大陸でモンゴル軍を食い止める方法教えて下さい。 [転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
モンゴルの弓騎兵に対抗するのに、
ヨーロッパはどう立ち回れば勝てたのかな?
詳しい人教えて下さいな。 >>96
防寒対策さえしている軍隊なら
冬の方が河川が凍結して進軍しやすいという土地柄だからなw 宋はあれだけ北方民族と戦ってたのに火薬兵器を改良しようと思わなかったのか
火薬以外に兵器はあり得たのだろうか(弩とか) 宋の技術力では改良してもたいした発展はしないだろう。 >>101
連弩なら少なくとも秦代から使われてるんだが >>89
モンゴル軍の強さの秘密の一つに斥候偵察と情報収集力にある。
地形を味方にしようと思っても、
モンゴル側の方がすでに地形を把握しているため、
こちら側の思惑通りに罠にはまってくれない。 やっぱり宋は統一王朝だから兵器の技術が進歩しないんじゃないの
明だってモンゴルと戦うときに銃火器をポルトガルから輸入してたしな 日本に援軍を乞えば?
鎌倉幕府はあっさり粉砕したんだし 同じような立場のアラブ・イランや東ローマと兵器の技術を交換するというのはどうか
ソグド人を仲介とする。 >>105
日本の将軍も大陸で戦えば瞬殺されたろうな 欧州まで大ハーン攻め上がったんだろ?
ドラキュラの人がアレしたらしいが恐ろしいわ 平家を破った屈強の鎌倉坂東武者騎馬隊をもってしても瞬殺だったかね? 源氏でもクリカラ峠の火牛作戦で有名な木曽義仲軍も強かった
木曽武者=野蛮とされていて、平家物語中でも大陸の北方蛮族軍のような立ち位置だった リトアニア人ラトビア人兵士を前線に出す
一言でいうならバルト語族の兵士 モンゴル帝国の強さ
・巧みに降伏させる戦略 ・商人を使った情報収集力 ・遠征の得意な騎馬兵。
局地戦でモンゴル軍に勝ってた者も、最終的に周囲の圧迫され味方が裏切るとか
政治的に負けてる(※豚飼いイヴァイロとか)
最終的に圧勝と言える例は、日本の他は、バイバルスのマムルーク朝くらいか
元寇の場合、日本が戦略的にも、戦闘でも圧倒的有利だった
・まず周囲から落とし、圧迫し降伏させようにも、日本は荒海の向こう
・得意の情報収集も、半島・中国経由のダメ情報で
・荒海を越えて騎馬兵は送れないし、
船旅で疲れた歩兵を数万送れば、騎馬の鎧武者が数万でお迎え、これはどうしようもない
※イヴァイロ(豚飼い→第2次ブルガリア帝国皇帝)
モンゴル帝国・ビザンツ帝国の両軍相手に、農民集団率いて勝利し
そのままいけば、VSモンゴル帝国の最優秀賞候補だったが、クーデター起こされた 高麗だって一度や二度はモンゴルに勝っている
波状攻撃にはどんなんでも耐えられない >>113
ジャワ
北インド
もモンゴルに勝っている
というかチンギス以降のモンゴル軍なんて
美化されてるけど雑多な民族の寄せ集めだからな インドのハルジー朝は、モンゴル相手にかなり苦戦しただろ・・・
あと、ジャワ侵攻は、簡単に制圧成功した上で、味方の裏切りで追い出されたし
撤退の際に、地図や重要人物などの膨大な戦利品を持ち帰ったし
結局、マジャパヒト国が元に朝貢にしてるしね・・・ 苦戦したがモンゴルは退却した
ポーランドも最終的にはモンゴルを退けたし
ミャンマーの勢力もモンゴルを退けた
Second Mongol invasion of Burma
https://en.wikipedia.org/wiki/Second_Mongol_invasion_of_Burma ◆在日中国人
在日中国人(ざいにちちゅうごくじん、日籍華人)は、日本に在住している中国人である。
中華人民共和国または中華民国(台湾)の国籍を有する者は華僑であり、日本国籍を
取得したものは「華人」である。なお、中華民国(台湾)の国籍者は在日台湾人と呼ばれる。
広義には中華人民共和国(香港、マカオを含む)と中華民国(台湾)国籍者を指すが、
狭義には中華人民共和国国籍者のみを指し、中華民国(台湾)国籍者は在日台湾人と
呼ばれることが多い。
独立行政法人統計センターによると、2010年12月末時点では両地域合わせて687,156人が
外国人登録されており、これは565,989人の在日韓国・朝鮮人を超える規模である[1]。
既に2007年8月に人民網が、東京では100人に1人は在日中国人であると伝えている[2]。
2010年12月末の在日中国人の国内分布は東京が最も多く164,201人、次いで横浜を擁する
神奈川が56,095人、以下、大阪府51,056人、埼玉48,419人、愛知47,454人、千葉県45,427人、
兵庫25,585人、福岡県21,936人、茨城15,726人、岐阜県15,340人と続く。
このように在日中国人の居住地は大都市圏に集中しているが、中でも関東南部への集中が
顕著である[3]。
なお、表に表れない非公式な数字を入れると東京には二倍の30万人以上が居住していると
いわれる、[要出典]それほどに中国人の東京への一極集中が顕著である。
日本国籍を取得した在日中国人の数は、平成12年から平成21年の10年間で4万人以上[4]である。 2010年12月末の在日中国人の国内分布は東京が最も多く164,201人、次いで横浜を擁する
神奈川が56,095人、以下、大阪府51,056人、埼玉48,419人、愛知47,454人、千葉県45,427人、
兵庫25,585人、福岡県21,936人、茨城15,726人、岐阜県15,340人と続く。
このように在日中国人の居住地は大都市圏に集中しているが、中でも関東南部への集中が
顕著である[3]。
なお、表に表れない非公式な数字を入れると東京には二倍の30万人以上が居住していると
いわれる、[要出典]それほどに中国人の東京への一極集中が顕著である。
日本国籍を取得した在日中国人の数は、平成12年から平成21年の10年間で4万人以上[4]である。 チンギスハンは源義経だから
ニッポン凄いってFAやけどな
どうやったら奥州から大陸へ逃げられたのか・・・世界的ミステリー >>115
そのインドはのちにムガール帝国なる名の国に支配されるとは何たる皮肉なんだよw 秀吉の朝鮮出兵みたいに
戦闘で勝ちを重ね、作戦目標を達成するも
戦略目標が不明になって撤退した場合、勝敗をどう判断するかだな
モンゴル帝国に文句なしに勝ち、と言えるのは日本とマムルーク朝で
陳朝は現実的判断
× パガン朝 戦象で立ち向かうも負け首都陥落、属国化
○? 陳朝 戦闘で勝っておいて、元に臣従
△ ハルジー朝 デリー包囲され拠点移すが、突然撤退してくれた 明時代の中国人は、
火器を外国から買ってることに疑問を感じなかったのだろうか >>1
カルピニによると、モンゴルはクロスボウを恐れていたそうだぞ
だからクロスボウを活かした戦いを、つまり強固な陣地を築いてそれに拠って戦うのが良いかと
優れたクロスボウの射手として有名なジェノヴァ人を大量に雇うとなお良しか
そして、挑発に乗ったり、下手に追撃したりしないこと >>126
だから中国で弩と火薬兵器を並行して発達させるのがいいかと >>111
中華太古の有名な奇策が有効とか、どれほど遅れてたんだよ ミャンマーのパガン王朝は、元に負けて属国になったよ>>123 ウラジミルはモンゴル軍を撃退したけど臣従している。 シチ川の戦い:モンゴル帝国の勝利
戦闘の経緯 より
> ウラジーミル・スーズダリ軍は包囲され、ほぼ全員が死ぬか捕虜となった。
> 大公ユーリーは戦死し、首はモンゴル征西軍の総司令官・バトゥの元へ送られた。
結果 より
> シチ川での敗北は、ウラジーミル大公国の、モンゴルの侵攻に対する抵抗を無力化させた[2]。
> ウラジーミル大公国はモンゴル帝国へ従属することが決まった。
ルーシ侵攻については、モンゴル帝国の圧勝だが
疫病や、オゴタイ・ハン没後の大ハン選出などで軍が撤退する例はある モンゴル軍から撤退のウサ晴らしに
病人の死体を投げ込まれて
B兵器の恐ろしさを知る前に撃退できませんか? むしろ、中国・イスラムの技術(火薬・投石器)を取入れ、騎兵戦術と組合せるのがモンゴル帝国の強み 金は末期に大兵力で南宋を攻撃して失敗し、
大損害を出しているんだな
たぶんこれがモンゴルを抑えられなかったことに繋がっているはず 戦闘力は、農耕で発展したマオリ族>原始的狩猟のモリオリ族の例もあるが
モンゴル
狩猟から進化し、動物の群れの制御を覚えた遊牧民
毎日が訓練みたいなもので、弱者は脱落し
すぐ騎兵集団を編成し、移動が速い戦闘集団になる
女真族
農業は副業として主に奴隷にやらせ、騎馬集団で狩猟
戦闘民族にも様々なタイプがある
女真は、個人の戦闘力はあるが、全体の機動力ではなあ この時代の文明レベルって東高西低なんだな。
ポーランドに攻め込んだモンゴル軍なんて1万人しかいなかったのに
まるで歯が立たない。
その10倍以上のモンゴル軍に圧勝した日本から見ると雑魚すぎて・・・ >10倍以上のモンゴル軍に圧勝した日本
厨房は巣へ帰れw 戦闘民族としては、狩猟主体で奴隷に農耕させる、女真族が最強クラス
ただモンゴルの遊牧民は、移動力に優れ、交易も盛んで情報力もあったから
政治力も含めた総合的には
モンゴル・南宋の連合軍により、女真族はモンゴルに服属した >ポーランドに攻め込んだモンゴル軍なんて1万人しかいなかったのに
一般に言われているヘンリク軍4万VSバトゥ軍15万ってガセ? >>145
ガセに決まってるじゃん。
モンゴル帝国なんてチンギス死亡時には総兵力でも12万9000人だよ。
その中から3万人をホラズム・シャー国残党の掃討に派遣して、高麗にも兵を送り、
残った兵力を二分して一方は南宋へ侵攻し、もう片方が欧州遠征部隊。
その欧州遠征部隊が更に二つに分かれてハンガリーとポーランドで戦ったんだよ。
15万なんて数字になるわけがない。 もし仮に日本の鎌倉武士とモンゴル軍が中央アジアのオアシス地帯かどこかで
同数ぐらいの兵力でぶつかったらどちらが勝つだろ? 世界最高弓と世界最強近接ウエポンを装備しているんだぞ 日本刀で思い出したが、戚継光の対騎馬民族戦術はそれなりに効果があるだろうな。
なんだかんだ言ってかなりの名将が必要だけど。 >>147
源平合戦期の義経軍や鎌倉武士は強かったが、北条氏政権が確立して後は暫らくまともな戦がなく
なまってしまったと思われ >>148
「モンゴル」は平原ではなく丘陵地帯なのに? >>154
日本も集団戦術あるけど何言うてんですかね >>152
鎌倉武士はなまってたのにモンゴル軍に圧勝したのか >>1
ライフル銃で銃撃
エンフィールド銃を装備した赤服部隊なら、500人で5万のモンゴル軍を一方的に虐殺できる >>75
50年代にはもう回復してたぞ。70年代はイギリスやソ連抜いて世界2位だ
マッカーサー最強 >>141
マッカーサー相手にはキルレシオ20で惨敗の連続だけどな >>75
どこの異次元世界で育ったの?
そもそも戦前の経済力なんて元々大したことなかったし
「もはや戦後ではない」は昭和31年のことだ
所得倍増計画がブチ上げられて高度成長時代が始まったのが昭和35年からで
昭和39年に東京オリンピックと東海道新幹線開業
昭和44年に東名・名神高速道路全通
昭和45年に大阪万博
そして昭和48年に第一次オイルショックで高度成長時代終了
君は「戦前の経済成長のラインにやっと回帰できたのって70年代」と言ってるが
戦前の日本に東名・名神高速道路を建設するほどの能力と自動車需要があったとでも?
オリンピックと万博だって戦前には頓挫して開催できなかったし 泥濘期のロシアで苦戦したように、騎兵部隊は足元の地盤が緩いと戦えない。 馬はラクダのにおいを嫌がると言うが、なんでアッバース朝はモンゴルにあっさり負けたんだろうな。
モンゴルはラクダ対策をしていたのかな。 アッバース朝はモンゴルとの戦いの時点で2万程度の軍勢しか用意できないザコになってたから
ブワイフやセルジュークに生かされてただけの過去の残滓がモンゴルに敵うわけない 実はモンゴル軍より冒頓時代の匈奴軍のほうが勝率高かったろ? 質問がおかしいよな、ホラズム朝とでもしとけばよかったんだ
それは置いといて、チンギス軍は軍団編成のなかでラクダを組み込んでたよ
騎兵に合図を送る太鼓奏者が、高いところから打音を伝達できるようラクダに騎乗させていた アッティラ軍のほうが相対的に強かったから彼らは西欧まで侵入できた
モンゴルは東欧止まり アッティラ軍はゴートやゲピードなどの地元兵が主力。
ガリアやイタリアの地理に明るい。
バトゥ軍はチュルク兵が主力で西欧に土地勘が無い。 >>173
結果論だな。西欧まで攻め入っていれば西欧人を進軍の先払いに利用してたわけで。 そういや、モンゴル軍の中にイギリス人もいたらしいしなw >>1
史実で撤退していったんだから。
考える必要も無い。 >>1
まず、モンゴル人に自分の食った皿を
洗わせる習慣をつけさせることだね。
奴等は水のない地域に住んでるせいか
先祖代々、食器洗う習慣が無い。
周知の通り、舐めて洗う。
しかも、その食器もすべて中国製である。
剣も中国製である。
ゲルも考案したのは、恐らく中国人であろう。
これで、どれだけモンゴルが非文明的な野蛮な民だということが
おわかりだろうか。
元だ?何だそれ?ッて感じだ(笑) >>173
アッティラの時代と13世紀のモンゴル軍では情報伝達スピードは特に変わってなかったのかな >>165
同じことが象でも言えるな
初めて象を見た馬は怯えて戦場で使い物にならないらしいが、
馴らしておけば怯えることもなくまともに戦えたようだ
カエサルがヌミディアのユバ王と戦う前にあらかじめ象を入手して、
馬を象の匂いになれさせたとある
モンゴルの場合もラクダの入手は容易だっただろうし、
普段から一緒に飼っておけば怯えて馬が動かないということもないから
存分に戦えたのだろう エフタル(白匈奴)のミヒラクラ王のインド侵攻を食い止めたのもグプタ朝のヤショーダルマン王の象軍団だったな 馬防作作って鉄砲三段構えでモンゴル軍に余裕で勝てる エフタルは悦般が変化したんだっけか
インドに行ったら戦術を変えなきゃだめだな
炎暑多湿だと寒冷乾燥より騎兵のアドバンテージは低くなる 中国は孔子のせいでヨーロッパのように文明を進化させるチャンスを失ってしまった
たしかに儒教は封建社会での統治には有利だが、先人至上主義のせいで技術の革新を妨げる要因でしかない
イスラム教とかも似たようなもので、時代は2016なのにムハンマドの時代が黄金時代であったとかほざいてやがる
孔子ではなく墨子の説が受け入れられていたら、中国で1000年以上前に産業革命が起こってもおかしくなかった
儒教の教えを受け入れた民族や国には進化する可能性が永遠に失われる
金や宋がモンゴルに食われたのは儒教政権の必然的宿命であり、儒教型統治を施した元もあっさりと滅んでしまった 当時の人口比較
遼 1000-1500万
北宋 約1億
日本 約1000万
金 約5000万
南宋 約6000万
モンゴル 数十万
ホラズム 日本より少ない(数百万〜1000万以下)
国力だけで言えばモンゴルに勝ち目はなかったが
モンゴルはカリスマ性のあるリーダーがいるのに対し
金も南宋も儒教政権の末期でいつ崩壊してもおかしくなかった
それでもチンギスが生きている間は南宋どころか金すら倒すことが出来なかった
金も少しはまともなリーダーなら立て直すチャンスはいくらでもあったが内部があまりにも腐りかけていて自分からゆっくる崩壊していきトドメを刺したのがモンゴル
南宋は金以上に腐っていたがモンゴル侵攻開始から40年以上持ちこたえたがこれも内部崩壊が原因で滅んだに近い
ホラズムは元から兵力でモンゴルに劣っていた上に分散戦法であっという間に滅んだけど ロシアの泥濘状態の大平原がモンゴルが一番苦戦した戦い。 生まれてこのかた海なんか見たことも無い蒙古兵は海戦でもっと苦戦しそうだが >>185
まず後梁時代で分裂状態を固定する
これで武器は進歩する >孔子ではなく墨子の説が受け入れられていたら、中国で1000年以上前に産業革命が起こってもおかしくなかった
墨子は自ら身体を動かし、率先して自ら実践することで弟子を教育した。
孔子は基本的に机の上で弟子たちを教育した。
骨の折れるやり方の墨子が中国人に受けるわけがない。 >>185
モンゴル支配下の中華は結構自由だったみたいだぞ
彼らは儒教に大した価値を認めなかったから
モンゴル時代こそ、中華が儒教の車厄から脱する好機だったと思うわ
14世紀が天災続きでなければ、朱元璋みたいなサイコパスによって儒教を超絶重んじる世に逆戻りすることもなかったろうなと 天災続きを言い訳にするんじゃなくてさ、そもそも人モノ金が動き回る社会をコントロールするのって大変なんだぜ?
元は経済的に自由度が高かったとはいえ、あの時代には長期に渡ってそれを維持できるだけのシステムを構築できなかったんだよ
朱元璋がやったのは農本主義的復古だけど、暴れ馬をとにかく鎮めるって意味では時宜に適った政策だった 馬が使えない所で戦えばいいだけ
山や森や狭い路地におびき入れてゲリラ戦で戦う 実際湿地だらけのベトナムでは散々に蹴散らされたらしいし。 >>195-196
"大陸でモンゴル軍を食い止める方法"とタイトルにあるから平地での戦いを想定しているのでは? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています