亡国の王族
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亡国の王族、権力者の最後、その後、子孫等について語りあおう。 1です。いい忘れてましたが一応国家滅亡だけでなく革命、クーデターで追放された王族も含めたいです。 イランのシャアことパーレビ国王
御自らジェット機を操縦して亡命ってカッコいいよな! 歴史上地位を終われた王族ってそのあとどうやって生計たててたの?
普通に就職したんだろうか? 他所の王族の食客とか、勤めても御伽衆みたいな扱いなんじゃないかな?
受け入れて度量のあるとこ見せた後で鉱山でキリキリ働けよっとはならんでしょ。 そりゃお姫様は兵士たちの慰みものにされるに決まってるだろ!グヘヘh! 元王族で一番存在感あるのはやはりハプスブルク家だな。
オーストリアの皇帝を追われた後も、
オットーみたいにヨーロッパの政治に大きな影響を与えた人物を輩出している。 他国で活躍する例(ルパート王子など)やら王朝を打ち立てる例(バーブルなど)やら、
亡国の王族でも存在感の強い人は多いね
その反対に消息を絶っちゃう例も多いけど 愛新覚羅烏拉煕春さんって、下の名前の方は中国時代の戸籍でも登録されてた本名なの?
お父さんの名前が啓孮って中国っぽい名前だから不思議
満州族の名前ってもう康熙帝の世代くらいから、満洲語名も漢字の名前を満洲風に読んでるだけっぽい感じなんだけど
まあ乾隆帝の時代でも阿爾泰や喀爾吉善っていかにもな異民族風な名前の人もいるけど。
言語はすたれても満州語での名付けの風習って、家によっては遅くまで残ったのかな >>10
今調べたんだけど百済王家の子孫って日本に結構いるんだね
国が滅んでも血統の命脈がそこそこ広範囲で残ってるとなんだか安心してしまう 李王家の子孫も日本に帰化してるのね
桃山虔一
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%83%E5%B1%B1%E8%99%94%E4%B8%80
>桃山 虔一(ももやま けんいち、1909年(隆熙3年)10月28日 - 1990年(平成2年)12月21日)は、
日本の元公族。李王家の出身で、元の名は李鍵(朝鮮語: ? ?、イ・コン、り けん)。
弟に広島の原爆で被爆死した李?、異母妹に李海?がいる。 >>20
元やんごとなき身分の人がこういうwikiにかいてある通り苦労してるとなんともいたたまれない。
日本政府は恩給なり年金なり出さなかったのだろうか?
やっぱり王公族籍を離れた以上は一般人として扱うしかなかったのかなあ マデレーン王女がマイリー・サイラスみたいになったがっかり感といい
ハリー王子がただのイギリス人みたいになってる感じといい
やっぱりロイヤルアイドルは天皇の直系の孫4人、またはカール・ハプスブルクの子供たち
に期待するしかないな 『近年ノーベル賞を取った日本人』
南部陽一郎 1921年生
小柴昌俊 1926年生
下村脩 1928年生
赤崎勇 1929年生
鈴木章 1930年生
根岸英一・大江健三郎 1935年生
白川英樹 1936年生
野依良治 1938年生
利根川進 1939年生
益川 敏英 1940年生
小林誠 1944年生
中村修二 1954年生
田中耕一 1959年生
天野浩 1960年生
山中伸弥 1962年生 朱慈煥(1633-1708)
明朝最後の皇帝であった崇禎帝の五男。
天寿を全うするかと思われたが、康熙帝に「謀反はしていないが、謀反の
心がこれまでなかったとは言えない」と言われて一族もろとも刑死。
晩年の康熙帝は、この件に限らずおかしかったと思います。
息子がまた輪をかけて名君かつ暴君ではないが酷君でしたし。 酷君w
確かにw
最近開催された台北故宮博物展であった手紙では寵臣田文鏡にあてた手紙の朱書でさえ
「お前らのやってることは知ってる」、みたいな脅迫じみたものでした
しかし三時間並んだぜw
翡翠白菜人気杉w >翡翠白菜人気杉w
台湾では割と空いていました。福岡からなら近いですし、機会があれば行くのも手。
日本で重要文化財に指定されるはずだった仏像が寄贈されてしまい、関係者が混乱した
在日華僑寄贈の新田コレクションもあります。
行った時に見られるかどうか分かりませんが。
ふと思うこと。孫皓が降伏した相手が魏の文帝であった場合、無事に済んだでしょうか。
文帝も言い負かされて口をつぐんだりもしていますが。
意地悪はするが、みっともない報復はしないか。 翡翠白菜はそれ一つ見るだけで二時間まち
その他の文物みるのに一時間という変なものでしたよ。
白菜だけ別館でした。
台北故宮は暇ができたら行くつもり 君主の度量を見せるのも重要だが
普通に危険分子だよなぁ 王太子が王室メンバーを射殺してまわって自殺とか、無理がある展開w
ボウリング・フォー・コロンバインみたいな安っぽさやで >>24
なんか先祖のやったことが全部帰った感じしかしない
明は暗いんだよな >>24>>28
源頼朝に掛けた温情が仇になった平清盛の例もあるからな。
この例が中国でも知られてたなら…多分知られていたろう…「清盛の轍は踏むまい」と考えたほうが合理的だよ。 >>30
名誉ある海軍士官が「妻が見送りに出てこなかった」という意味不明な理由で自宅に油撒いて我が子を四人も焼き殺した事件があるくらいで「まさかあり得ない」と安易には決めてかかれない。 >>33
夏も商も一族皆殺しじゃなかったの?戦国時代の宋は商の貴族か
しかし、清盛は中国で言えば五代の後の宋代の人だろ
五代以前からどこに敵の一族に温情かける大陸人がいたのか
漢代から功労者まで粛清しまくってるし >>28
危険と判断したのが理由なら、凌遅刑にはしない。
単に残忍なんだよ >>36
戦国時代まで存続した杞は夏の王族の後裔
宋は商の最後の王の兄の後裔。
漢の劉氏の後裔は山陽公として西晋まで
魏の曹氏の後裔は陳留王として宋代(南朝)まで
存続していたりするな。
西晋期の宮廷では劉氏と曹氏の席次をどちらを上位に置くべきか
相当悩んだとも。
大陸でも前王朝の皇族皆殺しなんてそんなに無いだろ。 >>40
このバカの南北朝はいつからいつまでなんだ >>42
普通にはそうだが、1331年の元弘の変が南北朝時代の戦乱に含まれたり
1457年までの後南朝も含まれたりと一概には言えんよ。 >>40の御仁の見解ではいつからいつまでなのか気になるな(w >>44
漏れ的には>>41の御大の見解を伺いたいな。 古い時代には、社稷を絶やしてしまうと祟られるって考え方があったので
一族は滅ぼさずに、子孫を残して祖先を祀らせた
現代人は非科学的だと笑うだろうが、当時の人たちにとっては深刻な問題だ
近代医学のない時代には病気なんか原因もわからないし、有効な治療法も
ほとんどないから、祟りと結びつけられやすかった
権力者(誰かしら殺してるだろう)が急に病死したり、精神病を発症したり
したら、ああ、あいつに殺されたなにがしの祟りだ、ってことになる
だから、1人殺しただけでも祟りがあるように人々は思う
まして、一族まるごと滅ぼしたらどんな祟りがあるか?
当然、今度は自分たちの一族が祟りで滅ぼされてしまう、そう考える
だから、それを避けるために、一族を滅ぼすことはなるべくしなかった
それがだんだん、戦乱やら権力闘争やらが激しくなってくると、死者の祟り
なんかよりも生きてる人間の方が現実的な脅威だと気づいてくる
それで、族滅をためらわなくなった ドイツのリッペとかホルシュタインのような領邦国家の王室みたいなのも亡国の王族? 断絶した王公諸家と
女系で残存している名門と、
いづれであれ、存分に語られよ。 亡国っていうのと単に王朝が滅びてるのは違うよな。亡国は最後のグラナダ王ボアブディルのイメージだな、ドラマチック。 今の西欧の王侯貴族は元を辿れば
侵入してきたゲルマン蛮族の首長の血筋
イギリス→ノルマン人
フランス→フランク族
スペイン→西ゴート族 ローマ帝国の皇帝の末裔とかいるんだろうか
ビザンツはいるっぽいが ローマ貴族の末裔を称するイタリア貴族がいるから(本当かどうか知らんが)、皇帝の血もひいてるんじゃね?
ヴァンダルだかゴートだかの系図にもローマ皇帝につながってるのがあったな。これも本当かどうか知らんが。 >>5
ニコライ2世のいとこ、ドミトリー大公は亡命先のフランスで
セールスマンやってたって >>36>>46
同じ中国人と言っても商の一族の末裔が封じられた春秋時代までは欧州の大公国みたいな小国が多いから、後の苛烈な族滅中国とは少し違うかな
でも、項羽と劉邦の時代は完全に今の中国のノリそのものだな
悪人が栄えて他人との交渉を真面目に捉える方が滅ぶ 劉邦に裏切られて滅ぼされた項羽自身が折角劉邦が殺さなかった秦の皇帝を殺したし、今の中国人が夏民族や商民族、周民族ではなく劉姓が一番多い漢民族を自称している以上中国の現代史は劉邦の時代から始まるのだろうな 秦の始皇帝は絶大な権力で中央集権制を強いたように見えたが、実は秦の皇帝と楚の王族の関係は清盛と頼朝.時政の関係だった
そして秦は楚に滅ぼされた
ガチの中央集権制は漢代になってからで、秦代はまだ華北政権でしかなかったんだな
呉も越も楚も明も毛沢東も中国共産党も湖南マフィアも全部華中だから、華中さえ制圧出来れば華北と華南は容易に制圧出来るだろう 後周の皇室は宋代には鄭王に封じられて宋が滅びるまで尊重されたけど? >>54 古い家柄だけに名前の意味も「古い言葉」ってかw
初代のしゃべり方がその当時ですら古臭かったのかなw
ほかのギリシャ人はとっくに使わなくなったh音を発音してたり ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています