>>284
まあここらで出てきた内容いったん整理してみようかね。

【モンゴル軍による博多炎上があったとする見方】
@モンゴル軍の攻撃を防ぎきれず日本側の軍勢は博多を撤退し、
 博多・筥崎方面は猛火に包まれたとする史料が存在する。
A筥崎宮は文永の蒙古襲来で社殿が焼失したと認識している。
B福岡市立博物館は現地の発掘も踏まえて、蒙古襲来により
 筥崎宮一帯が焼け野原になった見方を肯定している。

【モンゴル軍による博多炎上がなかったとする見方】
@筥崎宮内部の出火と解釈できる部分から蒙古による放火は
 なかったとする。
 しかし町が燃えれば飛び火で宮の敷地内から火が広がる
 こともあり得るし、モンゴル軍の侵入が間近に迫る恐怖で、
 火の始末まで気が回らず火災になったとも解釈出来、
 博多がモンゴルに蹂躙された事を否定する材料とはならない。