アラブ世界がキリスト教を受容していたら
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多分産業革命が中東まで浸透して、日本、清はすぐに植民地
コーカソイド至上主義な世界になっただろうな 正直、イエメン人とかエジプト人って、ジャマイカ人みたいな黒白三対一くらいの混血に見える >>187
やっぱり歴史的にそういう地域だもんな 上エジプトは黒人地域で黒人王朝も出来たし
イエメンはエチオピアとも関係が深いからそういう顔立ちになってくるのでは? >>181
ちげーだろ。キリスト教が衰えて近代になった。
キリスト教もイスラム教も社会や個人の精神の発達を阻害する中世型の宗教。 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/0/0f/Taimur_bin_Feisal.jpg
元オマーン国王
これはもっと南のザンジバルあたりとの混血?
でもイエメンではあからさまにアフリカ系の特徴を持つグループが被差別民になってるのに、オマーンでは王が黒人風というのも不思議
下剋上で成り上がった家系? >>191
光の加減だろ。ロシア人の酒のみみたいな顔してんじゃん Wikipediaのスチェパン・ラージン(ステンカ・ラージン)の肖像画にそっくりじゃん。
ロシア人の描いたロシア人の絵だから当然コーカソイド風だろ キリスト教を最初に受け入れたのは中東人なんだが
初期キリスト教はユダヤ人だけだけどパウロが異邦人に広めた
それの場所がシリア
で中東に広まりローマ帝国の属国民に広がった
ヨーロッパに広がったのはかなり後 イスラム教ってのは法王に反対してプロテスタントが出来上がった経緯に似てる
ムハンマドってのは簡単に言えば中東のルターやカルヴァンなんだよ
むしろルターやカルヴァンがヨーロッパのムハンマド >>181
キリスト教はパクリ癖があるからなんでもパクって自分がは作ったとホラ拭いてきただけ
寄生虫みたいなもの
実態は世界で一番原始人 ムハンマド教はパクリ癖があるからなんでもパクって自分がは作ったとホラ拭いてきただけ
寄生虫みたいなもの
実態は世界で一番原始人 とりあえずカーバ神殿は破壊してカーバ大聖堂を建設。 >>33
アラビア語世界の近代化を推し進めたのは
シリアやレバノンのキリスト教徒を中心とした文学啓蒙運動だったということぐらいは
知っておいていいと思うよ
近代的語彙の翻訳語の多くはそこで作られた アラブと呼ぶには微妙な気もするけど,アラビア語の方言
といわれてるマルタ語が母語なマルタ島民はローマカトリック
を奉じてて文字もローマ字を使ってんだっけ。
アラブ世界がキリスト教の中でもローマ・カトリックを受け入れて
たらマルタ島みたいになってたんかね。 アラブ世界がキリスト教受容したらアラブ人はアラビア半島から出ることなく小勢力に止まり歴史的な影響力は低かっただろう イスラムの代わりにゾロアスター教とキリスト教が中東の主要宗教だったろうな
もしかしたらマニ教も少数ながら生き残ったかもしれん >>204
シリアのマロン派は教義上はカトリックの一派だけど
教会用語や祈祷書には古シリア語(東アラム語の一種)やアラビア語をラテン字化せずに使用している
十字軍時代にカトリックと再合同したときの取り決めでそうなった
マルタと違うのは元々独自の教会の歴史があったから
アラビア文字のアラビア語はべつにムスリム専用というわけではなく
ムハンマド以前から原型のあるものだったし
エジプトでもコプト教徒もギリシャ正教信徒も使用している 西新アラム語の話者のいる3つの村:
マアルーラの住民(2,700人余)はギリシャ正教アンティオキア正教庁か東方典礼カトリック教会メルキト派とムスリム
アッサルハ(バハア)の住民(1,400人余)は大半はスンニ派ムスリムであとはギリシア正教信徒
ジュブアディンの住民(3,800人弱)の大半はムスリム
統計にできるだけのキリスト教徒の人口を持つのはマアルーラだけだがそこにマロン派はいない
アラム語の話し手人口が減少した最大の理由はイスラム化に伴うアラブ化だが、
西新アラム語を口頭語として守り続けてきた人々の過半数もどうやらムスリムだったようだ >>1
水力が期待できない
石炭も期待できない
ので19世紀まで発展が緩いだろう。 >>210 ポール・アンカとかカルロス・ゴーンの家系も何代か前はアラム語を話してたのかな エルサレムには五主教座の一つエルサレム主教座があって
それはローマ総主教座と対等な地位だ
ローマ教会がエルサレムに移転など全く無意味
五主教座とはエルサレム、ローマ、コンスタンティノポリス、シリア、アレクサンドリアで
キリスト教には総本山が五あると思えばいい
エルサレム教会はイスラム圏内になってしまったから影が薄いが
このスレで想定してる架空の歴史ではそれは無いはずだから
むしろキリスト教聖地に位置する教会として5教会筆頭となってよう
そこに「教皇庁が移転」などおかしいではないか 筆頭はない
アラブ人がくる以前にコンスタンティノープル公会議でエルサレム総主教は第五位というのは決まっている
筆頭だったのはユダヤ戦争の時にエルサレムが破壊された時までの短い間だけ >>214
人口2000万ちょいの国の中で全部足しても1万人を切る少数言語の話し手だから
確率的にはかなり低いだろうな
ただあのあたりのキリスト教徒なら典礼言語として使う非ネイティブ使用者がけっこういる 旧約聖書 : ヘブライ語
イエスが教えを説いた言語 : アラム語
新約聖書 : ギリシア語
教会の公用語 : ラテン語
なにこのメチャクチャっぷりは >>219
ヘブライ語とアラム語とフェニキア語は元々お互い母語で話して通じるレベルの差しかない方言的関係
旧約聖書にもアラム語(ただしヘブライ文字)で書かれた箇所がある
イエスの時代にヘブライ語はすでにアラム語に同化されていたというが当人たちは
いつでも戻せるぐらいのつもりだったろう
周知の通りキリスト教はユダヤ教内部の改革運動の一つとして始まり
異邦人伝道に成功して脱ユダヤ的な世界宗教となった
布教の核となったのは地中海各地のユダヤ人だが、
彼らもまたそれぞれギリシャ語やラテン語(そしておそらくフェニキア語も)を日常言語とする世代になっていた
そんな海外ユダヤ人向けに活発にラビを派遣していたのがイエスたちと敵対していたというパリサイ派
ここからは想像だが
初期キリスト教の異邦伝道のノウハウはパリサイ派に蓄積されてあったものを流用したのではないか
敵対の果てにイエス側に移った信徒も多数いたとすればあり得ると思う >>219 大乗仏教(原典):サンスクリット
上座部仏教:パーリ語
偽経、漢訳仏典:漢語
和讃:日本語
死者の書ほか:チベット語
語族が三つにまたがる仏教の勝ちw 3行目でもうダメだろw印欧語だけじゃんw
つかインドシナにもなんかすごい独特の教派とかないものか
インドネシアのカヴィ語の仏典とか エジプトではキリスト教は一定の数がいるから
常にイスラム教徒対立してたんだろうなぁ エチオピアがギリシャ・ロシアなどと同様な正教国って知らない奴ってけっこういると思う キリスト教徒が古代エジプトからの豚の品種を守り続けてたりするのかな >>225
陸の孤島みたいになってないか、エチオピアって だからこそキリスト教が生き残ったんだろ
エジプトでも生き残ってるけどエジプトじゃ所詮少数派 >>221
タルムードも半分以上アラム語
部分的には古いアラム語の章句に
後から文章語として習得されたらしいヘブライ語の注が付くという逆転現象も起こっている エチオピアのマラソンランナーはクリスチャン多いのか てっきりほかの北阿諸国同様ムスリム優勢だと思ってたは 最大民族オロモ人は多くがムスリム
かつて活躍したファツマ・ロバも名前から察するにムスリムか エチオピアってやや特異な存在だな
古エチオピア帝国は1137年から1975年までかなりの長期に亘って鎮座してたし
一時はアラビア半島にまで版図が及んでいた エチオピアって正教だけじゃなくてユダヤ人もいなかったっけ
人種的には完全に黒人の >>232 歴代の王朝って、日本の歴代の武家政権みたいに血縁がない同士なのかな シバの女王から産まれたソロモンの血統という建前だったような >>237
日本の歴代武家政権は血縁がある関係ということになっているだろ
将軍や執権は清和源氏だし
織田家や豊臣家も桓武平氏(織田家は最初自称藤原氏)を名乗っている >>242
シリアのキリスト教だけでもいくつも宗派がある
>>1を含め
「アラブ=イスラム教」
という決めつけによってスレを進行させていたことを
たぶん>>30は指摘したんだよ
>>33は全く理解していないようだけれど >>234
ロシアの極東にも、ユダヤ人自治区なんてのもあるな
中国の黒竜江省に近いところにポツンとある 飛び地っていえるかも >>244
それはユダヤ人が望んで移っていった場所ではなくて
スターリンに強制的に連れて行かれた所
ビロビジャン自治州
黒竜江省側にも満洲国がユダヤ自治区を作る河豚計画があった
当の在満ユダヤ人の警戒と反発によって頓挫したが
状況から見て関東軍の一部の親ソ派がコミンテルンの指令に従っていたのかもしれない |┃三 , -.―――--.、
|┃三 ,イ,,i、リ,,リ,,ノノ,,;;;;;;;;ヽ
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|┃三 `{| _;;iill|||;|||llii;;,>、 .!-' /
|┃ | ='" | < ユダヤ人は全員、シベリア送りだ !!
|┃ i゙ 、_ ゙,,, ,, ' { \
|┃ 丿\  ̄ ̄ _,,-"ヽ \
|┃ ≡'"~ヽ \、_;;,..-" _ ,i`ー-  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|┃ ヽ、oヽ/ \ /o/ | ガラッ >>240
客観的な証拠なんてどうでもいいんだよ
「武家の最高権力者は天皇家と血縁者でなければならない/血縁者であったほうが良い」
という価値観の有無が重要なんだから
当時のそういう価値観がわかれば十分 >>245
さしものユダヤもオソロシアの独裁者には勝てず、か お前みたいなパンピーが知ってるのに陰から支配してるって矛盾だよね ただビロビジャンのユダヤ自治州ができた背景にはポグロムがあったのかもしれない
スターリンとしては財産や技術を吸い取った後のユダヤ人はそれでも勤勉な労働者ではあったから
みすみす貧乏スラヴ人の暴動で殺されたりパレスチナに入植されたりアメリカに亡命されるより
シベリア送りにして建設の足しにしたかったのではないか >>243
ギリシャ正教(一般の東方正教)
ギリシャカトリック(ローマ法王に帰順したギリシャ正教)
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シリア正教(公会議に従わないシリア版東方正教)
シリアカトリック(ローマ法王に帰順したシリア正教)
---------------------------------------------------------
アルメニア正教(公会議に従わないアルメニア版東方正教)
アルメニアカトリック(ローマ法王に帰順したアルメニア正教)
---------------------------------------------------------
マロン典礼カトリック(元々カトリックだが、典礼だけ正教式)
ゴチャゴチャやな アラブがイスラム化しなくてのトルコ人モンゴル人はやってくるわけだから結局中東〜中央アジアは今と変わらんだろうな
北アフリカがヨーロッパ勢力なままくらいで 中東中央アジアにマニ教が残ってる世界が見たかったわ エドワード・サイードはアラブ人のキリスト教徒だけど,
〜カトリックでも正教でもなくイギリス国教会というのが
異色。元は正教で祖父の代に改宗したらしい。
ttp://ir.library.osaka-u.ac.jp/dspace/bitstream/11094/48361/1/glocol12_030.pdf >>246
草生やすようなことか?
お前の笑いのツボが謎 スレチだけどイベリア半島がアラブ化&イスラム化されて現在に至ってたら
同地のキリスト教徒はエジプト国内のコプト信徒みたく少数派の立ち位置
になってたんだろうなぁ・・ >>263
少数者には違いないけどキリスト教圏に近く
当時から文化水準はそれなりに高く
アラビア語を使いこなして詩文を残しているくらいだから
シリア・レバノンのキリスト教徒と同等かそれ以上の地位にいるだろう
いま情勢が特殊だからわかりにくいけどレバシリのキリスト教徒アラブ人は
近代のアラビア語の復興と近代化に大きく貢献し、最近まで地位が高かった
ただ欧州キリスト教圏に近すぎて複雑なエスニシティを多数派生させて
(カスティリア語、バスク語、カタルーニャ語、ポルトガル・ガリシア語を話すそれぞれのキリスト教徒とムスリムなど)
ロマン主義・民族主義が盛んになる18〜19世紀頃には
1990年代のバルカン情勢みたいなことになったかもしれない
あるいはシーク教のような折衷的宗教が生まれて力を持ったかもしれない コプト信徒ってどうしてあんな落ちぶれた感じになってんの?
中東がアラブ化する前はシリア方面のキリスト教徒と似たような文化水準のはずよな? キリスト教徒への襲撃相次ぐ、町を捨てて避難 エジプト
http://www.cnn.co.jp/world/35097828.html
2017.03.09 Thu posted at 12:53 JST
エジプト・イスマイリア(CNN)
エジプトのシナイ半島北部の町アリシュではこの1カ月ほど、過激派組織
「イラク・シリア・イスラム国(ISIS)」の分派によるキリスト教徒の殺害が相次いでいる。
2月21日に起きた事件では、銃を持った「ウィラヤット・シナイ」
というISIS分派の男らが民家を襲い、キリスト教徒か確認してから男性住民を殺害、略奪したあげく家に放火したという。
この事件以降、アリシュから200キロ離れたイスマリアの町には、500人を超える避難民が到着している。
教会によればエジプト国内の別の県に逃げた家族も多く、どのくらいのキリスト教徒住民がアリシュに残っているかは不明だ。
政府の公式な統計はないが、研究者や人権団体によればキリスト教徒はエジプトの総人口の10%を占める。
エジプトの農村部では、イスラム教徒住民とキリスト教徒住民の流血の争いがしばしば起きている。
たいていはキリスト教徒側が村を追い出され、争いの中で起きた犯罪が罪に問われることはめったにない。
だがアリシュで起きた暴力事件はこれとは異質のものだ。
「宗派対立による暴力事件には普通、教会の建設とか(異なる宗教の信者間の)恋愛ざたといったきっかけがある。
だが最近の事件では単にキリスト教徒だからという理由で標的にされている」と、人権団体の関係者は言う。
エジプト軍はシナイ半島北部における対テロ戦を優位に運んでいると主張している。
2月には、過激派が逃げ場所にしていたシナイ半島中部の山を占領したという。
だが住民の中には、守ることはできないから逃げろと警察からアドバイスされたと語る人もいる。 >>265
まずキリスト教化(コプト文字化)に伴う古代エジプト文字文明の蓄積の全喪失
次に、狂信的なアレクサンドリア教会の主教によって
ギリシア系異教徒哲学者ヒュパティアが虐殺され、ギリシア系知識人が多数亡命した
この時もうエジプトでは中世的閉塞が始まっていた
エジプトにとってのギリシア・ローマ化の歴史は科学や民主制と全く無縁の
偏狭なキリスト教党派闘争の歴史でしかなかった
キリスト教がローマの国教となってからは教会は穀物の収奪装置でしかなく
何百年も苦しめられていた民衆はアラブのジハード軍を歓迎したという
カイロでは新たにコプト教徒がイスラムに入信するたびに深夜に太鼓とラッパで祝福した
それが千年以上続き、いつしかコプト教徒は辺鄙な農村か都市の被差別者の一角にしか残らなくなっていた >>267
シリアやレバノンのキリスト教徒は立場がよりマシな状態で推移したように見えるが、どこが違ったんだろう
正教とかに比べてコプトのほうが嫌われやすい宗派だったということかい? >>268
コプトも「正教」なのでそれはない
単性論者だという決めつけもローマ側によるもので教義に大差はない
地理的位置関係と風土、それに政治的地位の違いだろうか
シリアは地中海に開けていてギリシア・ローマ・エジプト・メソポタミアすべてと行き来が頻繁
貿易商人が多く視野が広く、行く先々に同族や親戚がいて情報が集まりやすい
広大なローマの属州であることが商売にはプラスにはたらく
異端騒動で紛糾しても誰かが学問を守るくらいの余裕はあったのだろう
エジプトは地中海を除けばアフリカの奥地のどん詰まりに行くしかなく、
沿岸部のギリシャ系住民が全ての情報と学識と文化の「窓」
彼らが有識者を追い出して迷妄に陥ったらコプト教徒は一緒に馬鹿になるしかない
またローマ時代エジプトは属州ではなく皇帝の「私領」だった
(皇帝をファラオと同等の地位にしてエジプトの政治風土に合わせるため)
のでローマ法が適用されず、暗愚な穀倉地帯として収奪され放題だった
重い課税に窮屈な教会に情報の閉塞状態 >>269
詳しい説明ありがとう
そうだよな、非カルケドン派であることではシリア正教会も同じだもんなぁ
辺境の農村民にかぎれば確かに理解もしやすいのよ、シリア方面だとそういう領域あまりなさそうだしね
ただカイロやアレクサンドリアでもゴミ収集などを生業とする階層になってるのがね、けっこう差があるなぁと
豚の飼料にできることからそうなったらしいが、シリアじゃそういう階層ないからそれも被差別の結果だろうしね
エジプトのほうではイスラム化以前より、中上流の都市商人層の比率が少なかったからってのは可能性あるかもね >>270
事実は別として推移の理由付けには多少想像もあったのだが、都市階層がそんなふうだということは
大体合ってたのかな
現代アラム語のネイティブ話者にムスリムが多くいる一方で(>>209参照)
正教会信徒の大多数はすでにアラビア語使用者であり、都市部にいて高い地位を得ている者も多い
(これはたぶんいま激変中)
エジプトにおける「コプト語話者∈コプト教徒≒被差別民」という状況とはまるで違う
またシリア人はウマイヤ朝の首都ダマスクスにいて、入信した者もそうでない者もどちらも
初期のイスラム帝国の形成に多大な影響を与えたと思われる >>271
大体合ってたのかどうかが分かる知識はないねー残念ながら
ただファーティマ朝の第5代アズィーズの時代でも、キリスト教徒とユダヤ教徒が宮廷の要職を占めてたりする
そこだけ見るとシリアと状況は変わらないようにも見える、もっともコプト以外の宗徒なのかもしれないけどね
ちなみに次代の息子は、母がキリスト教徒出身なのに教会やシナゴーグの破壊に励んだっていうから世の中わからん コプト信徒のエジプト人といえばガリ元国連事務総長。
この人の祖父は20世紀初頭にエジプトの首相をやってたんですね。
en.wikipedia.org/wiki/Boutros_Ghali >>272
ファーティマ朝の時代はイランではスンニー派のセルジューク朝が立ち
どちらも人民の多数派と支配者の宗派に捻れがあったが
イスラム史を通して見ても少数者が統治したほうが安定するようだ
しかしそれは逆説的なあやういバランスの上に成り立っていて
民や家臣の特定の別の宗教にえこひいきしているのではないかという
疑念を晴らすためには異教弾圧もやむを得なかったのかもしれない
>>273
ブトロスというギリシア風の名前からして、コプト教徒の中でもギリシアに近い層なのだろう
それは南部の農民とは違うエリート層なのかもしれない
ただそういう格差が宗教によって生まれるのは大帝国時代ではなく
むしろ民主化や国民国家化が進んだ現代の特徴かもしれない 親日「サウジ」恐怖の“勧善懲悪委員会” 鞭打ち、斬首刑…
http://www.dailyshincho.jp/article/2017/03260558/?all=1
「ある女子高で火事が発生し、肌を露出した女子高生が校舎から命からがら
逃げだしたところ、『委員会』のメンバーが“規則違反”を理由に押しとどめ
た。更に悪いことに、消火活動にやってきた消防士が全員男だったので学校
に入ることを許されず、結果、15人が死亡したのです」 イスラム教が登場する以前は、シリアもエジプトもローマ帝国でキリスト教だっただろ?
問題の設定が間違ってるんじゃないか? 既出かもしれないが、フセインを補佐してた
アジズ副首相はキリスト教徒だったよな。
自分で改めて調べてみる。 >>276
いやそれはさすがに違う
だがアラブ人がキリスト教徒だったことがないはずもない
アラブ人の故地であるアラビア半島には偶像崇拝の諸部族と
ユダヤ教徒とキリスト教徒がいた
ムハンマドは初期のジハードで彼らを倒し、啓示の通りならズィンミーとして庇護下に置いたはず
ジハードはやがてメソポタミアやイラン、レバント、エジプトへと広がったが、
行った先にはアラブ人はいない
イスラム帝国の拡大とともにアラブ人が移住し、また現地人と通婚しアラビア語を普及させてアラブ化したのだ
布教と言語の普及は同時進行だったので、アラビア半島以外のアラブ人のムスリム率は結果的に高い
しかし中には言語はアラブ化したが宗教はキリスト教のままだったり、
イスラム化はしたが土着言語のままという例も出てくる
アラビア半島を離れるほど後者は多いが、逆に前者はシリアやエジプトなどの比較的近い地域にいる 「アラブ世界」の定義が君ら二人で食い違ってるんじゃね?
>>276は現代の領域を想定していて>>278はムハンマド前夜のことを言っている >>1
無理
動力革命は水力で、ナイル川など大河に限定される。ナイル川工業地帯ぐらいはできただろう。
しかし、二番目は石炭による火力で、ヨーロッパでも石炭がない地域がここで脱落する。
石炭を運ぶ鉄道も不要。積出し港もできない。製鉄・金属精錬・金属加工などにつながらない。 >>279
シリアやエジプトは非アラブのキリスト教徒が後からアラブ化した例で
アラビア半島にはイスラム以前からキリスト教徒のアラブ人がすでにいた
スレタイ通りなのは後者だけで前者は違うと>>278で言いたかった
コーランでは、キリスト教の知識を前提とした上で、多少改編されたエピソードや異なった教義を唱えている
イスラム教はキリスト教を土台とし、これを否定し踏み越えるように発達した宗教だ
>>1の間違いは1)アラブ世界にキリスト教がなく、イスラム教がいきなり単独で生まれたと思っている所、
2)アラブ世界がキリスト教化しさえすればイスラム教は生まれず広まらず、
アラブは西欧と歩調をともにした筈だと思っている所 預言者ムハンマドが活躍した時代、エジプトの言語はアラビア語ではなかったのでアラブに含まない。
“無明時代”のエジプトにはキリスト教のみならず仏教も伝わっていた。 この板には肌の色と顔だけで民族を決める顔バカがいるからな
中央アジアの話になるとドルジ顔ドルジ顔コーカソイドモンゴロイド白人白人白人様ぁとうるせえうるせえ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています