フランス革命 part2©2ch.net
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維新が最高として、次に成功した革命ってなんだろうか 名誉革命? >>179 世界最古の長編小説 何をもって長編とするかは恣意的な基準で、 サテュリコンは長編じゃないという基準にすれば世界最古。 イギリスの名誉革命時代から、フランスも改革の機運はあったがなぁ 保守派によって潰されて1世紀も債務超過とデフォルトを繰り返して ルイ16世は、15世がデフォルトしすぎたせいでデフォルト出来ずに債務ばかりになった 財務長官が代わるたびに改革を断行しようとしては、保守派に邪魔され落とされた んで、最終的な結果が革命なんだよな それなのに、1世紀にもわたる保守派の邪魔で革命にまで至ったというのに、今度は革命すらも保守派は攻撃すうという体たらく ほんと邪魔しかしてないなw いい加減気付けよ。フランス人にはそもそも革命など不可能。 フランス革命は言わば大きな内戦であり革命でも何でもない、ロシア革命や文化大革命と同類の愚行に過ぎない。 革命とは英米の性質であり、すなわちアングロサクソンの能力であると英米以外に革命は不可能であり、史実では過去の全ての成功した革命は英米によるものか英米に授けられたものであるから。 すいませんが質問させてくださいな 最高存在の祭典 - Wikipedia には 「フランス革命が絶頂に達しロベスピエールの独裁が確立した時期で、恐怖政治がフランス全土を覆っていた。彼は人間の理性を絶対視し、キリスト教を迫害しカトリック教会制度を破壊した。」 と書いてあるのに、 理神論 - Wikipedia には 「ルソーの「有神論」はロベスピエールに受け継がれ、フランス革命が過激化した時期に「理性の崇拝」に反対して挙行された「最高存在の祭典」にあらわれている。」 と書いてあります。 前者ではロベスピエールや「最高存在の祭典」が理性を絶対視していたかのように書いてありますが 後者ではその逆でロベスピエールや「最高存在の祭典」は理性の絶対視に反対した有神論者かのように書いてあり、 互いに矛盾しているように思います。どっちが正しいんでっか? 私はこれまでエベール派が理性を絶対視する無神論者で、 ロベスピエールはそれを批判してた人って印象だったんですが・・・ あと、「神がもし存在しないなら、創り出す必要がある」という言葉について、 前者では言ったのはロベスピエールという事になっていますが、 後者ではヴォルテールだという事になっています。 本当は言ったのはどっちなんですか? >>179 ,>>183 長編って何文字から長編なのよ?その定義の根拠は? 表記法(文字数)で決めたら言語や文字の種類で不公平が生じるが? 長編かどうかじゃなくて世界最古の小説は「ギルガメッシュ叙事詩」だろ 長編にこだわらなければ日本国内でも 最古は源氏物語ではなくて竹取物語になるはずだが? なぜ長編がどうのっていう形式上の枠を持ちだして やたら源氏ばかりもてはやすのか? 俺様ルールの白人オリンピックみてーだな …と清少納言の霊言がきこえた 海外で源氏物語に付いて語られる時にも「世界最古の云々」と紹介されているけれど、sometimesが付いているんだよね 「世界最古の長編小説と呼ばれる時も有る」的な感じ 「最古」とは断定していない 長編の概念にしても規準が有る訳でもなし まぁ「世界最古の長編恋愛小説」ならライバルは無いかな? 無理矢理世界一になるような定義をして 世界一ということにしたい国民性だからな。 >>170-171 その結果既得権益どころか命まで失くしたんだから、保守派も相当な無能揃い。 本当に有能な人間は、譲れるところは譲って権益の中核を温存するものだよ。 敗者の歴史たるフランスに生まれた事を恨むが良いよ! >>186 所詮はwiki 前者の方が正しい 啓蒙主義に典型的な理性的な思考というのは 何よりも科学を発展させた ニュートンを取りあげたのも名誉革命に賛同した者たちだし、進化論に影響を与えたビュフォンもそうだ それまでの神を軸にした考え方から、自然との対比としての神を考えるようになった 政治と宗教を分離させる思想や、信仰の自由が確立したのもこの頃 経済が政治から離れて独立した経済学になったのも同時代 >>196 第一次大戦も第二次大戦もおフランスは勝利しましたが >>198 米国に助けてもらってのものでしょ。 しかも戦後は体制転換が起こっちゃったし。 >>198 英米様にお膳立てしてもらわねば飯も食えぬサレンダーモンキーだよ。 第一次世界大戦ではフランスはなんの貢献もせず戦況を悪化させただけで、ドイツの自滅でかろうじて不戦勝したに過ぎない。しかも戦後賠償を過酷にした結果ナチス政権が生まれた。 第二次大戦では早々にドイツに降伏してフランス本土は親ナチス派の政権になりフランスは廃国し国家の伝統は断裂。 ドイツが負けそうになると、イギリス様にかくまってもらったただの反逆者を大統領に担いで戦勝国気取りww まあ何にせよ、フランス国民は人類の歴史に多大な影響を与えたな。 悪い影響をなー。 フランス革命が後世に影響を与えたとしたらロシア革命や文革、クメールルージュとかとにかく革命とは名ばかりの虐殺と混乱の正当化の系譜だからな。英米の革命とは根本的に性質が異なる。 フランス革命というか18世紀に綺羅星のように英仏に現われた 啓蒙思想家たちが今日の世界とそれを支える価値観を作った。 革命によって否定されが、啓蒙思想家の出現を許したフランス 絶対王政の時代は、思想的にはずいぶんと自由だったと思える。 確かに検閲制度や禁書もあったが、同時代の日本などとは 比べようもなくフリーダム。 欧州の絶対君主の中には、むしろ科学や啓蒙思想に理解を示していた方もいたくらいだからね。 人間が世界を究明する科学的な姿勢は、 国を支配する万能であるべき絶対君主=万能な理性が、 世界を支配する=世界の真理を解き明かすと、 読み替えて、絶対君主は支持したのかも? 日本は天皇陛下の下に全国民が忠誠を誓っていた。 そんな理想国家を実現していた日本には啓蒙思想などいらなかった。 絶対王制など暴君がやりたい放題していた暗黒時代。 天皇陛下は常に民のことを考えてこられた。 欧州やシナが近代になってもできなかったことを、日本は仁徳帝に既に実現していた。 そもそもなんで竈の煙が絶えるような事になってたんだろうな? >>207-208 少年時代の昭和天皇の説によると 仁徳天皇が巨大古墳の造営に人民を労役したからだというが 現在の学説からいうとそれも微妙だな 単純に貧富の差が急速に拡大するようなんらかの事情があったってのが一つと 記紀をよくよむと仁徳天皇自身が正統性に問題があって、 貴族層の中では権威がいまいち、よって即位当初は不安定な政権になりかねない情況があった やむなく庶民層を味方につけるしか選択肢がなかったとかの事情が推測される >>204 同時代で言うなら、どうしてもイギリスと比べてしまう イギリスは王制でありながらも、自由な国制をうたっていたし 実際出版や言論の自由も、王制下ではあっても確立されてた 議会の力も強く、特に名誉革命以降は庶民院の力が増大していってた それに比べるとフランスは保守的で、検閲が行われ禁書もあり、さらに議会も開かれなかった しかも財政政策も、保守派貴族によってことごとく潰され、デフォルトも繰り返し、足場が崩れまくってたからな カンティロンとかテュルゴとか、アダム・スミスに連なる有能な経済家はいたのに、あまり日の目をみることもなかった 実際、フランスの思想家はイギリスに逃げてた人多かったしなw イングランドは、 貴族の数が小さく・力も弱い。そしてジェントリーがいた。 フランスに介入するため臨時課税の関係で議会たびたび召集していたから 議会ありが基本となっていたからね。 >>207 何が原因にしろ、煙が絶えるのを見るまで気づきもしなかっったんだよね。 それを美談に仕立て上げるとは浅ましいわぁ、 むしろ、例え後からでも気づいて対策採るのが美談になるくらい当時は酷かったと見るべき? >>211 フランスで起きた事は世界中至るところで起きている。 だからフランスがとりわけ無能であったわけではない。 英米以外の全世界は等しく無能なのである。 英米の革命だけが唯一無比の至上の革命であり、フランスはたまたま英米の近くに居たから他より早く国を滅ぼす内乱に至っただけの事である。 >>214 それぞれの国の国力や周辺諸国への影響力も考えずに何言ってんだかw >>214 ん? 革命自体を否定してるのではなく、革命に到らざるを得なかったプロセスを問題視してるんだが イギリスは逸早く名誉革命を達成し、保守派を駆逐した アメリカ革命も保守派をカナダに追いやり、革命を達成させた それに比べてフランスは保守派の力が強く、議会も開かれない、言論・出版の自由も著しく規制されてる 度重なる戦争で財政的にも逼迫して、デフォルトも繰り返してたし、改革を行おうにも保守派が反対して 満足な改革も行えなかった 他のドイツやロシアに比べても、当時のフランスは保守的にすぎた フランス人権宣言は、150年後の国連人権宣言の大元になったくらい 時代を先取りしすぎたものだったからなぁ 教育でも、宗教的な教育よりも、科学的で数学を重視した教育を推奨していたし この教育方針は、保守的な教会からはヨーロッパ中で反対が起こった 主権在民なんて、当時の貴族制が主だった時代からすれば脅威以外のなにものでもなかったしな 最終的には諸外国からの介入によって潰されてしまったが これはいくら先進的な思想であっても、時代に則さない限りは無理だってことだな 主権在民というのは、原理的には圧政への道だからね。 有権者の多数派を自称する立法者が、憲法制定権力を僭称して、「立法者による支配」を始めたとき、 「法の名において」人類史上最悪の圧政への道が開かれる。 それが1793年憲法(ジャコバン憲法)の恐ろしい原理です。 後世の奴らがそうやって美化するからなんの意義も無い内乱を変に革命なんて呼ぶんだよ。 人権宣言なんて未だに理想で現実世界で実現してないだろ。 本当の人権保証なんて不可能なんだよ。共産主義と同じ、ただの机上の空論でしかない無意味な言説だよ。そんなものに踊らされてフランスは偉大だとか持ち上げるなよ。 対して理想は持ちながらも現実の世界に応用できる法体系を追求したのが英米。どちらが正しいのかは歴史を見れば明らか。 :// www35 .atwiki.jp/kolia/pages/1758.html 国民が知らない反日の実態 === 第三部 国家簒奪・大量虐殺の思想を排除する ? 根絶すべきフランス革命の教理第五章 「人権」という、テロルの教理 ? 文明と人間を破壊した「フランス人権宣言」 (中川八洋『国民の憲法改正』(2004年刊) p.146以下) 第三部 国家簒奪・大量虐殺の思想を排除する ? 根絶すべきフランス革命の教理 フランス革命とは、・・・人民の政府でもなければ、人民による政府でもなく、・・・国民から絶対的に独立した地位に自らを置いた、国民の代表者を僭称する革命家たちの、「主権の簒奪」であった。(アーレント) 第五章 「人権」という、テロルの教理 ? 文明と人間を破壊した「フランス人権宣言」 ・・・戦後日本では、「人権」がさも素晴らしい近代の哲理と見なされ、「人権」が“自由”を擁護する魔法の力をもっているとの、転倒した錯覚が広く共有されている。 このように逆立ちした異様な「人権」妄想は、「人権」を発明したフランスですら今では実態的には存在しない。 現在では国連と日本(と大陸EUの一部?)だけに見られる狂気であるといってよい。フランスは、このおぞましい「人権宣言」を、その約90年後の1875年の第三共和国憲法では一旦葬儀に出した。 現在の1958年第五共和国憲法では、前文で一言高らかに触れることで一種のモニュメントに扱い、敬して遠ざけることにした。現代フランスの憲法は、「フランス国民の権利」を擁護して、「人間の権利」などは出来るだけ思考の外に出てもらうことにしている。 ・・自由とか生命は、“国”並びにその“国”において成長した“法秩序”の二つがあって初めて保障される。“国(ナショナル)”である以上、それは「国民の権利」である。 つまり、自由は「国民の権利」としてのみ要求し得るものであり、「人権」は自由を僅かも保障しない。 人間の自由も権利も、古来からその国に“世襲”されてきた“法”と“慣習”によってしか保障されることはない。これのみが真理であり、また真実である。 だから、コモン・ローの母国である英国も、その継承国家の米国も、この程度のことは常識に過ぎないから、憲法思想の中に「人権」が匂いすらもなく皆無である。 ・・・米国についても同様であり、米国憲法(1787年起草、88年制定)には「人権」の文字も概念も何処にもない。あくまでも英国と同様、「国民の権利」しかない。いや、英国よりも遥かに中世封建時代的であった。 「国民の権利」ですら、ハミルトンら「建国の父たち」らは反対であった。ただ、中庸的な性格のマディソンが最初に妥協して、建国してから2年後の1791年12月、憲法に修正の形で10項目を追加した。これが修正第1条から第10条である。 だが、それはフランス人権宣言とは似ても似つかぬもので、あくまでも「アメリカ国民の権利」であって「人間の権利」ではなかった。 あげくに、「反戦・反軍備」の日本の極左憲法学者が途惑い目を閉じ口ごもる「国民の武器を保有し携帯する権利は、これを侵してはならない(shall not be infringed)」が、米国憲法修正第2条である。 さて、この「人間の権利」のない米国憲法に困惑した宮沢俊義らは、その『人権宣言集』にどういう歪曲や嘘を細工して、米国にも「人権」があるというプロパガンダに成功したのだろうか? 第一のトリックが、米国が建国される以前の13邦の憲法文書にすり替える。 第二が戦争(反乱)に在植民地イギリス人を駆り立てた煽動パンフ「独立宣言」にすり替える。第三のトリックとして、憲法修正第10条、第13条から第15条、そして第19条が、米国憲法の「人間の権利」を定めているという嘘を吐く。 まず修正第13条から第15条についていえば、米国憲法の起草、制定から90年が経過した、この1868?70年の追加条項を以って、米国憲法の(制定時の)精神を語ることは出来るのか? またそれは、南北戦争後の黒人解法による、黒人への法的保護の附与の条項である。つまり、黒人もアメリカの「国民(citizen)」と認め、アメリカ「国民の公民権(civil rights)」が附与されると定めたものであった。 「人間の権利(human rights)」とはしていない。修正第10条は、連邦の権限と定められていないものは州または国民に留保されているというもので、中央政府の統治権力を制限する“立憲主義”の定めのひとつではないか? 「人間の権利」とも「国民の権利」とも何の関係もない。修正第19条(1920年)は、女性参政権の附与である。 >>219 みたいなのは、古代の民主政と近代以降の民主政を一緒にしてるバカで >>220 みたいなのは、人権とか平等という意味を勘違いしてるバカだなw よ〜く調べてから書き込めw >>221-222 の内容って、中川八洋の本の中身そのままなのか? それとも、それを読んだ人間が独自解釈して書いてるのか? ネットに自由に書き込んでる身分で、よく人権を否定できるな。 この権利もまた、人権規定の一つだぞ。 当たり前の権利になってくると、そのありがたさを自覚できなくなるとみえる。 「人権」が問題なのは、「人権」を振りかざす連中の動機がおかしいからというのもあると思います。 10年くらい昔に話題になった「人権擁護法案」も実態は「言論弾圧法案」ですし、 「人権派」を名乗る弁護士は、ジェンダーフリーとか意味不明語は振りかざすけど、 中共、ロシア、北朝鮮で実際に行われている人命に関わるレベルの人権弾圧には見て見ぬ振りをする。 「人権」を振りかざす連中は、結局偽善者もしくは人権を食い物にしているんですよ。 「人権派」弁護士の本性は拝金主義なんですよ。 「人権」を振りかざすのは金儲けの手段でしかないんです。 それが嘘だというのであれば、マザーテレサやキング牧師のような本当の行動力を見せて欲しいですね。 人権派を批判する権利もまた、人権によって保障されている プライバシーの権利とか、日照権とかも いわゆる「人権派」の主張よって確立してきた権利なんだが こういう権利すらも否定するのかねぇ 自分はその権利に護られておきながらw >>229 権利の章典なんか記載されている、最低限の人権保障ですらも 当時の保守派からは反対されてたからな それでも革新派が確立させていった努力の恩恵を俺達は受けてる 人権思想にも英米先進史観が見られる、イギリス人が発明した人権思想をアメリカがより発展して純化し、バージニア権利宣言に至る。 それが羨ましくて真似たフランスは極端に理想化したフランス人権宣言をもって革命を起こすが内乱と帝政独裁を経て、人権も革命も自由も何もかもを灰塵に帰してしまう。 フランス革命は急激すぎただけ イギリス革命は長い時間を掛けて徐々にすすめていた。 人権思想は古代ローマだよ、何適当なウソついてんのw イギリスにしても、アメリカにしても、古代ローマやギリシャからその着想を得ている 急激というなら、アメリカ革命が一番急激だったけどなw 独立戦争が始まるつい数年前までは、ジョージ三世の誕生日を祝う祝賀会を アメリカ全土で大々的に行って 当時の思想家ヒュームに、「アメリカ植民人は、ジョージ3世を見た事もないのにここまで大きな祝賀ムードになれるのか」 と呆れてるくらい その数年後には独立戦争に突入してるんだから、急激以外のなにものでもないw なぜ誰も英米が優れててそれ以外が劣っていると考えないのか。 人種や民族に優劣が無いと根拠無く言うより、たった一つ英米が優れているという例外を認めるだけで世界史のあらゆる謎は氷解すると言うのに。 >>234 古代ローマには民主主義のようなものはあったが人権思想は存在しないだろ。 普遍的な権利としての人権思想はマグナカルタに始まり、ジョンロックによって発展し英米の革命で完成した。 ルソーとか大陸の学者は英米が発明した権利や平等思想を拡大解釈しすぎて理想化を突き詰めたから、現実とはそぐわない机上の空論しか生み出せなかった。 >>237 残念だが、古代ローマ・ギリシャが発祥だよ ギリシャの人権は狭かったが、ローマの権利は他国人にも与えるより広いものだった なんだ、ネタかと思ったらマジで知らなかったのかw >>237 バカ発見 人権思想は西洋古代からあった しかも、英米の革命で完成すらしてないw 名誉革命は、イギリスの自由な国制を与えたが、それは貴族や民衆、奴隷などの身分制下であり 全く話にならない 実際、当時のイギリスでは2シリング盗んだだけで死刑になってたしな アメリカ革命と合衆国憲法も、権利章典という人権規定を後から入れたほどで 全く完成などしていない アメリカ憲法には主権在民という文章もなく、これもまた即座に最高裁で認められた 世界初の成文憲法だけど、憲法としては穴だらけで修正しまくり、最高裁判決とかの影響受けまくり の不十分な憲法だった 前から思ってたんだけど 適当に嘘八百並べ立てるような>>237 みたいなのを相手にする時でも 反論するなら、ちゃんとした知識をもって反論しなくてはならない どこぞのネットで適当に拾ってきた5分知識を否定するのに ちゃんとした本を1週間とかかけて読んでからようやく否定できる 本当に反論する時は、何冊か同じテーマの本を読んで それを自分の知恵にしてから反論していく 適当な妄想を書いてるやつを否定するのに、 なんでこっちの時間かけて得た知識を相手に与えないといけないのか と思ってしまうほど、レベルが低い もうちょっとマシな反論頼むよ >>242 の続き ちゃんとした反論がない限り、俺はもう反論しない事にした 自分の知識がもったいない こんな低レベルなやつを相手にするために知識を仕入れたわけじゃない ちゃんとした議論になって「おぉそうだったのか!」という驚きを得たい気持ちもあって 知識を手に入れ、ここで書き込みをしているというのに 「はぁ?何いってんの」ってレベルの反論しかない 他のやつは知らないが、俺の興味は失せたw 以前はこんな「ばかばっか」の板じゃなかったんだけどな ばかばっかが入ってくることで、以前の住人が次々と消えていって ばかばっかが残ってしまった >240の言う西洋古代の人権思想のソースは何なんだ? 所有権や裁判権や控訴権などなどじゃね? 権利章典でも明文化されてる権利だし 保守主義の哲学---国民を権利の侵害から保護するのは法と美徳(道徳)のみである: :// burke -conservatism.blog.so-net.ne.jp/2014-07-10 日本国民として、最低限知っておくべき正統の政治哲学。 === 18世紀英国のエドマンド・バーク(Edmund Burke)が“人間の真の諸権利(=文明社会の文明人の権利)”について述べた主著『フランス革命の省察』の次の一節は世界標準ではあまりにも有名なものである。バーク曰く、 ◆◆◆◆◆ 「〔私が人々に諸権利を与えたり、与えなかったりする力が仮にあったとしても〕私は人間の真の諸権利を理論上否認するつもりは毛頭ありませんし、同様に、実際的にもそれらを人間に与えなくてもよいなどという心情は全く持っておりません。 彼ら(=フランス革命を支持する革命教会の輩)の誤った諸権利(=人権)の主張を否定する場合でも、彼らの主張する偽りの諸権利によって完全に破壊されてしまうであろう真正の諸権利を侵害する意図など私にはありません。 文明社会というものが人間の利益に合致するように形成されているならば、そのために形成された利益すべてが人間の権利となります。つまり、文明社会とは善の制度なのであり、法とは文明社会を支配して作用している最良の善の制度そのものなのです。 (それゆえ、文明社会の)人間は法の支配の下において(のみ)生きる権利を持っています。」 (出典:バーク『フランス革命の省察』、みすず書房、74?76頁に対応。原出典;Edmund Burke, “Reflections on the revolution in France”, Dover publications, Inc, pp.55-57. を訳出。アンダーライン、丸カッコ:〔 〕内:バーク。) ◆◆◆◆◆ 以上を簡潔に要約すると、文明社会の文明人(文明国の国民)の諸権利とは、自由文明が形成した“法の支配の原理(自由の自生的秩序)”を統治者(政府)と被統治者(国民)が共に遵守することによって保護さ得る諸権利のことであり、 自然法に基づく自然権としての裸の「人間の権利(人権)」とは異質のものであるということである。また、このことに関しては、ノーベル経済学賞受賞者であり、二十世紀最大の自由主義政治哲学者であるF・A・ハイエクもバークと同様に次のように述べている。ハイエク曰く、 ・・・「(法という)個人の正しい行動ルールの一つ一つが、個々人の対応する一つの権利を生み出すというのが『権利〔right〕』という名詞の意味である。 行動ルール(=法)が個々人の領域を定めているかぎり、(定められた)自分の領域に対する権利をもつのであり、それ(=その意味での権利)を守る際には仲間の共感や支持が得られるだろう。」 (出典:『ハイエク全集「法と立法と自由〔?〕」』、春秋社、 140頁、) さらにハイエクは言う。 「『各個人の生存と活動のために、安全で自由な領域を与える不可分な境界線を設定する規則が、法である(F・C・サヴィニー)。』 このように、前世紀の偉大な法学者のひとりは自由の法についての基本的な考え方を述べた。法を自由の基礎とするこの法概念はそれ以後ほとんど失われてきている。この章の主な目的は…この法概念を再発見し、より正確にしようとすることである。」 (出典:『ハイエク全集‐6「自由の条件」』、春秋社、23頁、) 以上のハイエクの理論を要約すれば、各個人の自由領域の境界線を与えるのが法であるから、政府と国民が共に法の支配を遵守することによってのみ、政府権力が制限され、国民の自由と諸権利が保護されるということである。 これは上掲のバーク理論と全く同義であることがわかるであろう。 しかしながら、文明社会の文明人の自由と諸権利を保護するものは法とその遵守だけでは十分ではない。 古来普遍の社会(国家)の道徳的規則や伝統・慣習等も、法ほどには拘束力(強制力)が強くないが、各個人がそれらを遵守する義務を果たす社会であるほどに、社会生活が円滑で容易になることは誰しも理解できることであろうし、それが我々の社会の現実である。ハイエク曰く、 「私的領域内における行為が国家による強制行為の適切な対象でないという事実は、自由社会においてそのような行為が世論あるいは非難の圧力からも免除されることを必ずしも意味しない。 ・・・道徳的規則(=moral rules)や慣習(=conventions)は法(=the law)よりも拘束力が弱いけれども、法(=the law)よりも重要で不可欠な役割を演ずるべきものであり、 そしておそらく法の厳格な支配(=the strict rules of law)と同様に社会生活を容易にすることはほとんど疑いえない。 人権ってのは、めっちゃくちゃ範囲が広いからな 自然権的人権と、実定法内での人権と 消極的自由における人権と、積極的自由における人権と それらの種々を総合して人権という >>244 世界史板はIDないし 一人が毎日自演しながら何十レスもできるかんね いちいち機内モードなんか使わずに、普通のレスと変わらず楽々に 結果たった一人でも基地外が出没して住み着くとスレは簡単に終わる。 普通無茶苦茶言ってる基地外がいると総叩き受けるもんだが むしろその基地外の自演やら多レスで突っ込んだ奴が総叩きにもなる。 んで常人ほどそんなのに付き合わずさっさと消える。 すると勝ったとますます活気付く。そして最初に戻る・・・ 所有権や裁判権を人権に含めると、たいていのものは古代オリエントにもあるんだろうな。 古代の日本にもあるだろう。 >>246 >>247 古代ローマは市民権をもてば征服した異民族や解放奴隷にすら与えていた。 フランス革命を反面教師にしてアングロサクソンがいかに優れているかを論じるスレだろここは。 フランス革命の非人道性を論じるスレじゃないの? 理想のためなら大量殺人やむなしというのは、 狂気だよ。 まあ革命と言いながら発狂して仲間何千人も殺害するのは残酷としか形容しようが無いな。 革命ってそういうもんだけどな アメリカ革命も、反対する同胞を殺したり、領地から追い出したりしてたしな 革命と呼ばれるもので人間の各種の思想は発展を遂げていくが それはいつも流血を伴うものだったし、これからもそうだ 有名なのでいえば唯一名誉革命くらいが、無血だったといえる >>259 こういう考えをする人間は恐ろしいわ。 こういう人間に限って、人に人柱になれと強要するけど、自分は安全圏、酷い場合は新しい体制派の一員になることが多いからな。 >>259 名誉革命というのは、清教徒革命と続き物の革命だから 名誉革命のみでは成立し得ないぞ 清教徒革命→名誉革命で1つの流れとしてイギリス革命って事になる つまり、イギリ革命というのも無血革命ではない 重要なのは、革命というのが犠牲が出るからダメだという理想論的で妄想的な考え方は論外として 実質、長引く戦争などによって多数の犠牲を払い、さらに多くの財政危機を引き起こすからこそ 貴族の力が弱まり、商業の力が強まったりしてるわけで 戦争や革命(まぁこれも戦争になる事が多いが)によって、多数の犠牲を払いながら 人類は進歩してきたといわざるを得ない その歴史は変わらないのだから、俺達がすべき事は歴史を安っぽく否定することではなくて その革命で生まれた思想に歴史的意義を与えることだろう 実際、フランス人権宣言は、世界人権宣言などに多大な影響を与えているわけだしな お前らのようなお荷物が100万人死ねば世の中はよくなる… みたいな考え方をマンセーするのはどうなんだろうね。 まあ、歴史的意義はあるんだろうが。 できちゃったものはしょうがないからな。 革命ってのは日常的に起こるものじゃないからな フランス革命もそうだが、現状を改革しようとしても保守派から反発食らって改革できず その度重なる失敗が一世紀続いてからの、最終的な手段として革命に到ったわけで そのプロセスってのが重要で、歴史的教訓になるんだろ つまり、保守派の力と革新派の力が拮抗してる状態が丁度良いって事だ 保守派の力が強すぎると、その反動で一気に革新勢力による革命になる ならば、保守的な力と革新的な力が拮抗し、互いに政権を取り合ってるような状態では 革命までは達しない いや100%達しないという事はないか 「達し難い」といったところだな >>262 世界人権宣言はどちらかと言うとアメリカ合衆国憲法の借用が多いと思うが。当のおフランスで根付かなかった人権思想を世界が参考にする訳がない。英米様の教えを乞う方が早いからな。 >>266 それはない 合衆国憲法は世界最初の成文憲法として有名ではあるけど 成立して即座に権利章典(人権規定)の修正条項が入るくらい未完成なものだった 合衆国憲法が主権在民を排除したのは、 国民主権という概念と、法の支配という原理が両立しないということを起草者たちが知っていたからだよ。 主権在民というのは、原則的には多数決原理によって、多数派が少数派を抑圧することが免れないからね。 特に一般有権者が己の欲望を政治にぶつけた時、 まさに平成日本がそういう状態になっていますが、 政治の劣化を免れない。 政府や伝統的秩序というものは、 人間の悪の本性を抑えるためにあるのです。 人間は権力を持つと何をするか分からないから、 伝統に裏打ちされた「法の支配」原理が極めて重要なものになるのです。 政府が無くなると、万人の万人に対する闘争状態になり、 秩序なき自由が与えられると、放銃に陥る、 それが人間の悲しい性なのです。 排除したのではなく、主権在民というのが邦憲法(後の州憲法)に明記されていたから 重複を避けただけw 実際、合衆国憲法の法的根源となっているフェデラリストという本を共同執筆したジョン・ジェイという アメリカ初代最高裁長官は、主権が民衆にある事を判決で明示してる それと、法の支配というのは逆だよ 古来より王制などでは特に、専制的な国家権力が人民の権利を侵害することが多々あった そういう王権などを規制するために法の支配という概念が生まれた ほんとに義務教育を卒業したのか? これ、特に法の支配という概念は中学レベルだぞ そのフェデラリスト・ペーパーズの執筆者の一人であるハミルトンは 「連邦政府の権限は憲法に明記された項目に限ったもので、憲法に明記されていない権限については全て国民に留保する」 としているから 国民主権にしても、権利章典(人権規定)にしても、国民の権利として認めている その後のジョン・ジェイの判例でも国民主権は認められている イギリスでも思いきり追い出されてたけどw アメリカも虐殺されたり、追い出されたりしてたし 毎回白人崇拝でアジアの男がどうの言ってるのがパンパン? たまに英米が世界最高っつってるのもいるが あれはまた別の奴なのか :// www .geocities.jp/burke_revival/jinnkenn.htm ・・・●普遍的権利か民族固有の相続財産か もともと“自由”とは、国家に要求し国家の強制によって体現される個人の権利ではない。国家がそれを最大限に尊重すべく、法に従ってあるいは「社会」のバリアによって、個人に対する国家の権力が最大限に制限されることによって保障されるものである。 では、個人の“自由”に対する国家の権力を制限する、“法(law )”とは何か? バークによれば、各個人の“自由”が各個人の父祖からの相続された個人的遺産であると考える賢明な叡智(常識) 、それがこの“法”である、と言う。バーク曰く、 「我々の自由を主張し要求するに当たって、それを祖先から発して我々に至り、更に子孫にまで伝えられるべき限嗣相続財産とすること、また、この王国の民衆にだけ特別に帰属する財産として、 何にせよそれ以外のより一般的な権利や先行の権利などとは決して結びつけないこと、これこそ、マグナ・カルタ(1215年)に始まって権利の章典(1689年)に及ぶわが英国憲法の不易の方針であった。」 ハイエクによれば、法と自由とは、ある社会の安定が長く幾世代も持続したことによる歴史的産物であって「自生的秩序」だという。バークとハイエクは視点も論点も異なるが、結論は全く同じである。 要するに、人間一般に普遍的な「人権」の思想とは、その代表たる“自由”を例とすれば逆に自由の放棄の教義(ドグマ)となるように、欺瞞と狂気の政治宣伝に過ぎない。 人類に普遍的な「人間の権利」などというものは、あの「世界人権宣言」がいかに宣伝しようとも、現在のアフリカにおける部族間の血生臭い殺し合いの現実(自由ゼロの現実)が示すように、 一定の長さの安定的な歴史を有さない政治社会においては理論的にも決して存在しない。「人間の権利」は人類に普遍的にあるのではなく、あくまでも各国家のそれぞれの歴史において“自生的”に成長し存立しうるものである。だから、人間一般の権利ではなく“ 国民の権利”なのである。 すなわち、このようなものをあえて“権利”と称したいのであれば、各国・各民族の「国民(民族)の権利」としてであろう。 例えば、日本について言えば、“自由”を「日本国民の権利」として要求するのならば、それなりに妥当だが、 ・・・国家や民族の歴史を欠いた普遍的な「人間の権利」として要求するのであればそれは人間性を否定する狂った教義に過ぎない。 つまり、ある国家(政治社会)に生まれた“国民”は、普遍的な「生物学的な人間」として生まれたのではなく、その国家の歴史・伝統・慣習・法の枠内において権利を要求できる“国民の権利”しか持ちえないのである。 このことは、一般的に考えても常識なことであって、例えば日本国民が中国(米国でもどこでも良い)に旅行に行って、中国国内で「日本ではこれが日本国民の権利だ!」といくら主張しても、その権利行使は中国国内では認められないのが当然であるごとく、 国家の歴史・伝統・慣習・法に基づかない人類普遍の権利としての「人権」など、現実的に存在し得ない。あるのは、各国家における“国民の権利”のみである。 だから、日本国憲法の「基本的人権の尊重」という詭弁で在日外国人に地方参政権を与えるようなことは決してしてはならない。それは、「参政権」が「日本国民の権利」であるという“自由”の基盤を突き崩す、狂った危険な思想に基づいているからである。 人間とは、動物ではないし、奴隷であってはならない。況やロボットではない。動物や奴隷は普遍的であるが、それぞれの人間は国家と民族の産物であって、つまり、各国家(各民族)固有の歴史の上に生きている。 人間は、国民になった時初めて生物学的な人間ではなく、つまり動物とは異なった“真の人間(「人間的人間、文明社会の人間」”になれる。 英国の「権利の章典」(1689年)が、狂ったフランスの人権宣言と根本において相違したため健全であるのは、「人間の権利」というものを断じて認めなかったからである。この「権利の章典」と称される法律の正式名称は 「英国民の権利及び自由を宣言し、王位継承を定める法律」であって、あくまでも英国の貴族と庶民だけの権利について宣言し、「人間の権利」などに言及してはいない。 だから、英国では全体主義体制は滅多に興こらず、国民に対する無差別殺戮も頻発しないのであり、国民にとって最高な価値である“自由”が正しく保障されるのである。 なんか話がループしてるな コピペ君は相変わらずウソばっかだしw フランス革命って民衆の革命みたいに言われているけど ウソだよね。 革命後に政治に携わった中にベルサイユに行進したオバチャン なんか一人もいないだろ? 選挙によって選ばれなかったら、どうしようもない それは現代民主主義も同じだろう >>278 テロリストの暴動と言い換えた方がいい。 最近はとりあえず、何でも「テロリスト」って言っておけば悪役にできるよなw まさしく「ネトウヨ」と同じ原理 >>278 とか今の世界史板の悲惨さを象徴するようなレス ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.4 2024/05/19 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる