくり 途中が負数になろうが何だろうが無視して計算したらその結果はなぜか現実を反映したモノになったじゃないか。 不思議だ。そこに神性を感じる人もいる。 まあ、ビッグバンの時に無数の宇宙ができて、その際に上記のようなできる宇宙じゃないと物理法則他の関係から 知的生命体が生まれなかったのやも知れないね。 つーか。 ちょい前の人類の100大発明みたいなモノに、超自然的な力を認めないことってのがあったような。 統計学も基本はそれだよな。統計学の式は、ちょっとでも超自然的なモノを認めるとあり得ないコトだからね。 勿論僕は今でも神様を信じるよ 無論私は現代でも神様を信用するよ 当然俺様は何時でも超常現象を信頼するよ 寧ろ我は何処でも超自然的な物を認めるよ 現代人は科学を、無批判に信じているといわれるが 正直、自分が進化論を信じているのかどうかよくわからない。 自分の父親の母親の母親の父親の母親の父親…と遡って行くと 今食べてる大根の親(?)の大根の親のそのたまた…と遡って行くと どこかで合流する。 これを理屈じゃなく、実感でピンとくる人ってどの程度いるんだろう? 「日本人は動物と人間の区別が曖昧だから…」とかよく言われるが そういう問題ではない気がする。 日本人って進化論を簡単に受け入れたようだから、そういうのは抵抗ないんじゃないの? 今もイスラム教のやつはお祈りしてるけど とりあえず周りがやってるからやってるだけで 熱心に神さまがどうの思ってねーだろ 昔もそんなもんだろう >>59 「個体発生は系統発生を繰り返す」、ってのは、部分的にそう言えないこともない側面もあるってだけで 盲腸とかに比べても、強力に実感できる証拠ってわけでもないと思う。 >>60 形式的に受け入れてるってのと、本当に信じてるってのは違うんじゃない? 俺だって、別に進化論否定してるわけじゃないし。 たとえば、弟と自分が同じ親から生まれたことや、従姉と自分が同じ祖父母を共通祖先に持つ事と連続的なものとして 桔梗や豚や大腸菌と自分が共通祖先を持つと実感できてるかって話。 >>62 いくら直感とは違っていても、そう判断することが妥当なら俺はそれを信用するが。 まあ、日本人全体がそうかと言われると違うかもなw 0.999… = 1 という事実に異を唱えるひとが延々出てくると同様に…。 まぁ、実感といわれても主観的なものだから人それぞれだしな、あまり益のない話に思える このスレの問題設定の「昔の人は神とか魔女とか本当に信じていたの?」っていうのだって 具体的な実感を問題にしなければ、「当然信じていた」という結論になるんじゃ? 卵を焼けば固まると信じていたり、高いところから飛び降りたら死ぬ などと同じようなレベルで神や魔女を信じていたかどうかが問題なわけで >>65 結果はそうだと思うし実際そうなんだけど…。 でも、それじゃ全く面白くないから、その風潮に抗った人とか、その風潮を覆した人とか事項とか事件とかを 提示しようとしているだけなんだけど…。 >科学なんてなくても見たこと無いもん易々と信じないだろ。 逆に現代人は科学を信じている。 科学的に何とかという説明は、反論が当然あったりすることはスルーして。 >>67 それは言えるかもな。>>51 の「親による子どもの性虐待を催眠によって突如思い出す」なんてのは 催眠という一見科学みたいなモンを前提としているからか、やたら信じられた例だろう。 自分がいくら努力しても叶わないことがあります。 それに対して「何か」にすがりたい。 その「何か」が神仏です。 と、俺の最初の学歴の本願寺中央幼稚園の先生が教えてくれた。 平安時代の人々、殊に貴族にとっては悪霊は実在だったというのはよく言われる そう考えると、最初に全面否定した人ってエライと思うんだ。 >>72 でも、その後継者のソ連も最後の頃は 超能力研究所を作ったりwwアトランティスや火星の超古代文明の論文を 出したりww指導者の死体を永久保存して、あがめるようになったのだからww いや、儒教でもユダヤキリスト教でも仏教でも、無神論者じゃないにしても あんまり、迷信とかにうつつを抜かすなと言っていたのに、すぐに奇跡物語や オカルトが本業になるのだからな ティムールの墓を暴いてそこにはこの墓が暴かれた数日後に最も大きな災いが起こるって碑文があったらしい それでその数日後に第二次世界大戦が勃発して ソ連の調査団は慌てて鉛で溶接して墓を封鎖したらしい 意外と迷信深いな ソ連の場合は、誰かがレーニンが枕元に出て、スターリンの隣に 寝るのは不愉快だから、スターリンの遺体を処分しろと言って 本当にスターリンの遺体をどこかに移したり 反対に、ソ連崩壊時にレーニンの遺体を処分しようとしたけど、 未知の力が働いてどうしても処分できなかったと言う話があるのだけど 正直歴史的に無神論者と自称している連中は 単純に宗教を信じていないだけで、未知の力とかは信じているのでは ないかな? そういうのすら無いって本格的に研究されたのは、本当に最近なんじゃ? フィディーニの神霊真贋対決の時には、実際にネーチャー誌にその手の話が載ろうとしていた訳だし。 70年代のユリ・ゲラーがTVでスプーン曲げとかした時には、科学者もころっと騙されてたしな。 大橋巨泉なんか、「科学者は実際に見ても信じないなんて頑迷だ」なんて言っていたんだろ? 自衛隊でもそういう心霊現象を活用する研究が行われていたけど、統計的に有意な結果が出ないとか 言われていたなー。 ソニーとかフナイでも余裕があった時に、そういう研究が行われてたんだっけ。 超心理学研究で有意な結果は出ているとされることもあるが 統計的に有意かどうか微妙なレベルでしか検出されない そこでどんどん厳密にやって、もっとちゃんとした結果が出るようにすると さらに効果が弱くなって、その新しいレベルで有意かどうか微妙ってレベルになる。 つまり、厳密にやればやるほど効果が薄く曖昧に成って行くので これは、もう存在しないってことだとされているのが通説。 逆に言えば、統計とか科学とかがなかった前近代の 魔術使いたちが派手に超能力を使ったのも説明がつく。 厳密にやる=何度も継続して実験する=被験者が疲れる って言い訳も成り立つけどなw その点お釈迦様は、うまく言い逃れているなぁ 神とか悪魔を超えた、法を上において、 ある意味、無神論教だと言われるような宗教体系を築いたのだから 実際、バチカンは仏教を無神論教だと見ないしているようだしww 孔子様にしても、怪神乱神語らずと言って、現実世界とオカルト的な部分は 分けて考えることを勧めているし、 案外東洋の人は、昔から神とか悪魔は信じているようで信じていない。 現実世界とオカルトは別物だと分けて考えていたのではないかな 個人的には、こういうことで神秘的な力を本格的に信じないってのは俺は麻雀だなw 昔は「麻雀放浪記」なんてのもあったし、「運のやりとり」とか「気迫」みたいなモノを信じてた コトがあった。つーか大いに信じていた。麻雀漫画、麻雀小説もその手のモノが多かったしな。 ところが、最近はとつげき東北の「科学する麻雀」以来、その手の話には極めて懐疑的に なった。極めて冷徹に、科学的に確率論的に、打牌した方が強いと思うようになった。 昨日、将棋のプロ対コンピュータ戦でまたプロが負けて、人間が1勝2敗になったようだが、 今後、いかさまなしで最強の麻雀ソフトが現れるんじゃないのかな?任天堂あたりで、 麻雀ソフト大会なんてやって欲しいものだ。 >>82 >孔子様にしても、怪神乱神語らずと言って、現実世界とオカルト的な部分は 怪力乱神な… 怪は怪異なことで、神は霊とかそういうことだから、オカルトだが 力と乱は、要するに戦闘力とか争乱のことだぞ 怪力乱神を語らずを根拠に、孔子が神秘的なものの実在を信じてなかったとか言ってる奴は 戦争とかの存在も信じてなかったとか言うんだろうか? 《「論語」述而の「怪力乱神を語らず」から。怪異・勇力・悖乱(はいらん)・鬼神の四つをさす》 と語源説明で論語での用法の説明があるのに そっから派生した現代語の説明だけ引用するって馬鹿なの? ああ、馬鹿じゃないとそもそも>>82 みたいなことは書かんか 元々の論語に、注釈とかあるの?? 後の人の注釈なんじゃないのか?だったら、複数の注釈をまとめた現代の内容を参考にしても間違いじゃ あるまい。 論語の Wikiを見ると… http://www.chinese-wiki.com/Verse_20-Analects_of_Confucius_Chapter_7 >子不語怪、力、乱、神。 この英語訳が >Confucius is very careful with words, he does not talk about strange happenings, people who go around bullying people, >issues that may create chaos, and superstitions and gods. だから、迷信や神々を語らなかったとあるな。 >people who go around bullying people, >issues that may create chaos... >>87 現代の内容って何を言ってるの? 何で昔の話しなん? 今も信じてる人なんてごまんといるだろうに 人間が猿だなんて信じていないようにね それに、人間がアトムによって構成されてるなんて紀元前から分かってたことだし まあ、日本に限ってはそうそういないだろうけどね 今だって信じてるやつがいるんだから科学も発達してない昔なんて当たり前に信じてるやつなんていただろ 「一次・二次史料で見かけた不気味な話」から 914 :世界@名無史さん:2013/04/03(水) 09:53:02.07 0 『ヨーハン・ディーツ親方自伝』より いま述べたわたしの意見を証明するために、つぎのような話を引いておく。 こちらのギービヒェンシュタインで有罪判決を受けた一人の魔女が、村人の手で牢屋に入れられた。 あたかもヴァルプルギスの時期に当たっていたので[ 四月三十日から五月一日にかけての夜、 各地の悪魔や魔女がブロッケン山に勢ぞろいして饗宴をくりひろげるという ]、当時の司法官が同僚と、 女が鎖につながれている部屋に入り、「やい、マルテ、さすがにきょうブロッケン山には一緒に行けまいなあ」 と声をかける。――「おやまあ、お役人さま、どうしたって一緒に出かけますとも」と女は答える。 ――「愚かな女よ、鎖でつながれているじゃないか」と司法官は言う。――「おあいにくさま。十二時になったら 出かけるさね」と女は答える。 司法官と同僚たちは物珍しさから腰をかけ、タバコをふかしながらじっと観察していた。 ちょうどその時刻、女はぐっすり寝ていびきをかいている。やがて藁ぶとんの上で、ダンス会場にでも いるかのように何度もはねたり、ヤッホーなどと歓声をあげはじめた。それが長いこと続き、 とうとう女は疲れ果てて眠りから覚める。司法官が女に訊ねる、「で、あちらに出かけてきたのかい」。 ――「ええ、行ってきましたわ」と女は言う、「ほんに楽しかった。これこれの女の人たちも、 だれそれという男の人たちもいたわ」。それから多くのことを話して聞かせた。 ――つまり、これをみても判るように、すべては言語道断な悪しき空想と誤った悪しき迷信の産物なのである。 この女は獄中で、長時間の拷問の末に死んだ。 >>11 >>44 同じ太陽神信仰でも地域によって少しずつ信仰形態が違ってたはずなんだが 大和朝廷が全国統一したために全国の太陽神が天照大神に統一されて 祭神も伊勢の分祀のように話を作り替えられ祭礼方式も統一された 八幡神なんか信奉する武士集団が別の土地を領有するようになったら そこにあった神に代えて八幡神が土地神になった 西洋みたいな血で血を洗う状態までにはならなかったが排他的なことは確か 西洋人の日記とか読むと、聖職者でもない一般人でも頻繁に 神の恩寵がとかなんとかでてくるな まあ日記といっても子孫に残すものだけど 昔の人が信じているのは当たり前…信じていなかった例を挙げる方が面白いと思うんだけどね。 >>93 このような高尚な考察にふけっていたとき、一つの穴というか、岩の割れ目からでてきたおそろしく大きな鷲が、 猛々しい羽ばたきとともにわたしのすぐそばをかすめ、海原高く空中に舞い上がった。 わたしはひとつ間違えば死んでいたかもしれないことに気がついて驚いた。 鷲がその巨大な翼でわたしの体を突き飛ばしたのだから、なおさらのことである これはいまいましい悪魔だ、わたしがこんな高尚な秘密について考察していることに気分を害したのにちがいない、とわたしは思った。 それでも長いこと鷲の飛翔を目で追い、いや、これは(このあたりに多く生息する)本物の鷲だということに気づいた。 考察は神とかキリストとか悪魔とかの宗教的考察。長いんで省くね。 幾ら宗教について考えてたからってでてきた鷲を悪魔だと思うなんて、この人も結構空想禿げしいね。 >>93 物の怪のことなど そういえばもう一つ、イツェホーで遭遇した事件を思い出した。 こんなことはなかなか信じてもらえまいが、ほんとうにこの目で目撃し、この手で触れなければならなかったことだ。 当時の連隊の指揮をとっていたさる少佐のことだが、その奥方というのが、宿営地で貧乏な人たちに親切をほどこすということがまずない。 この奥方が夕方、暗くなりはじめたころ庭に出たところを一匹のオオカミに襲われ、引き倒されて、ほどんど顔じゅうを引っかかれた。 悲鳴を聞いて人々が駆けつけると、オオカミはふたたび裏手へまわって庭の壁を飛び越えていった。 おおぜいの兵士があとを追う。しかし姿は見えない。 わたしも命令を受けて駆けつけ、夫人に包帯を巻き、瀉血を施した。 そこへヘルプスト少佐ご本人が帰宅され、オオカミのやつめ、目にもの見せてくれようぞ、と悪態をついた。 それでアンチモン弾をこめた銃を引っ張り出して、いつでも使えるよう準備した。 それから二週間とたたないうちに、ふたたび悪魔が壁を乗り越えてやって来た。 すぐに呼ばれた少佐がオオカミを撃つと、オオカミはすってんころりん、ひっくり返る。 そこへおおぜいの人々が集まってきた。 オオカミ人間を先頭に立て、槍と棒でつつきながら、わたしの下宿の前を通った。 その一部始終をわたしはこの目で見たのだ。 人々もオオカミ人間に銃を放ったが、何も起こらなかった。 結局、町外れまで行き、オオカミ人間を追放すると、走り去って、みるみる姿が見えなくなった。 ある老婆が床についているので、見ると、腰のあたりを撃たれていた、などと言う者がいたのは確かである。 しかしこれは自分で見たわけではないので、そういう人がいるとだけ書いておく。 この地方では、この手の不思議な悪魔の変身譚は枚挙に暇がない。 しかし真実かどうかということになると、わたしの理解を超えていた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる