スコットランドはアイルランドと共に欧州文明の一翼を担い、アングロサクソン文明
と対峙してきたけれど、1603年に死去したエリザベス一世に子供がいなかったため、
スコットランド国王のジェームス六世がジェームス一世としてイギリス国王に就任し、
爾後スコットランドとイギリスは同君連合状態が続き、1707年に両国は合邦するも、
その実態は、イギリスによるスコットランドの併合以外の何者でもなかった。

イギリスへの反発から、1745年にはスコットランドで大反乱が起きるが失敗した。
このスコットランドとイギリスの微妙な関係は現在も続いています。

韓国では、日韓併合を推進した李朝末期の政治家達を売国奴呼ばわりしていますが、
実は、1707年のスコットランドのイギリスとの合邦に賛成したスコットランドの政治家達も、
これまでスコットランド人から売国奴呼ばわりされてきたのです。

すなわち、スコットランド人達は、当時のスコットランド議会の議員の多数はイギリス側
から賄賂をもらうとともに、イギリスの植民地へのアクセスが可能になるという経済的
利益に目が眩んで合邦に賛成したと思い込んできました(※)。

(※)
イギリス側は、政治的理由でスコットランドとの合邦を望んだ。ルイ14世率いる
フランスとの戦争が続く中、フランスがカトリック・シンパであった旧スチュアート朝の
王位継承権者(フランス亡命中)を送り込んで、スコットランドで反乱を起こすことを
回避する必要があったからだ。
http://books.guardian.co.uk/reviews/history/0,,1928281,00.html

しかし、合邦後の1745年に、皮肉にも上述の大反乱が起きてしまう。