うんにゃ、こっちも”定義”として使っているよ。
ちょっと予想通りの反応だけど、やっぱり誰かが何かをそう呼ぶということがどういうことなのかについての
理解の浅さがある。

誰かが何かを「X」と呼ぶ、ということは、要するにその人がX概念を使用するということだ。
「それがよくないもの」であることが、洗脳概念の一部をなしている、つまり定義の一部であるからこそ
外部の視点から見て「おぞましいもの」であるということが、
その外部が、「洗脳」という概念を対象に帰属させることの必要要件なわけ。

先に言ったように、実際に洗脳でなくても、それが洗脳と呼ばれることはある。
でも、洗脳でないものを「これは洗脳だ」と誰かが間違って認識したしても、
それはその誰か、洗脳の意味を理解していないという事にはならない。
単に現状認識に誤りがあるだけ。

逆に洗脳であるものを「洗脳だ」と誰かが言ったとしても
ひょっとすると、洗脳という概念を理解しないで言ってることも、まあ、あり得ないではない。
「洗脳」にネガティヴな意味合いがあるという認識が欠如している人は
要するに「洗脳」という概念を理解していないことになる。
この場合、ネガティヴなもののみが洗脳と呼ばれる、ということの反例になりえなくもない。
「呼ばれる」が、単に音声として呼ばれ(う)る、という事ならね。

でも、こちらも定義的な意味で使っているので、それは考慮していないし
だからこそ、君の”定義”発言に対し、文句をいう必要がなかった。

>おっと、後半で言及しているかw スマン。
本当に読めてなかったのかよ。
二回も突っ込まれていて、どういうことさ…。