大陸でモンゴル軍を食い止める方法教えて下さい。 [転載禁止]©2ch.net
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モンゴルの弓騎兵に対抗するのに、
ヨーロッパはどう立ち回れば勝てたのかな?
詳しい人教えて下さいな。 世界最高弓と世界最強近接ウエポンを装備しているんだぞ 日本刀で思い出したが、戚継光の対騎馬民族戦術はそれなりに効果があるだろうな。
なんだかんだ言ってかなりの名将が必要だけど。 >>147
源平合戦期の義経軍や鎌倉武士は強かったが、北条氏政権が確立して後は暫らくまともな戦がなく
なまってしまったと思われ >>148
「モンゴル」は平原ではなく丘陵地帯なのに? >>154
日本も集団戦術あるけど何言うてんですかね >>152
鎌倉武士はなまってたのにモンゴル軍に圧勝したのか >>1
ライフル銃で銃撃
エンフィールド銃を装備した赤服部隊なら、500人で5万のモンゴル軍を一方的に虐殺できる >>75
50年代にはもう回復してたぞ。70年代はイギリスやソ連抜いて世界2位だ
マッカーサー最強 >>141
マッカーサー相手にはキルレシオ20で惨敗の連続だけどな >>75
どこの異次元世界で育ったの?
そもそも戦前の経済力なんて元々大したことなかったし
「もはや戦後ではない」は昭和31年のことだ
所得倍増計画がブチ上げられて高度成長時代が始まったのが昭和35年からで
昭和39年に東京オリンピックと東海道新幹線開業
昭和44年に東名・名神高速道路全通
昭和45年に大阪万博
そして昭和48年に第一次オイルショックで高度成長時代終了
君は「戦前の経済成長のラインにやっと回帰できたのって70年代」と言ってるが
戦前の日本に東名・名神高速道路を建設するほどの能力と自動車需要があったとでも?
オリンピックと万博だって戦前には頓挫して開催できなかったし 泥濘期のロシアで苦戦したように、騎兵部隊は足元の地盤が緩いと戦えない。 馬はラクダのにおいを嫌がると言うが、なんでアッバース朝はモンゴルにあっさり負けたんだろうな。
モンゴルはラクダ対策をしていたのかな。 アッバース朝はモンゴルとの戦いの時点で2万程度の軍勢しか用意できないザコになってたから
ブワイフやセルジュークに生かされてただけの過去の残滓がモンゴルに敵うわけない 実はモンゴル軍より冒頓時代の匈奴軍のほうが勝率高かったろ? 質問がおかしいよな、ホラズム朝とでもしとけばよかったんだ
それは置いといて、チンギス軍は軍団編成のなかでラクダを組み込んでたよ
騎兵に合図を送る太鼓奏者が、高いところから打音を伝達できるようラクダに騎乗させていた アッティラ軍のほうが相対的に強かったから彼らは西欧まで侵入できた
モンゴルは東欧止まり アッティラ軍はゴートやゲピードなどの地元兵が主力。
ガリアやイタリアの地理に明るい。
バトゥ軍はチュルク兵が主力で西欧に土地勘が無い。 >>173
結果論だな。西欧まで攻め入っていれば西欧人を進軍の先払いに利用してたわけで。 そういや、モンゴル軍の中にイギリス人もいたらしいしなw >>1
史実で撤退していったんだから。
考える必要も無い。 >>1
まず、モンゴル人に自分の食った皿を
洗わせる習慣をつけさせることだね。
奴等は水のない地域に住んでるせいか
先祖代々、食器洗う習慣が無い。
周知の通り、舐めて洗う。
しかも、その食器もすべて中国製である。
剣も中国製である。
ゲルも考案したのは、恐らく中国人であろう。
これで、どれだけモンゴルが非文明的な野蛮な民だということが
おわかりだろうか。
元だ?何だそれ?ッて感じだ(笑) >>173
アッティラの時代と13世紀のモンゴル軍では情報伝達スピードは特に変わってなかったのかな >>165
同じことが象でも言えるな
初めて象を見た馬は怯えて戦場で使い物にならないらしいが、
馴らしておけば怯えることもなくまともに戦えたようだ
カエサルがヌミディアのユバ王と戦う前にあらかじめ象を入手して、
馬を象の匂いになれさせたとある
モンゴルの場合もラクダの入手は容易だっただろうし、
普段から一緒に飼っておけば怯えて馬が動かないということもないから
存分に戦えたのだろう エフタル(白匈奴)のミヒラクラ王のインド侵攻を食い止めたのもグプタ朝のヤショーダルマン王の象軍団だったな 馬防作作って鉄砲三段構えでモンゴル軍に余裕で勝てる エフタルは悦般が変化したんだっけか
インドに行ったら戦術を変えなきゃだめだな
炎暑多湿だと寒冷乾燥より騎兵のアドバンテージは低くなる 中国は孔子のせいでヨーロッパのように文明を進化させるチャンスを失ってしまった
たしかに儒教は封建社会での統治には有利だが、先人至上主義のせいで技術の革新を妨げる要因でしかない
イスラム教とかも似たようなもので、時代は2016なのにムハンマドの時代が黄金時代であったとかほざいてやがる
孔子ではなく墨子の説が受け入れられていたら、中国で1000年以上前に産業革命が起こってもおかしくなかった
儒教の教えを受け入れた民族や国には進化する可能性が永遠に失われる
金や宋がモンゴルに食われたのは儒教政権の必然的宿命であり、儒教型統治を施した元もあっさりと滅んでしまった 当時の人口比較
遼 1000-1500万
北宋 約1億
日本 約1000万
金 約5000万
南宋 約6000万
モンゴル 数十万
ホラズム 日本より少ない(数百万〜1000万以下)
国力だけで言えばモンゴルに勝ち目はなかったが
モンゴルはカリスマ性のあるリーダーがいるのに対し
金も南宋も儒教政権の末期でいつ崩壊してもおかしくなかった
それでもチンギスが生きている間は南宋どころか金すら倒すことが出来なかった
金も少しはまともなリーダーなら立て直すチャンスはいくらでもあったが内部があまりにも腐りかけていて自分からゆっくる崩壊していきトドメを刺したのがモンゴル
南宋は金以上に腐っていたがモンゴル侵攻開始から40年以上持ちこたえたがこれも内部崩壊が原因で滅んだに近い
ホラズムは元から兵力でモンゴルに劣っていた上に分散戦法であっという間に滅んだけど ロシアの泥濘状態の大平原がモンゴルが一番苦戦した戦い。 生まれてこのかた海なんか見たことも無い蒙古兵は海戦でもっと苦戦しそうだが >>185
まず後梁時代で分裂状態を固定する
これで武器は進歩する >孔子ではなく墨子の説が受け入れられていたら、中国で1000年以上前に産業革命が起こってもおかしくなかった
墨子は自ら身体を動かし、率先して自ら実践することで弟子を教育した。
孔子は基本的に机の上で弟子たちを教育した。
骨の折れるやり方の墨子が中国人に受けるわけがない。 >>185
モンゴル支配下の中華は結構自由だったみたいだぞ
彼らは儒教に大した価値を認めなかったから
モンゴル時代こそ、中華が儒教の車厄から脱する好機だったと思うわ
14世紀が天災続きでなければ、朱元璋みたいなサイコパスによって儒教を超絶重んじる世に逆戻りすることもなかったろうなと 天災続きを言い訳にするんじゃなくてさ、そもそも人モノ金が動き回る社会をコントロールするのって大変なんだぜ?
元は経済的に自由度が高かったとはいえ、あの時代には長期に渡ってそれを維持できるだけのシステムを構築できなかったんだよ
朱元璋がやったのは農本主義的復古だけど、暴れ馬をとにかく鎮めるって意味では時宜に適った政策だった 馬が使えない所で戦えばいいだけ
山や森や狭い路地におびき入れてゲリラ戦で戦う 実際湿地だらけのベトナムでは散々に蹴散らされたらしいし。 >>195-196
"大陸でモンゴル軍を食い止める方法"とタイトルにあるから平地での戦いを想定しているのでは? 純歩兵部隊を率いて野戦で遊牧騎馬軍団に抵抗し続けるとかいう神業をしまくった事例といえば李陵の撤退戦だな 【ゲスウヨ悲報】 国民の意志を裏切ることは、極端な場合、自殺や殺人にまでつながります。 【サヨク朗報】
日本国民はどう対処すればいいのか。
新しい政権は民意を反映し、適切な食糧、住宅の供給、健康管理、教育が最も重要な責任となるでしょう。そして最後に防衛です。
今日のように軍備や競合において資源を浪費することは終わります。今日、多くの国家が優先しているものの中に、戦争のための武器の製造が不気味な比重を占めています。
三菱商事の核ミサイル担当重役は安倍晋三の実兄、安倍寛信。これがフクイチで核弾頭ミサイルを製造していた疑惑がある。書けばツイッターで速攻削除されている。
https://twitter.com/toka iamada/status/664017453324726272
民衆の指導者は職業的政治家ではない人々から見つかるのです。国民の意志を裏切ることは、極端な場合、自殺や殺人にまでつながります。
ファッシズム政権の終わりは、いつでも残酷な結末しかない。安倍晋三はどんな殺され方をするんだろう?
https://twitter.com/tokaia mada/status/605899171313246209
アメリカによる他国の虐待に反対の声を上げなければなりません。
世界平和の脅威は、イスラエル、イラン、アメリカです。イスラエルの役割は跪いて、パレスチナに許しを請うことです。
彼らは今世紀(21世紀)をこの帝国が出来上がるアメリカの世紀と呼ぶ。しかし、そうはならないでしょう。
彼らが世界中に‘民主的’制度を確立したいという衝動(1種類の政治形態が世界中を支配する)をコントロールするのは、マイト レーヤの任務です。
6月15日(水)18時半から「『平和と人権を求める市民フォーラムおきなわ』−第一回 参議院議員 山本太郎と語る会」を中継します。
https://twitter.com/iwak amiyasumi/status/742702872270413824
史上初の世界演説は英国BBCが放送
それは非常にまもなくです。マイト レーヤが世界に向かって話をする準備は良好に進行しています。
この時、初めての本当の身分を明らかにされます。25分か35分くらいかもしれませんが、歴史上で初めて、世界的規模のテレパシーによる接触が起こるのです。 水堀を掘って藁人形と煮えたぎった糞尿を用意して、楠木正成勢を置いておく。 ジャワのラデン・ヴィジャヤはモンゴル軍の首脳陣を小屋に誘い込んで不意打ちした模様 インドネシアやベトナムが独立戦争で独立を勝ち取った素地はモンゴルを追い返した頃からあったのかな? エジプトもモンゴルを追い返したが独立は自力では無く
支配者のオスマン帝国が第一次大戦で勝手に滅びただけ エジプトはアッシリアやペルシャからの独立に際しても自ら戦って独立したというより
アッシリアやペルシャが崩壊して新たな支配者に恭順しただけだろ。 遊牧民は馬に乗れるのと弓扱いに慣れてるだけが取り柄で
白兵戦になったらフルボッコだからね
金を倒す時は襲撃しては撤退を数十年単位で繰り返し
南宋を倒す時は漢人使って中国式の軍隊作り上げてから征服した
モンゴル人自体はそれほど脅威的ではないみたい
やばいのはチンギスカーンという冷兵器史上最強の征服者 火器を知っている中国が、なぜ当初は火器を知らなかったモンゴルに勝てなかったのか。 マムルーク朝に撃退されたと見せて、そのマムルークのトップの座を
モンゴル人がゲットしていたな。 Al-Adil Kitbughaか。
かつてマムルーク軍団が戦ったモンゴルの将軍と同名だな。
それでもあっさりスルタンになれてしまう
マムルーク朝ってとことん実力主義集団だな。 >>215
そりゃ、チャイナだから。
この二十一世紀にも、畑のスイカから携帯電話から椅子から手術中の患者から走行中の自動車から発射台のロケットから外洋航行に出すタンカーまで
なんでも爆発してんだぜ。
近代工業の入ってない13世紀14世紀だろ、そりゃ、爆発して味方が死ぬわ。 >>43
歳費を使って、食料を買いって人口=兵員を増やし、武器を買って兵力を増強。 >>221
モンゴルも最初はチャイナっていうか女真族の金王朝にいじめられっぱなしだったんだよな
減丁っていう政策のもと、モンゴル人同士で殺し合いをさせられてた
まるで学級のボス猿にタイマンをはらされる底辺猿のように
100年近くいじめられ続けた鬱憤が溜りに溜まったせいか、モンゴル人の屠城に始まる残虐性の原因になったとかないとか >>223
そのモンゴルのもってきた「てつはう」にコテンパンにやられてしまう鎌倉御家人たち。
この頃は堺の鍛冶屋はまだ鎌倉方の味方ではなかったから、「おなじもの作れ」ができたのは270年くらい後。 >>224
鎌倉御家人たちがコテンパンにやられたなどという事実はないぞ。
鎌倉御家人にコテンパンにやられたのはモンゴル軍の方だからな。 >>225
台風が来なきゃあ侵略されてたでよ。
だから、公式に、鎌倉御家人衆によって退散ではなく、加持祈祷で台風が来て退散だから、恩賞は、寺社に厚く、武士に薄いじゃん。 >>226
台風が来るまで2ヶ月間も九州の武士団から逃げ回るのに精一杯だったモンゴル軍に
日本が征服できるわけないだろ。
文永の役でも弘安の役でもモンゴル軍は戦闘で御家人に全く歯が立たなかったじゃん。 >>227
ホラムズでもキエフでもバクダッドでも開封でも、基本、モンゴルの戦術はヒットアンドアウェイだから、逃げるのも最初から戦術に織り込んでるものだけれどねえ。 元寇のモンゴル軍なんて実質、高麗と南宋の寄せ集めだろ >>229
ジンギスカンの時分からモンゴル軍の兵員の大半は占領地から駆り出された人員。 とは言っても被征服民だけで軍を組織じゃ反乱しそうで危険だし
指揮官くらいはモンゴル人にしたんでないの? 指揮する人がモンゴル人なら、当然、戦略や基本戦術はモンゴル的なものになるだろ。
雑兵が高麗人・宋人でも、部隊の動きはモンゴル戦術のヒットアンドアウェイだな >>232
1万3500余人の犠牲者出しながら1日で逃げ帰った文永の役とかヒットアンドアウェイでも何でもないだろ。
単なる大惨敗。 >>233
下調べ、威圧が目的だし、死ぬのはどうせ冬季に餓死してしまう高麗棒子だから痛くも痒くもないし。 >>234
モンゴル帝国大カーンの娘を高麗国王に嫁入りさせて箔付けした文永の役の目的が
下調べ、威圧なわけないだろ。
帝国の威信を賭けて送り込んだ遠征軍が鎌倉武士に秒殺されただけ。
当然クビライの面子丸つぶれだわな。 ハーンの娘なんてオルドで作り放題だろ
高麗ごとき大した特別扱いでもない
メンツなんて気にするのは漢人の感覚
モンゴルは割に合わないと思ったらあっさり諦めることも多い >>235
嫁入りwwwww
空位監国として次皇選出のクリルタイを主宰しうる正后の産の腹ではないだろ。
遊牧政権らしく、クビライ皇帝の元には占領地や土豪の娘がワンサカ送られてきて、妾妻多数、皇子さま皇女様もウジャウジャ居て、各地の有力者との縁組をさせている。
そういう中の一人に、忠烈王も高麗の土侯への懐柔策としてところにもランクの低いお姫様が送られてきただけ。
それを正后腹の姫さんが降嫁してくるキュレゲン家格とゴッチャにするなよ。
ついでに、宋のラストエンペラー恭帝趙顕も、宋国滅亡でモンゴルに生け捕りにされた後、瀛国公に封じられてクビライ皇帝の娘をあてがわれているで。
瀛国公だから名目の領地は日本な。でもハンバリクで軟禁生活。 >>235
忠烈王の時代、高麗王室には分家が用意されていて名目的に瀋陽王という位が与えられていた。
がっつり支配するより、地元の名家でワンクッション置いて間接統治の方がうまくいくことが多いから、そのために、高麗で反乱でも起こったり跡継が途切れたり賢すぎたりバカすぎたりしたときには
同門分家の瀋陽王と差換える。
忠烈王はモンゴルから見ると頼りない土候でモンゴルに反抗的な臣下を抑え切れてるとは言い難い。下剋上はありそうだし、あっては面倒だから、予め高麗の地力を削っておく必要があった。
そこでモンゴルに見捨てられたくない忠烈王は、日本遠征を具申、遠征するからに戦奉行やら軍師やら騎馬兵やらが本国から送られてくるからとりあえず地位は安泰、モンゴルの見張りの下で、
高麗の国力を削るべく、船舶や食料の徴発に勤しむわけよ。 >>237
忠烈王はクビライの娘を嫁にしたおかげでキュレゲン家格だよ。
1294年のテムル・カーン即位式の席次は諸王駙馬の第七位。 >>239
もう元朝も末期、漢土放棄の衰退期じゃないか。
元寇とかやっていた意気盛んな時期では高麗なんてどうでもいいレベルの土司だったろ。 >>234
下調べ、威圧目的の遠征でその規模のものを送り込んだ事他にあったっけ?
さもなくば単なる失敗を下調べとか言い張ってるだけになってしまうが 北の元寇で元軍と渡り合った蝦夷、樺太アイヌ人こそ最強!!
ジャナイ...? >>240
1294年が衰退期とか適当なこと書いてんじゃねーぞ。
パクスモンゴリカの元朝最盛期はこの後だ。 モンゴルが西欧に進めなかった要因を見ればわかる。
内部で自給自足できる石造りの城塞都市を作って住めばいい。 A stake, a stake, my kingdom for a stake! 単に大遠征が帝位争いで終わったから西欧に行かなかっただけだろ
城砦とかの問題じゃないよ >>23
源平盛衰記中の屈指の蛮族・木曽義仲の火牛作戦も見てみたい
アジアの蛮族vs日本の蛮族って感じで ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています