チベット史総合スレ その4 [転載禁止]©2ch.net
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一時期、四川省西部からチベット・カム地方を領域とする「西康省」が設置されたこともある 青海の純遊牧民アムド・チベッタンは
カム語を話さずチベット語使うし、
ラサで主流のゲルク(Dge-lugs-pa, 格魯)派の信仰が多い。
>>40 のダライラマ14世選出の時代にラサを支配していたのは
青海の純遊牧民だということになる。
今の時代に彼等がどんな意識なのかは重要だろな。
青海は青海、自治区は自治区と考えてるのかだ。 >>59
何言ってんの
チベット語の四川の方言をカム方言、
青海・甘粛の方言をアムド方言っていうんだよ
どっちもれっきとしたチベット語だよ 『言語学大辞典』にはラダック方言もバルティ方言も
そういう名前で「チベット語」の項目に載ってるよ >>34
「庶長子だったが追放されて…」のテンプレ建国伝説 モデル・歌手のアランが康定出身だったな 最近見ないが、美人だったな >>16
当のインドが統一されておらず、
イスラムに押されっぱなしだったというのもインド一辺倒にならなかった原因と思う
中国みたいに統一されていて国土もデカいと
日本みたいに離れた国も常に影響受けまくっちゃう 語順も違えば、テレビの字幕のつづり方も違ってきている言語は
方言ではなく、語族は近縁でも別言語として扱ってもいいと思う。
以前は納西(ナシ)語は彝(イ)語の方言みたいに扱われていたし
明代には納西は彝と分類されていて、麗江の領主は彝であると
書かれていたが、今は納西である。 康定には、麻辣豆腐や過橋米線など内陸チャイナの料理や
苦蕎麦や大麦などの穀物があるよ。 まあ方言と呼ぼうが言語と呼ぼうがどっちみち
アムドの人間がカムの言葉を話す理由はないわな
何かの事情で必要となりゃ簡単に覚えられるんだろうけど >>57
>四川の西半分と青海省もあわせた大チベット
↑
こういう用法は、中共用語。
チベットのうち、自治区部分が「西蔵」。
西蔵に、四川の西半分・雲南の西北部・甘粛の西南部・青海をあわせた領域が「チベット」。
「西蔵」は、チベットの一部。 康定の航空写真が凄い
屈曲した深い谷にビッシリ街の建物が埋め尽くしてる
そして過去に大地震も発生している
地形からも想定できるがかなり地殻変動が激しいのだろう >>73
おまえネトウヨかw
どうせリアルじゃ何も出来ない社畜のくせにイキってるなwww ラサ・チベット語が標準チベット語として、官話語化でなければ、ラサ語化しつつあるんでしょ?
カム語、アムド語、白馬語は消滅するはず。いよいよ中国の地方的民族文化にトドメが。 白馬語やギャロン語みたいなチベット語でもなく文字言語もなくもともと少人数の危機言語と
多数の文献と超地域的文化に支えられ放送にも使われてる
カム方言やアムド方言みたいな大方言の境遇を一緒にするとか
それを言うならむしろ主要都市から順に初等教育からの漢語化が進んでる現状では
ラサ方言のほうが危ないと見てもおかしくない 土蕃が「インカ道」をつくっておけば大帝国を維持できたのに・・・ そういうインフラがラサ周辺に限られたんじゃないかな。
基本的に戦争しっぱなしだしね。 >>76
なぜなんでも韓国に絡めないと反応できないのだろう? >>76
むしろ>>73は、「チベットを「西蔵」部分だけに縮小しようという立場」をとる、
中国人2ちゃんねらーかブサヨかと思ったのだが? それに比べてなんかウイグルの文化はあんまり独自性を感じないような
中央アジア一帯にある○○スタンの一種みたいな >>83 東トルキ「スタン」そのものだよ、ウイグル。 歴史的チベットの外の周辺にもチベット人住んでるの?
成都はチベット人口多い? 寺院あるから、そこそこいるんじゃない?
漢民族かもしれんが、広場舞なんかでチベット遊牧民の衣装着てブーツ穿いて踊っているよ。 重慶だと、そこそこいる少数民族は土家(トゥチャ)になってしまうよ。
トゥチャもチベット系言語の話者で、服飾も遊牧起源っぽい。
客家の飛び地もあって、重慶はそれなりに言語地図が多様性あり。 なぜ新疆の民族というとウイグル人の話ばかりなのか?
カザフ人は無視かよ。 チベットは支那人のものではなくジュンガル帝国固有の領土です! 土家(トゥチャ)の居住地域は三峡ダムで沈められたんじゃないの? >>91
グシハン王朝の領土。
チベット亡命政府が要求する「チベット」の領土とは、グシハン王朝時代の領土。
中国政府の規定する「西蔵自治区」とは、雍正帝が裁定、分割して認めたダライラマの領土。というか寺院領。 >>92
ISなんてもう落ち目
クルド人部隊に押されつつある 四川地域にはチベット仏教寺院、漢族寺院があり、漢族チベット族双方の商人は互の寺院を宿泊所にしていたのに、
仏教者としての双方の文化交流は無かったらしい。 重慶から見て山向こうの湖北と湖南の西部も土家族がいるがかなり漢化してるもよう
野人伝説のある湖北の神農架みたいな山奥も含め
けっきょく少数民族というのは籍の上でそうだという話なので 太古から犬戎や羌が蟠踞していたようだけど
こいつらって元は西から来た遊牧民だよね? >>97
>四川地域
四川の中部・東部はむかしから中国の一部だったところ(昔の「蜀」)。
四川の西部(アバ州・カンゼ州)は、チベット語で名前がついていることからもわかるように、
昔はチベットの東部。18世紀の「雍正のチベット分割」のあと、この地方のチベット人諸侯たちは
成都にいる「四川総督」経由で、清朝皇帝から「所領の安堵」をうけたり、領主の地位の継承の認定
を受けるようになった。
カンゼ州の州都タルツェド(中国名・康定)は、チベットと中国の国境の街で、
チベット・中国の国境貿易の拠点の街だった。
>仏教者としての双方の交流
21世紀に入ってから、カンゼ州の僧院で、大量の漢人が出家して修行するようになったが、
数年して中国共産党政権が伽藍の8割を破壊して、漢人のラマを追い出した…という事件があった。 >>97
士大夫層とチベット仏教僧の交流はあったのにね 合掌してお辞儀して生臭物を持ち込まなければ言葉とか通じなくてもよかったんだな 高地草原では動物性の食いものしかないから、そんなに杓子定規ではないよ。 シナ=チベット語族に属する言語のうち最も多くの系統が蝟集する地帯はアッサムを中心とした東インドである!
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/76/Sino-tibetan_languages_-_branches.png
したがって歴史言語学の手法に則ればアッサムこそがシナ=チベット語族のウルハイマートなのである!
つまり漢民族の文明もチベットと同様にインドからもたらされたものだったのだ! 20世紀の初めに中国仏教界で
チベット仏教を学ぼうという運動が起きて
何人かの漢人僧がラサに留学している
留学僧の一人である法尊がツォンカパのラムリムチェンモを漢訳しているが
これは良くできた訳で
長尾雅人も法尊の訳がなかったら『西蔵仏教研究』は書けなかったと東方学会の座談会で言っていた >>109
>チベット仏教を学ぼうという運動
正確には「密教を学ぼう」という運動ね。
で、西には>>109も名前を挙げた法尊ともう二人くらい、東には日本の高野山と比叡山に留学生が派遣されてる。 民国時代の密教復興運動は最初は日本に留学僧を送っていたけど
運動の中心だった釈大勇が北京でパンチェンラマ9世等に接触してから
チベット密教に乗り換えちゃったのね
1925年に留学僧団体を組織してチベットに派遣しているけど
1930年にラサに到着するまではカムの寺院を回っていて
一番初めに語学の勉強をした場所が康定賓館の隣にある安覚寺 吐蕃時代はどんな軍隊だったんだろう?
さすがに山岳地帯だし弓騎兵はいないか
攻城兵器とか運ぶの大変そうだな >>112
越中での源義仲軍団ではないけど、牛を操ったんだよ。 >>114
>牛を操った
正確には、ヤクね。
真っ黒けの毛長牛。 部品をばらして運搬して現地で組み立てる方式か
長安をどう落としたのか気にはなっていた 長安のみならず、イスラム帝国にも大々的に侵攻して連戦連勝してるんだがどうやったんだろうな・・・
不思議でしょうがない。 >>118
>金ばらまいて城門あけさせた
ちがうね。
中国の皇帝が夜逃げしたから、空き家に入っただけ。
チベット王のお妃が中国のお姫さん(金城公主)で、長安にのこっていた金城のお兄さんを中国の皇帝に即位させ、
改元・大赦を行わせるなど、チベットはすきほうだいやった 後の大理国とか金銀大理石が豊富に採れたらしいから
北の蛮族とは違って軍備は豪華だったに違いないだろう どうしようもない弱兵だけどな。
西の吐蕃には頭が上がらず、東の支那には媚びへつらう。
まぁ立地上仕方ないけどね。 >>114
義仲ってなかなか戦上手だったよな 最後義経に負けるまではほぼ無敗だったし
水島合戦とか源行家がメインの戦いなどは除いて
同時代の義経の名将っぷりに隠れてしまってるが、義仲もなかなかだと思うぞ 義仲vs冒頓単于の戦いなんて想像するだけで面白そうだ 蛮族世界代表vs日本代表って感じでw 青海は元々羌族のものである
羌族の土地を奪い不法に領土主張を行うチベット族はさっさと青海から出ていき羌族に土地を返還せよ
タングートの子孫を名乗るアムド人はラサの影響を受けたチベット語の使用をやめ羌語を使用せよ
チベット文字の使用をやめて西夏文字に切り替えるのだ
ソンツェンガンポとグシ・ハンを絶対に許してはならない タングートはタングラ山麓に住む集団の自称で
モンゴル語だったり、ラサチベット語だったり、西夏語であったり
首長の使う言葉が入れ替わっているみたいだね。 タングートは吐蕃が崩壊した後の現地居残り組だろ。
奴隷兵士的な物じゃなきゃまんまチベット人じゃん。 でも西夏はタングート民族だというし、西夏語はウーツァン地方のチベット語とは違うぞ 西夏を建国するまで二百年かかってるしね。
言語は変化したんじゃないのかな。
交流が殆ど無ければそんなものだよ。 タングートがチベット人だったらビルマ族とか彜族まで全部チベット人になってしまうレベル
そこまでいったらもうチベット族やネワール族やらシナ・チベット語族が全部中国人にされても大差ない だって、現にチベットの一部族だったんだろ。
なら別にチベット人で構わないだろう。
西夏文字も今は昔だしな。 やはり敦煌付近でなく青海に建国すべきだったな
チベット文化に中国文化が融合し、
新たな文化が誕生しそう 西夏に滅ぼされたらしいけど、文献上は青唐って政権があったじゃん 青唐は西夏ではなく、最終的には宋に滅ぼされたみたいよ。
建国二代目で早くも分裂するし、対西夏用の緩衝国として弱すぎるって思われたみたい。 西寧付近は現在では既にかなりイスラム化してるんだよな
河西走廊は漢民族の土地の様に見えて意外と回族多いわ語順がSOVの方言使うわで純粋な漢土とは言えない >>137
チベット仏教ならともかく、
またイスラム教か
ゴキブリ並みに増えるな 馬氏とか康氏といった家はもともとムスリムだったというぞ。
定住民ではなかったから、信仰を維持したわけでもないみたいだけど
ウズベキスタンみたいに定住していたら、ムスリム率は高止まりしていたと思うよ。 >>142
青海湖の「青」と、タングートの「タン(唐)」だよ 結局チベット史はマイナーなんだろうか?
そういやブルシャスキとか、
結構チベット文化圏でマイナーな民族いるな >>144
>タングートは西夏だ。
清代の漢文史料では、チベットを「唐古特」呼ばわりしてるよ
「衛・蔵・喀木・青海」を「唐古特四大部落」「唐古特四大国」とかね 今の自治区と同じくらいの広さでいいから
統一国家を保ってほしかった >今の自治区と同じくらいの広さ
だったら、統一国家でなくて、分断国家じゃん
そしてチベット国と隣接した中国領部分に「内チベット自治区」が設置される
今のモンゴル国と、「内モンゴル自治区」みたいな感じで >>150
それならブリヤートにお相当するところも欲しい アムドはタングート族の国家があれば良かった思う
史実での西夏の代わり >>152
>アムドはタングート族の国家があれば良かった
吐谷渾が滅びた時点で、その目はなくなった。
それよりも、ボルジギン朝(モンゴル帝国→元)があと3世紀くらい続いてくれていたら、
漢人の根性もおおいに改善されていて、いまとはちがったアジア史が展開していたかも……と妄想する。
ボルジギン朝から、明朝抜きでアイシンギョロ朝(清)に移行していたら、、 殷や周の時代にいた犬戎はチベット系だったの?それともトルコ系?トカラ系? 吐谷渾がタングート化するかタングート人が吐谷渾を乗っ取るかだな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています