チュルクとモンゴルはなぜ差がついたのか? [転載禁止]©2ch.net
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ともに同じような遊牧民族で、
モンゴルも一時はユーラシアを征服して世界に名を轟かしたのに
現在の領土や人口規模では大きくチュルクに水をあけられている
これはどうしてなのだろう? モンゴル系の鮮卑や契丹は中国に移住して中国化していった
チュルク系の諸部族は西へ移住してチュルク語を広めた 契丹は中央アジアに戻ったはず
鮮卑は中国化だな
モンゴルはモンゴルだ モンゴル語系の部族とトルコ語系の部族は混在してたし
バイリンガルも多かったろうし、
モンゴル語の部族が交易の都合でトルコ語になっちゃったり
トルコ語の部族が征服されて政治的な都合でモンゴル語になっちゃったり
ってこともよくあって、もとは大差なかったんだよ。
部族ごとの言語が定着したのはジンギスカンがチベット仏教の信者になってから。
宗教上のお経とかお祈りとかの都合で
仏教徒はモンゴル語、イスラム教徒はトルコ語を選択することが多くなって
なんとなく定着した。モンゴル帝国以降の現象。 騎馬民ってマルチリンガルも多かったみたいだね。定住民が思っている異常に
インテリが多い。 モンゴル語とトルコ語が同源だとすれば
何千年前に分かれているんだろう >>4
例外を挙げると
チュルク系民族でも一部がモンゴル語化(東部裕固語)したとはいえ
残りはチュルク系言語(西部裕固語)を保ったまま
イスラムとは無縁で仏教を信仰し続けている裕固族
モンゴル系の言語を話すがイスラム教徒集団である東郷族、保安族
話者集団がイスラム化してアラビア文字文献を残したが
チュルク化することなくタジク語に同化して消滅したモゴール語 中央アジアのトルコ化と言うけど
イラン人が母語を捨ててまでトルコ語話すようになったのは何で? >>5
交易して、帳簿つけて金融やってと。
マルチリンガルのズル賢いやつら >>11
生活圏の中にチュルク系が増えていつの間にか少数者になっていった
文化的にはむしろ上位で、語彙を借用される側だった >>14
そうか
ずっとイラン系が多数派だと思い込んでた >>4>->6
分かれたというか、よく融合しなかったもんだと。
言語的には融合しなくとも、
チュルク系とされるウズベク系やカザフ系民族の首長は
長い間(最も長いところでは20世紀初めまで)、
チンギス汗の子孫たるモンゴルの頭目を戴いていたけど。 匈奴の中心攣鞮氏はトルコ語系統じゃないかって
ウイグル語が一番近いかもと
http://homepage3.nifty.com/rosetta_stone/wissenshaft/hunna2.htm
ただ匈奴の末端部族だと明らかにトルコ語じゃないのもいる モンゴル語系:東胡、烏桓・鮮卑、柔然、契丹
テュルク語系:匈奴、丁零、堅昆、鉄勒、高車、突厥、ウイグル
少なくとも支配層の言語的にはこんな感じ
匈奴にチベット系の羌が加わったり
匈奴が鮮卑に合流して鮮卑を名乗ったりもしてるが 6 :世界@名無史さん:2014/02/11(火) 23:48:16.38 0漢人起源説(拓跋部)
『魏書』序紀において、拓跋氏は黄帝の子孫としている。
黄帝は伝説の人物であるが、漢民族は古くから自らを黄帝の子孫としており、拓跋氏と漢人とは同じ起源ということになる。
『宋書』索虜伝には、「索頭虜、姓は托跋氏といい、その祖先は漢の将軍李陵の後裔なり。
陵は匈奴に降り、匈奴の一部落の索頭部となる」とあり、拓跋氏の祖先は漢人の李陵としている。
また、『翰苑』註所引の『漢名臣奏』では、「鮮卑は秦始皇の時代に、長城建築の際に逃亡した者たち」とあり、やはり漢人起源としている。
これらの理由としては、匈奴人が西方系の深目、高鼻、多鬚、赤髪、緑目であったのに対し、鮮卑人が身体的に漢人と酷似していたために、鮮卑は漢人起源とされたと思われる。
習俗(宇文部)
かつては南匈奴の遠属で、代々鮮卑の東部大人(たいじん:部族長)を務めた。
その言葉は鮮卑とはやや異なる。人々は皆伸びたひげを切り揃え、その頭頂部でとめて頭飾りにする。
数寸長くなったらこれを短くととのえる。婦女は足まで長い肌着を着る、すなわち裳(スカート)はない。
秋の収穫に鳥頭を毒薬とし、鳥や獣を射る。〈『魏書』列伝第九十一〉
モンゴル族の先祖は漢民族説だが人種的には同じモンゴロイドだから可能性はある >>18
ウイグルはもともとツングース系だったのが後からトルコ系に同化されたって説があるから
匈奴語がウイグル語に近いってのはへんな気がする。
トルコ語・モンゴル語・ツングース語に分化する前の
アルタイ祖語の残滓とみたほうがよいのではなかろうか モンゴル族はモンゴロイドだから漢民族な可能性がある
ってなんか騙されてるようなモヤモヤした感じ >>18
リンク先の考察の手続きがデタラメすぎてお話にならない。
一つの語族・語派の内部でも頭子音の音変化による偏りは生じるし、
隣接したことによる語族・語派を超えた影響も借用抜きでも起こる。
よって語彙群の頭子音の分布で系統を知るなんて不可能。
そもそも色々なデータが不透明すぎる。
引用されてる金芳漢の時点であまりのひどさにがっかり。
有名な人だしもう少しまともな研究してると思ったんだが。
おとなしくパクリまくりでもしてたほうがまし。 モンゴル語は難しいが
トルコ語は難しくないから広まったんじゃねえの?(思いつき) >>25が文盲過ぎて大草原wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww データが少なすぎて系統の確定なんて不可能、で決まり ↑そんなの大前提じゃん…。
なんかもっと面白い新説でも言い出すのかと思ったわw トンデモ説どや顔で出しといてこれに替わる新説出せってアホか 言語学は専門外なんでなんとも
言語学板ではどういう意見なんでしょうね
言語学
http://yomogi.2ch.net/gengo/ >>27 >>31
一言多い、人をけなすのはやめろ それは常に東京は〜大阪は〜って言わないと死んじゃう某地方の奴だけだろ 匈奴とフン族は別として
先にアジアからヨーロッパに進出したのはテュルク 吐峪渾を同化して土族を形成したくらいだから、モンゴルもやれば同化をできたはずなんだけど
ブリヤートとかも元々は別系統だっけ
逆に言うとモンゴル語化された人々ってどんだけ弱っちかったんだよw >>37
その前にもスキタイ、犬戎などもいましたね チュルク→コーカソイド 勇敢な戦士
モンゴル→モンゴロイド 醜い野蛮人 >>41 まずはイスラム教の縛りのないガガウズ人、ヤクート人、トゥバ人あたりから >>44
チュルク系で最も強力で影響力のあるトルコ共和国で採用したら
一気にチュルク系諸民族に広がるかも。
トルコはイスラム教国とはいえ、世俗的で既にアラビア文字を排して
アルファベットを採用しているし。 ハンガリーでのロヴァーシュ文字くらいの使われ方でいい
と思ったがそもそも古テュルク語の正書法が当て嵌められる現代のテュルク語はあるのかがわからん
ハカス人やトゥヴァ人はオルホン碑文を自分たちの言語でどれだけ解釈できるのだろう? >>43
トルコ人は元はモンゴロイドなんだけど?
現代のトルコ共和国の人はもうモンゴロイドの面影なんてほとんど無いけど、
それでもたまにモンゴロイドそのものの容姿の人は今も居る。 タタール人はチュルク系とされているけど、クリミアタタール人とかカザンタタール人とか
見かけ上はスラブ系のロシア人やらウクライナ人やらと区別は不可能。
外国人から見て不可能というだけではなく(たとえば日本人と朝鮮人は外国人にとって判別不可能でも
本人たちはなんとなく分かる)、本人たち同士でも不可能。
どう見てもスラブ系の人が「漏れはロシア語しか喋れんけどタタール人」と言えばタタール人。
今や単なる本人たちのアイデンティティーにかかわるだけの部分も。 タタール人っても今のロシアのカザン(カザニ)あたりにいる人達と
昔の中国北方にいた奴らとでは風貌も大きく違う テュルクはアーリア人の遺伝子取り込んで
平たいドルジ顔を駆逐したからな しかし今やモンゴル文字は駆逐され、ドルジをдоржなんて
キリル文字で表記してるとかどんだけ皮肉なんだよw
まさにロシアのくびきww >>51 なんでタタール人がカザンと言ってるのに、ロシア人はKазaнとつづらずに最後に余計なЬをつけて発音を変えるんだろう
ロシア人にもカザンのほうが発音しやすいだろうに >>55
ロシア人は中国語の/-n/も-ньで、/-ŋ/は-нで転写する
このことから考えるにロシア語の/n/は特に音節末では(我々の使う日本語の「ん」の様に)[n]から[ŋ]までの広い範囲を含んだ音素であり、
殊更他言語における音節末[n]の規範はロシア人の知覚するнの規範と較べて前に寄った(軟音符が付いて聞こえる)調音と受け取られているのだろうと推察する ドルジ顔は東欧では畏怖させるものがあり、琴欧州が負けた際に
琴欧州の地元の人達がドルジの写真を見たら「こりゃ敵わんわ」と納得したという。 >>1
ウィキでトルコ人とモンゴル人の項目でもみたらわかるんじゃないの?(適当) >>57
やはりアッティラはドルジ顔だったのか?w モンゴル系、トルコ系と括ると今のモンゴル国とトルコ共和国の人々を
イメージしてしまうが、実際にはいずれもモンゴル高原を故地とする民族だよ。
言葉の違いはあるけど、ツングース系も含めて、同じモンゴロイドで
元々の容貌は似ていたとみていい。
トルコ系でもキルギス人やカザフ人は日本人そっくりだ。
ウイグル、ウズベク、トルクメン、アゼルバイジャン、トルコと南西に行くにつれて
コーカソイドになっていくのは多数派のペルシャ系やアラブ系、ギリシャ系と混血して
モンゴロイドの血を薄くしながらも、言葉だけはトルコ言語を残したから。
ほんの20年前まではいずれも一つずつした独立国を持っていなかったわけだから、
差というのもあまり感じない。
しいて言えばソ連崩壊という外部的要因が大きい。トルコはソ連にカザフやウズベクに代表される
構成共和国を多く持っていた。一方モンゴルはブリヤートやトゥバ、カルムイクのように
自治共和国に留まっていた。その差ではないか? ソ連がテュルク系の共和国を作って、遊牧系を先祖とする集団に
カザフやキルギスまるごと共和国を作らせた。
ところが、イラン・タジク系の定住民が中央アジアにはいて、特にブハラやホラズムには集中していたが
解体されたあげく、テュルク系のウズベクやトルクメンに吸収され
母国語を失ってしまった。
ブハラやホラズムがソ連の指導部にとって気に入らない独自性があったのが原因。 キルギス人やカザフ人は昔からモンゴロイドだったのかな 中国の記録では、匈奴人は身体もでかく、いかつい顔をして
髭もじゃで立体的な顔立ちをしてる人が多かったというが ユーラシアの騎馬民族について人種を語るほど不毛なことって無いと思うんだが
なんでどのスレでもその話ばっかりしたがるやつがいるんだろう どこ行っても同じバカしかいないんだからコピペ応対で十分だろ まぁ、でも一時期にくらべれば朝青龍厨は少なくなったんじゃないか? >>72
じゃおまえが別のネタふればいいんじゃね? 寧ろ、朝青龍顔ってターム、非常にわかりやすい
使い始めた奴GJだろこれ 最初に思いついて書いて、みんなをクスッとさせた奴はグッドジョブ
それに便乗して、みんなが辟易するまで繰り返す奴はアスペジョブ うざい、キモいって言葉も、最初は一部の地域の不良が使うローカルな単語だったが、
数年から数十年かけて徐々に認知され、今では一般人の間でもとてもおなじみの単語になっている。 >>74
つまりコピペ厨はわざわざバカしかいないところばかりを狙って
うろついてるんだな、コピペという簡単なお仕事のためにw >>4
チベット仏教受け入れたのはアルタンハーンやろ 局所的な話だけど、世界記憶力選手権でモンゴルってすごい上位国になってる
ドイツ、スウェーデン、中国ときて、アメリカとともにその次ぐらいの勢力
8位ランカーのほかにワールドランク50位内に7人もいる・・・国中で流行ってんのだろうか
ちなみにトルコの最上位は700位くらいで、日本の最上位は70位台 各国強さ格付け(16世紀後半)
S スペイン、オスマン帝国、明、日本
A イングランド、フランス、ポーランド、サファヴィー朝、ムガール帝国
B スウェーデン、モスクワ大公国
C モンゴル
D イタリアの都市国家、李氏朝鮮 >>86
スペインはアメリカ大陸を征服しオスマンは三大陸に渡る大帝国を築いた
日本と明はどこを征服したの? トルコはコーカソイドと混血して白人容姿を手に入れた勝ち組だからなぁ テュルクはオクシデンタルな風貌してるからな 朝青龍顔は少ない テュルク系・・・アジアのイケメン
モンゴル系・・・アジアのブサメン モンゴルに、トルコ博物館
ttp://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20160715_132204.html
2016年07月14日付 Hurriyet紙
トルコは、トルコ人の歴史を語る遺産を保護し、後代の子孫に残すためモンゴルに博物館を開く予定だ。
TIKA(トルコ協力開発機構)によってモンゴルの首都ウランバートルのナライハ市にあるビルゲ・トニュクク碑文の周囲で考古発掘が行われ、
ここで出土された品々のため、博物館が設立される予定だ。
突厥時代に関する歴史的な出来事を物語る碑文には統一の言葉が記されており、
国の指導者らが優秀な側近を持ち、その側近らと一致して働くことで大事業が成ると強調されている。
碑文が記された日付ははっきりとは分かっていないが、研究者たちは724年から725年のものであると発表している。
当時はキュッリエだった。
アフメト・タシャール教授は発掘が行われた地域がトクズ・オグズ族の地域であると述べ、以下の情報を伝えた。
「ここは昔のトルコ部族の最東の境界である。これ以降にはモンゴル人が居住する。TIKAはここに博物館を開くことを計画している。
今やトルコが遺産の保護にあたっているのだ。碑文は現在、元の場所にある。その左右には像が立っていたに違いない。
ここは当時、人々や後代の子孫に教訓を得さしめよと、目的を書かせ、儀式の場が作られた一つのキュッリエ(複合施設)であった。
アタテュルク廟のようにシンボリックな壁があった。
第二次突厥国がどのように作られ、敵とどう戦い、内外の敵に如何にして団結し、これらを防いだかというものである。
国家をどう運営するかについても記述がある。」
プロジェクトの最終段階では、碑文のオリジナルの保護のため、
博物館に改装される建物に運ばれ、元の場所にはレプリカが置かれることになっている。
キュッリエ地域は環境整備が行われ、観光用に開放される。
トルコの歴史の中で最古の文書であるビルゲ・トニュクク碑文へのアクセスを容易にするため、
レジェプ・タイイプ・エルドアン大統領の指示でTIKAによって約500万リラに相当する11キロのアスファルト舗装道路が敷かれた。 現代では、ハカス語が最東のテュルク語族言語だろうか? サハ語じゃない?サハ語の場合は最東かつ最北になるけど
或いは満州に僅かに残存するフユ=クルグズ語とか >>94が吉川の憎まれそうなニューフェイスのパロディなの知らないのかな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています