イスラム化以前のアラビアのスレ
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多神教、一騎打ちを好むアラブ騎兵、移動型や定住型の部族の混在 隊商、貿易ルートとしての重要性、乾燥地帯での農業 などなど ムスリムからは暗黒とも言われるムハンマドの勢力確立以前の時代を語りましょう メッカの町は古くより存在し、2世紀に書かれたクラウディオス・プトレマイオス(トレミー)の「地理学」にはマコラバの名ですでに記載がある。 このころからメッカは聖域とされており、5世紀中盤にはクライシュ族がこの地を制圧した。 クライシュ族は6世紀にはキャラバンによる遠隔地交易に乗り出し、隊商路の安全を保つためにアラビア半島各地の勢力を制圧したり糾合して、メッカはその盟主となっていった。 併合された勢力の神は滅ぼされず、メッカのカーバ神殿へと遷され、その神を信じる同盟勢力の人々が巡礼のためメッカへと赴くようになった。 ムハンマドが生まれた570年頃にはおよそ一万人の定住者人口を持ち、まだ中東の都市のなかでは小規模であったが、商業都市として、また広域信仰圏の中心として急速に発展しつつあった ペルシャ地域の混乱が何度も長く続いたせいで、交易路としての重要性がはねあがったとか メディナは聖遷以前は名をヤスリブと言い、アラブ人の二部族とユダヤ教徒の数部族が住む町であった。 ムハンマド以降はどうなったのかしらね イスラム創成期のハンダクの戦いで、塹壕を街の周りにムスリムが掘ったら メッカの勢力がアラビア北西部の遊牧民から勇猛な騎兵と、ムハンマドに追放されたユダヤ人たちを雇って押し寄せた軍団が ↓こんなことになっちまったらしいが、ローマやエジプト、イスラエル、ペルシャの知識は伝わってなかったのか? >従来のアラブの戦いは、野戦での騎士による一騎打ちが伝統とされ攻城戦という概念はなかった。 >メッカ連合軍は初めて目にする塹壕に為すすべもなく、騎兵による塹壕突破を図ったが成功しなかった。 >騎士アムルのみが塹壕の幅が狭くなっている箇所を発見し、数名の従者と共に塹壕内に飛び込んだが、アリーとの一騎打ちの果てに敗れて討ち取られた。 >これ以降メッカ連合軍の士気は振るわず、夜襲をかけてもイスラム側の見張りに発見されて成功ししなかったので、やがて遠巻きに町を囲むのみになる。 イスラム化以前のペルシャならともかくアラビアとか用がないー。 >併合された勢力の神は滅ぼされず、メッカのカーバ神殿へと遷され、その神を信じる同盟勢力の人々が巡礼のためメッカへと赴くようになった。 これすごいね ローマより寛容だ 寛容どころか保護して、集めることでさらに知名度広めやすくしてる 女性の待遇はイスラム以前よりも酷かったし、イスラム法みたいに明確に制度化されてないから捨てられることもあったとか この時代の人名ってイスラム化以降も大体引き継がれてるのかな? イエメンとかも話題に入るのかな。シバの女王とかアラビア族なん? ソコトラとかの南アラビア諸語の話者って自らをアラブ人って認識してるのかな?そこから派生したエチオピアのセム語の話者は アラブ人って認識はしてなさそうだけど パレスチナのガザで アポロン像見つかったのは 神々の啓示! オリンポス信仰に 改宗せよ! ジャーヒリーヤ(暗黒)時代っていうから全くタブーなのかと思ったら 部族社会で伝承されていた詩などは古典として残ってるみたいだね エジプト人の留学生が高校で習いましたと言っていた イスラム以前の非啓典の民非ゾロアスター系の多神教の偶像とか神話とか知りたいけど まあむりなんだろうな マンダとかマズダクとかマニとかか そもそもイスラム以前って文献どうやって残してたの? >>20 マンダ教とかサービ教(この2つは同じものだという説もあるな)はともかく マズダク教やマニ教はゾロアスター教からの派生とみて間違いないだろう クライシュの主要3氏族のうちMakhzum氏族が騎兵をかることを特に得意として 武器は槍、弓、剣 後のアッラーの剣ハリードもこの氏族のもとで鍛えられた イスラム以前にダルヴィーシュの原型になったものってあるんですか? ムハンマドも瞑想しててアッラーの啓示を得たんですよね? シャーイル(詩人)やカーヒン(祭司)はマジュヌーン(ジン憑き) ムハンマドはナビー(預言者)でラスールッラー(アッラーの使徒) でも「アル=イッラーフ」からイスラームの神を呼ぶために「アッラーフ」という単語が出来たのがイスラーム以降だから必然的に「アッラーの使徒 」とかいう概念ができたのもイスラーム以降なんでしょ? アッラーはアル(定冠詞)+イラーハ(神・男性単数)の組み合わせで、英訳すれば単にThe God べつに固有名詞ではないし大文字小文字の差もないから、 そのままイスラーム以前から特定の男性神を指す時には使うことができたろう 結果的にはムハンマド以降アラビア語においてその意味が劇的に変わったというだけのことだろう 文献学的にはアッラー(الله)って形はいつ出てきたんだろ? ジン(جن)は天国(جنة)と同語根の様だけどそこから察するにイスラーム以前には神(إله)扱いされてたりしてないんだろか? 確かアッラートって女神も祀られてたんじゃなかったっけ。アッラーと対になってたのかな 日本語でググって出る限りの情報では アッラート、マナート、アル=ウッザーでアッラーの3人の娘 それからフバル それ以外は? イスラムの人ってメソポタミア文明やエジプト文明のことどう思ってんのかな。 偉大なムハンマド以前の野蛮な文明に価値などないって思ってるんだろうか。 イスラーム登場時にはオリエントの先行文明はすでにキリスト教とゾロアスター教に塗り替えられたあとだった コーランには先行する文明や預言者たちに敬意を払っていることがわかる ハディースでは広く知識を求める事を奨励している 異教徒であろうと何かの宗教を信仰していれば取引の相手として認めるのがムスリム ただ同時に機会があればイスラーム入信を薦めてくる >>33 まあ、旧約聖書の神だって 我々に似せてて人間を作ったと明記しているからな 改宗した連中は、以前はカーバの黒い石とかを崇めてた わけのわからん信仰をもつわけのわからん連中なんだろう? それともゾロアスターが主な改宗前の主要宗教だったの? >>39 そりゃアラビア半島では前者が多くてペルシャでは後者が多いんじゃないか? ユダヤの唯一神YHWHも、多神教の一神だった「黒歴史」があるんだろうな 旧約聖書には書かれてないだろうけど >>41 エホバを神として「選んで」契約し、という表現が創世記にあったと思う 創世記は翻訳で読んでもあちこちに多神教の名残りを感じ取れる内容だ >>33 その言い方は不正確 アッラーはあくまで「神」という普通名詞だから ムハンマド啓示以前と以後で同じ呼称でもつながりはない アラビア商人って海の貿易どれくらいやってたんや?資料がみつからん 創世記で天地を創った神と、モーセを助けたユダヤの神は別人という説もあるな >>39 当時のアラブ人の大多数はいわゆる多神教徒 加えて当時のアラビア半島には少数派ではあるがユダヤ教徒も居住していた。 ゾロアスター教はほとんどササン朝の領域に限定されていて 当時のオリエントで勢力を広げていたのはローマ帝国において 正統(カトリック)的でないとされたキリスト教の派閥よ。 >>43 この時代のアラブ商人の海上貿易に関する史料なら 具体的な書籍名は挙げられんが地理書の類になるんじゃないかな。 無論同時代のアラブが書き残した資料など現存(ないしは存在)していないから 後代のアラブ人、若しくは同時代のビザンツ人、ペルシア人の残した史料になると思うけど。 考古学的方法を用いることも可能かも。 ヨルダンのガッサーン朝、イラクのラフム朝はキリスト教(ヤコブ派など) イエメンのヒムヤル朝はユダヤ教 ナジュドのキンダ朝は多神教ほかいろいろ マニ教も今生き残ってれば当時のこと少しは伝承されてるんだろうけど残念だな このアポロン像はギリシア人のものだろうしねえ セム人は美術的関心がゼロのようで、写実的芸術文化は皆無だし >>49 昔から大型だったかららくだ騎兵の歴史ってかなり古いんだよなカルカルの戦いとか。 重いもの載せれるし、運搬能力は馬以上、乾いた地での持久力は圧倒的 でも馬のほうが戦場では良く見られる やっぱ気性が荒いことが原因か? >>53 ラクダは、その体型から、車を牽かせにくいからなあ。 実質、騎兵の用途でしか使えない。 このパターンは、象と似てる。象も、体型の問題から車を牽かせにくい(出来ないことはないけど) だから、象も、事実上古代の騎兵としてしか使えなかった。 結局、ラクダは馬に劣後し、象は牛に劣後した。馬と牛は、どちらも車を牽くことができる。 まあ、日本のように、どういうわけか馬で車を上手に牽けず、 事実上、「荷駄馬としてしか使えなかった」文化圏もあるけどね。 実は、ラクダは日本に向いてたのかもな。梅雨時に脚が化膿壊死して死んでしまうかw ラクダも、ひとこぶラクダとふたこぶラクダでは用途が異なる ひとこぶ →騎兵用 ふたこぶ →荷役用 フタコブラクダは中央アジア以東のもので ヒトコブラクダの10分の1しかいない ふたこぶをひとこぶエリアに連れてきたら、熱中症でばったばった斃死するんだろうか ダナキル低地とか特にやばそう シバ王国やアクスム王国が古代の象牙・金・香辛料・絹貿易でインド、中央アジア、アフリカ北部、西アジア、地中海の中継地点として貿易ルート上に栄えたな http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b9/Silk_Route_extant.JPG 紅海を支配できるクラスの安定した王国の衰退が隊商などの陸路の発展と関係あるのかな? 『The Cambridge History of Africa(ケンブリッジ大学 アフリカの歴史)』(1975)によれば アラビアとインドの香や香辛料における貿易はますます重要なものとなり、ギリシア人は始めて直接インドと貿易を始めた。 (中略) 紀元前115年頃にアラビア南西部にあったサバ人の王国が崩壊し、ヒムヤリテ王国が台頭した。 この期間に、おそらくアラブ勢力の弱体化で、エジプトとインドとの直接接触が可能になった。 エジプトに輸入されるシナモンやその他コショウなどの東洋の香辛料はかなり増加した。 しかしながら、インド洋航路での貿易も小規模ながら短期間続いており、毎年、20隻未満のエジプト商船が危険を冒して紅海の外に出ていた。 インダスとメソポタミアという2大古代文明間の海上交易と発展し、インダス渓谷で作られた綿織物がメソポタミアに輸出されていた。 紀元前23世紀ころのメソポタミア遺跡から発見されたインダス文字の印章も当時の交易を物語っている。 また、紀元前30世紀ころのエジプト古代王朝も紅海貿易を展開していたが、孔雀を輸入したとの記録があり、インドとの交易を示唆している。 紀元前7世紀には鉄製釘を使って竜骨材と側板を張り合わせたダウ船がこの海域の代表的な航海船となる。 インド洋貿易の話から一部抜粋 http://www.in.emb-japan.go.jp/Ambassador_Lectures/Ambassador_Lectures3.html 1世紀にギリシャ系エジプト商人が記述した「エリュトラ海案内記」 アラビア海貿易の模様を生き生きと描写しており、ソマリア海岸のスパイス、奴隷、亀甲、象牙、及びエジプトの衣料、食糧、インドの鉄製品、綿織物、ごま油など各地の名産が活発に交易されている模様を紹介している。 エリュトゥラー海案内記に基づいたインド洋(Erythraean Sea)における1世紀のローマ・インド間貿易のルートと主要都市 http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a5/Map_of_the_Periplus_of_the_Erythraean_Sea.jpg イエメンのヒムヤリテ王国(Himyarite Kingdom)やフランキンセンス王国(the Frankincense Kingdom) についての情報あったら誰か教えてくだされ >>63 お、いいねそのサイト。 アクスム王国のイエメン侵攻の経緯に暗かったんだが、非常によく分かった いわれてるほど、ユスティニアヌス1世の教唆って感じでもなさそうだね アラビアと言ったらイスラムのイメージが強くて気づかなかったが、 イスラム以前が無明時代っても別に国家が存在しない未開地帯って訳じゃなかったんだな むしろ古代オリエントの隣接地だけあって早くから文化が開けてる アレクサンドロス三世が連れてきた学者によって演繹が生まれたんですよね イスラム世界に。 アレクサンドロスがやって来た頃はイスラム世界なんて無いよ ユダヤ教徒がキリスト教徒を大虐殺したってのは珍しいな 初期の弱小教団だった頃を除いては、あんまり例がないんじゃないか ユダヤ教国家ってのも、このヒムヤル王国以外にはハザール王国くらいしかないか イラク北部にアディアベネ王国というのがあって 1世紀にユダヤ教に改宗している そういやユダヤ教ってどれくらい広まってたの? なんか選民的で広く普及しないイメージなんだが 1世紀頃にはユダヤ人は数百万人もいて ローマ帝国の人口の1割にも達したという ユダヤ人は奴隷を解放する時に割礼を施して ユダヤ教徒に改宗させていた 【女性専用の寝台車両がある寝台特急あけぼのが廃止になるので大歓迎】 JR東日本が行った男性客に対する悪質な乗車拒否作戦 JR東日本の本社職員・支社職員・駅員が行った 寝台特急あけぼののレディースゴロンとシートに乗車者する男性客への乗車拒否バリケードです。 男性を侮辱した人権侵害の一連の模様をご覧ください。 http://www.youtube.com/watch?v=taqjOajeu5E& ;list=PLZFU6ES8QfYprxusuhSXsAQcvu5y6y40q >>66 基本的には、ササン朝ペルシャの属国みたいな物でしょう。 ある意味、ローマ帝国との緩衝地帯というか、取ったり取られたりの繰り返し。 ただゾロアスター教をアラブ人には、強要しなかった。 ペルシャ人は、(今でも)、アラブ人を馬鹿にしているしイスラム化しても、宗派は異なるしね。 それとイスラム化以前のアラブ人社会は、以外と女性の力が強かった、と言われている。 ローマ帝国から、独立した女王ゼノビアは、完全にアラブ人だし。出自は、ベドウィンらしい。 ゼノビアは、一時期エジプトからパレスチナ、シリア、アナトリアを押えた。 シバの女王は紀元前10世紀(伝説) ゼノビアは紀元後3世紀(実在) パルミラのゼノビアと アッシリアのセミラミスを混同していた パルミラはベル神殿が有名だけど、内戦でどうなったのかが心配だ。 もろアラブ人のスズキタカシさんは生き残っているんだろうか。 >>77 >>79 ゼノビアは、シバの女王とエジプトのクレオパトラを、モデルにしていたのは事実。 シバの女王は、時代が1000年以上前と言っても一応同じアラブ人の女王だし、 クレオパトラを持ち出したのは、エジプトやアナトリアを押える上でも必要だった。 今は、アナトリアは、トルコ人の支配地だけど、当時は、ギリシャ人が多く住む場所だった。 クレオパトラは、エジプトの女王だけど、プトレマイオス朝のルーツは、ギリシャだから。 >>82 >一応同じアラブ人の女王だし ん?アラブ人? セム人ならまだわかるが アラブ人もセム人だが。 当時は、アラム人かな? アラム人が、アラブ人になったと言う説もある。 それとイスラム化する以前のアラブ人には、北アラブ人と南アラブ人の区別があった。 ゼノビアは、明らかに北アラブ人っぽい。 シバの女王は、南アラブと言うか南セム系だろうね。 エチオピアとの交渉の話しも出てくるからね。 ソマリアでは紀元前からセム系の文字が出てるらしいけど なんで今はソマリ語書くのにローマ字なんだろ? 一時期オスマニャ文字なんてオリジナルも考案されてたみたいだけど、 連中には韓国人みたいなウリジナル精神は一かけらもないんだろか? >>84 南アラブ諸語は今はソコトラ島あたりで話されてるそうだけど、話者がどういう民族意識を持ってるのか気になる ムハンマドっつーか、クライシュ族は、南アラブっぽいけどね。 ムハンマドによるアラビア半島制圧は、南アラブ人の統一で、 メソポタミヤ、シリア、パレスチナ制圧は、北アラブ人制圧の意味があるのかも。 正統カリフ時代〜ウマイヤ朝までは、アラブ帝国と言われるから、 基本的に南アラブ人による北アラブ人やペルシャ、アフリカの制圧なかのかも。 >>87 その用法の「アラブ」は「セム」に言い換えるべき 北西セム(カナン人、シリア人など)、東セム(アッカド人、バビロニア人)、南セムとあって アラブは南セムの民族 南アラブというのはそのアラブのうちイエメンなど特に南寄りの特殊な一群 >>88-89 本当? メッカって結構南だけどね。 メソポタミヤ、シリア、パレスチナなどは、アラブ化されたアラブっていわれるけど? >アラブは南セムの民族 >南アラブというのはそのアラブのうちイエメンなど特に南寄りの特殊な一群 んじゃ?今のサウジあたりが、北アラブ? 南アラブっぽいけどな。 それとイエメンは、アラブ人発祥の地とされる。 南アラブ人が最初で、次に北アラブ人が登場した事になる。 エチオピア説ならそれなりに黒人との混血も進んでいたろうし、 イエメン説なら今そのへんに住んでる人と似たようなもんだろう >>91 民族の発祥としては南方セム系で、主流派の言語は中央セム系ってことか http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%A0%E8%AA%9E%E6%B4%BE 清朝以降の満州人や、エルサレム陥落後ヘブライ語復活までのユダヤ人みたいだけど、やはりアラブ人も中核となった南アラブ系が少数だったってことかな でも中核が少数でも、トルコ人なんかはアナトリアの先住民を言語面で同化したけど >>90 シリア方面のアラブ化はイスラーム以後のことだからまた別 その前はアラブと言ったらその「けっこう南」だけ 南アラブは多くがマアリブダムの放棄までイエメンの農耕民だったから、 多くが遊牧民だった北アラブよりも人口が多かった。 南アラブの遊牧民化によりアラブ遊牧民が増大したので、 イスラムの大征服が実現したとされる。 遊牧民化には北アラブのベドウィンの言語の採用がセットだったのかな >>92-93 今のイエメン人も肌が浅黒くて、黒人との混血っぽいけどね。 >>95-96 ヘー詳しいね。 でもマアリブダムの存在は、事実なの? それに何故、南アラブ人は、マアリブダムを再建しなかったの? >南アラブの遊牧民化によりアラブ遊牧民が増大したので、イスラムの大征服が実現したとされる。 たしかにムハンマドの時代には、ペルシャ帝国と東ローマ帝国の対立に 挟まれた事も有り、通商路の変化と共に、アラブ人統一の機運が出ていたらしい。 ただし、その統一機運は、別に宗教色を伴った物ではなかった。 それとササン朝ペルシャへの反感は、セットだろう。 「ニバーハンドの戦い以前までは、我々(アラブ人)は、(ペルシャ人に)バカにされていた。」 とのアラブ人(イスラム軍)の証言が、記録にあったと思う。 同じ一神教徒が、多神教のゾロアスター教のササン朝の打ち破った事で、 中東のキリスト教徒は、イスラムの勝利に当初は、賛同していたらしい。 イスラムでは、イエスも一応預言者の一人だし。 >>97 アラブの別名が、ベドウィンじゃなかったっけ? マアリブダムの決壊の時期が、紀元三世紀とか575年とか色々。 800年近くの差が有り、ナンだか訳が判らない。 南アラビア人は言語的にはアラビア人よりもエチオピア人に近い それでもアラビア半島の南東部に完全には同化されずに残ってるってのは 広漠な土地であるにもかかわらず閉鎖性が高い社会だからなのだろうか? 北アラブ人と南アラブ人は、やはりルーツが異なるのでは? 北アラブ人は、アラム人由来なんだろう。 南アラブ人は、エチオピア人に近い。 ヒムヤル王国は、イエメン人の政権のはずだけど、エチオピアの衛星国って感じ。 同系統だけどやや遠い関係の2グループが主なルーツで、しかも中核を成したグループの言語が、同化したはずのグループの言語にとってかわられる こんなケースって他にあるかな。あるいは南アラブがアラブの大本って伝承がフィクションの可能性もあるのかな 同化したはずの集団の言語が支配者の本来の言語にとってかわるケースは、語族レベルで違うなら満洲族やムガール朝王家などがあるけど >>102 テュルク語内でキプチャク語群を話す支配者が現地のカルルク語群と同化したシャイバーニー朝 進出していった各地で現地の別系統の印欧語に乗り換えていったノルマン人 血統はともかくアラビア語は南セムに分類される 北西セム語はカナンシフトと言う独自の音変化を経ていて 東・南とかけ離れている その点ではウガリット語・ヘブル語・フェニキア語・アラム語いずれも共通の北西セム >>104 南アラビア諸語とアラビア語は別物 混同してはいけない アラビア語は北西セムと同系の中央セム 南アラビア諸語はエチオピア諸語と同系の南方セム >>95 >シリア方面のアラブ化はイスラーム以後のことだからまた別 そうか? ゼノビアは、ベドウィン出身だが、パルミアの本拠地は、シリアだぞ。 属州アラビアや属州シリアなどは、それほどヘレニズムが浸透している訳ではない。 ギリシャ人が居るには居るけど、ローマ帝国が弱体化すると、直ぐに分離傾向を見せる。 >>100 そもそもサバ王国とかは、当初は、メソポタミアやエジプトやエチオピアの影響は少なくて、 古代イエメン独自の文明だったんだろう。それが、交易の進展と共に文字の伝来などが有り、 エジプトやエチオピアの文化的影響下に入った。 ヒムヤル王国も、当初は、ユダヤ教とは関係なかった。途中から、あれほどマデにユダヤ教に傾斜した。 >>101 北アラブ人は、もともとは、アラム人なんだろう。 アラム人自体が、当初から遊牧民だし、ベドウィンと言うのも、 特定の民族を表す言葉ではなくて、砂漠地帯のラクダ遊牧民の総称であり、 生活様式を表す言葉なのだろう。しいて言えばアメリカのカウボーイに近いと思う。 また、ベドウィンを表すヘブライ語が、アラブと言う説がある。 そうなるとアラブも民族名ではなくて、砂漠地帯のラクダ遊牧民の総称だった可能性がある。 それが何時の間にか、民族名になってしまった。 で南アラブ人は、イエメン人だ。 しかも後年になり、エチオピアやエジプトの影響を受けている。 >>90 クライシュ族はメッカに元々いたんじゃなくて 北アラブ系で、ムハンマドの数世代前に居ついて支配権を得た部族だったはず >>107 クライシュ族が、メッカ周辺に来るまでは、 イエメン系の南アラブの何とかって言うベドウィンの部族が、メッカを押えていた。 このスレでは幸福のアラビアも取り扱うってことでいい? 幸福のアラビアがあるなら 不幸のアラビアもあるのか? ローマ帝国に支配されていたアラビア属州(アラビア・ペトラエア=石のアラビア)が不幸のアラビアか?wwwwwwwwwww シリアは永遠の負け組か 今でも国民所得はアラブ世界最低レベル。しかも独裁体制中にして内乱状態 これより下は西サハラ・イエメン・スーダン・モーリタニアくらいしかないんじゃない? . 【 ジャーヒリーヤ時代 】 後世のアラビアの史家が、イスラム出現前夜の4〜6世紀のアラビア半島を呼ぶ言葉。 この時代は定住から遊牧の時代へと移り変わる激変の時代だった。 特に南アラビア(イェメン)では砂漠化の進行が著しく、 ヘレニズム経済圏との交通路を途絶されて経済は破綻した。 → 農耕民の遊牧化、北方への大移動開始 南アラブ族の北方移動の結果、次のような勢力が中央〜北アラビアに出現した。 ・ガッサーン族……イェメンから北上し、4世紀末にナバタエ族の故地ペトラを占めて王国を築く。王国は636年イスラム軍に滅ぼされる。 ・ラフム族……同じくイェメンから北上し、ユーフラテス川河口に近いヒーラに王国を建設。 ・キンダ族……中央アラビアの遊牧民を統一し、480年頃から529年までの約50年間、ネジド高原に王国を維持した。 ・カルブ族、タイイ族ほか……7世紀初めにシリア砂漠にいた遊牧部族。 こうした変動の結果、6世紀前半のアラビア半島の形勢は次のようになった。 ・北アラビア シリア方面にはガッサーン朝、メソポタミア方面にはラフム朝があった。 ただし文化活動は低調。 ・中央アラビア キンダ王国が諸部族を統一(c.480〜529)。 ・南アラビア 繁栄は失われ、最後の王国ヒムヤルも国家としての統一を失い、 525年にエチオピアのアクスム王国の侵入で滅ぶ。 ガッサーン朝、ラフム朝ではすぐに南アラビア語は失われたのかな あるいは北上中に既に中央セム系のアラビア語に乗り換え? ガッサーン朝もラフム朝も、アラブの詩人を招いたりして、 それなりに文化活動をしていた感じだけどね。 言語は如何なんでしょうね? ガッサーン朝は、東ローマの衛星国だし、ラフム朝は、ササン朝ペルシャの衛星国だ。 アラビア半島を統一したのは、イスラム教の開祖マホメットと言われるが、 実は、それ以前にもアラビア半島を半ば統一しかかった人物が居た。 それが、ラフム朝二代目の王と言われるイムル・ル・カイスである。 彼は「全アラブの王」を称して、積極的にアラビア半島での遠征を敢行し、 半ば、アラビア半島を統一しかかった。特に、中央アラビアのキンダ王国 を攻め滅ぼし、アラビア半島の政治的統一をかなり前進させた。 ササン朝との共同の軍事行動ではあったが、 南アラビアのイエメンにも侵攻しヒムヤル王国と交戦し、オマーンにも進出。 また、シリアにも兵を進めてダマスカスやアンティオキアを包囲している。 東ローマやガッサーン朝の反撃で、撤退するが、東ローマやガッサーン朝に 大きなダメージを与えた。 アラビア半島側のペルシャ湾岸地帯も当初は、 ペルシャ帝国の版図だったが、後にラフム朝に譲られている。 ラフム朝は、紅海沿岸部のヒジャース地方以外に、ほぼ全て侵攻している。 理由は定かではないが、後にササン朝と対立して、ラフム朝は、滅ぼされ てしまうが、これだけの広範囲の領土と軍事行動を見ると、ラフム朝による アラビア半島の統一の可能性は、十分にあったと思う。 また、その機運も高まっていた可能性がある。 >理由は定かではないが、後にササン朝と対立してラフム朝は滅ぼされてしまうが ササン朝のホスロー2世の対東ローマ開戦に反対したからなのでは? >>120 え!そうなの? 始めて知った。 しかし、ラフム朝は、東ローマやガッサーン朝を攻撃しているのに、 何で対東ローマ戦に反対したんだ? 変な話だよね。 シャーも怒るわけだよ。 ホスロー2世は東ローマのマウリキウス帝の援助で王位を回復して マウリキウスの娘を妃として東ローマと友好関係にあった。 マウリキウスが反乱で殺されフォカスが皇帝になったので、 ホスロー2世は東ローマと戦おうとしたが、東ローマ側から ペルシャ側に攻勢にでる情勢でなかったので、ラフム朝は 現状維持を望んで反対したとされる。 東ローマはフォカスらの反乱でバルカン戦線が総崩れで とてもペルシャ側へ攻勢にでる余裕がなかった。 >>122 >東ローマ側からペルシャ側に攻勢にでる情勢でなかったので、 >ラフム朝は現状維持を望んで反対したとされる。 ふ〜ん! これだとラフム朝は、東ローマとササン朝の二また掛けていた可能性あるね。 ガッサーン朝(族)も当初は、女族長のマヴィアとかが、反ローマでローマの軍団と 戦っていたんだけど、後に友好関係になって、東ローマの属国になっている。 ラフム朝も東ローマとササン朝の両方からオイシイ汁をもらっていたのかも。 また、ササン朝が、東ローマを圧倒すると、メソポタミアやシリア、パレスチナを ササン朝に奪われる可能性があるから、その危険性を排除し様としていたのかも知れないけど。 いずれにせよ、東ローマ(ギリシャ)とペルシャの対立の狭間で アラブ人が、色々政治的な動きを模索していたのは、事実だろう。 東ローマ(ギリシャ)とペルシャの対立が、アラブ人やアラビア半島の 政治的統一を志向させたり、促進させた理由と言えるだろう。そして、 更に、この事が、北アラブ人(アラム人)と南アラブ人(イエメン人)の 対立を緩和させた面があるのかも知れない。 >>123 >ふ〜ん! これだとラフム朝は、東ローマとササン朝の二また掛けていた可能性あるね。 でも、アラブ側が、こんな事をしていたら、ササン朝のシャーは怒るよね。 キンダ王国って、ヒムヤル王国の属国だからな。 ラフム朝が、中央アラビアのキンダ王国を滅ぼせたのは、 ヒムヤル王国の弱体化が著しかった事が大きい。 ヒムヤル王国が、キンダ王国を助けられなかった。 さらに、ラフム朝は、ササン朝と一緒に、オマーンや イエメンのヒムヤル王国への遠征も行っている。 アラビア半島の征服活動を視野に入れたとみなして良いと思う。 ジャーヒリーヤ時代に南アラブ系の王朝が成立したのは、 メソポタミアやシリアが、アラブ・ベドウィン(北アラブ)の襲撃に 悩まされており、彼らを抑えるために、イエメンから北上してきた 南アラブ人に政権を造らせて、アラブ・ベドウィン(北アラブ)の 襲撃に備えるという面があった。 東ローマにせよ、ササン朝にせよ、 夷(南アラブ)を持って夷(北アラブ)を征すという面があったのだろう。 . 【イラク情勢】マリキ首相退陣論、内外で強まる 「宗派間対立を助長」 [6/20] http://peace.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1403262157/ 2 :名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/06/20(金) 20:06:38.41 ID:x25/WSCF0 >>1 ただ、これで中露の支援を受けたイランがペルシャ帝国の夢を捨てるとは思えないけどな。 7 :名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/06/20(金) 22:10:23.80 ID:RbmO4fX50 >>2 ねーよ。イランが革命の輸出以上のことを追求するとはとても思えない。 イラン自身も多民族国家で、膨張主義に走ったら民族間のバランスが崩れて自壊するんだから。 ナジャフやカルバラの聖廟を奪われたら体制の権威が地に落ちるから派兵せざるを得ないってだけ。 10 :名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/06/21(土) 00:39:31.27 ID:MBjoNNRd0 >>7 ササン朝ペルシャは、ホスロー2世の時代に、イラクやシリア、 パレスチナ、それにトルコやエジプトまで領土を拡大した事があるけどね。 12 :名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/06/21(土) 06:57:23.87 ID:jz7pTOjw0 オバマは口を開けば人権尊重、民主主義尊重と口にしているようだが、実際の行動とは全く矛盾している 結局、無原則な操り道化黒人人形でしかないんだよなぁ 13 :名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/06/21(土) 07:10:17.36 ID:zhl+7gAX0 >>10 それで「夢よもう一度」って? さすがにそこまで夢想してる奴は居ないと思うけど 西ヨーロッパは見事に「古代ローマ帝国よもう一度」の執念を果たしたけどなw 交易路制圧が大好きの歴代ペルシャ王朝が手を出してないとこみると やっぱシルクロード発展とササン崩壊以前は交易路としての価値は低かったのかな 場所にもよるのでは? 海沿いは、結構ペルシャが進出しているみたいですし、 オマーンとかにもペルシャは移民を送り出してるとか。 紅海沿岸は、エチオピアとかが進出しているんでしょうね。 アラビア半島側のペルシャ湾岸やイラク南部は、ラフーム朝に 割譲しているところを見ると、親ペルシャのアラブ・ベドウィンに 任せている感じもします。 ハドラマウトやイエメンへのササン朝侵攻を無かったことにするとは、解せぬ ハドラマウトって何か判りませんが、 イエメンへのササン朝侵攻は、ありましたね。 でも、それは、オマーンへの侵攻と一緒で、 ササン朝単独の侵攻ではなくて、ラフーム朝と一緒に侵攻したはず。 アラブ・ベドウィンの案内無しには、なかなか難しいのかなと。 それにイエメンやヒジャーズには、エチオピアも侵攻していますし。 イラストレーターで収入が少ないからと30代後半で漫画家になろうとする、ひきこもりのバカ発見。 足立区に住んでいるそうだ http://inumenken.blog.jp/archives/7002197.html . 【イラク】 イスラム国は「テロリストと軍の融合体」 旧フセイン政権の将校らが多数参加…約10年前に米軍の収容施設で勧誘か [8/28] http://anago.2ch.net/test/read.cgi/news5plus/1409228279/ >>134 ハドラミー達は先祖の故郷のハドラマウトにインフラ整備や投資をしないのかな 在外アルメニア人実業家は、アルメニアに道路を整備したりしてるそうだが シリアや北アフリカは肥沃な台地だった時代あったけどアラビア半島はずっと砂漠? >>139 紀元前2世紀ごろに急速にアラビア半島の砂漠化が進んだといわれている。 それまでは、草原やオアシスがもっと多くて内陸部にも都市国家が存在したけど 砂漠化して沿岸部に人が移住したらしい。また、農業が出来なくなったので ベドウィン化した住民も多かった。それに海上交易も盛んになった。 アラビアってどれだけ文明が進んでたのかな?砂漠ばっかりであんまり わからないな >>140 乾燥化が進んだのはイエメンとかヒジャース地方の話だと思ってました。 内陸部も草原やオアシスがもっと多かったとは知りませんでした。 このあたりについて、詳しく書いてある書籍を知りたいので、 ご存知なら教えてください 図書館のアラビアの歴史関係の本とか、wikiを読んだだけですけどね。 それでも、粗筋的にはアラビアの歴史も何となく判りましたけどね。 それと今でも沿岸部は、以外と草原地帯だったりするみたいですけどね。 あとイラクなんかもチグリス・ユーフラテス川なんかがあり、以外と 農作物も取れて豊からしいですよ。 もちろん産油国と言う面もありますが。 アラビア半島で石油が出る以前は、真珠が最大の産業でした。 でも日本の御木本幸吉の真珠の養殖の成功で、アラビアの真珠産業は壊滅します。 でもその後にアラビア半島の大油田が発見されて、第二次大戦後に石油掘削が本格化します。 イスラムのwikiなんてただでさえ間違いだらけなのに 大きく違う イスラム史に詳しい人なら誰もが知っているはずの情報が抜けていたり、他方でどうでもいい出来事をとんでもない重大事件かのように書いていたり、 学界の少数説に過ぎないものを「ついに常識が覆された!新発見!歴史の見直し!」と大言壮語していたりと、あれを信頼するなんてとてもとても >>95 >シリア方面のアラブ化はイスラーム以後のことだからまた ガッザーン朝とかあるからシリアのアラブ化は、イスラム前から始まってるでしょう。 ローマ帝国のアラビア属州なんてベドウィンの 首長クラスが州政府の中堅クラスにかなり居るじゃん。 ゼノビアなんて、もろにベドウィンの首長の娘だし。 >>147 基本的なことがあってれば十分。 2ちゃんの書き込みにも、どうかなと思うのも多い。 >>148 2chの書き込みは個人が好き勝手なことを言っているだけなんだから適当で当たり前 ウィキペディアは信頼できる百科事典を自称しておきながら嘘ばかりだから、基礎を知らない人があれで勉強しちゃ駄目なの 基本的なことがあっていればと言うが、細かい年号や原語の表記だけこだわっておいて基本的なことが間違っているからこそ問題 アラビア数字って具体的にアラビアのどこで使用されていたの? >>150 正確にはインド起源のインド数字。 イスラム教徒経由でヨーロッパに伝わったので、アラビア数字とよばれるようになったのだろう。 >>148 具体的な誤りを見つけたら、あなたはWikipediaを修正しているんですよね? 失礼 アンカーミス >>149 具体的な誤りを見つけたら、あなたはWikipediaを修正しているんですよね? んなことしたらますます「ウィキペディアが間違ってもすぐ修正される!だからウィキペディアに間違いはない!」と信じ込む馬鹿が増えるでしょ どうしても広めちゃいけないデマだけは消して、大きな嘘ほど放置だよ >だからウィキペディアに間違いはない! あなたの妄想では? Wikipediaの中身を振りかざして恥をかくときが くれば大抵の人はウィキペディアがなんだかわかる。 ウィキペディアに批判的な人って、議会民主主義が根付く前の馬鹿に政治はできない、 と普通選挙制に懐疑的だったエリートみたいだな。実際民主主義なんて(俺も含めた)あほな大衆の ガス抜きなわけだが、真のエリートは、批判なんかしてないで、黙々と民衆を教導するための メディアや出版、エリート教育機関なんかを作り上げて”民主主義”をコントロールする方に 向かったわけだが。 >>155 >Wikipediaの中身を振りかざして恥をかくときがくれば そんな時は来ないよ 今のお前のように「ウィキペディアが間違っているというのが間違っているんだ!」と開き直るだけだから まさに>>149 のような学者発見 ttp://harutaseiro.blog89.fc2.com/blog-date-20140708.html まあ、こういう人は、民主主義なんて衆愚制度だ、と口先だけで批判してるだけで、 民主主義に乗り遅れた戦前のエリートのようなもの。こういう発言をしていると、 逆に時代に乗り遅れていることを開陳しているようなものだとわからないのかねえ >>157 つまり歴史の記述は知識ではなく流行と多数決で決めるべきだと >>142 イスラエルは、実はヒジャーズ地方にあったとする説もあるけどな。 聖書アラビア起源説もあるし、ヒジャーズ地方って物とか文化の通り道って感じ。 >>158 違う。そういう誤解が出やすい事例だとは思うが。 真意は、上手く利用しようしようということ。百科事典ではなく、 脚注や引用元資料としてまともな文献、ノートでの議論に誘導するナビゲートするためのポータルとして活用すれば よいということ。そうして学問全体の効率化を図ったほうが、批判ばかりしてるより生産的で、 時代の方向性にマッチしている。これが政治の例で、衆愚議員にはやらしといて、そういう衆愚を少しでもマシに するようメディアや教育をエリートが支配すればよい、という例の真意 >>160 うまく利用できていないのは「ウィキペディアで知識をつけました」なんて言っている人の方だろうね そういう人ほど間違いなく引用元の資料の有効活用なんかしていないだろうし すげえ wikiなんて世界史板が盛んだった頃は笑い物の代名詞だったのに それをソースとして信じれる!って力説する人がいる時代になったのか 全く接点ない初心者が手始めに調べるものとしては、評価されつつあるよ ちょっとでも齧った人がウィキペディアソースで語って笑われるのは変わらんけどね >>163 wikipediaをwikiと略す人にそんなこと言われても困る ウィキペディアってくだらない言葉遣いにこだわるよね 何十万も存在するであろうwikipedia以外のwikiは無いことになってるんでしょうかね そのなかには歴史関連のwikiも数多く含まれてるのに 初心者が手始めに調べるのに不適切だが、初心者が間違って便利と勘違い させる危険性の方が大きい。しかもその勘違いで変な歴史観を持ってしまう。 Wikipediaの記事も、良質なものからいい加減なものまで玉石混交。 歴史書にも偏向したものやいい加減なものがあるから、同じことだな。 >>170 ウィキペディアは定説と珍説をもっともらしく混ぜ合わせただけの無責任な寄せ集め。 歴史書は執筆者の経歴で「いつも○○国びいきのあいつの主張ね」と偏向をすぐに見破れる。 だいたい偏向した歴史書をすぐ鵜呑みにするような人間こそが 自分の狭い知識でウィキペディアにいい加減な記事を書き散らしているんだろう。 >>171 ほんとマジ勘弁だなw 幕末関係の記事で参考書籍がみなもと太郎の漫画一冊だったり 右は金文学や黄文雄が、左は佐高信や江川紹子が その思想と関係ない基本概念の解説でどや顔で引かれていたり >>167 そのくせ主語がころころ一センテンス中で変わったりテニヲハ間違ってたり読んでてうんざりさせられる >>172 いや、そのとおりだよ。で、それを見分ける「広い知識」をあなたが もてちるのあれば、あなたが修正すればいいだけの話。 それともあなたも>>157 に登場する学者のように、口先で批判しているだけ の人ですか? そうであれば、話は戻るけど、あなたも>>160 のような、民主主義を口先だけ で批判して行動が何も伴わないエリートと同じです と口先だけで批判して行動が何も伴わない人間が言っております ソースが全く信頼できないものを信じて語ってた己がバカ晒して恥かいたと認めるのは辛いんだな 頑張ってジシンもってこれからも語ろう ここは2ちゃんだ! イスラム化以前と以後で、アラブ社会が 最も変化したのは、ナンなんだろうね? 大して変わって無いと言う人もいるけど。 >>179 アラブは旧約聖書にも登場するほど歴史の長い民族だが イスラム以前には歴史の主役ではなく脇役だった それがイスラムによって一挙に歴史の主役に躍り出た だがその後また歴史の主役の座はペルシア人やトルコ人に奪われたような感じだが ガッザーン朝やラフーム朝は、東ローマやササン朝の属国だからね。 でもラフーム朝二代目の王と言われるイムル・ル・カイスは、 キンダ王国を滅ぼし、ヒムヤル王国と交戦し、オマーンやシリア にも進出して半ばアラビアを統一しかかった。 イスラム化以前にもアラブ統一の可能性はあったし、その機運もあったと思う。 事実アラビア半島を統一したイスラム共同体は、マホメット死後に 部族間の抗争や内紛で分裂しかかった。それを防ぐ為に、東ローマや ササン朝との戦闘に乗り出したと言われる。 それにイムル・ル・カイスの叔父さんは、 パルミラ王国の女王のゼノビアに殺されたと言われる。 イスラム化以前のアラビアでは、 バール神信仰も結構盛んだったといわれる。 アッラーを始めとするアラビア神話とどっちが盛んだったのだろう? 黒石はイスラムの前から多神教の御神体的な扱いだった マホメットの時代のアラブには偽預言者といわれた人 が何人もいたよな。彼らはいずれも一神教を説いた。 なかでもムサイリマが組織した教団はきわめて強力 だった。場合によってはマホメットではなくムサイリマ が世界宗教の創始者になっていたかも。 ムハンマドの前にいたのはメッカのクライシュ族とササンに叩きのめされ ムハンマドの死後に乱立した預言者はワリードが瞬殺した 正しく知りたければ、京都大学学術出版会より刊行されている 『西洋古典学事典』を購入して読むことだ。 よいな。 多神教による参拝と寄付の宗教ビジネスうまいですーってやってたのがメッカのやつら 現代日本かな? なんにせよ禁酒はイスラム教最大の失敗だな 酒は飲め飲め百薬の長 アラブ中に赤提灯があったら、こんなに殺伐とした世界にならなかったよ 禁酒ってほんとにイスラム全盛期に禁止されてたのかって思うくらい酒飲み統治者多すぎ 豚肉=うんこ 酒=現世で飲むにはもったいないほどいいもの の認識だから、現世であの世の楽しみを先取りする人もいるだろうな 一方わざわざうんこを食べようと思う人はいないだろう。特に統治者なら 牛・羊・山羊・駱駝・鶏と食べる肉はいくらでもえり好みできる マジレスするとコーランに禁酒しろとは書かれてない 禁欲主義者が勝手に拡大解釈してるだけ ハディースによってコーランの「酒を控えよ」が明確な禁止とされているので同じこと。 仮に禁酒主義者なるものが存在するとすれば、不信仰者でない全てのムスリムが禁酒主義者。 酢はどうしてたんだろうか 途中で酒にならない製法でもあったのか そもそもイスラム以前のアラビアでの飲み物ってなに 遊牧民みたいに乳ばかり? 葡萄があったし、麦を始めて栽培化した地域だしな 米がイスラム化以前に伝播してたら、米の酒も造られてたかも イスラム狂屠がどうやって他宗教を殲滅したかがよくわかる。 イスラムファシスト中田考、イスラムが少数派を滅ぼすのは正義と吠える。 http://twtr.jp/HASSANKONAKATA/status/498334146914029568 http://twtr.jp/HASSANKONAKATA/status/497742050863755265 http://twtr.jp/HASSANKONAKATA/status/497625647951273984 http://twtr.jp/HASSANKONAKATA/status/497380311580172288 http://twtr.jp/HASSANKONAKATA/status/499062851747606529 宗教の教義などどうでもいいから人道だ、と騒いでいる輩は、ヤズィーディー教徒に、 どうでもいいヤズィーディー教など捨ててスンナ派に改宗すれば丸くおさまる、と言ってやれ。 愚かな。これでイラクのクルドもキリスト教徒もヤズィーディー教徒も外国の異教徒に助けを 求めてカリフ国に敵対する道を選んだことで本当に虐殺の対象になる。 ヤズィーディー教徒が虐殺を逃れて、とか報道されているが、ISカリフ国が彼らの殺害を命じていたなら、 この丸腰の彼らなど全員瞬殺されていたはず。そもそも女子供は殺害禁止だし(奴隷にはできるけれど)。 ヤズィーディー教、全く興味ないし理解もできないが、本気で信じているなら、 はた迷惑だが殉教でもなんでもすればよい。それが宗教の自由。 ああ、どうして私はこんなヤズィーディーなどというどうでもいいものを 相手に時間を浪費させられているんだろう。 (/。\) ヤジディ教はアーリア人のミトラ信仰に由来する、歴史の深い宗教だろう。 ゾラアスターと融合し、イスラムの影響も受けた。 ヤジディ教に比べれば、イスラムは子供騙しだ。 >>201 言語が全く違う クルド語は印欧語族の屈折語、フルリ語はウラルトゥ語と近縁とされる膠着語 そして遺伝子的には全世界の民族は同じホモ・サピエンスである以上殆ど同一だろう >>209 すまん、返事が無いと思って、ほとんどこのスレ見てなかった。 http://www.geocities.jp/msakurakoji/500Westasia/523Van/P01.htm ここのサイトなんだけど、まず、 >フリル人の都市国家は紀元前1300年頃までに異民族により征服された。 >紀元前300年ころまでには地域の印欧語族化は完了し, >現在のクルド人につながる民族が形成された。 とある。 そして・・・ >なぜか文化的にはアーリア化せずに,フリル文化は現在のクルド人の文化に色濃く残っている。 >フリル人の末裔と思われる人々は,紀元前12世紀にすでに印欧語族化が進行したワン湖を中心にした地域でウラルトゥ王国を興している。 >ウラルトゥ語がフリル語と近縁関係にあることから,この王国にフリル人が関わっていたとされている。 地図見ると、ウラルトゥ王国とクルド人の居住区は、一致してるよね。 クルド人は太陽信仰を持ってるよね。 ヤジディ教徒のシンボルや、クルドの旗は、太陽(光線)が描かれてる。 フルリ人の築いたミタンニ王国も、ミトラ信仰があった。 >ウラルトゥ語は、フルリ・ウラルトゥ語族(英語版)に分類される膠着語である。 >フルリ人が築いたミタンニ王国(紀元前1500年頃 - 紀元前1270年頃)で使用されたフルリ語と近縁関係にある。wiki クルド = フルリ人の末裔 ということに信憑性が出て来るんだが・・・ クルド語っておっもくそ西ペルシア語系じゃん イラン人と一緒 その元サイト、なんでフリル人って書いてるんかね? フルリ人か、あるいはフリ人という表記までは見たことあるけど アラブに征服されたエジプトじゃ今でも人口の一割がコプト教会のキリスト教徒だってのに、イランでは一万程度のゾロアスター教徒しかいないのは、虐殺されたからじゃなく、ゾロアスター教の魅力が乏しかったせいで、大量の改宗者をだしたから。 判明している事実は改宗者が多くいたということだけで、 魅力が乏しかったどうこうは憶測の範囲を出ないでしょ ゾロアスター教には、アブラハム諸教のように棄教すると地獄に堕ちるとか、 脅し文句はあるんかねえ。 責め苦のある「地獄」の観念自体がゾロアスター教に発してる以上は、その教え以外は地獄行きだと考えるのが妥当だろう そもそもゾロアスター教は入信とか棄教とかいう概念を持たない宗教だったと言われている >>213 確かに、イスラム時代にはいってからマズダク教の叛乱が起こるなど、 マズダク教の栄光は根強い。これなどは当時の人びとがゾロアスター教に 満足できていなかった、という証であろう。他にもゾロアスター教には イスラムによる征服以前に、経典をちゃんと整備しておかなかった点も 大きいと思われる。 中国はインドで民間宗教の道教やヒンドゥーが生き残ったのに、 ゾロアスター教が割りと速やかに衰退したのは、ササン朝時代に既に 国家権力に依拠した宗教となっていて、民間の支持は、実はあまり集まっていなかった のではないかと疑ってしまう。 地獄に堕ちるみたいな話は、たいていの宗教であるけど、 アブラハム諸教のそれは神様との約束を破ったからだもんねえ。 それ以外の宗教は、人として悪いことをしたから。 全知全能とかいうくせに、将来約束を破るか否かがわからず、破られてから怒るってのが わけわからんよ>アブラハム教の神様 そういう浅薄な意見はいちいち開陳しなくていいよ 宗教板で書いてきな 世界史板で重要なのは宗教倫理の善悪じゃなくて、それがどういうシステムでどういうふうに歴史に影響与えたかだし >>210 そのサイトはアルメニア人の事が抜け落ちている アルメニア人はウラルトゥ人の末裔だと自称している ウラルトゥ人は印欧語族ではないけど印欧語族のキンメリア人 影響で印欧語族化してアルメニア人となったらしい 一方クルディスタンの中心地はかつてアッシリアであった アッシリア人がメディア&カルデア連合軍により滅亡後 その地はメディア領となったのでイラン系のクルド人は イラン系メディア人や連合軍に加勢したイラン系スキタイの 末裔だと思われる 「北アラブ」がアブラハムの子孫というのは、もともとアラム語だったのがアラブ化したということを伝説で言ってるんだろう。 >>222 アルメニアはかなり民族主義と歴史修正主義が強い国で、何でもかんでもアルメニアの歴史と結び付けようとするので、 あまり何々アルメニア起源説を鵜呑みにしない方がいいかと そのサイトも「アルメニア=ウラルトゥ説」を知った上で、学術的に論ずるに値しないと判断しているんだろう クルド人もアルメニア人もともに印欧語族 ウラルトゥはフルリ系でアッシリアはセム系 クルド人はメディア人とスキタイの末裔で アルメニア人はキンメリア人の末裔で 言うまでもなく先住民であるフルリ人や アッシリア人の血も混じっているはず イスラム化以前の北アフリカってアラビアじゃないじゃん アウグスティヌスとかヴァンダル族とかいるけどどう見てもヨーロッパだな 欧米にはネオペイガニズムのような復古的な多神教があるけどアラブにはないのかな? イスラムが棄教禁止だから無理か キリスト教徒のアラブ人は何かしないのかな 古代エジプトの神々を復活とか、ナバテアやフェニキアの神々を復活とか まあ今でも肩身が狭いのに、さらにわけのわからない多神教にして、「啓典の民」の地位すらはく奪されるようなまねはしないか >>230 > 古代エジプトの神々を復活とか、ナバテアやフェニキアの神々を復活とか 唯一神アッラーを信仰するキリスト教徒がなぜ多神教の神を持ち出さねばならんのか そういえばアラブのキリスト教でもやっぱりイーサー=アッラーなのか? >>233 違う。 中東のキリスト教は三位一体を否定する宗派が普通。 カトリックは近代になって移民してきた集団たちだな それとは別に一切「ヨーロッパ人」とは無関係なキリスト教徒が中東にいる ローマカトリックとくっついたからね。 キリスト教諸派の中で一番へんてこな三位一体説がマジョリティというのも不思議だが。 ウマルの前はアラビア半島にはユダヤ人が結構住んでたそうだが 追い出して経済大丈夫だったんだろうか 追い出しちゃねーだろ。ユダヤ人は貴重な金づる兼取引相手だ。 つーか、ユダヤ教もそうだが、たいていの宗教は、建前はともかく本音のところでは 布教自体に積極的じゃない。積極的になるのは土地と金つまり経済だ。 キリスト教みたいのはむしろ例外。 イスラム教みたいに浄不浄の概念がはっきりした宗教だと、汚れ仕事をしてもらうために異教徒も一定数いてもらった方が何かと便利だしな インドネシアだったか、ムスリムの農村を荒らす猪(か野生化した豚)を、別の村のアニミストかクリスチャンが退治して、肉を自分たちのものにするという 見事な需要と供給の関係が出来上がってたのをテレビで見た記憶がある(ムツゴロウさんのだったか) チベットでもムスリムの回族が、仏教徒のチベット族の飼ってる家畜を屠殺して肉にしてやるという関係だったような >>240 おまるが追い出したのは、 ハイバルのユダヤ人、ナジュラーンのクリスチャン。 ビザンツに裏切ると思ったのだろうか? イエメンにはイスラエル建国までユダヤ人が居た。 クリスチャンはイエメンに2世紀後ぐらいまでは存続したはず。 ハディースやムハンマドの伝記を読むと、 全てのユダヤ教徒を追い出したというより、世俗主義のユダヤ教徒を粛清しつつ 原理主義のユダヤ教徒をイスラムに引き入れたというのが事実っぽい 夢覇魔道は蔵伊座一族を皆殺しにして腐女子は奴隷にしたのでイスラム国は間違っていないのです。 >>244 神がかりの教祖様と後世の治世者としてのイスラム君主やその配下の連中を ごっちゃにするなよ。 内部的にはthe Godだけど欧米からはシリア語からの由来といわれている。 ほかに読誦、プレ的ないっしんきょうもシリア語由来とか言われている。 シリア語はアラム語の方言。さて、アラム語はどんな言葉だったろう? イエスとマグダラのマリアが愛のささやきを交わしていた言葉です >234 今さらだけど、中東のキリスト教でも三位一体説が普通だから 中東にもキリスト教会(教派)はいくつもあるが、 エジプトのアレクサンドリア総主教庁(の東方正教会派)、 シリアのアンティオキア総主教庁(アンティオキア教会)、 イスラエルのエルサレム総主教庁の3つはコンスタンディヌーポリ総主教庁と同じ東方正教会なので、 三位一体論を認めている。(正教では『至聖三者』) ただし、アレクサンドリア総主教庁の総主教は二人おり、一人が東方正教会派、 もう一人が分裂した『コプト正教会』の総主教。 コプト正教会はカルケドン公会議で採択された両性説を認めていない。 これを『非カルケドン派』と呼ぶ。 中東の非カルケドン派は他にシリア正教会もある。 また、カルケドン公会議の前に行われたエフェソス公会議で異端とされたネストリウス派を支持する 『アッシリア東方教会』も過去にはあった。 過去のオスマン帝国の迫害に伴い、現在はアメリカ・イリノイ州に総主教庁を置いている アッシリア東方教会と非カルケドン派を合わせて『東方諸教会』とも呼ぶ。 ウンチク終了 まあ要約すると、中東のキリスト教会は三位一体説を認める東方正教会と 認めない非カルケドン派の2種類がいるってことだ ただしアッシリア東方教会は現在中東に総主教庁が無く、なおかつネストリウス派なので、非カルケドン派ですらないが。 で、教義は違うがアッシリア東方教会と非カルケドン派の教会を合わせて『東方諸教会』と言う イスラーム以前のアラビアでは、 男色が盛大に行われていたゼッ!!! 分かったナッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! 参考までに、作品社「図説ホモセクシャルの世界史」を ひもといてみるべし。 >>254 イスラム以降のほうが盛んなんですがそれは… IS「全世界の若衆よ、ダーイシュに馳せ参じてカリフの傍にはべるべし」 >>256 インドとかトルコとか、もともとアラビアじゃない地域だけな >>259 日本語も読めない馬鹿か? もう1回お前のレス先の文章を声に出しながら読んでみろ >>260 アラビア半島ならユダヤ教 イラクは多神教 >>263 こう勘違いしている人が結構いるんだけど、それ実はメッカと一部の小都市だけね ユダヤ教ではない宗教が優勢な都市はもちろんあったけど 少なくともあなたが想像するような多神教じゃないよ >>261 「まあ要約すると、中東のキリスト教会は三位一体説を認める東方正教会と 認めない非カルケドン派の2種類がいるってことだ」 という文章に対して、 「(非カルケドン派を含む)東方諸教会は、三位一体説を認めてるよ」 って言いたかったんだけど そうなんだ。なんかイスラム側の主張を見ると多神教優勢に思えてしまうんだよね。 多神教との対立が目立つせいかな 偶像崇拝と多神教は別だというのは分かるけど そんな伸びてるスレじゃないんだから、上のほうは読んでおこうぜ レス番40から80あたりをみれば、このへんの詳細がでてる メッカはイスラム化の前からアラビアの国際都市で 各地の部族が「自分のところの唯一神」を習合させて 独自の多神教が生まれたって何かで読んだわ だからかギリシア神話や日本神話のような神同士の血縁関係は殆ど無い(三女神は別) 女4人と結婚できるは女が大量に余っていたからとされるけど。 もともと女が大量に余っていたのか? イスラム勢力拡大で男をぶっ殺したので女が余ったということか? 前者ならなぜ女が大量に余るんだろう? マサル イスラーム以前の時代の習慣。 敗北した敵の亡骸を徹底的に侮辱し、不名誉をもたらすため、亡骸の腹を切り裂き、肝臓を取り出して噛んで飲み込むか、 あるいは吐き出したり、死者の耳と鼻や手足を切断したり、眼をつぶしたりする行為。 シャリーア・イスラーム法ではハラーム、禁止された行為である。 出典元:イブン・イスハーク著 『預言者の生涯』 ウフドの戦い http://ameblo.jp/ibn-ishaq/entry-11402453245.html マサル用例 ・彼女と行動を共にした女たちは、死んだ教友たちの亡骸をマサルするため、戦場に引き返して来た。 ・お前たちの死者の中には、マサルされた死体がある。 ・使徒はハムザを探しに出かけ、谷の底で、マサルされて腹が引き裂かれ、肝臓が無くなり、鼻と耳が切断されたハムザの亡骸を発見した。 ・アベする。アサヒる。マサルする。 二次大戦でも女余りの状況になってたし、普通に戦乱でバタバタ男が死んだんだろうな >>274 マサルするとは水中生物を虐殺することだと思ってた 「捕ったどー!」 女児間引きで男余りの国でも一夫多妻制だったりするからそれは関係ないと思う つうか非戦闘員の虐殺も当たり前の前近代の戦いで男女比狂うことってあまりないと思う イスラム教は教義に触れる行為に残酷な刑罰をやるからな 改宗すると死刑だし親がムスリムならムスリムにされる 寛容で日本人が評価するような人達は本当はイスラムに反しているんだよね >>279 アラビア人は女は殺しませんよ つうか非戦闘員の虐殺も当たり前の前近代の戦いってすごい偏見だな 昔の中東人は目に映るもの全てを見境なく殺しまくっていたと思っているんだろうな 非戦闘員の虐殺が当たり前なのは現代でも同じですが? ヴェトナム戦争もイラク戦争も知らないの? 伝記を読めばわかるが、預言者ムハンマドは捕まえた女子供の殺害を命じたりしてる。 イスラーム国がきちんと勉強してるってのがわかる。 イスラム国の色々な処刑もハディースや預言者の伝記に書かれている そして処刑の根拠は独自の感情論ではなく旧約聖書にある >>282 ,283 何を疑問に感じたの? ムハンマド軍はクライシュの多神教徒がやらない残虐行為を平然とやるので、多神教徒に対する威嚇として実に有効だった。 いくら敵でもやらないだろうと思うほどの殲滅を行うからこそ、ムハンマドは降伏したクライシュやユダヤ教徒から強い尊敬をうけることができた。 日本人も東京大空襲や原爆投下でアメリカに皆殺しにされることで、アメリカに対する畏怖と尊敬が刻まれただろ? >>287 ん? つまり非戦闘員の虐殺も当たり前の前近代の戦いってのは大嘘だったってことだな クライシュの多神教徒は非戦闘員の虐殺も当たり前の戦いをしないんだろ? わざわざ前近代では非戦闘員の虐殺も当たり前なんて十把一絡げにして書いた理由は何? 横レスだからわからないとか言い訳する気なら最初から黙っててね 日本人はアメリカから皆殺しにされたおかげで平和の尊さを学ぶことができた。 日本人は「過ちは繰り返しませぬから」と反省する記念碑を作るくらいに悔悟した。 そして生き残った日本人は、口々にアメリカの寛大さを褒めたたえた。 預言者ムハンマドの時代とよく似ている。 は?非戦闘員の虐殺は当たり前だよ。 殺人を取り締まる警察が機能しているのは近代国家だからこそ。 民衆は自衛するしかないのが、前近代国家。 江戸時代にロシアが対馬に上陸した時、日本人女性がロシア兵にレイプされたの知らないのか? 報復する軍事力を持たない土地で、民衆が犠牲になるのは普通なんだよ。 >>289 もともとクライシュはムハンマドやムハージルーンにとっては同郷の顔見知りだ。 その同郷の者をも信仰のために殺害するムスリムの純粋さにクライシュの多神教徒が感動したのだ。 デタラメで言っているのではない。電気嫁、いや、伝記を読め。 ユダヤ教徒は、ムハンマドに逆らったユダヤ部族のひとつが殲滅されるのをみて雪崩を打って降伏した。 征服において皆殺しが有効な戦術であることは議論の余地がない。 >>290 >>292 横レス失礼します うーむ。。。。。ガクガクブルブル ピイイ・・ ムハンマド=イスラム国=アメリカ=イスラエルなら、イラク・シリアのバース党員と カダフィ派残党は地上から完全に一掃されるまで内戦は続きそうだな その三カ国は元首絡みの遺物は全て爆破、領土は部族・宗派で解体し、名前も世界地図から消滅するか 人を殺した奴は中世ですら荘園領主や都市の自警団によって処刑されていたんですが 近代になるまで世界に文明も倫理観も存在しなかったと思っていそう >>296 異文化交流に必要なのは倫理観だけじゃなくて軍事力に裏付けられた相互尊重だ。 自警団の軍事力が足りないならば蹂躙凌辱されるしかない。それが世界の現実。 元寇やらロシア兵上陸やらで壱岐対馬の人達がどんな目にあったかも知らずに、適当なこと語るなよ。 イスラームの断食(ラマダーン)は、日中の猛暑を避けて夜間に活動した原始アラブの名残だろ? ということはアラブの多くの地域で気温が心地よい冬には本来は断食はしなかった? ラマダーンはイスラム暦だと変化するので冬もあれば夏もある。 >>300 人は毎日、断食をしている。睡眠によって。その断食をやめるのが朝食でありbreakfast。 酷暑の季節、昼間は木陰で休み夜に活動する。キャラバン(隊商)はまさにそれ。 月がイスラーム教のシンボルになったのは、夜の活動に月の光が重要だったからだ。 >>301 イスラムが決めたヒジュラ暦におけるラマダーンの話をしても意味がない。 無明時代、アラブ社会の暦は閏月による調整が行われる農牧が重視される社会だった。 商人出身のムハンマドは、太陽暦で動く農牧業者の利便を無視して、商取引や租税の計算を簡単にしたいがために、 太陽の動きに合わせて営まれる自然界と、著しく断絶した役立たずなヒジュラ暦を導入してしまった。 太陽暦を運用するには閏で暦調節しなければならない。 文盲でありながら意識高い系な預言者ムハンマドは、暦調節を暦調節師の利権と考え、これを廃止した。 預言者ムハンマドさま「暦調節は悪(キリッ」 農耕や徴税にはシリアやコプトやイランの太陽暦を用いてるよ ヒジュラ暦は宗教暦になったってだけ 結局アラブ人が自分で生み出したものって何一つなさそう メソポタミアやペルシア帝国が凄かっただけ そもそもイスラムの戒律ですら 豚を食べるなとか姦通した女に石を投げろとかの起源は全部ユダヤ人 聖書を読んだことのない奴だけが脊髄反射でユダヤ陰謀論と叫ぶ アッラーフの正体がヤハウェとは全く関係がないアラビアの土着の異教の月の神であるってことは日本ではほとんど知られていない。 英語が分かる人はこれらの動画を見てみて。 Islam Exposed (Origin of Islam) 暴かれたイスラム(イスラムの起源) https://www.youtube.com/watch?v=4Nj25qJw0iQ Allah the Moon God 月の神であるアッラー https://www.youtube.com/watch?v=dtnEqswE9XA Allah the PAGAN Moon God 異教の月の神であるアッラー https://www.youtube.com/watch?v=NeqVLMS1OLQ 多神教時代に遡って調べていくと、ヤハウェとアッラーフは全然違う神だ。 ヤハウェというのは暴風の神、雷の神、火山の神だ。それに対してアッラーフというのは月の神だ。 三日月をイスラム教のシンボルに使うだろ。カアバ神殿の黒い石も月からの隕石だと思われていた。 カアバ神殿では360の神々が祭られていた。最高神がアッラーフであった。 アッラーフには3人の娘の女神がいた。 アッラートは月の女神、マナートは運命の女神、アル・ウッザーは力の神だ。 月の女神であるアッラートの男性形がアッラーフだしな。 多神教である神道の中から神を1人選んで一神教に作り変えても、ヤハウェやアッラーフと同じ神にはならない。 映画「ベン・ハー」のせいでずっと遊牧民やってるイメージしかなかったorz 確かに売れ筋ではなさそうだけど、売れなくても多少出るなら出版してくれるんだろう でも興味を持ってたまにのぞいてたけど同じような人がいるんだねぇ 預言者ムハンマドが体験したとされる夜の旅と昇天は、まさに現代のUFO信仰や記憶問題に直結する普遍的なカルト事案。 1400年前からの宗教の功利主義化の問題が重なって見えてくる。 中村圭志 宗教学 https://twitter.com/seattlelubbock/status/855809739803971584 記憶問題は、宗教の問題と精神分析の問題と聖俗を越えたカルトの問題とUFO信仰などの問題との連続性を教えてくれる。 さらにそれがセーレムの魔女裁判にも重なって見えるし、オウム事件につながるニューエイジの危うさ、 80年代からの文化の功利主義化の問題が重なって見えてくる。 なんでムハンマドはユダヤ人でもクリスチャンでもないのに旧約聖書ベースにしたの? 仏教にしろキリスト教にしろ儒教にしろ 元々あった宗教の発展形、別解釈みたいなものだけど イスラムはメッカにあったアラブの多神偶像の宗教じゃなくてユダヤ教の発展形だよね? それこそユダヤ教ムハンマド派的な 当時のアラブ商人は、一神教ユダヤ・キリスト教にどれくらい傾倒していたのか >>322 ムハンマド以外に似たようなのが何人もいたよ、ムスリムからは偽預言者といわれる 当時のアラビア半島では旧約聖書から展開される一神教がなんら珍しくなかったということ ヒムヤル朝、ガッサーン朝、ラフム朝などを調べてみればそのへんの情勢がわかる >>322 ムハンマドがユダヤ人だと考えると自然じゃない? >>323 なるほど ありがとう ユダヤ教はユダヤ人だけが信仰する閉鎖的で偏屈な宗教ってイメージより 当時の中東じゃもっとゆるくてポピュラーなものだったのか ユダヤ神話や一神教もイスラム以前にすでに、信者以外にもかなり浸透してたのかな 考えてみれば、東洋ですらキリスト教系新興宗教がポコポコ生まれたんだから 当時の中東でそういう動きがあってもおかしくはないか ムハンマドは洪秀全みたいなものかもしれない イスラム法学者が、労力の多くを預言者ムハンマドの生前の行いの正当化に費やしているのをみると、彼らにも預言者ムハンマドはやましいという自覚はあるようだ。 ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と 生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの 導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。 ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆ >>234 三位一体は否定してない。単性論でキリストにおける神性と人性が合一してると説くのが主流。 カトリックとオーソドックスは両性説でキリストには神性と人性が混ざらず存在するとする >>11 イスラーム・フェミニズムだっけ?ではそうなってるみたいだね しかしイスラーム以前のアラブ遊牧民の世界では女性の地位はわりと高く アムラーキー族のパルミラやタヌーフ族のマーウィイヤのように女性が族長になることもしばしばあった もっとすごいのになるとケーダル族に至っては王は完全女系継承で女性以外は王位につけない >>283 いやあながち間違いとは言えない というのも古代のオリエントの王の功績を誇った碑文や旧約聖書ではどう見ても虐殺にしか思えないことを平然と書いてるのがあるから メシャ王碑文 そしてケモシュは私に言われた。「行け、イスラエルからネボを奪え」。そして私は夜に出て行き、戦った-それは夜明けから正午に至るまでであった-、 私はこれ(ネボ)を手にいれた。そして私は全住民を抹殺した。七千人の男達、居留民の(男達)、女達、居留民の(女達)、奴隷の少女達を。私はそれを敢行した。 アッシュールバニパル碑文 彼らの中の多くの捕虜をわたしは火で焼き,多くの者を生け捕りにした。わたしはある者たちの手や指を切り取り,ほかの者たちの鼻や耳や指(?)を切り落とし,多くの者の目をえぐり出した。 わたしは生きた者どもで一本の柱を,頭でもう一本の柱を作り,彼らの頭を都の周りの柱(木の幹)に縛り付けた。彼らの若者たちや乙女らをわたしは火の中で焼いた。 ヨシュア記 イスラエルびとは、荒野に追撃してきたアイの住民をことごとく野で殺し、つるぎをもってひとりも残さず撃ち倒してのち、皆アイに帰り、つるぎをもってその町を撃ち滅ぼした。 その日アイの人々はことごとく倒れた。その数は男女あわせて一万二千人であった。 捕虜や非戦闘員の虐殺は近代以前の戦争法では当然の権利であり、べつに非難されるようなことではない 当時の人々の倫理についてはこれを参照してくれ https://www.seijo-law.jp/pdf_slr/SLR-028-087.pdf >>330 それだけは勘弁してよ、今の非カルゲドン派は単性論と呼ばれることを拒絶して自ら 合性論と称している、純粋な単性論はネストリウス派に対する対抗勢力として生まれて カルゲドン公会議でネストリウス派ともども異端として追放された、アッシリア東方教会はネストリウス派 の流れ、アンチ単性論が過ぎて追放されたもの、東方のキリスト教にもカルゲドン派(ギリシャ正教) 東方典礼派がいる、一色たんにしないでくださいな カルゲドン公会議で分かれた非カルゲドン派やアッシリア東方教会(ネストリウス派)がそもそも 自分達は単性論ではない、そんなものはエウテュケス主義のみだと主張しているんだし 何が傑作って単性論を攻撃し過ぎて排撃されたネストリウス派=アッシリア東方教会を捕まえて 非カルゲドン派のコプト教徒を親戚に持つ日本人が真顔で言うんだな、アッシリア東方教会を「ネストリウス派の単性論?」 なんて言っちゃうぐらいその当たりの神学論争は魑魅魍魎の世界 要するに皆単性論派のレッテルを貼られたくないということかな 一神教としての純度を競い合うなら、むしろ単性論を誇りにすればいいのに まだできて数百年で、これから異教徒に広めていく段階だとそれじゃ受けないと思ったのかな 三位一体説なら、「聖霊」に古き神々のどれかをあてはめて受け入れさせられそうだし 世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』 68I6E ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる