チュルクとモンゴルはなぜ差がついたのか? [転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
ともに同じような遊牧民族で、
モンゴルも一時はユーラシアを征服して世界に名を轟かしたのに
現在の領土や人口規模では大きくチュルクに水をあけられている
これはどうしてなのだろう? ハンガリーでのロヴァーシュ文字くらいの使われ方でいい
と思ったがそもそも古テュルク語の正書法が当て嵌められる現代のテュルク語はあるのかがわからん
ハカス人やトゥヴァ人はオルホン碑文を自分たちの言語でどれだけ解釈できるのだろう? >>43
トルコ人は元はモンゴロイドなんだけど?
現代のトルコ共和国の人はもうモンゴロイドの面影なんてほとんど無いけど、
それでもたまにモンゴロイドそのものの容姿の人は今も居る。 タタール人はチュルク系とされているけど、クリミアタタール人とかカザンタタール人とか
見かけ上はスラブ系のロシア人やらウクライナ人やらと区別は不可能。
外国人から見て不可能というだけではなく(たとえば日本人と朝鮮人は外国人にとって判別不可能でも
本人たちはなんとなく分かる)、本人たち同士でも不可能。
どう見てもスラブ系の人が「漏れはロシア語しか喋れんけどタタール人」と言えばタタール人。
今や単なる本人たちのアイデンティティーにかかわるだけの部分も。 タタール人っても今のロシアのカザン(カザニ)あたりにいる人達と
昔の中国北方にいた奴らとでは風貌も大きく違う テュルクはアーリア人の遺伝子取り込んで
平たいドルジ顔を駆逐したからな しかし今やモンゴル文字は駆逐され、ドルジをдоржなんて
キリル文字で表記してるとかどんだけ皮肉なんだよw
まさにロシアのくびきww >>51 なんでタタール人がカザンと言ってるのに、ロシア人はKазaнとつづらずに最後に余計なЬをつけて発音を変えるんだろう
ロシア人にもカザンのほうが発音しやすいだろうに >>55
ロシア人は中国語の/-n/も-ньで、/-ŋ/は-нで転写する
このことから考えるにロシア語の/n/は特に音節末では(我々の使う日本語の「ん」の様に)[n]から[ŋ]までの広い範囲を含んだ音素であり、
殊更他言語における音節末[n]の規範はロシア人の知覚するнの規範と較べて前に寄った(軟音符が付いて聞こえる)調音と受け取られているのだろうと推察する ドルジ顔は東欧では畏怖させるものがあり、琴欧州が負けた際に
琴欧州の地元の人達がドルジの写真を見たら「こりゃ敵わんわ」と納得したという。 >>1
ウィキでトルコ人とモンゴル人の項目でもみたらわかるんじゃないの?(適当) >>57
やはりアッティラはドルジ顔だったのか?w モンゴル系、トルコ系と括ると今のモンゴル国とトルコ共和国の人々を
イメージしてしまうが、実際にはいずれもモンゴル高原を故地とする民族だよ。
言葉の違いはあるけど、ツングース系も含めて、同じモンゴロイドで
元々の容貌は似ていたとみていい。
トルコ系でもキルギス人やカザフ人は日本人そっくりだ。
ウイグル、ウズベク、トルクメン、アゼルバイジャン、トルコと南西に行くにつれて
コーカソイドになっていくのは多数派のペルシャ系やアラブ系、ギリシャ系と混血して
モンゴロイドの血を薄くしながらも、言葉だけはトルコ言語を残したから。
ほんの20年前まではいずれも一つずつした独立国を持っていなかったわけだから、
差というのもあまり感じない。
しいて言えばソ連崩壊という外部的要因が大きい。トルコはソ連にカザフやウズベクに代表される
構成共和国を多く持っていた。一方モンゴルはブリヤートやトゥバ、カルムイクのように
自治共和国に留まっていた。その差ではないか? ソ連がテュルク系の共和国を作って、遊牧系を先祖とする集団に
カザフやキルギスまるごと共和国を作らせた。
ところが、イラン・タジク系の定住民が中央アジアにはいて、特にブハラやホラズムには集中していたが
解体されたあげく、テュルク系のウズベクやトルクメンに吸収され
母国語を失ってしまった。
ブハラやホラズムがソ連の指導部にとって気に入らない独自性があったのが原因。 キルギス人やカザフ人は昔からモンゴロイドだったのかな 中国の記録では、匈奴人は身体もでかく、いかつい顔をして
髭もじゃで立体的な顔立ちをしてる人が多かったというが ユーラシアの騎馬民族について人種を語るほど不毛なことって無いと思うんだが
なんでどのスレでもその話ばっかりしたがるやつがいるんだろう どこ行っても同じバカしかいないんだからコピペ応対で十分だろ まぁ、でも一時期にくらべれば朝青龍厨は少なくなったんじゃないか? >>72
じゃおまえが別のネタふればいいんじゃね? 寧ろ、朝青龍顔ってターム、非常にわかりやすい
使い始めた奴GJだろこれ 最初に思いついて書いて、みんなをクスッとさせた奴はグッドジョブ
それに便乗して、みんなが辟易するまで繰り返す奴はアスペジョブ うざい、キモいって言葉も、最初は一部の地域の不良が使うローカルな単語だったが、
数年から数十年かけて徐々に認知され、今では一般人の間でもとてもおなじみの単語になっている。 >>74
つまりコピペ厨はわざわざバカしかいないところばかりを狙って
うろついてるんだな、コピペという簡単なお仕事のためにw >>4
チベット仏教受け入れたのはアルタンハーンやろ 局所的な話だけど、世界記憶力選手権でモンゴルってすごい上位国になってる
ドイツ、スウェーデン、中国ときて、アメリカとともにその次ぐらいの勢力
8位ランカーのほかにワールドランク50位内に7人もいる・・・国中で流行ってんのだろうか
ちなみにトルコの最上位は700位くらいで、日本の最上位は70位台 各国強さ格付け(16世紀後半)
S スペイン、オスマン帝国、明、日本
A イングランド、フランス、ポーランド、サファヴィー朝、ムガール帝国
B スウェーデン、モスクワ大公国
C モンゴル
D イタリアの都市国家、李氏朝鮮 >>86
スペインはアメリカ大陸を征服しオスマンは三大陸に渡る大帝国を築いた
日本と明はどこを征服したの? トルコはコーカソイドと混血して白人容姿を手に入れた勝ち組だからなぁ テュルクはオクシデンタルな風貌してるからな 朝青龍顔は少ない テュルク系・・・アジアのイケメン
モンゴル系・・・アジアのブサメン モンゴルに、トルコ博物館
ttp://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20160715_132204.html
2016年07月14日付 Hurriyet紙
トルコは、トルコ人の歴史を語る遺産を保護し、後代の子孫に残すためモンゴルに博物館を開く予定だ。
TIKA(トルコ協力開発機構)によってモンゴルの首都ウランバートルのナライハ市にあるビルゲ・トニュクク碑文の周囲で考古発掘が行われ、
ここで出土された品々のため、博物館が設立される予定だ。
突厥時代に関する歴史的な出来事を物語る碑文には統一の言葉が記されており、
国の指導者らが優秀な側近を持ち、その側近らと一致して働くことで大事業が成ると強調されている。
碑文が記された日付ははっきりとは分かっていないが、研究者たちは724年から725年のものであると発表している。
当時はキュッリエだった。
アフメト・タシャール教授は発掘が行われた地域がトクズ・オグズ族の地域であると述べ、以下の情報を伝えた。
「ここは昔のトルコ部族の最東の境界である。これ以降にはモンゴル人が居住する。TIKAはここに博物館を開くことを計画している。
今やトルコが遺産の保護にあたっているのだ。碑文は現在、元の場所にある。その左右には像が立っていたに違いない。
ここは当時、人々や後代の子孫に教訓を得さしめよと、目的を書かせ、儀式の場が作られた一つのキュッリエ(複合施設)であった。
アタテュルク廟のようにシンボリックな壁があった。
第二次突厥国がどのように作られ、敵とどう戦い、内外の敵に如何にして団結し、これらを防いだかというものである。
国家をどう運営するかについても記述がある。」
プロジェクトの最終段階では、碑文のオリジナルの保護のため、
博物館に改装される建物に運ばれ、元の場所にはレプリカが置かれることになっている。
キュッリエ地域は環境整備が行われ、観光用に開放される。
トルコの歴史の中で最古の文書であるビルゲ・トニュクク碑文へのアクセスを容易にするため、
レジェプ・タイイプ・エルドアン大統領の指示でTIKAによって約500万リラに相当する11キロのアスファルト舗装道路が敷かれた。 現代では、ハカス語が最東のテュルク語族言語だろうか? サハ語じゃない?サハ語の場合は最東かつ最北になるけど
或いは満州に僅かに残存するフユ=クルグズ語とか >>94が吉川の憎まれそうなニューフェイスのパロディなの知らないのかな 吉川ファン乙
よもや誕生日にあわせて、このネタを温めてきたんじゃなかろうな もともとチュルクはモンゴルの腰巾着で力持ったのが、いまでら、出藍の誉れやね、? >一方モンゴルはブリヤートやトゥバ、カルムイクのように
ブリヤートはチンギスハンの時代はトルコ系だったが >>103
モンゴルに遊牧生活を伝授したのがテュルク。 世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
P8J38 友達から教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方
興味がある人はどうぞ
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
06J >>101>>102
吉川晃司は毛利元就の三本の矢で有名な吉川家の出自
純日本人でもイケメンはおる かりにモンゴロイドでも、匈奴よりは多少西に寄ったので、ややオクシデンタルな風貌だったんじゃまいか >>117
敦煌の壁画に可汗ではないまでも、貴族の供養者の肖像画があったはず。 色川高志(葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室)の挑発
色川高志「関東連合文句があったらいつでも俺を金属バットで殴り殺しに来やがれっ!! 関東連合の糞野郎どもは俺様がぶちのめしてやるぜっ!!
賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! 糞バエ関東連合どもっ!! 待ってるぜっ!!」 (挑戦状) ↑煽りじゃないよ
そう聞こえるかなと思って不安になって付け足す 内蒙古、外蒙古、ブリヤート、カルムイク、全部合わせればトルコと比べても劣らないくらいの面積やないか?
人口はお話にならんけど セルジュークって何でカハンやタルカンみたいなトルコ系の
称号を名乗らずベクとか名乗っちゃってんの? ベクもトルコ系の称号やろ
イラン系のバガ(富、神、君主)がソグド語を通じて入ったともいうが 「いきなりスルタン」とは「いきなりステーキ」と似たようなもんか? >>127
アラビア語で「権力者」の意味
アッバース朝カリフから授与された称号 >>49
うんなわけないやん
Yハプロですらモンゴロイド由来の物は1割にみたないのに 言語的にトルコ化しただけだもんな
オスマン帝国時代はいろんな言語の民族が混在していたのに
強制的に「トルコ民族=トルコ国民」にしてしまった 今のトルコ人はアルファベット表記された突厥の碑文とか理解できるのかな? 露助のくびきでキリル文字化されちゃった今のモンゴル人にだって八思巴文字とか理解できひんやろ 別に突厥の文字を読めってんじゃない。
アルファベットで音を書いたら読めるかって話。 >>132
日本人だって縄文由来の遺伝子は1割くらいしかないのに縄文人って風貌の人は
たまにいるだろ >>137
アルファベットは表音文字なので、読めて当たり前。
というか、音で読めないとアルファベットの存在意義がない。 >>141
アルファベットで書いてあるけど英語は読み方知らんととても読めんぞ
Maughamなんて知らんかったおまえ読めるんか? >>143
正しく読んだか判断できる者がいればそれでいい。それが表音文字の役割。
正しい読み方は一つではない。
イタリア語、ドイツ語、フランス語、英語それぞれ読み方が違うがちゃんと成立している。 突厥文字をアルファベットに直す時点でどっかの民族の言葉に近く直すことになる。
当時の突厥語の発音なんてわからんしな。 あ、突厥文字自体読みが決まってるのか・・・
ならそのままアルファベットに直すだけでいいね。 トルコ人はどうか知らんけどトゥバ人とかハカス人みたいなシベリア・テュルク系なら原住地から移動してないからちゃんと読めんじゃね? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています