「 チベットの悲劇、許し難い中国の蛮行 」
『週刊新潮』 2016年1月21日号
日本ルネッサンス 第688回
http://yoshiko-sakurai.jp/2016/01/21/6257

・・・・・中国はチベット寺院の95%、6000以上の寺を焼き、破壊し、大多数の僧侶や尼僧を殺害したとして、センゲ首相は中国の侵入が
「平和的解放」とは程遠かったことを説明した。事実、中国は僧だけでなく、ダライ・ラマ法王殺害を主目的とした凄まじい殺戮作戦を
実施した。
 
1949年に中華人民共和国を建国するや否や、毛沢東らがチベットを侵攻したのは周知のとおりだ。チベット人を道路建設に駆り立て、
道路が完成すると無数の武装した漢民族の兵士をトラックで運び、チベット全土に駐屯させた。59年2月、彼らは人民解放軍の駐留地
で開催する観劇に法王を招いた。「護衛なしで来るように」という条件つきの招待だった。
 
チベット人は皆、法王が中国に拉致され危害を加えられると心配し、法王の住居だったノルブリンカ宮殿を取り巻いた。観劇の誘いに
応じないよう法王に訴え、中国人は中国に帰れと叫び、幾重もの人垣で法王を守ろうとしたのが3月10日である。
 
続々と集結する中国軍との高まる緊張の中、法王は17日夜、宮殿を脱出しインド国境近くのロカに逃れた。そうとは知らない人民解放軍
は19日午後、ノルブリンカ宮殿に一斉砲撃を開始した。集中砲火はなんと、41時間も続いたと伝えられる。宮殿内の僧、尼僧、一般の
チベット人は殆ど全員殺害された。宮殿も破壊された。中国は明らかに、法王殺害を意図していたのである。
 
インド国境近くに逃れていた法王がインド政府に亡命を申請したのは同月29日だった。これが実際に起きたことだ。「チベット解放」は
平和的に行われたという中国の主張は大嘘なのである。