なんで中華民国の軍閥割拠時代って人気ないんだ?
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呉佩孚が直隷派の首領になってたら
張作霖とか馮玉祥みたいなカスに中原を牛耳られてなくて
蒋介石の北伐も防げたろうな 張作霖と東ローマ皇帝ユスティヌス1世
両者とも自分自身が十分な教育を受けられなかった分,
後継者(張学良,ユスティニアヌス)には高度な教育を
受けさせた点で似てるような・・・ 上でも書かれているが、閻錫山は山西モンロー主義で一応内政を心掛けた点を評価。
ほかに内政を評価できる軍閥の主といえば? ただこの時代って中国人でもけっこうロマンを感じる人がいるみたいだな
春秋戦国時代と重ねて「分裂していたからいろいろ自由に物を考えて面白いものが生まれた」
と語ってくれた人がいた いろいろ面白いものを考えている場合じゃなかったよ。
中国が一つにまとまって、外敵と戦わねばならない非常時だったのに。
なぜに無益な内輪もめ。 やっぱ袁世凱のカリスマが強すぎたから分裂したんだろ
それも法ではなく力で統治していたから 北伐終了後に諸軍閥が蒋介石にたてついた中で張学良は
蒋介石についたものの,その後の国共合作の件で全てを
・・・ 蒋介石が張学良をたひってたら、
国共合作もなかったし日中戦争もなかったし中華人民共和国もなかったろうな >>661
たてついた閻錫山とは明暗を分けたような気も >>631
スレチながら開襟ネクタイ式の軍服着た晩年の蒋介石(写真右)
ttps://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/1b/Ike_cks.JPG
なんか違うw 冷戦時代の記憶の中の蒋介石はまさにこれだよ
だから親米派のイメージがある
鎖国状態の中国と接触し始めた日本において
孫文が開発に関わった中山装が
人民服と呼ばれ共産中国の象徴になっていた時代でもある >>665
中共の人民服は孫文のやつとは微妙に違うしスターリンのやつとも微妙に違う
日本で人民服と言えば中共式のものだ それは日本のテレビ文化の中で作られた視覚イメージだけど
べつに古来の文化でもなんでもないだろ
わざわざ他人に同調を強いるほどのもんでもない 朝鮮族ってどういった行動をとっていたのですか?
やっぱり略奪中心の軍閥? そういや中国の各軍閥の面々で開襟ネクタイ式の軍服着てる人達
って思い浮かばん(時代が早すぎたか)。
みんな詰襟か折襟だよな。 イギリスよりドイツのプロイセンがモデルだったからね
戦争に強いのはプロシアっていうブランド信仰みたいになっていた
実際に強かったかどうかじゃなくてそういう評判だった
上の蒋介石みたいなのは英米寄りに見えるが
ボーア戦争の退役軍人が広めたボーイスカウトなんかも連想させる 東ドイツが建国当時カネがなくて、ナチス時代の
軍服をほぼそのまま継承したのも面白いけどな 中南米の独裁者も開襟式の軍服がおおいな
やっぱ戦後アメリカの影響だろうな >>671
普仏戦争でパリ陥落させたからじゃね
その後2回の大戦ではぜんぜんパッとしないけど >>672
そりゃあ軍服を新調するのは物凄く金がかかるからな 設定上はミュンツァー農民兵の後継らしいよ>東ドイツ軍 中国の軍閥から話が反れてるけどあえて自分も・・・
総統といえばフランコも蒋介石と同じく折襟のイメージが強いけど,
こちらも晩年は開襟ネクタイ式の軍服着てるね。
ttp://www.lavozlibre.com/userfiles/2a_decada/image/FOTOS%202011/05%20MAYO%202011/31%20mayo%202011/franco2.jpg
>>673
チリの場合陸軍はドイツ国防軍っぽいけど,憲兵隊は色調やサイドポケットが
イギリス陸軍っぽく見えるような(襟章・肩章なんかはともかく)
陸軍
ttp://www.elmostrador.cl/media/2012/10/generales_816x544.jpg
憲兵隊
ttp://www.losangeles.cl/w/wp-content/uploads/2016/05/DSC_0165.jpg?w=730 軍服の話が続いたので軍閥の話に戻しますが・・・
袁世凱が国民党を殲滅し,彼の死後に中央・地方において軍閥の乱立が
長い間続いてるとします。
これら軍閥が独自の空軍を持った場合,欧米からあぶれた白人の飛行機乗り
がパイロットとして活躍するんだろうなあ・・ >>679
飛行学校を作って現地出身のパイロットを一から養成するよりはまだ安上がりか
それでも高給取りになりそうなんで傭兵というよりは日本の時代劇に出てくる
用心棒の先生みたいな感じだw 充分な広さの支配地を安定して維持できる政権でないとパイロットの養成なんかできない
群雄割拠時代の軍閥じゃ即戦力の訓練済パイロットを雇ってくるしかないだろうね 第二次国共内戦で満州を占領した共産党は空軍力では優位だったんだよな >>679の状況下で想定した場合・・・
軍閥は陸戦主体だと思うけど沿岸部に割拠してる軍閥が
海軍力を重視したする。これら沿岸部の軍閥が自前の
海軍将校を養成するために個々の海軍兵学校を作った
場合,イギリスの影響を大きく受けた物になるんかな? 孫文と対立した広東の軍閥陳炯明,他の軍閥指導者と
違ってこの人は文民政治家上がりだったのね。
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B3%E7%82%AF%E6%98%8E 【H】プラスttps://www.youtube.com/watch?v=Mvyr4y8WA-8
【このドキュメンタリーは貴重な中国人民解放軍特殊部隊についての英語ヒストリーチャンネル】です。
凄まじく「悪者感」が出ているのは、やはりスレタイのように「山賊が本物の中国を乗っ取った偽物中国」だからやろうなぁ。 西太后あたりのドラマや映画って和訳されたもので有る? >>688
>和訳されたもので有る?
吹き替えの事?
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%A4%AA%E5%90%8E_(%E6%98%A0%E7%94%BB) 最盛期の張作霖がお膝元の満州で大慶油田を掘り当ててたらそれを背景に
勢力をもっと拡大させてた?(ベネズエラのビセンテ・ゴメスみたく) >>691
単独では技術的に無理っぽい。ドイツあたりと提携するか。 掘り当てた瞬間、日本かソ連が適当な理由つけて占領するだろ >>683
>第二次国共内戦で満州を占領した共産党は空軍力では優位だったんだよな
誰か訂正してやれよ…
共産党の空軍力は最後までゼロに等しく国民党は戦争の全期間に亘って圧倒的に優位だったよ おスタちゃんが満州占領して毛沢東にくれてやったから勝てたのは間違いないけどな どうして制空権が無いのに、共産党は内戦で勝てたんだろう? 戦後の日本で、戦前を黒歴史あつかいしてきたように、
中華人民共和国では、中華民国の時代を黒歴史あつかいしている。
それに影響を受けた日本人の歴史家たちも、この時代を積極的に取り上げなくなった。 日本でも、NHKの大河ドラマでは、「戦国モノはウケるが、幕末維新モノは視聴率が取れない」と、ずっと前から言われてきた。
やはり、近代史は時代背景がフクザツなせいか、一般人にとって分かりにくいところがある。
どこの国でも変わらない。 ソ連が崩壊したときみたいに、全省が独立宣言した。
そこにロマンを感じる。 五胡十六国は、最近は人気が出てきた気がする。
「蘭陵王」は大ヒットした。
「北魏フウ太后」も、そこそこ売れたし。 そっちはなんだかんだ魅力のある人が多いな
軍閥はどうも鉄臭くて汗臭いオッサンってイメージがある 「坂の上の雲」というNHKドラマを見たら、日本の軍人は阿部寛とか本木雅弘とか、モデル級の美男ばかりなのに、
袁世凱はサモハンキンポーかゼンジー北京みたいな怪しいオッサンだった。 秋山好古・真之はリアルに彫りの深い兄弟だったのでそっちは別にいい
袁世凱も写真からすると、老年になるまでは整った顔してたんじゃないかと思う 講談社現代新書の「軍の中国史」読んだ人いる?
著者の専門がこのスレの内容にピッタリ。
ただ、メチャクチャ読みにくいが。 >>709
袁世凱ってアザラシみたいで可愛くね?
憎めない顔してるよな >>709
文官登用試験の科挙に落第したんで、しょうがなく軍人になったぐらいだからなぁ >>717
うまいこというなあ、アザラシにしか見えなくなってきた
でも漢字で書けば、「海豹と呼ばれた男」みたいな感じで格好いい >>722
軍人の偉いやつはだいたいそうでしょ
後のキャリア組 >>716
「おおきな」とか、形容詞、連体詞や副詞を平仮名にされると内容云々以前に読みにくいね。出版社の編集は何も言わんかったんかな? 袁世凱も中華帝国とかいうオワコン必至国名にしなければよかったのにな
大燕帝国なら100年続いたぞ >>727
中華帝国だろうと大燕帝国だろうとブサイク国名だろ
「燕」だけじゃダメなのか? そもそも袁姓である時点で、偽帝と国民が直感的に識別したんだろ 燕とかは、さすがに無い。
本拠地の国名を統一王朝の名にするという方式は、宋までで終わっている。 中華よりは大夏のほうがいいな
周とかでも良かったんじゃないの >>729
いやだからなぜそんな長ったらしいブサイクな国名にすんの
伝統的な1字国号じゃダメなのか? そりゃ記録には国号を○とするって一字で書かれるけど
実際の国名は大明とか大清とかだし、外交文書ではさらに帝国が付く
大清帝国、大韓帝国、みんな4字でリズムがいい(とされた)
そういうのを気にしない日本だけが大日本帝国と座りの悪い?5字で名乗った
国名の1字形と2字形を使い分ける慣習からすると「大和帝国」(通称「日本」)でよかったかもしれない
あと、袁世凱があの時局で冀とか燕とか薊とか名乗ってしまったら
ああやっぱり軍閥の地方政権にすぎないんだとからかわれること必至だろう
また当時「中華」という呼称は中国人にとっては新鮮で民族的自尊心を掻き立てられる美名だったはず
料理ばっかり連想するのはあくまで日本語の語感で、日本の国内での経緯によるものだから 大〇〇帝国なら「第一次世界大戦の戦勝100周年を日本と中華民国(中華帝国仮称)国民で共に祝う」必要があるね。
ちなみに、1949年の北京の戦後国家は無関係(第一次及び第二次共に存在しない)の国家なのでどっかいけ。 いまだって、共産主義どころか同族支配帝国みたいなもんだろ 習近平の戦区再編により、軍閥割拠の歴史は終わろうとしている 古代の「晋」とか「斉」とかいうのは、ドイツやフランスなどと同じで、国の名前でしょ。
当時は、「中国はひとつ」というイデオロギーがなく、本気で国が分かれていた。
袁世凱の時代に「燕」とか「斉」とかの国号はあり得ない。
たとえていえば、欧州が統一されて千年後になっても、
統一欧州を首都にちなんで「ベルギー」と呼ぶようなものだ。 個人的には、「ローマ帝国」にちなんで、「ペキン帝国」と呼んでほしい ローマの相似にしたいなら長安帝国だろ
コンスタンティノポリスに遷都しても国名はローマのまま
北京に遷都しても国名は長安のまま 咸陽首都にした国も長安首都にした国も最初から都市国家ではないんじゃないの? >>740
秦も漢も最初は地域名だったのが統一王朝の名になったろ
日本でも大和は奈良のことだったのが日本を指す言葉になった 「日本」は河内の日下から
東大阪市日下町
最寄り駅は近鉄石切駅
河内の日下の地がヒノモトと称せられたのは、そこが太陽を迎えまつる難波のもっとも東がわに位置していたためである。
そこは太陽祭祀の中心であった。その背後のニギハヤヒ山(草香山)には祭祀の対象としてニギハヤヒが祀られていた。 >>743
長安の周囲なんか、ちょっと離れれば、ほとんど砂漠。
人の住むところじゃない。
「都市が国家である」という感覚は、日本人にはあんまりないけど、大陸では普通。
やっぱり、長安帝国であり、ペキン帝国と見るべきだろう。 林彪はクーデター成功したら広州で
新政府作る予定だったし トインビーもいってるがな、
大国の崩壊は外部からの圧力によるものでなく
内部からの崩壊によるものであると この時代はほんまようわからん。独立国というわけでもないし
外交はどうなっているのか、徴税は?司法は?
パスポートやビザみたいなのはあるのか 太平天国の乱で関連死者含めて2-3千万人ってのは結構なもんだよな
人口の1割近く失われてないか?
その後の時代が混沌とするのも無理からぬ話に思える 結局国共以外に天下統一の目があった軍閥はあったの? 湘軍を持つ湖南省は「中国のプロシア」と言われていたようだ 奉天軍閥が支配してた頃東三省の予算の8割が軍事費と
なってたそうですが,これって奉天軍閥の勢力拡大を
はかったり,逆に東三省を防衛するためにどうしても
厖大な軍事力が必要だったって事? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています