【白起王翦】戦国四名将について語る【廉頗李牧】 [転載禁止]©2ch.net
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http://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%88%98%E5
%9B%BD%E5%9B%9B%E5%90%8D%E5%B0%86
中国では戦国四君だけでなく
戦国四名将という区分まであるようだが
これら四名将について
あるいは彼らの一族や子孫について語るスレ 王翦の知名度が後代で低いのは
秦が強勢になった跡
戦乱の最終期に登場した人物だからだろうか
燕、趙、楚を滅ぼした人物なのに 楚漢戦争のおかげで、王翦はまだ知名度がある方だと思うが
軍事史的には李牧が高いかもしれんけど 王翦は楚への出征時の恩賞をねだる逸話でけっこう有名だと思うが
こういう粛清を免れる身の処し様ってのは後世それなりに注視されるし ああいう逸話は王翦の子孫に伝わっていた話だったのか
造られた話だったのか 個人的には楽毅が一番すごいと思うけど
やはり多くは想像に頼らざるを得ない 史記で蒙氏、王氏の伝記だけやたら詳しいから
劉邦が関中を抑えた時に、その辺の記録も一緒に保護できたんだろうな そう考えると李氏の記録が妙に寂しいのが残念ではあるね いや
お前は廉頗のようだとか
お前は周亜夫のようだとか
俺は楽起のようだとか
いろいろな古代の将がすごい人の代名詞として
後代で使われているのは聞いたことあるけど
お前は王翦のようだと言われた人に覚えがないので
功績の割には変だなと 白起に例えられるといったら韓信や韋叡クラスだろう
性格とかじゃなく戦功とかで そらあ、弱い国の凡将を相手にすれば連勝するっしょ。 史書見る限り、白起の将才は戦略に影響するレベルだが
その戦績に至る戦略を描いた魏ゼンはもう少しセットで評価されるべきだと思う
まあ、BC258以降の一時的な秦の衰退は、半分以上魏ゼンのせいではあるんだが 戦国策で白起自身が勝ち続けられた要因を幾つもの戦役を引き合いにして語ってるけど
いちいち納得できる事ではあってもそれらを現実に全て勝ちに結び付けられる白起の
洞察力や手腕が>>17の言う様にやはり異常に秀でてたって部分もある気がする
いくら当時の秦が強国といっても常に相手よりも大兵力で有利な諸条件で戦えてる
わけでもないんよな
いくら連戦連勝だからといっても、相手が軒並み弱将だったからと断言できるものでも
ないというか、むしろ「お前が弱いんじゃない、俺が強過ぎるんだ」って感じがする 李牧の匈奴戦術は大体分かるが
白起がどういう戦術で韓魏連合軍24万を滅したのかわからない >>21
「戦国策」から白起が述べた勝因を引いておく。
「韓は孤にして魏を顧み、先づ其の衆を用いるを欲せず。
魏は韓の鋭を恃んで、推して以て鋒を為さんと欲す。
二軍、便を争いて、之の力同じからず。
是を以て臣、疑兵を設けて以て韓陣を待ち、軍を専らにして鋭を併せて
魏の不意に觸るるを得たり。魏軍、既に敗れて韓軍自ら潰ゆ。
勝ちに乗じて北ぐるを遂う。」
要するに韓は先に魏を当て馬にしようとして、魏は魏で韓の精鋭を先鋒にしたがる。
足並みが全く揃ってないもんだから疑兵で韓の注意を引いておいて、その隙に秦軍の
精鋭を結集させて魏軍の不意を衝いて破った。
魏軍が敗れると韓は自壊して逃げたんで、そのまま追撃したと。
でもって総括として白起は「皆利を形勢に計る、自然の理なり。」で締めくくって、
神業なんかじゃねーよって事を言ってる。 兵家の言う形勢は意味が広すぎて
結局、将軍の解釈次第という感じだな 史実どおり内部から排斥される以外で負けることはなさそう 孫子は実績が不明だからともかく
呉起は勝ちまくってるから分からんね。 背景にある国力の差を無くしたら
それこそ解らない部分だらけで判定不能か 呉起のアレで勝ちまくってるって判定するなら
孫武のアレも普通に勝ちまくってるって判定しないと
史記には呉の拡大は孫武の手柄ってあるんだから いや孫子列伝には某婦人兵の逸話があるだけ。
そりゃもちろん呉は孫武が強くしたってことになってるが、具体的に何したのか皆無。
だから実績不明と書いたわけ。
呉起は魯軍を率いて斉を大破、秦を討ち五城を落とす、西河太守となって秦韓を防ぐ
などなど戦歴が出てくる。
李衛公問対だったかな、「孫子」は兵書として素晴らしいが、孫武はそれほどでもない。
「呉子」は兵書としては良くないが、呉起は将軍として素晴らしい、といった評価がある。 >>29
何でやねん
伍子胥の伝記に孫武の具体的な進言とか謀略とかちょこっと載ってるわい 戦場に出て敵を撃破したとかは?
戦術能力の出来は? >>31
敵は撃破してるらしいよ
具体的な戦場は書いてないけど五城取ったどころでなく
楚軍をフルボッコにしたってくらいの大規模な勝ちで >>33
どうやって撃破したかわからんからね
とにかく楚軍に勝った、そんだけ >>30
白起とどちらが強いかという話で、軍事上の話をしてるんだが。
てかさ、ゴシショの列伝とか出すと「ゴシショ」が楚軍ぶっ潰したりしてるのばれるぞ。
>>32
同じやつよな?
つまりその具体性が皆無なんだよね。ゴシショの下にいるのも含めて。
言っとくけど別に孫武が弱いとか無能とか言ってる訳じゃなく
名著があるが実は将軍としての戦績はよく分からないっていう
「孫子」の常識的な説明を繰り返してるだけだからな。 >>37
伍子胥「も」だろ
別に背反するこっちゃないよ?
伍子胥は総司令官、孫武は前線指揮官なんだから >>38
前線指揮官?それどこに書いてあんのw
呉拡大=楚撃滅が孫武のお陰!というなら孫武がメインじゃないと。
そこで例えばゴシショ列伝で誰かが破った系のを探すと
乃興師與伍胥、伯ヒ伐楚
?使伍員迎?,大破楚軍於豫章(豫章の戦い)
王不聽,遂以其屬五千人?楚將子常(柏挙の戦い)
別に世家でも同じだが、呉は総力戦だから孫武の存在が出てこないのもたくさん。
当然対楚の功績は分割されて、呉の覇権は孫武のお陰!は苦しくなるといったわけ。
もっともこんなのは全て書かれてないだけで前線指揮官孫武のお陰だ!
ってならそれはそれだがw >>39
さてね
史記による功績の分類では拡大の成功は孫武に帰されてるけどね
呉越春秋でも読めればまた違うんでないかね? 呉越春秋だと
孫子為將,拔舒,殺吳亡將二公子蓋餘、燭傭
當此之時,吳以子胥、白喜、孫武之謀,西破彊楚,北威齊晉,南伐於越
みたいに記されてる。 ある日、藺相如が外出した際に偶然廉頗と出会いそうになったので、藺相如は別の道を取って廉頗を避けた。
その日の夜、藺相如は目に余ると言って出た廉頗とうつぼ、国のための行動だ。
この廉頗は上半身裸になり、いばらの鞭を持って罰として鞭で叩くよ、と藺相如にした。
藺相如はこれを許し、廉頗にさせた。
廉頗は「あなたに悔いはない」と言い、藺相如も同様に「悔いはありません」と言った。
こうして頸(首)を刎ねられてここに「刎頸」という言葉が生まれた。
この人が健在なうちは秦は趙に対して手を出せなかった。 中国での評価は知らんが
近年楽毅と廉頗は妙に過大評価される傾向があるな そうそう
元々は名文のおかげで義人として名声高く戦功はおまけだったのに
白起以上の戦国最強将軍かつなんでも出来る完璧超人扱いする奴がちらほら どっちもキングダム評価垂れ流してんじゃね?
廉頗は史記に誤解の源があるな、名将は名将だけど抗秦に関しては無能より
楽毅は将軍としての能力より燕趙の卿相を兼ねた所に注目したいね、おそらく燕に忠義一徹という人物ではなかったはず 楽毅はキングダムでは回想でチラッと数コマ出てきたくらいだぞ キングダム楽毅はチラッと出ただけだが戦国最強将軍(断トツ)設定と思われても仕方ない紹介だったな
ところで白起さんってなんで殺されたんだろうね、つか軍を三分して趙に進撃する途中なぜ白起だけ召喚されたのか
(昭王と便所で有名な宰相から見て)独断専行でもあったのか? それとも進撃先になにか拙いモノでもあった? >>52
白起が長平で趙兵を40万坑殺、更に邯鄲を落とそうもんなら
位階は宰相の范雎も凌ぐよという入れ知恵を承けた范雎が
白起を召還する様に昭襄王に上申した
白起が殺されたというか死を賜ったのは、召還命令に
憤慨して引きこもった後に再開された邯鄲功囲戦が
進捗しない事に対して、昭襄王と范雎の戦略のまずさを
広言したのみならず、范雎から次いで昭襄王からも
要請された出征を拒んだからってあたりだったかと
当初は流刑だったのが、いつまでも咸陽を離れないのが
昭襄王の勘にさわって剣を下して自刎を促した というお馴染みの史記エピソードは十分知った上でその裏に何があったか勘繰りたいって感じやろ?w>>52は ガチで謀反の気配アリならもっと派手に潰すだろうし
なんか病気でも抱えてたとかか 単純に、
趙の国力を過大に見積もって(長平の秦軍の被害が過大だったことも影響?)
もっと入念に準備してから攻めたかった范雎と
趙の国力を過小に見積もって、
今の内に邯鄲に突っ込めば勝てると思った白起が対立しただけなんじゃない あと何気に、白起は「上党を確保するため」に出陣したはずなのに
長平が終わった途端、今なら趙の都を落とせるので攻めたいです、と言ってるんで、
白起の独行・自立を疑われたのもあるかもな
それ以前に、秦本国の後方能力がパンクしてたのかもしれない
長平の戦いって、昭襄王がわざわざ河内に出向いて徴兵した兵力まで突っ込んで
ようやく勝てた訳だし >>56
マジで深刻な疑念なり対立があったんじゃねーかね?
仲良かったら急にそんな話になるわけないから元々君臣疎遠だったことになるが
楽毅が召還命令受けた例と似てる
・あれだけ功績ある人物殺すのは誰だって嫌なはずなのに一兵士白起をあっさり殺す
・白起も白起で専制君主(+その手駒の宰相)に対する臣にあるまじき異常な態度
こいつら互いに不信感マックス、前から冷戦状態だったんじゃ 一兵士があっさり殺した(史記というか中国の史書は基本的に事件をあっさり書くからこう評価するのはかなり早計なんだが)とするなら
案外、当人たちじゃなくて取り巻きがヒートアップしていたのかもしれんな
范雎(昭襄王)派vs旧魏ゼン派の代理戦争だったとか 趙方面には多分白起の封地があるし、穣侯期に白起が中心となって城を落としたのも趙
白起は人生の過半を宣太后政権下で過ごした人物だし、功臣が辺境に大封を得て鎮守する体制を指向しても不思議は無い
――という事なら昭王や范雎が懸念するのもわかる(ただし范雎も自領拡張すべく汝南攻めてるから同類だがw)
范雎と白起だが、范雎は秦が韓を攻撃してる時(将は白起)、
「正攻法は魏を執拗に攻撃した穣侯流だからダメでーす(超約)」「政治的手法で攻めろ(超約)」と茶々入れてるから
多分相性悪い 白起が大軍率い単独で山東にある邯鄲落すと半ば自立される危険大だしなあ
→白起をコントロールできない&韓魏健在だと上党支配は安定せず山東に手を出せない
→最悪、趙領と秦の東方侵略拠点陶郡が合わさった巨大諸侯が爆誕する
>>60
范雎は白起下げて仲間の鄭安平と王稽を趙地にねじ込んでるし正に戦争だわ 逆に言えばやって来た一世一代の大チャンスをブチ壊された格好の白起ってことになるな
そりゃ怒る 秦の制度じゃあどれだけ力のある人物でも将軍や中央の大官やってるだけでは
国を脅かし自立する事は絶対出来ない(召還する等、王が任を解けば終わりなので)
趙高や李斯みたくクーデターしちゃうアレな人間は別だが。
問題は地方官、特に千乗の大国の主に匹敵する郡守は権限が大きく危険、監視の目が届きにくし
敵と接し情勢が険しい状況で白起のように大軍を率いる将軍が(仕方なく)郡守代行する形が一番やばい。
>>63
でもそのシナリオはワクワクするwww
秦のシステムと周初(太公望とか周公旦が東方を鎮守する体制)のハイブリット。 白起さん将軍の地位で中央に戻ってそのままだろうから、何の力も権限もない無職同然だよね
飼い殺し >>66
郡守・尉・監って中央政府から派遣される格好だから、獲得した占領地で
独立しようとしても白起と私兵除いた属僚以下ががおとなしく追従しないって
事だよね?
穣や陶に封侯された魏冄の様なかたちなら可能だろうけど
白起の場合、武安君といっても僅か一県だろうし >>68
普通は
ただ(戦時)ゴタゴタの最中に不満を持つ人間に武力をチラつかされると追従する(秦末) 官僚は勿論必須だが日和だすと役に立たんし
他人の集まりなんで国はとっかえても問題ないってなるからね 李斯「誰のこと言ってんすか?」
趙高「さあ、わかりませんなぁ…」
邯鄲攻囲の頃から不安定なんだよな〜趙方面の戦線を支える河東郡守王稽は讒言され
范雎は切られるし、後任の蔡沢もすぐ辞任、宰相の地位が動揺してる
それまで黙ってた昭襄王に不満派が軍事的失敗を好機とみて一斉に反撃したのかもしれん
王を直接攻撃は出来んから范雎、王稽、蔡沢を攻撃する(直接攻撃した白起はアウト) 王の年齢が年齢だし、中央で安国君、華陽夫人、呂不韋という外戚タイプ次世代政権の存在感が高まりつつあった筈。
そりゃ流動的になる。機会ですわ。 安国君達の動きも重要ですね。華陽夫人姉弟と呂不韋の対話以外詳細不明だけど
【BC267】
太子外卒。
【BC265】
安国君立太子。宣太后薨。
年末、穣侯出国。
【BC262】
華陽君or高陵君出国。
【BC259】【BC258】【BC257】
白起失脚。鄭安平投降。白起死。
【BC255】
王稽棄市、范雎死。蔡沢宰相に→辞す。
うーん、みんな居なくなる。 司馬錯「ワシの家もここぞとばかりに文句垂れたクチかの」 その頃呂不韋に飛ばされた事で有名な張唐が高級将校のサボタージュで苦戦したり
邯鄲の大敗で元々あった范雎体制への不満爆発→人心荒廃した感じ
絶対者である王の庇護があるとはいえ失敗責任追及は王もせなあかんからダメージ大きい >>74
秦の相邦と趙の宰相を計五回ほど就任と離任繰り返すとか、
素晴らしい人生を謳歌した長生き魏冉さんはもう別にいいんじゃないすか…就国くらい。
>>66
占領地と将軍の組み合わせってーと長安君の反乱が思い浮かぶな
あれは兄王を狙ったわけじゃないし目的がイマイチわからんけど…。
呂不韋? あるいは亡命に近い何か? >>74
昭襄王が高齢なうえに正式に安国君が立太子されると、次代が間近いとみて
擦り寄る人間もいたろうに思うんだけどね
呂不韋を除くとそういう人物がいた感じでもないのがなんとも >>79
やたら高位のわりに呂不韋と直接の接点がなさそうな昌平君・昌文君一派が候補だな その二人は呂不韋のすぐ下くらいの地位につけてた上に呂不韋と一緒に失脚してない
高確率で華陽太后とその周辺が後ろ盾でしょうね
>>77
おそらく異母弟・華陽君の家系が秦の中枢に喰い込んだままやしね 立て続けに宰相、范雎と蔡沢がgdgdになり、その後の宰相が呂不韋までわからない
過渡期だったのかなー? 落ち着かせる為に客(卿)からではなく譜代を宰相に、とか。若しくは孝文王体制が半分始動してたり
その時期の丞相の名が明記された物が出てくれば手掛かりになるんだが・・・ 考古学(出土兵器銘文)で相邦(or丞相)就任が確認されたのは
たぶん相邦魏冉(三か四回目)が最後なんだよね、呂不韋まで十年以上空白ある そういや白起が製造させた可能性のある郡製造の武器が見つかってるらしいね
もしマジなら白起の官歴判明&史記の空白部分が埋まる 白起の徑(字が違う)攻撃は中央から出撃したのではなく
上郡守白起が黄河渡って城攻めしたのかもなあ >>79-80
後の趙相司空馬とかは……呂不韋にくっ付いて来た組か。
でもまあ呂不韋とかいう商人にして官界での実績がない、秦での立場皆無の人間すら接近できるワケだし近づく人間は沢山いたはず。
それにしても安国君は列侯、華陽夫人の弟も列侯、窓口になった姉も羽振りよさそう。このグループ相当力持ってそうだよなぁ。
兄の太子外はなぜ敵国の人質になってたのか、、、
子楚に決まる前、安国君の世子有力候補で勢力を持ってたらしい公子を推していた勢力が(あるだろう)気になる。 秦の太后はいつからか知らんが巨大な権限を正式に持ってるから(太后と秦王の偽印でロウアイは兵を動かした)
その姉弟はそりゃあ羽振りがいいでしょう・・って王后にすらなってない頃だな・・ 奇貨エピの陽泉君と華陽姉は恐らくまだ若い&楚人なのに、もう長いこと秦にいますよーって感じやな
>>88
封地与えられてる立派な弟(おっさん)がいるのに太子が外におっていいのかね?
もし先に昭襄王が急死しとったら始皇帝と扶蘇・胡亥みたくなる可能性あるべ 秦王弟が諸侯になる例はあるけど庶子が父王の時代に列侯になるのは珍しいね 陽泉君の陽泉ってなんか趙にあるっぽい?けど
武安君白起の武安も趙の武安なのかねえ…なんか最前線すぎる気が…… 攻勢なら前線軍事拠点、守勢なら敵を引き受ける被害担当
ケースによるけど、田宅を与えるみたいな完全ご褒美じゃねーからな、封邑は
天下治めるにゃ統治システムもメリハリ必要、難しい土地を中央から切り離して負担軽減とかも 秦なら巴蜀に封じられた諸侯、匈奴を討ち北辺に鎮した蒙恬なんかにそうゆう役目が求められる
この時代だと対楚方面や対東方も似たようなものだけど、趙なら代の相か 李牧の対異民族戦略の手並みは恐ろしいな
国力傾注できる統一国家でもなく、南方で本土が常に秦の攻勢に晒され続けている
状況でよくもまあ 確かに秦の攻勢でズタボロになってなければもっと楽に漠北の民族を制したでしょうね
ただ七雄レベルの国力があれば一方面に展開可能な兵力は統一帝国とさほど違いはない
正面からの真っ向勝負の戦闘力なら列国の軍隊は匈奴よりかなり上だろうし >>96
宣太后「国の中央で異民族を手懐ければよかろう」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています