ロシアが東方正教会つまりギリシア正教を受け入れたのは、ローマ(ビザンチン)帝国の後継者になる気だったから。
ローマ(ビザンチン)の国教であるギリシア正教を受け入れるのは自然な流れ。ロシアのツァーリ(カエサル)はその名の通り、
バシレウス(東ローマ皇帝)のことだから。異教徒(オスマン帝国)に奪われたローマ(ビザンチン)の都コンスタンチノープルの奪還が
彼らの最終目標の1つだった。後にクリミア戦争を惹き起こすニコライ1世の狙いは、まさにコンスタンチノープルの奪還(最終的には
ロシアの都にする気だった)と征服地からの異教徒の追い出しにあった。クリミア半島は彼らロシア民族にとっては、最初にキリスト教が
もたらされた土地であるという自負があった。しかし、故地にはクリム汗国という異教徒タタール人の国があり、
正教徒は僅かだった。クリム汗国は、チンギス・ハーンの長男ジュチの息子バトゥーが建てたジュチ・ウルスつまり
キプチャク汗国の後継国であり、ハーンのギレイ朝は、そのジュチの直系の名門だ。ロシアがクリミア戦争を起こした
理由はロシアにとっての聖地であるクリミア半島とローマの都コンスタンチノープルの異教徒からの奪還が背景にあったわけだ。
いわゆる南下政策と言われる拡大政策は全ての土地をローマの国教であるギリシア正教(ロシア正教)徒の土地にするためであり、
それは現在にいたるまで変わりはない。単なる不凍港を手に入れるためではないことが理解できると思う。当時から英仏などの西欧が
ロシアに脅威を抱くのは、これが一番の理由。